いつも
外は紅葉が太陽のように明るく彩っていた。
街中から見える山々も所々に赤い朱色のような色合いで山を美しく染めていた。それを見ると私はついに秋がやってきたと小さく心の内で喜んだ。
私はこの日は講義が一限で終わる予定になっていた。以前に私は新太郎と紅葉が綺麗に咲く場所の話をした。
その際に嵐山でも秋になったら見に行こうとなっていた。私自身忘れていた訳ではないが、とてもまだ先の事と思っていた。しかし、気がつけば秋になっており、紅葉は今年も美しく咲いていたのであった。
「嵐山でええんやんな」
私はそう独り言を呟いた。清子とは今日は講義が違うので会うことはなかった。
今までほとんど同じ講義を受けており、会わない日はなかったが、こうしてまた年度の後半になるとこうしたことも増えるのだろうか。
十時半頃に講義は終わる。その頃に新太郎は大学まで来てくれる話になっている。
私は入り口で新太郎が来るのを待っていた。すると新太郎がこちらの方へ向かってくるのが見えた。
新太郎も私の姿が見えたらしく、駆けながらやってきた。
「おはよう、詩乃さん。今日はまた一段と寒いなあ」
「へえ、私もコートを着てはります」
「ほんまや。詩乃さん寒いの得意やったやろ」
「別に得意とちがうで。ただ、厚着すると暑いさかい」
私はこの日は寒く、嵐山の方へ足を運ぶので、コートを着て、厚着をしていた。それが新太郎には新鮮なようであった。
新太郎は私の言葉には軽く笑顔を見せると、私の後ろの方へと目を向けた。
「ここが詩乃さんの通う大学か」
新太郎の目には大学がどのように写っているのだろう。やはり未練はあるのだろうか。私は早くこの場を離れたくなった。
「新太郎さん早よ行きまひょ」
「ついでに二条城見ていきまっか?」
「二条城はいつでも行けるやろ。今日は紅葉を見に行くんやないの?」
「そうやったそうやった」
新太郎はふざけるように言った。なんだか、こうしていると二人で大学へ通っているように思えた。
新太郎にとってはずっと望んでいたものなのだろうか。私はこのような日常を何度も送りたいと思っていた。今、二人でこうしていると夢のようだった。
これがいつもになってくれたら....。これ以上望むのは贅沢な気がした。
近くの駅から嵐電のある駅まで行き、そこから嵐山まで行った。
山が近づくに連れ、紅葉がいよいよ私の瞳に大きく写ってきた。
「新太郎さん。今日は竹林の方へ行きたいわ」
「野々宮の方?」
「へえ、きっと紅葉は綺麗やと思うわ」
新太郎はうんと首を振った。
渡月橋は前に行ったばかりだから、今日は竹林の方へ行って見たかった。そして時間があったら天龍寺へも足を運んでみたいなと思っていた。
駅に着くと、新太郎はどこを行く事なく、その場に立ち止まった。
「詩乃さん。嵯峨の方へ行こか」
「へえ、そうやね」
私達は右側へと進んだ。左方向は私達と同じ竹林の方へ向かう人たちが多くいた。時々、戻る人達にぶつかりそうになりながらも、新太郎と離れないように進んだ。
秋でもまだ日が出ている時は暑く感じた。竹林の中へ入るとその暑さがすーっと無くなり、吹きかけるような冷たさが肌に当たった。
人はまばらではないが、それほど多い訳でもなかった。
風が竹の中を走り、私には切り裂くように当たった。そして風はそのままどこかへ走り去っていった。
「少し寒いんやな」
「詩乃さん、薄着やから。上着貸そうか」
「ううん、大丈夫や。これくらいなら我慢できるえ」
「我慢なんてせんでもええのに」
新太郎に心配はかけさせたくなかった。彼にとっては私はどうも気弱な女の子であるようで、私は新太郎の想像する私が不服であった。
