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俺は、建設途中の、名前すらない幻の塔を見上げながら、“アッツアツ”のふかし芋を食べていた。マヨネーズをかけて食べていた。美味い。
ユートピアが塵界に変わってしまった。
どこかに有ったはずの幸福は消え、自由だけが残された。
その光は、あまりにも眩しく、日常に影ができる。
影の中で一人だけ、前と同じような暗がりで、いつものフリをした日々を送っている俺。
塵のような欲望が渦巻いているこの世界は、一度大厄災でも起こらないと元に戻れないのかもしれない。パンドラちゃんが言っていた通りに、予言通りになることを憂う、幻塔歴元年の11月17日だった。
ちなみに幻塔歴というのは、この塔の建設が開始した日を一月一日とした歴だ。十一ヶ月半で天を衝く塔を建造してしまうだなんて、自由とはそんなにパワーがあるものなのか?
「で? 空の青さは確かめられたの?」
「わからないです。まだ途中です」
俺は旅から帰ってきたばかりのパンドラちゃんに話を聞いてみた。聞かないといけない事情が俺にはあった。
彼女は今も大事そうに桐箱を持っている。その中に残されているのは鍵だけで、閉じ込められていた自由は世界に拡散された。
そして、パンドラちゃんは何も変わっていない。
前と同じように、彼女の髪の毛は“ボサボサ”だった。
その瞳は前と同じように潤んでいて、涙目のままだった。閉じ込められていたからみすぼらしい見た目をしていたのではなくて、そもそもそういう神様だったのかもしれない。
めちゃくちゃ騙されたような気持ち、は、隠しておくことにしよう。
「俺は空の青さじゃなくて激しさを知ったよ。みんなが自由になってから生活が一変しちゃったからね」
「何かあったのです?」
「パンドラちゃんに話すことでもないんだけど、父親が不倫してね? それで、両親が離婚しちゃったのさ」
そう。自由の代償はそれなりの物だった。
俺にとって、自由とは酷い物である。
そして何よりも、他人の物である。
父親がそんな人だったなんて予想外だ。
もっと淡白な、無機質的な人だと思っていた。
人間なんて内側では何を考えているのかわからない物だ。みんなも、俺がパンドラちゃんを解放したことは知らないから、お互い様ではあるが。
「今はどうしているんです?」
「どうしてるんだろうね? 二人とも家を出たからわからない」
俺は、兄のカイと二人で生きていた。が、彼はこれからのことを憂いていた。なので、「働かないといけないのだろうか?」、と、相談してくるのだった。
みんなが夢を見るようになったことでインフレが発生している。
夢にはお金がかかるのだ。
もっと言うと《夢を叶えるためにはお金が必要》なのだ。旅をするにしても、恋をするにしても、綺麗になるにしても、何にしても夢のためにはお金が必要だった。
お金が必要になったら儲からなければならない。お店も、今までとは違って、儲かるために色んな物の値段を吊り上げている。
その中にいる俺は困っているのだった。まだ受け入れていない自由に、後ろから追い回されているような気分だった。
世界の動きに巻き込まれているような感覚だ。そこに俺は居ないような気さえしてくる。
日常が日々、音を立てて壊れているようだった。
まあ、俺は巻き込まれたのではなくて、巻き込んでいる側だが。
めちゃくちゃ責任者であるわけだが、そのことは一旦考えないようにしよう。考えても意味なんてない。考えたらメンタルがヤバくなるだけだし。
「パンドラちゃんはこれからどうするの?」
「私、何も食べなくても生きていけるんです。どんなに危ないことをしても生きていけるんです。身勝手な自由を体感することができていないみたいなんです」
俺らは大変だ。
(もしかすると半年後には何も買えなくなっているかもしれない)
そんな不安なんて今まではどこにもなかったのに。
《仕方のないことだ》、と、みんなが諦めていた死を、みんなが諦めなくなっている。それによって、生きるための蓄えを誰しもがするようになった。
カイは庭に柿の木を植えた。
何年後に柿の実が実るのかは知らないが、それを楽しみにしながらほとんど毎日それの世話をしているのだ。なんだか全部ウソみたいだ。
柿って。
俺は桃とかの方が好きだ。
贅沢は言っていられないが、俺はどう考えても柿よりも桃の方が美味しいと思う。俺たちが暮らしている土地に桃が適しているのかは知らない。
何にも知らないな、俺って。
「それで、一緒に居たいのです、モジャモジャと」
「ん? どうして?」
意志のある涙目が俺を見つめる。
「私は人間ではないので、『みんなが見ている空がどんな色をしているのか?』、が、わからないのです。私は私の瞳に写る空の色よりも、みんなの瞳に写る空の色の方が気になるのです。それを知ることが、確かめることが、私が私の人生を好きになることに繋がると思うのです」
世界を見ても空の色はわからなかった。
なら、それはもうわからないのではないだろうか。




