迎え盆へ....
家へ帰った私は目の前に座って私を見つめる金太郎を撫でようと手を差し出した。だが、金太郎は私から逃げ出してしまった。
「おかえりなさい」
母はそう言って私の買ったものを手に取った。
「お団やね。とても美味しそうで」
「へえ、お義父さんも喜んでくれるでっしゃろか?」
「喜ぶやろうな。甘い物好きやさかい」
私は義父がお団を食べる姿を想像に少し、笑ってしまった。
「外は暑かったやろ?麦茶入れるさかい」
「へえ、おおきに」
靴を脱ごうとした時、玄関に置いてある東寺の前で撮った小さい頃の家族の写真が目に入った。
私はその写真を手に取り、微笑んだ。
義父と家族になってもこの時の家族は崩れることはないと新太郎に教えてもらったおかげで私は優しい思いを写真に対して持てた。もし新太郎にその事を言われなかったら、写真を見るのは辛くなっただろう。父に対して顔を背けていたように思える。だが、写真の中の父と同じように今の私を見て、父はきっと笑っているはずだ。何も崩れることはないのだ。ただ変わるのみである。
・
三時過ぎ、私は母の元に姿を見せた。
「お母さん、私これから少し外へ出掛けてきますさかい」
「気ぃつけてな。暗くなる前には帰って来てな」
「へえ、わかりました」
今は七時頃でも夕方のようだが、母の言う暗くなる前は恐らく六時前くらいの時間だろう。
「なあ、詩乃ちゃん?」
「なんどすか?」
「お義父さんは六時過ぎにくるさかい。詩乃ちゃんもよければ一緒に夕飯食べる?」
「私は最初からそのつもりでしたえ」
夏風を浴びながら私は外を出歩いた。私と一緒に金太郎は外へ出て、そそくさとどこかの茂みに隠れていった。
近くの家の庭に光り輝く向日葵が咲いていた。私は立ち止まり、向日葵の目を合わすように膝を屈んで見ていた。
「えらい綺麗やろ?」
そう言われ、顔を上げると家の人が私に声を掛けていた。
「へえ、大きくて何か勇気を貰えます」
向日葵をじっと見過ぎたせいか私はその人の気配にも気づかなかった。
私はこうして歩いては立ち止まり誰の目にも止められない花や木などを見ながら進んでいった。風に揺られているその様は私達の生活を見守っているかのように見えた。夏風に暑苦しさを覚えながら私は太陽に照らされた街を見て、遠くに聳え立つ山々に畏敬の念を持った。
私の周りを三人の子供が走り回り、一人の子が私にぶつかり、転んだ。私はその子に手を差し出し、子供達は私に謝ってどこかへ掛けて行った。
私も昔はそんな子供だったのだろうか。私はどちらかと言えば物静かで本を読むのが好きな子供だったから新太郎とは走ったりして遊んだ記憶はなかったように思う。だが、覚えていないだけでもしかしたらさっきと同じような事を私もしたのかもしれない。
もしそうならあの子達はこんな事を大人になったら忘れているであろう。私にとったら記憶に残る事でもあの子達にとったら日常の一つでしかないのだ。
なんとも懐かしい思いを持ってしまった。子供を見ていると無意識に自分と重ねてしまう。自分を基準に違いを楽しんでしまう。
小川を渡る時に橋から下を見下ろすと、川の中から光る太陽の反射とともに小さな魚が見えた。私は何か餌でもあげようかと思ったが、何も持ってなく、泣く泣く諦めた。
魚はそんな私に気づかずに悠々と泳いでいた。水の中では私の声などは届かないのだろう。街の音も何もかも。
小さな寺を通ると、小さな子猫が寺の庭の影で昼寝をしていた。
金太郎よりも小さな猫で私は音を立てないように子猫に近づいていった。
子猫は私の足音にすぐ気がついたが、逃げようとはせず、私を糸目で見つめていた。
逃げないとわかると、私は少しずつ大胆に歩き、やがて子猫のすぐそばまで来て、子猫の背中を優しく撫でた。
「この子はここに住み込んでる子や」
そこに住職が立っていた。その気配に私は子猫に夢中になっていたせいか気づかなかった。
「名前はあるんどすか?」
「あらへん。寺に住んどっても野良やから」
子猫の頭を撫でながら名前がない事を心の中で口にした。
子猫はそんな事もツヤ知らずに気持ちよさそうに目を細めてそのまん丸い目が見えなくなった。
「でも、この子はうちの子やから。大事にしてるんや。寺の中に猫を入れるわけにはいかへんさかいね」
「この子を中で飼うのはあきまへんか?」
「へえ、一応な」
「そうどすか」
それでもこの子は痩せておらず丸々と太っているようで大事にされているのは目で見てもわかった。
子猫は私がどこかへ行くのがわかったのか、さっと逃げるように歩き、私の前からいなくなっていった。
また会えるのだろうかと思った。
私は再び歩き出し、そして歩きでは少し時間が掛かってしまったが、父が眠る墓がある寺へ着いた。
ここも先程の寺と同じくらいの大きさの寺であった。いつもは誰かの車でここを訪れていた。歩きで、ましてや一人で父の元を行くのは初めてであり、私の心はどこか緊張の赴きがあった。
父の元に今の自分を見てもらうのだ。恐らく父は何もかも知っているような気がする。それでも私が父に思いを伝えたいとも思った。
手に花を持ち、父の墓に着くと、私はその姿に安堵した。何故安堵したのかはその時はわからなかったが、後々になって私は父がお墓として存在することに安心をしていたのだ。
花をやり、水を墓に流し、線香を上げると私は父に言葉を掛けた。
そして、しばらくして静かな墓地を後にした。
帰る途中に、バスに乗ろうかと思ったが、財布の中はあまり裕福ではなく、私は歩いて帰ろうと思った。
どうしてか、この頃は不思議な事があった。
祇園祭の狐につままれたような事が私の頭の中を寝ても起きても駆け抜けていくことがある。それは夢にもなって思い出すように出てくるのだ。
大通りに出るとそこはもう車の音が喧嘩をするように喧騒の世界だった。
時間はもう5時近くになっているだろう。空はもう夕空の姿を覗かせており、私の足は早まった。
義父が帰ってくる前には家に帰らなければならない。母の手伝いも私の仕事であるのだ。
「おかえり、詩乃ちゃん。どこへ行ってきたん?」
「へえ、お父さんの所どす」
母の言葉に私は父が普段からそこにいるような思いを感じた。私の言葉には父の存在がしっかりとあった。
「そういえば、もうすぐお盆やさかいね」
「へえ」
・
義父が帰ったあと、私は洗い物をしていた。
「おおきに詩乃ちゃん。もう洗い物は終わった?」
「へえ、もうすぐどす」
私は洗い物を終わらせようと急いで洗い物を洗った。
「お母さん」
「なんや?」
「私、お父さんの元へ行ってきて、お父さんに言ってきたんどす。お母さんは新しいお義父さんと結婚するけれど、お父さんは永遠に私のお父さんどすって」
「そら、そうやないか」
母は当たり前のように言った。
「詩乃ちゃんを産んだんは私とお父さんや。何も変わりまへん」
母はしっかりとした主張のある声で言った。
「そうどすな」
私は改めて嬉しかった。お父さんはお母さんの中で消えていなかったのだ。
「そういえば詩乃ちゃんがいない時に進から電話があって、進もお盆にうちに帰ってくるって」
「そう、嬉しいわ」
迎え盆だから弟も東京から帰ってくる。そして父も家族の元へ帰ってきて久し振りに家族が揃うようだった。