俺らの鬱陶しい春
「やまない雨はない。」
「努力はいつか報われる」
俺はこんな言葉が嫌いだ。
“雨”は確かにいつかやむかもな。でも、現実の問題はそうはいかねぇだろ。
一生の間で解決できることなんてのは、たかが知れてる。
“努力”なんてもんは恵まれた連中ができることだ。
……その日を生きることに手いっぱいの奴だっていんだよ。
俺は、薄暗い路地で転がっていた空き缶を
何もかも、ぶつけるみてぇに思いっきり蹴り上げた。
俺をあざ笑うみてぇにぽつぽつと雨が降り注ぐ。
その一粒一粒が、歯が砕けるような苛立ちを、一層、掻き立てる。
毎日、路地裏で、恵まれた連中が残した食いもんを漁ってその日を、ただ生きてる。
惨めで、頭がどうにかなっちまいそうのに、俺には何にもできねぇ。
怒りも、悔しさも。全部一緒に流し込むみてぇに残飯をほお張る。
全く、味がしない。ただ、苦しくて、のどに詰まった。
いつもと変わらねぇ日だと思ってた。
相変わらず鬱陶しい雨は止みそうにねぇ
でも、いつもとちげぇのは、見慣れねぇガキが雨の音をかき消すみてぇに歌ってやがった。
歌いだしは遅れて、声は裏返ってやがる。
歌詞すら覚えてねぇのか、ところどころ音が消えてる。
技術なんてない。
ただ、
私を見ろ。私の歌を聴け
そんな、荒削りの感情だけがガツンと響く。そんな歌だった。
冷たい雨が降って、音のないこの町に
いつの間にか居て
いつの間にか腐っちまった、小手先だけのあいつらとはちげぇ
硬てぇ芯の通った。そんな歌だった。
「……っけ、どうせすぐに諦める」
俺は、あいつに背を向けて、路地裏の奥に向けて歩き出す。
あいつの歌が俺には……ちっとだけ眩しくて。
胸がざわついて。不快だった。
いつの間にか忘れてた雨の感触を思い出して、歯を食いしばる。
すぐに諦めると思ってた。
でも、あいつは毎日、毎日、毎日。
飽きもしねぇでいつもあの場所で歌ってやがる。
ここじゃねぇ。もう少し、遠くを見てる
ちっとだけ胸が熱くなる、そんな歌だ。
だが、
相変わらず下手くそな歌だ
声が裏返ってやがるし。
あぁ……そんな歌い方じゃあサビが響かねぇだろ。
どうやら、歌詞は覚えてきたみてぇだな、昨日詰まってたところ。
声出てるじゃねぇか。
……
まただ、
うるせぇって思うのに、気が付いたら聞いちまってる。
妙に胸がざわつく。頭がいてぇ。
いつもみてぇに背を向けて、暗い路地裏に向けて歩きだす。
あいつの周りには無関心に通り過ぎていくあいつらがいる。
何も聞こえないみたいに。音が無くなっちまったみたいだった。
……なんでかな。ふと、思い出しちまった。
碌な食べ物もなくて、町の連中に物乞いをしてる俺。
横を通るあいつらは、まるで俺が存在しねぇみてぇに過ぎ去っていく。
この町に来たばかりの、忘れちまってた嫌な記憶。
体の奥からドロドロのマグマみてぇに熱い怒りがわいてくる。
俺は“あいつら”みてぇにはなりたくねぇ。
その日を生きられるかもわからねぇ、手いっぱいの奴を
自分は自分、他人は他人って割り切って。
存在しねぇみてぇに扱う“あいつら”にはなりたくねぇ
俺は、あいつの投げ銭箱の中にたたきつけるように、金を投げ込む。
……もったいねぇ、久しぶりにまともなもん食えると思ったんだけどな。
あいつは投げ銭箱にたまったガキの小遣いみてぇな金を見て、目を丸くした。
「ありがとう!」
元気いっぱいで、まったくと言っていいほど曇りを感じさせねぇあいつの笑顔は
胸の奥がポカポカして、それでいてむず痒い。