子供の頃は確かにそうであったかもしれないが、大人になった今はもう、昔の私では無い。私達は
中学生を最後にしばらく会うことがなかったし、中学生の時はあまり話すこともなかった。新太郎の中の私はきっと小学生の頃の私のままなのだろう。
嵐山は昔、遠足で来たことがあった。それがいつの時かは覚えていないが、家を出る時と帰る時は新太郎と共に言った記憶がある。
あの時も確か秋だった。紅葉が咲いて、友達とはしゃいでいたような気がする。
「なあ、新太郎さん。子供の頃に遠足でここ来たどすやろ?」
「ああ、そういえばそんな気も」
「私、友達とここで降ってくる落ち葉に友達と雪のようやと気持ちを昂らせたんや」
ふと、小学生の頃の友達の顔を思い出した。
「あの子達今何してんねんやろ」
「会うてへんの?」
「へえ、高校で別れたっきり会うてないわ」
「そういうもんやな。僕も一人、仲のええやつとはたまに会うけど、それ以外は久しく」
新太郎の言う仲のええやつとは私のことなのであろうか。
「それって私のこと?」
「いや、ちゃうよ。男友達のこと。詩乃さんも仲ええけど、目の前にいるんやし、そないなことは言いまへんよ」
私は端を歩き、色がまだ淡く輝く落ち葉を踏まないように歩いていた。だが、それでも落ち葉を踏んでしまう音は聞こえていた。
上を見上げても紅葉は咲いてなかった。この落ち葉達は風に乗せられてここまでやってきたのだ。このもみじが風に乗せられて空を舞う姿を想像するともみじが旅をしているようで面白かった。
私達は人の波に少しずつ揺られながら野宮神社へと着いた。
野宮神社には紅葉が綺麗に彩るようにあった。
竹林の道に落ちていた葉はここから流されてきたのだろうか。私達も帰る時は同じように流されるのだろう。
「綺麗に咲いとるね」
紅葉は全体に咲いておらず、鳥居の先に屋根のように小さく咲いていた。
「竹林の先にあるだけの美しさやな。贅沢やわ、こないな....」
「僕らはいつでもこないな贅沢くらいはできるんやで」
新太郎はそう言って笑っていた。
「たまにやね。いつも贅沢しとったらそれは贅沢やおへん」
この美しさは一年に一度だけでいいのだ。毎日見れるものでもないし、ましてや秋に毎日ここまで通う訳でもない。二、三度くらいならいいけれど私は一回見て秋を感じられればそれで幸せだった。
「詩乃さん。もう少し先に行く?」
「私はもう戻ってもええよ。新太郎さん次第」
「僕ももう戻ってもええかなって思う」
新太郎がそう言い、私達は野宮神社を出て、来た道を戻った。もう十二時を回っている頃だろう。
「詩乃さん、お腹空きひん」
「まあ、お昼やし。どこか行くん?」
新太郎は竹林を出るとそう言い出した。前に二人で雨宿りをしたうどん屋は今日は定休日であった。
ただ、人通りは多く、この時間はどこも混んでいるような気がした。
「時間を置かへん?新太郎さんは我慢できる?」
「できるけど。まあ、混んではるしな」
どこか暇を潰せる場所はあるかと私は周りを見渡した。
「詩乃さん詩乃さん。僕は渡月橋を越えて紅葉を目に入れて置きたいわ。今逃したら次は来年やろ。少し一緒に行かひん?」
「ええよ。せっかくやしね。私ももっと見たなってきたわ」
新太郎が自分からこんな事を言うのは珍しいような気がした。いつもは私がどこかへ行きたいと言ってついてきたり、私の思っている事を気づいて行きたい場所やりたい事を言ったりする。自分を我慢しがちな新太郎がこうして自分のために言うのは自分のことのように嬉しかった。
橋の方へ行くと鮮やかに輝く嵐山が姿を見せてきた。私の目の中にはその全てが入り、それは遠くにあるのにまるで近くにあるように見える。葉っぱが一枚一枚同じ色をしてなく、それぞれがまるで好きなように別の色をなしている。それが油絵を思い出させるものであった。
