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パンドラちゃんは見た目ではパンドラちゃんだとわからないらしい。パンドラちゃんの名前を知っていたとしても、その見た目は誰も知らないからだ。
近付いてはいけない存在だったのだからそれも当然だ。
そんなわけで、カイはパンドラちゃんの見た目を知らない。
さらには、パンドラちゃんの箱が開いたことも知らない。
当然のように俺がパンドラちゃんの箱を開けたことも知っているわけがない。なので、パンドラちゃんと一緒に、カイだけが待つ家に帰ったとしても問題はない。
俺の頭の中はパンドラちゃんで埋まっている。
もっと言うと、パンドラちゃんの箱を開けた日で埋まっている。
ずっと、あの日からずっと、後悔が流れ出ている気がする。
前まではグッスリと眠れていたはずなのに、世界中の人々が自由を手にしてからは、睡眠がとても浅くなってしまった。これも自由の代償なのだろうか?
「そういえばだけどさ。大厄災って何?」
俺はこのことを聞かないといけないと思っていた。
その理由は非常にシンプルで、幻塔歴という言葉が使われ出したのは、パンドラちゃんが俺に「大厄災は幻塔歴2年の7月5日」と言った後だから。
パンドラちゃんが広めた言葉、というわけもない。神様的な彼女であれば、予言ができたとしてもそこまで不思議ではない。
――不思議ではあるか。
「天変地異が起こるらしいです」
「大厄災だし、そういうのも起こるのかな」
「でも、心配は要らないそうです」
大が付いている厄災を心配しなくてもいい理由なんてあるのか? ただの厄災じゃなくて、大の厄災だ。厄に災いが乗っているだけでも大変なのに。
厄の中でも災い的な厄災がさらに大きくなって、大厄災としてこの世界に訪れる。それに心配が要らないなんて、如何にも神様的な視点だと思った。
「誰からそれを聞いたの?」
「天界の神様です。私は使いみたいなものなのです」
どのような使いでここへやってきたのだろうか。もしや、パンドラちゃんの箱を開けさせるためか?
「どうしてここへやってきたの?」
「この箱を持ってくるためです」
「開けさせるためじゃなくて?」
「そうです。持ってくるためです」
じゃあ、俺がその箱を開けたのは神様の思い通りではないということだ。
はぁ……ということは俺がやってしまっただけじゃないか。
「そもそも私の箱は開けられる運命だったのです」とか言ってくれれば、俺の気持ちは楽になることができたはずなのに。
あくまでも責任は俺にあるらしい。
そうやって考えると俺も自由だ。
「自由に生きよう」、と、箱を開けた結果、自由によって追い回されているだけだ。てっきり、この世界で不自由なのは俺だけかと思っていたが、違うらしい。
俺にも自由はあるが、希望はない。
働いているみんなは自由があって希望もある。
希望の光はどこにあるのだろうか。
空の高さを知ったところで、そんなところには手は届かない。
空の全てを知ったとしても、日常は、変わらない、のか?
「大厄災ってことは、やっぱり被害も出る?」
「そこまでは知らないです。私は神様から聞いただけなのです」
「でも、天変地異が起こるなら被害も出るよね」
不意に誕生して、今では日常の一部となった巨大な塔。天地がひっくり返るようなことがあったら、アレもただでは済まないはずだ。
さっきまでいた建設現場。
たくさんの人が、夢や、希望や未来のために働いている。
そんな人たちのそれらが奪われることになるのかと思うと、“ゾッ”とするような気持ちだった。まさかこれすらも俺のせいということはないよな。
「元々決まってたことなんだよね?」
「わからないです。が、あの塔があるから幻塔歴になったんだと思うんです。世界に自由が訪れたことによって、発生する出来事のような気もするのです」
大厄災も俺のせいらしい。
そんなこと言わないでくれよ。
本当だとしてもさ。
俺は自分のことを嫌いになりそうだった。
本来は嫌いになるべきだとすら思う。
神様みたいな存在であるパンドラちゃんを解き放つために、この世界に労働という、夢や希望や自由なんていう地獄を生み出してしまった。
そんなの必要なかった。
ひたすらに生きているだけで幸せそうだった。
退屈であるというだけで、自由がない世界は幸せな世界だった。それなのに、全部を変えてしまった。変える必要のないことを変えたのだ。
その結果、大厄災まで起こるというのだ。
神様は人間に何を求めているのだろう。
どうして俺はパンドラちゃんの箱を開けたのだろう。
夢なんか見るからお金が足りなくなるのだ。生きているだけで、それも、今日を生きるだけでいいならば、労働なんてしなくても生きられる。
「パンドラちゃんにはわからないよな。俺の気持ちなんてさ」
パンドラちゃんはその言葉を聞いても、変わらない涙目をしているだけで、どこか他人事だった。
実際に、神様の使いからしたら人間なんて他人ですらないのだと思う。今の俺はそれを受け入れることも、理解することもできない。