居心地のいいような、悪いようなよくわからねぇ感覚を振り払うように
俺は暗い路地裏に向かって走り出した。
雲の隙間から覗く太陽が鬱陶しくて。
眩しかった
暗い路地裏。それが俺の居場所だ
つめてぇ町からは、ちいせぇガキの歌声が毎日のように響いてきやがる。
雨の日も。風の日も。
あいつの隣においてある投げ銭箱に金が貯まるところを見たことがねぇ。
でも、楽しそうに。本当に楽しそうに笑ってやがんだ。
冷たくて、色のねぇこの町であいつの周りだけは鮮やかな気がする
じんわりと染みるみてぇに温けぇ気がした。
……あいつと目があった気がする。
風景でも、有象無象でもねぇまっすぐと俺を見てくれた気が。
――そんなわけねぇか
こんな汚ねぇ路地裏で盗み聞くみてぇに過ごしてる奴が見えるわけねぇ。
チクリと胸に何かが刺さった気がする。
それが、何に対しての痛みなのかはわからねぇ……でもなんだか、目頭が熱くなる。
痛みをごまかすみてぇに、俺は、色の無い路地裏の奥に帰っていった。
吹き抜ける風はいつもより冷たくて、
でも、ちっとだけ暖かいような気がした。
ざあざあと雨が降ってる。
いつもと変わんねぇ時間。いつもと変わんねぇ、場所なのに。
どれだけ待っても、あいつは現れなかった。
体にあたる雨が奥深くまで。芯まで冷たくするような気がする。
……結局、いつもの奴らと同じ。
歌手を目指して、この町の冷たさに諦めて。どこかで腐っちまう。
いつもと変わらねぇ。どうせ、こうなるって分かってた。
変わらねぇことのはずなのに、拳を握る手に力が入って、胸の奥がじくじくと痛む。
鉛でも飲まされたように重い。息をするのもしんどい。
冷たくて、広い部屋の中でたった一人でいるみてぇな寒気がする。
凍えそうなのに、喉だけは熱い。
――寂しい。
久しぶりに感じた感情。もう、壊れちまったと思ってた気持ちにびっくりする。
「あぁ、もう、むかつくガキだぜ」
……
「それって私のこと?おじさん?」
体がビクンと跳ねて、勢いよく壁にぶつかる。……頭、割れてねぇよな?
「ちょっと大丈夫!?おじさん」
本当にむかつくガキだぜ。
さっきまで感じてた、
じくじくとした痛みも、鉛を飲まされたような気怠さも。
全部吹っ飛んじまった。
「なんだってこんな、薄汚ねぇ路地裏にお嬢さんが一人で?」
厭味ったらしく言う。八つ当たりみてぇに……いや、これは八つ当たりだな。
腐っちまったと思ったこと。それが勘違いだったこと。
このガキに振り回されたのが気に入らねぇ。
「そんな邪険にしなくてもいいでしょ!」
わざとらしく眉を寄せて、頬を膨らませて言う。
リスみてぇなガキだな
「はは、やっと笑ってくれた。」
そういうあいつの声は本当に楽しそうで。その姿が、悪くない。
……俺が?……いつから?
雨に打たれる体は、つめてぇのに、芯のほうはあったけぇ不思議な感じがする。
つうか、そういや雨降ってたんだよな。
俺らは自然と雨宿りをするために路地裏の奥に進んでいく。
隣に人がいるのは……変な感じがする。
「本当はさ、歌いたいんだけど。こんな雨じゃあ、だーれも出歩いていないんだ」
「だから、今日はおじさんを探してみました!」
両手を広げて、その場で回る。
観客でもいるみてぇに。見せびらかすみてぇに。
なんだよ……それ、俺は何もしてねぇぞ?
あいつの歌をこっそり聞いてただけで。
「なんでって。そりゃあ、私の歌に投げ銭してくれたのも、いつも聞いてくれるのも。おじさんだけだもん」
どうやら口から漏れていたらしい。
……は?