橋から下を見下ろすと落ち葉が何枚か流れていた。
「落ち葉は川に流されてどうなるんやろうな」
「さあ、そのうちに雨にでも打たれて姿を無くしてしまうんやないの?」
それは冬に変わる事なのかもしれない。冬自身は今か今かと心待ちにして秋を終わらせたがっていると私は昔から思っていた。秋の終わりはそんなふうに終わってしまう。秋は変わり目なのだ。
来た道を見ると、賑わいがすぐそこにあり、私はそことは別の静かな場所に行きたくなった。
「なあ詩乃さん。もっと先へ行きたいな」
「へえ、ええよ。私も同じこと思ってた」
渡月橋から先へは行ったことがなかった。そもそも嵐山も今年に入って久し振りに訪れていた。ここは観光客の為の場所であり、私達の為の場所ではなかった。私達がいられるのは静かな所だった。人はやはり静かな場所は心を休ませ、安心ができるのだ。
賑やかな場所は好きである。東京や大阪、北海道にだって旅をしてみたい。だが、一番心が安らぐのは騒がしさのない場所であった。
その先にはそんな場所があるのだろうか。
大堰川の流れる風景を見ながら歩き、橋を渡りきった頃に、私とすれ違った人にこの先のことを聞いてみた。
その人によれば千光寺という寺があるそうだった。坂を登って三十分掛かるという。
「どないしようか?」
「僕は行けると思うけど、詩乃さん次第やと思うで」
「私は行ってみたいわ。新太郎さん行きまひょ」
その人に礼を言い、私達はその先を進んだ。
千光寺は聞いたことはあるような気もする。ただ、寺院が多い地であるので、聞き間違いかもしれない。私の記憶はしっかりとした正確さを持ってはいないはずである。
千光寺は確かに三十分程坂を登らざるを得なかった。私はそこで少しばかりの後悔をした。もう少し近い場所にあればいいのにと。だが、そうして着いた千光寺は疲れ切った人だけが味わえる景色を見せてくれた。
遠くには比叡の山が見え、その山々には艶やかな緑と紅葉の色気が混じっていた。
椅子に座った私はそのまま立たなくなってしまいそうだった。
「あかんなあ。新太郎さん。私、もう動けへんわ。あれを見てしまったら動くかも起きひん。このままずっとここにいたいわ」
私は随分と気持ちの揺らぎようが早いものだと思った。このまま坂を下るのが嫌であった。私が駄々をこねれば新太郎は私の我儘に付き合ってくれるかもと思った。
本気ではないが、新太郎もそこはわかっているはずである。新太郎は私を見て笑っていた。
「詩乃さんがここにずっといるんなら。僕は帰れへんやないか」
私は新太郎の言葉に優しさが心を打ち付けた。置いて行くことは決してしないのである。私だったら呆れてしまうよな事なのに新太郎は使用人のようにずっと私の側にいる。私は腰を上げ、大悲閣を後にした。
また来た場所へ戻るともう時間は昼時を過ぎており、私達はある店で腰を下ろした。
あと少しすると日が下がり、寒くなって行くが、まだ暖かい時間で、動いてばかりの私は汗までもが出てくるようだった。
店の中の賑わいは蝋燭の火のようにまだ消えないでいて、私と新太郎の席の横には親子が座っていた。母親と娘なのだろう。娘さんの方は十三かその一つ上くらいに見えた。母親は四十は過ぎているようだった。五十にも見えてしまうようでそうなると若い祖母と孫のようにも思えた。そのせいかなんとなく言葉を聞いたりしていると母親は娘さんに優しく大事にしている事が伺えた。その姿に娘さんと自分を重ね、母親にはああなりたいという願いを思ってしまった。
私達よりも先に親子は店を後にし、それからもうその親子を思うことはなかった。
新太郎はコートを脱ぎ、私よりも暑そうにしていた。
