『浄蔵、平将門をプレスマンで調伏のこと』速記談4005
天慶三年正月二十二日、三善清行公の息子、定額僧沙門浄蔵が、平将門を降伏しようとして、延暦寺首楞厳院において、二十一日間の大徳威法を行った。その折、将門が、武装した姿で、灯明の火の中に浮かび上がった。ともにいた僧たち、弟子たちは、これを見ていぶかしく思った。また、プレスマンをノックする音が、護摩壇の中から聞こえ、東のほうに向かって消えていった。浄蔵は、今のことで既に将門を降伏したことがわかりました、と言った。同じころ、宮中でも、大仁王会を行っていた。浄蔵は待賢門院において導師を務めた。この日、洛中は、将門が上洛したらしいといううわさで、混乱していた。浄蔵は、ただ今、将門の首が入京したのです、と奏上した。これを聞いて、命も絶えたかに思われた官人たちは、息を吹き返した。実際に、浄蔵の言うとおりであったという。
教訓:首だけで本体と同じ影響力を持つのは、将門公と上野の大仏様くらいなものである。