「おめぇ俺が聞いてたの、気づいてたのかよ!?」
「逆に気づいてないと思ってたの?」
「あのとき、私にお金くれたの。ちゃんと覚えてるよ」
俺を見るあいつの顔、にやにやして小馬鹿にしたような、意地悪く笑ってやがる。
体が燃えるように熱い。特に顔が。
「……死にてぇ」
「やめてよ~、せっかくのファンが減っちゃう」
おめぇのせいだよ。その言葉は零れることはなかった。
またこいつに、振り回されてるのが気に入らねぇ。せめてもの抵抗だ。
「おじさん」
「あのね……いや、やっぱりなんでもない!」
いつもの明るい声。でも、一瞬だけ落ち込んでいたような気がする。
こいつに限ってそんなわけねぇか。
「それじゃあ、雨も止みそうにないのでこのへんで~」
そうあいつは手を振って。帰っていく。
あいつの背中は、いつもより小さく見えた。
あいつに振り回されすぎて、俺の頭、おかしくなっちまったか?
ぐぎゅるるる。
俺の腹の虫が鳴く。そいういやぁ、朝からなんも食ってねぇや。
今日は朝から変なことばっかりで疲れた。少し位良いもん食わしてくれや。
まだかまだかと催促してくる虫が鬱陶しくて路地裏の奥に足を向ける。
その足取りはいつもより軽かった気がした。
……
あれからどんだけ経ったんだろうな?
雨はすっかり止んで、月が昇ってやがる。
腹の虫は相変わらずで。ちょっと、気持ち悪くなってきた。
「ここにもどうせねぇんだろ」
そんな恨み言をぼやきながら探ったゴミ箱。
そこで碌に食われちゃいねぇサンドイッチを見つけた。
「うをぉぉぉぉ」
思わず大声が出た。仕方ねぇだろ、サンドイッチだぜ?しかもほとんど新品。
早速、ほお張ろうとしたとき
視界の端で何かが動いた気がした。
同業者か?悪いな。俺も余裕ねぇんだわ。
そいつに背を向けるが、反対側は壁があって袋小路になってやがる。
俺は、サンドイッチと同業者らしき人物を交互に見る。
はぁ、最近ツイてないぜ……
「おい、そこにいるやつ」
そう声をかけながら近くに寄る。
そいつのはビクッと跳ねてもぞもぞと動く。
腕が細くて、ちっこくて。
月明かりに照らされて、目元がキラキラと光ってる。
自然と足が止まった。
いや、まさかな。そんなわけ、ねぇ
だいたい、こんな時間に……あいつが、こんなところにいるわけねぇ
「……おじさん?」
あぁ、もう間違いねぇじゃねぇか。
いつもの高くて、元気で。どこか遠くに届けるような声じゃない。
トーンが落ちて、あの元気さの欠片も感じない。
「何……してんだよ」
胸が締め付けられるようで、身体の奥が熱く煮えたぎるような気がした。
なんで、
こんなに怒ってんだ?俺は?
そういや、最近のあいつ歌ってる時と違って
歌い終わった時の顔は何か、思いつめたような気がする。
だいたい、やっぱりおかしいよな
ガキが一人でよく知らねぇ奴に路地裏まで会いに来るか?
「ははは……おじさんこそ」
あいつの顔は笑ってる。
でも、いつもの太陽見てぇなあったけぇ顔じゃねぇ。作りもんの顔だ。
「あぁ、ダメだ。うまく笑えないや」
あいつはまた、顔を伏せてぼやいてる。
「お願い。見なかったことにして」
「いつも、歌のこと考えてたら。笑えたんだ。でも、今は……」
あいつは今の自分を見なかったことにしてほしいって言ってやがる。
本人が言ってるんだし、そうするのが正しいんだろうよ。
でも、俺の足はあいつのそばで止まって。置いていく気にならなかった。
……
「……おじさん、少しだけ愚痴ってもいい?」
顔を上げて聞いてくる。少し困ったような顔で。
俺は、なんでこいつを放っておけないのかわからなかった。
何で置いて行けねぇのか。
なんて声をかけてやればいいのか。
……俺はどうするべきなのか。
俺の無言を肯定ととったのかぽつりぽつりと絞り出すように喋り出す。
「私、歌が好き」
「気持ちさえあればいいと思ってた……歌ってれば聞いてくれる人が出てくると思ってた。」
「私から『聞いてくれ』っていうのは違う気がしたんだ。それはきっと本当のファンじゃないって」
「だから、うれしかったんだよ?おじさんが私の歌を聴いてくれたこと」
「……ファンになってくれたこと」
