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厩舎に捨てられた私が泥まみれの神獣を洗ったら世界一の美青年でした  作者: 月雅


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第二話 ブラッシング・レボリューション


朝露に濡れた藁の匂いが、鼻先をくすぐる。


窓の外はまだ薄暗い。

けれど、私の体内時計は完璧に作動していた。

二度寝の誘惑を振り切り、ベッドから飛び起きる。


「さて、行きますか」


顔を洗い、作業着に着替える。

鏡に映る自分に向かって気合を入れた。


今日は大仕事になる。

あの巨大な「泥の塊」を、すべてピカピカの銀狼に変身させるのだから。


バケツと大量のタオル、そして新品の馬用ブラシを持って檻の前へ向かう。

鉄格子の奥では、すでに二つの赤い瞳がギラギラと光っていた。


『……遅い』


開口一番、文句が飛んできた。


「おはよう。まだ夜明け前よ」


『俺様が起きた時が朝だ。早くしろ。昨日の続きだ』


どうやら待ちきれなかったらしい。

昨日洗った背中の部分だけが、暗闇の中で蛍のように淡く発光している。

そこだけ痒くないから、余計に他の場所の痒みが気になるのだろう。


私は苦笑しながら檻の中に入った。


「はいはい、わかったわよ。今日は足の方からいくわね」


『背中もだ。まだ右上が残っている』


「注文が多いお客さんだこと」


私は袖をまくり、作業を開始した。


ガリガリ、ゴシゴシ。

静かな厩舎に、ブラシの音がリズミカルに響く。


私の手から伝わる「浄化」の力が、固着した呪いの泥を分解していく。

普通の汚れなら水で流せば落ちるが、この泥は執念のようにへばりついている。

私の魔力と体力を削りながらの根気勝負だ。


『そこ……あぁ、そこだ……』

『うむ、悪くない』

『もっと力を込めろ。手抜きするな』


フェン――心の中で勝手にそう呼ぶことにした――は、文句を言いながらも大人しく身を委ねていた。

時折、気持ちよさそうに目を細め、喉を鳴らす。

その姿は、伝説の魔獣というより、甘えん坊の大型犬そのものだ。


一時間、二時間。

私の腕はパンパンになり、額には汗が滲む。

けれど、作業が進むにつれて現れる銀色の毛並みは、疲れを吹き飛ばすほど美しかった。


前足の泥が落ち、胸元の泥が落ちる。

黒い塊だった姿が、徐々に本来の威厳ある狼の姿へと変わっていく。


「ふぅ……だいぶ進んだわね」


一息ついて、フェンの首元を撫でる。

シルクのような手触りに、心がとろけそうだ。

最高の癒やし成分モフモフが、労働の対価として支払われる。


その時だった。


「うわっ、くっさぁい!」


甲高い声が静寂を切り裂いた。

入り口の方を見ると、華やかなドレスを着たアリアが立っていた。

鼻をつまみ、わざとらしい顔でこちらを見ている。


「なんでいるの?」


「カイル様のお使いよ。あなたがちゃんと反省して泣き暮らしているか、見てこいって」


アリアは勝ち誇ったように微笑むと、檻の方へと近づいてきた。

そして、フェンを見て顔をしかめる。


「何これ。汚い犬っころねぇ。こんなのが王城にいるなんて信じられない」


『……なんだ、この騒がしい雌は』


フェンの声が低くなる。

機嫌が急降下するのがわかった。


「まだ半分泥まみれじゃない。見てるだけで吐き気がするわ」


アリアは足元に転がっていた石ころを拾い上げた。

手の中で弄びながら、冷ややかな目でフェンを見下ろす。


「こんな汚物は、消毒してあげないとね」


彼女の手に、微弱な光魔法が灯る。

ただの石つぶてではない。

魔法で強化された投石だ。

当たればただでは済まない。


「やめて!」


私は叫んだ。

けれど、アリアの手から石が放たれる。


『グルゥゥッ!』


フェンが身構える気配。

だめだ。

今のフェンはまだ半分呪われている。

それに、鎖で繋がれたままじゃ避けられない。


私は考えるよりも先に体が動いていた。


ドスッ。


鈍い音が響く。

肩に走る鋭い痛み。

私はフェンの顔を庇うようにして、その身を盾にしていた。


「……っ」


「あら、当たっちゃった? ごめんなさいねえ、汚いもの同士でお似合いだからつい」


アリアは悪びれもせずに笑う。


その瞬間。

空気が凍りついた。


『――貴様』


地獄の底から響くような咆哮。

フェンの赤い瞳が、憤怒の色に染まる。


『我の……我の所有物に、傷をつけたな!?』


バキンッ!

フェンが暴れ、鎖が悲鳴を上げる。

彼は私を守ろうとして、アリアに牙を剥いたのだ。


だが、次の瞬間。

檻の鉄格子と鎖がカッと白く発光した。


バチバチバチッ!


「ガアァァァッ!」


強力な電流のような光が、フェンの体を焼く。

魔獣を拘束するための強制魔法だ。

殺意や攻撃の意思を見せると、自動的に罰を与える仕組みらしい。


「いやぁっ!」


アリアは悲鳴を上げて尻餅をついた。

フェンの殺気と、弾ける火花に怯えたのだ。


「な、なによ今の! やっぱり危険な魔獣じゃない! 殺処分してもらうようにカイル様に言いつけてやるんだから!」


彼女は涙目で捨て台詞を吐くと、転がるように逃げ出していった。


厩舎に静寂が戻る。

残ったのは、焦げた臭いと、荒い息遣いだけ。


「……フェン、大丈夫?」


私は痛む肩を無視して、フェンに駆け寄った。

魔法の雷撃を受けた体からは、白い煙が上がっている。


『……愚か者が』


フェンは苦しげに息を吐きながら、私を睨んだ。


『なぜ庇った。石くらい、どうとでもなる』


「だって、せっかく綺麗にしたのに。また汚れたら嫌でしょう?」


私は震える手で、彼の頬を撫でた。

怪我はないようだ。

頑丈な体でよかった。


『……お前の肩、血が出ているぞ』


「これくらい平気よ。私、結構頑丈だから」


強がって見せたが、本当はズキズキと痛む。

けれど、それ以上に胸が痛かった。

こんな理不尽な鎖に繋がれて、自由を奪われて、ただ石を投げられるのを待つだけなんて。


許せない。

私を虐げるのは勝手だが、動物を虐めるのは絶対に許さない。


私の中で、何かがプツンと切れた。

同時に、固い決意が結ばれる。


「ねえ、フェン」


『……なんだ』


「ここを出ましょう」


『は?』


「こんな場所、もういらない。私があなたを連れ出してあげる」


それは、反逆の宣言だった。

王命に背き、国の管理する魔獣を強奪する。

重罪だ。

でも、知ったことか。


私は残りの泥を見据えた。

あと半分。

これをすべて落とせば、フェンは本来の力を取り戻せるはずだ。


フェンは驚いたように目を見開き、それからニヤリと凶悪に笑った。


『……面白い』


彼は長い舌で、私の頬をペロリと舐めた。


『いいだろう。その契約、乗ってやる。まずは俺様の体を完璧に仕上げてみろ』


『それから、その傷……あとで俺様が舐めて治してやる。感謝しろよ』


頭の中に響く声には、先ほどまでの傲慢さだけでなく、確かな独占欲が混じっていた。


私はブラシを握り直す。

さあ、反撃の準備ブラッシング再開だ。


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