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11.はんぶんこ

目覚めて最初に棗の目に入ったのは、自室の天井だった。


 ――あれ、おれ……

 記憶を探るように額に手の甲をあてがう。熱冷ましジェルが貼ってあった。身につけているのはパジャマだ。

 ――そっか、あのあと、具合悪くなって、帰ってきて寝込んだんだっけ。

 今何時だろうと考えながら、熱冷ましジェルを剥がす。ジェルは薄っぺらく乾いていて、額は冷たかった。熱はもうないようだ。

 よく寝たからなのか、妙に頭がすっきりしていた。体も軽い。無意識のうちにてのひらが喉をさすった。

 ――なんか、息するの楽になった?

 ずっと感じていたつかえもなくなっているような気がする。


 襖がとんとんとノックされる。祖母だろう。

「どうぞ」

 昨日、あのあとマルシェの片付けは大丈夫だったのか。訊ねようとして起き上がると、入って来たのは壮真だった。

 慌てて布団をひっかぶる。

「お、おばあちゃんは?」

「姉ちゃんと買い物。俺が見てるから行ってこいって言ったんだ」

「へ、へえ……あ、今っていつ……?」

「おまえが寝込んだのは土曜。今は日曜の夕方だな」

「うわ……」

 そんなに眠りこけてしまったのか。

 壮真はベッドサイドにやってくると、心配そうな表情で棗の顔をのぞき込んだ。

「顔赤いな。まだ熱あるか?」

「――」

 腕を伸ばされ、反射で身を固くした。自分でびっくりするくらい過剰に反応してしまった。

 当然それは壮真にも伝わってしまったようだ。美しい眉が曇る。 

「ごめん」

「あ、う、ううん。おれのほうこそ……ちょっと驚いただけだから」

 正確に言うと、驚いたのとはまた別の気持ちのような気もした。うまく言葉にすることはできない。

 壮真は棗の寝ているベッドに頭を預け、天井を見上げた。

「それもだけど、転校してきた頃、睨み付けて」

「あ、ああ、うん……」

「俺の中で棗はずっと救世主だったから、うじうじしてるのが気に食わなかった」

「――うん」

 うじうじしている、なんて直截な物言い。普通なら腹を立てるところかもしれない。けど、おれ、自分でもずっとそう思ってたからな。


 自分の考えを、表に出したくない。

 曖昧に笑ってやりすごすのが、一番安全だ。

 自分でもそう思っていたのだ。

 わざわざ探し出した相手がそんなだったら、がっかりもするよな。


「でも、それも間違いだった。――ありがとうな、怒ってくれて」

「ううん。おれは、なにも」

 棗は天井を見上げたままかぶりを振る。

 お互いに表情の見えないこの状況でなら、言えると思った。

「……おれさ、ずっと苦しい気持ちを誰にも話せなかったんだ。あんなたった一言をずっと引きずってる自分が情けなくて。情けないと思ってることがもう情けなくて」

 目には見えないが、壮真が微かに笑った気がする。

「あるな、そういうこと」

「でも、榊が半分こしたくてするんだって言ってくれた日から、凄く楽になったんだ。だから小久保にも向き合えたんだと思う。……ありがとう」

 壮真がやさしく微笑む。見えなくても、それが伝わってくるのが不思議だ。

「俺はおまえからもらったものを、おまえに返しただけだ。おまえには元々強さがあったんだよ。あいつのせいで見失ってただけで」 

 それは買いかぶりな気がする――と口を挟む前に、壮真が言った。

「あいつに言い返してた棗、かっこよかったな」

 やさしい声音に、どぎまぎしてしまう。

「そ、そうかな」

「ああ、惚れ直した」

「ほ――?」

 今、なんて?

 思わず上体を起すと、壮真もこちらを向いていた。寝乱れたパジャマ姿を恥じるより先に、強い眼差しに射貫かれる。

 どうしてか、そらすことができなかった。

 壮真の瞳が近づいて来て、吸い込まれてしまう、と思った瞬間、棗は反射的に瞳を閉じた。


 額に、柔らかなものが触れる。


 ごく軽く触れただけで離れていったその感触を追うように目を開くと、壮真の顔がすぐ近くにあった。

 そのまなざしは、いたわるようでもあり、それでいて奥底に渇望を秘めているようでもある。

 ――こんな目で見つめられたこと、ない。

 胸の内が、微かに痺れる。その痺れはどんどん大きくなって身体中に広がって、つま先がじんじん痛むほどだった。


 どちらからともなくまぶたを伏せる。


 もう一度触れ合おうとしたそのとき、玄関の引き戸ががらがらっと大きな音を立てて開いた。

「ただいまー、壮真―、荷物運ぶの手伝ってー!」


 体中を支配していた甘い痺れが、瞬時に霧散する。代わりに誤作動でも起したのかと思うほど心臓がばくばく跳ねている。


 さっき。

 ふたりが帰って来なかったら、二度目は――


「今行く」

 壮真は玄関に向かって大きな声でそう返事して、ふり返ると、一緒に起き上がろうとしていた棗をしかめ面で制した。

「おまえはまだ寝てろ」

 仕方なく再びベッドに戻ると、壮真は満足げに掛け布団を直してくれる。

 ――なんだか、過保護が増えたような……?

 なんとも言えない気持ちでされるがままになっていると、壮真が唐突に呟いた。

「棗の花言葉」

「え?」

「健康以外にもあるの知ってるか? 調べてみたら、他にもあって、あんまりにもぴったりだった」

「へえ、どんな?」

 棗の花言葉は「健康」。健康で皆の役に立つ子に育つようにと、子供の頃両親に言われたきり、あらためて調べてみたことなんてなかった。

 訊ねると、壮真はわざわざスマホを操作して、画面を見せてくる。

 見慣れた、光沢のある葉と、青い果実の写真の下に記された文字は――


〈あなたの存在が、私の悩みを軽くします〉


「――」

 温かいような、気恥ずかしいような、くすぐったい気持ちが胸を満たしていく。

 スマホから顔を上げると、壮真がやさしいまなざしで訊ねてくる。


「棗の食べ頃、いつだったっけ?」

 以前にも、答えたはずなのに。

「な、夏の終りから秋の初め頃……?」

 訝しみながらも答えると、壮真はとびきりイケメンの顔で、不敵に笑った。


「楽しみだな」

 

 




                                     20240126

                                      〈了〉

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