両腕を広げたと思ったら、今度は、大切なもんを抱きしめるようにそっと胸の前で手を組む。
「届いたんだ。やっと届いたんだって、思えたんだ」
「私の歌にも価値があるんだ。って、これからきっと聞いてくれる人が増えていくんだ。って」
「でもさ、いくら歌ってても。いくら楽しくっても。私に投げ銭してくれる人はおじさんだけだった」
「足を止めてくれたのは、おじさんだけだった」
「……悔しかったんだ。これからファンが増えていくんだって期待して」
「でも、一向に足を止めてくれる人は増えなくて」
「私の歌はおじさんにしか届かない。ここが限界なんだ。って思って」
……
あたりが静かになる。あいつの息遣いだけが聞こえる。
震えてて。掠れてて。涙の滲んだ息遣い。
「現実は、甘くないね~」
「……私が言うなって感じだけど、むなしいや」
「わたし…私、十分、頑張った、……っよね」
あいつは空を見上げてぽつりとつぶやく。
手の届かない何かを見るような、何度も見たことのある顔。
「おめぇの歌にゃあ技術がねぇ」
「……はっきり言ってくれるじゃん」
今まで、俺は、どうしようもねぇって諦めたつもりでいた。
でも、あきらめきれなくて。
いつも、なんで俺がこんな目に。って考えて苦しかった。
お前にはこんなことで苦しんでほしくねぇ。
だから、
「俺がーー教えてやる」
「おじさん、歌えるの?」
「なめんな、こう見えていろんなやつを見てきた。ガキに教えてやることぐらいできる」
いつもの元気いっぱいで、太陽見てぇな笑い声が響く。
あいつの目元の光は、今は違うものだと思った。
俺の勘違いかもしれねぇが。
「約束だよ!」
「おじさんと一緒に、全部、ひっくり返してやるんだ」
あいつは悩みを振り払うように力強く立ち上がる、今度は背筋を伸ばして。
小さく震える手をぎゅっと握って。優しく、でも力強く胸をたたいた。
俺は、あいつ背中と、腐っちまったあいつらを重ねていた。
それから、俺を。
俺は……逃げてたんだよな、多分。
この町が悪いって苦しいまんまで止まって。
変えようと。変わろうとしなかった。
でも、お前の歌を聴いてるときは、ただただ純粋に、楽しかった。
前じゃなくて、今を見れた。
お前の歌はきっと届く。
……諦めるな。折れるな。前を向け。
「おめぇは逃げんじゃねぇぞ」
静かに見守るような月明かりの下で
ぽつりと零した俺の言葉に混ざるように。溶けるように、
遠くで、いつものあいつの歌が聞こえた気がした。
翌日、地面からの照り返しで目が焼けちまうぐれぇの快晴だった。
そして、いつもの声が隣にいる。
「……だっから、ちげぇって言ってんだろ。そこはもっと落とすんだよ」
「深く、深く。地面に着いちまうぐれぇ落とす。だからサビが映えんだよ」
あいつはピンとこねぇ顔で首をかしげてて。
「あとなぁ、もっと腹から声出せ。そんなちいせぇ声じゃあ迫力が出ねぇ」
ようやく口を開いたかと思えば
「……おじさん、お腹には口はないんだよ」
にやにやして、馬鹿にしてやがる。
そんなことわかってらぁ。例えだ。例え
あいつはケラケラ笑ってて。
……自然と俺の口元が緩む、本当に調子が狂う。
怒りてぇのに、怒れねぇ。
胸の中があったかくて、ふわふわする。
不思議。でも、悪い気はしねぇ。そんな感覚。
「あ、ほら。みんなも楽しそう」
あいつのピンと伸ばした指の先には、
笑ってる、町の連中がいた。
「ファン増えたね~」
「ふざけんな、俺らは芸人じゃねぇ。歌で魅せやがれ」
……絶対に、直接は言ってやらねぇ。
でも、
お前の歌はこいつらに届き始めてるぜ。絶対にな。
少しずつ変わっていってた
町の連中のつめてぇ溝は少しずつ埋まってる気がする。
あいつの歌で。行動で。
少しずつ、雪が解けるように。
でも……
いや、だからこそよく思わねぇ奴らもいる。
面白がる視線に混ざって、
突き刺すような、なにかを感じた気がする……
太陽の光が朝を知らせる。いつもと変わらねぇ朝だ。
まぁ、ちっとだけ雲が多いか。
すっかり目も覚めちまったし、少し早いが先に向かっとくか。
広場には人だかりができていた。
衛兵、みてぇなやつもいて。何かあったのか?