「汗がすごいなあ」
「山の坂は慣れてへんと辛いわ」
新太郎はそう言って服をぱたぱたと仰いだ。私達は他の人からは変に思われていてもおかしくはなかった。
そんな風に思うと息をするように笑ってしまった。笑った私を見て新太郎は首を傾げた。
「何かあったん?」
「私達、気分は夏のようやなって」
風情がないことに面白みがあったのだ。なんだか疲れてしまい。このまま帰ってもいい気がした。天龍寺はまた次の機会でもしたかった。
新太郎の姿を見てもそんな気がする。新太郎は私に付き合っているだけで元々はいたのだ。
しばらくして店を出ると山の上が夕陽の首が見え始め、静かに霞んでいた。
秋は日が沈むのが早い。あっという間に夜になり、焦ってしまう。
夏の気分は日の出と共に消えていくのだろう。夜になると共にそれは秋となり、冬となる。
「もう夕方なんやな」
「暗くなる前に帰ろか」
今帰っても家に着く頃はもう夕陽も西山に隠れようとしているだろう。
私の心持ちは悩みも消えているように思えた。新太郎と一緒にいるとどこにいても気持ちが子供のように弾んでしまう。きっと一人でいたら考え事ばかりしてしまい、私の事だから気持ちは静かに沈んでいくのだろう。私自身気づかないくらい低いところに落ち、そして上を向けども明かりが見えない場所まで....
駅に行き、疲れた私はホームで電車が来るまで椅子に座った。
「詩乃さん。疲れた?」
「へえ、とても。そやけど、楽しかったわ。何もかも考え事を放り出して、一日を過ごすんはええなあ」
嵐電がやってきて私の前に風を吹きかけた。どこか大きいこの音も耳障りは良かった。
「新太郎さん。私寝てしまいそうやわ」
「朝は大学行っとったからね。寝てもええよ。僕が起こすさかい」
私はその言葉に身を任せ、電車に揺られながら睡魔に心を許した。窓から入る日が私の座ったところには日陰になり、眠るには充分であった。
目を覚ますと電車は桂駅に着いていた。八分の睡眠であった。そこからまた烏丸駅まで八分の睡眠を取ると次は京都駅まで七分の睡眠を取った。
寝ていると、時間もあっという間に過ぎて行く。十分しないうちに起こされるのは寝足りないが、こればかりは文句は言えなかった。
京都駅から帰るときはいつも家までは歩いているが、この日は疲れていたので、東寺駅まで乗って行った。一分の小乗車である。こればかりは寝られなかった。
「僕も少し寝とったわ」
東寺駅から出た時に新太郎はそう言って笑っていた。
東寺駅を出ると夕陽が奥底に微かに眩く見えた気がする。もう寒くなってきていた。
「かんにんえ。私だけ寝てもうて」
「ええよ。僕は桂駅に着くまでの時だけやから。慌てて詩乃さんを起こしたんや」
「新太郎さんらしいわ」
そう言って私は新太郎のかわいらしい所を思った。
「そやけど、すっかり暗くなったなあ」
「そうやな。道に咲く花も姿を隠してるわ」
夏に向日葵が咲いていた所には秋桜が咲いていた。朝にはそれがしっかり目に入ったが、今は目を凝らしてなんとか見える程になっていた。
私の家に着くと、私は新太郎に礼を言った。
「また、行こうな。詩乃さん。僕は楽しみにしてるわ」
新太郎はそう言うと、そそくさと掛けて行った。
恥ずかしくなったのか、別れるにしては随分とお互いに素っ気なかった。
でも、また新太郎とどこかへ出掛ける約束のようなものを彼は残して行った。次はどこへ行こう。
もしこれが最後ならもっとまだ話しをしているはずである。私も新太郎も今日が楽しかったのだ。これが永遠に続くのならどれだけ幸せか。
出来る限り続けていきたいものだ。これを当たり前に思いたい。
私は夜の寒さに耐えきれず、家の扉を開けて、冬の夜から身を匿った。