妙な胸騒ぎがした。
だって、あいつらは俺を取り囲む見てぇに輪を作って。
俺のことを見てるから。
「強盗犯を取り押さえろ」
ちょっと年食った男がそう力強く、淡々と指揮を執る。
……強盗犯?俺が?
呆然と立ってた俺の腕を後ろ手に捩じり上げる。
突然のことに頭が真っ白で何も浮かばねぇ。ただ、痛くて。
抵抗しようとしてもうまく力が入らねぇ。
ふと、あいつの顔を思い出した。
「俺は、何も。やってねぇぞ」
叫ぶみてぇに大声を上げる。喉が悲鳴を上げるが関係ねぇ
とにかく誤解を解かねぇと……あいつまで巻き込む。
早く。あいつが来る前に。
「強盗犯、確保。連行しろ」
俺の言葉はこいつらに届かねぇ。俺を強盗犯だと決めつけて連れて行こうとする。
裏切られた。勿体ない。そんなことを好き勝手に野次馬どもはほざく。
野次馬どもの輪を抜けるとき、少女の顔が目に入った。
暗い顔して、俯いて。
あの路地裏を思い出させる。
「……結局かよ」
誰に向けたかわからねぇ言葉がこぼれる。
ただ、胸が痛くて。目頭が熱くなって。
野次馬どもの声がどんどん遠くに聞こえる。
雲の隙間から差す光は俺を突き刺して嗤っている気がした。
連れていかれた先は、光の届かねぇ。
暗くて、かびた匂いのこもってる地下牢だった。
「馬鹿な奴だ。この城の宝物庫から盗みを働くなんて」
「極刑は免れないだろうな。せいぜい自分の愚かさをかみしめるといい」
そいつの目にはただの囚人が映っていた。蔑むような冷たい目で。
……こいつに何を言っても通じねぇ。
腕に力が入って歯が砕けるほど食いしばる。体が震える。
目頭が熱くなって、喉が焼けそうだった。
でも、身体の奥は凍えるように寒かった。
暗い顔をして、俯くあいつを思い出して
ぷつんと何かが切れた音がしたような気がした。
俺は今、暗い場所で尋問という名の暴力を受けている。
あちこちに傷ができて、血が滲む。だけど、一番いてぇのはもっと奥のほうだった。
どれだけの時間がたったのかもわからねぇこの場所で、
暴力を受けて、
否定して、
疲れて、泥みてぇに眠る。
起きたら、また……
ただ、それだけの時間が過ぎていった。
「お前の処刑が決まった」
「期日は追って知らせる。正直に話せば命は助かったかもしれないというのに」
ある日、そんなことを言われた気がする。
その言葉は頭に響いたが
響いただけだった。
ただ、自分は死ぬんだと思った。
その日は、夢を見た。
長いこと見てなかったのに。
思い出すのは、
路地裏での日々、あのガキとの出会い。
明るくて、陽の光が眩しかった日々
そして、ぽかぽかとしていて。
……
俺はあの時、間違いなく幸せだったんだな。
あの時、あいつに歌を教えてた時は。
頼られるのは。
うれしかったんだな。
あいつの歌。
――褒めときゃよかった。
翌朝、俺の目元には何かがこびり付いた跡があった。
乾いて、厚くこびり付いて取れそうにねぇ
コツコツと重々しい足音が響き渡る。
いつもの看守じゃない、もっと威厳のあるような音
妙に着飾ったおっさんが俺の牢屋の前に現れる。
「貴様を捕らえてから、5年が経った」
「最後の機会だ。盗んだものをどこにやった?」
氷のように冷たい。あの頃の町を思い出させるような声だった。
「……しらねぇよ。俺は、何も盗っちゃいねぇ」
久しぶりに発した言葉は、自分でもびっくりするぐらい掠れていた。
「そうか……残念だ。貴様の処刑は一週間後」
「せいぜい、自分の愚かさを見つめなおすといい」
吐き捨てるように背を向ける。
認めたら楽だったかもしれねぇ。
いつもみてぇに嘘をつけば生きてられたかもしれない。
でも、……どうしてか、できなかった。
ここで認めちまったら、あいつに合わせる顔が無くなる気がした。
もう、会えねぇのにな。
せめて、夢の中でだけでも会いてぇな。
俺は、そっと意識を手放した。
処刑の日はすぐにやってきた。
広くてがらんとした広場に俺は膝立ちにさせられる。
隣には、分厚くて鋭い剣を持った奴が控えてる。
「これより、処刑を執り行う」
あのおっさんの、重くて冷てぇ声が響いた。
重く、這うような空気を割るみてぇに
懐かしくて明るい音が響いた。
歌いだしは、力強くて。自分の歌だって言い張るようで
少しずつ。一気にじゃない丁寧に。
落ちて、落ちて、……落ちて。
あの路地裏での出来事を、
あの月明かりを思い出させるように
静かに、深く。最奥まで。
一気に跳ね上がる。体の芯を震わせるように。
頭を突き抜けてあの太陽にすら届くように
あの時とは違う、力強くて大きな。迫力のある歌声。
それに、
それだけじゃない。たくさんの声が聞こえる。
あの笑い声たちが響いていた。
「その処刑。ちょおっと待った。」
あのころと変わらねぇ。いや、あの頃よりも、ずっと、大きくなった女がいた。
両手を広げて、おどけてやがる。
観客でもいるみてぇに。見せびらかすみてぇに。
「その人にはまだ生きててもらわないと困ります」
「約束だから」
そうだ、そうだと周りの奴らは囃し立てる。
吹き抜ける風は優しくて、力強い。
そして、熱い。言葉が詰まって、
喉元が焼き切れそうなぐれぇ苦しい。
「っ、……届いたじゃねぇか。お前の歌」
「おじさん、……ごめん」
「思ったより時間かかっちゃった」
その場で回るように町の連中を指し示す。
「おじさんから貰ったものだよ。全部」
俺に向かって手を指し伸ばす。
まるで、俺もそこに含まれてるみてぇに。
当たり前みてぇに。
「だから、おじさんがそんな強盗なんて無駄なことするわけない」
「徹底的に、もう一回調査してください」
その日、
一人の少女と、一つの町の住人達が頭を下げた。
そこからは、すげぇややこしく。
でも着実に前に進んだ。
まず、俺が濡れ衣だったってこと。
町の連中が城に忍び込むやつを見かけたらしい。
その時、俺はあいつと歌の特訓をしてたから無理だったと。
俺は、てっきり衛兵が謝罪に来るぐれぇだと思ってた。
でも、あの着飾ったおっさんが直接謝りに来た。
眉を寄せて、申し訳なさそうに肩を落としていて
あの時の重々しい威厳は全くなかった。
すまなかった。
傷は消えないだろう。
恨んでくれていい。
だってよ?
そんなもん、もうどうだっていいさ
俺は生きてる。あいつは夢を叶えて、隣にいてくれる。
ぽかぽかと陽がさして気持ちのいい風が吹く。……こんだけいい天気なんだ。
俺は、草むらに寝転んで青く澄んだ空を見上げる。
「やまない雨はない。か」
俺は、今でもこの言葉が好きになれねぇ。
でも、
俺のは“雨”だったらしいぜ
「おじさーん」
両手をひらひらと振って、眩しい笑顔で
遠くからガキがちょこちょこ走ってくる。
「おうおう、どうしたんだ?歌姫殿?」
「もう、私がその呼ばれ方苦手なの知ってるくせに」
高く上げた手のひらを握りしめて走ってくる。
こりゃあ姫じゃなくて、鬼だな
悔しそうに追いかけてくるあいつは楽しそうだった。
……いや、"おれら"だな。
町のほうでは笑いがあふれて
あの頃の冷たさはもう残っちゃいねぇ
じんわりとあったけぇ。
そろそろーー雪解けだ