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二人とも....  作者: 山神伸二
2/11

双方の鳳凰

 私はその日、新太郎と鳳凰堂へと足を運んだ。

 鳳凰堂は平等院の中に立ち、もうすぐで建立から千年の時間が経とうとしている。

 四年前に七年にも続いた修理が終わり、私は一度、父と母、弟と鳳凰堂を訪れたことがある。

 私は小さい頃に二、三度訪れたことがあるそうだが、記憶は奥底に眠ったままで実際その時が初めて見るようなものだった。

 弟の手を引き、平等院へ足を踏み入れた時、私はその時の修理が終わったばかりのその鳳凰堂の美しさに心をその時に一度奪われた。屋根には二体の鳳凰がお互いを見て、何を思ったか、私には織姫と彦星のように見えたのだ。その事を思い出すと自分の子供らしさに恥とかわいらしいさが重なってくる。

 そして今は七夕も目の前に控えている。私の見た鳳凰は本当に今だけは織姫と彦星になっているのかもしれない。

 期待に胸を輝かせた私はまるで鳳凰の輝きと同じものと思っていた。

 平等院の門をくぐり、右を見ると鳳凰堂の顔の右頬が仄かに赤く見え、私は一度だけ、幻を見たと思った。

「新太郎さん。目の前まで行ってみまひょ」

「へえ、わかった」

 私達は池に沿って歩いた。人は外国人の観光客を含めて多くいた。私達のような京都人はここでは希少なのだろう。ここは京都人が来るところではなく観光客を迎え入れる場所だと父は四年前行った平等院の帰りに言っていた。

 太陽が池に反射して、一瞬だけ私の目に眩しく光った。それは金色の光で鳳凰のその昔輝かせた色と同じものなのかもしれない。

「美しいもんやな」

 鳳凰堂を前にして、そのままのことを私は口にした。

「とても不思議や。少し前までこんな美しいもんがあるんに喧騒と似たもんに私達は脅かさせられてたんや」

「詩乃さんや僕は記憶があるかないかやろ?僕は小さい記憶しかあらへん。兄が死んで母は泣いていたわ。父は涙を流しながら今にも死にそうな表情をしていたのを覚えてる。やりきれない怒りに駆られていたんやろうな。後悔、自分達を責めて責めて責めまくったんや。二人ともそのまま、僕の記憶が正しければあの8月の日が来るまでにはもう生きていなかったような気がする」

 新太郎の目にはしっかりとその姿が写っており、彼の心の真っ直ぐさを覗き見した。

 私は途端に恥ずかしくなり、慌てて鳳凰堂の中にいる阿弥陀如来を見ている風を新太郎さんに見せつけた。

 その時、新太郎さんは外国の観光者に写真を撮って欲しいと頼まれた。

「新太郎さん。私が話すわ」

 困っていた新太郎にそう言うと、自分なりの英語で外国人と話し、雰囲気に流されながらも写真を何枚か撮った。

 外国人にお礼を言われ、彼らがどこかへ行くと、新太郎は

「助かったわ。どうもまだ怯んでしまうな。僕は英語なんて喋られへんから、なんとなく色々なことで怖くなってしまうわ」

「私やって、英語は喋られへんよ」

「いやいや、喋られとったで。僕から見たら詩乃さんは立派やって感心したわ」

「そんなんどすか?」

 私はつい得意げになり、右手を後ろ頭に回して指先で撫でた。それは私のそんな時にしてしまう癖だった。

「僕の会社も外人さんと接するときはあるんやけど、まだまだ先の話しになりそうや」

「謙遜しすぎやないの?新太郎さんらしいわ」

「僕らしいの?」

「ええ事と思うで。長所や」

「へえ、自分の事なんか知らんからな。詩乃さんに言われて初めて気づいたわ」

 新太郎がそう言った時にはその言葉を聞いて少しだけ目を合わせた後、屋根にいる二体の鳳凰を長いこと見ていた。あれはやはり今だけは織姫と彦星のようなものなのか。

 鳳凰堂の目の前を一周して周ったあと、鳳凰堂の後ろへと周った。

 鳳凰堂は極楽浄土を想像して作られたと聞く。確かに鳳凰堂を背にしてから見た、私達が先程までいた場所を見るとそれは想像する極楽浄土だった。

 もし、私が死んで目が覚めたらこの景色を最初に見たいと思うだろう。後ろの山々は静かに立ち、周りは静かで孤独にくすぐられながらも私自身の人生に苦労を讃え、私は一人この場所で仏様とお話をして、私が生まれた証、ここまで真っ当に生きた安心を感じ、不安も何も無く、また次の世に出るまでのんびりとしたいと想像をした。そしてまばらな人は私の目には薄々と見えなくなっていき、新太郎までも私の意識からは抜け出した。永遠とも思える時間、ここを過ごしたい。

 私達以外も物だって生きているのだ。後ろの山々だって成長して、ここまで大きくなり、風に意志を通す事も無くなすがままに揺られている。

鳳凰堂も何百年も黙って建っていた訳ではあるまい。色々な人々の葛藤や思いをいつだって聞いているのかもしれない。私の短い人生の何倍もそうしており、私のような者は簡単に見通せられる。若い人は深い訳ではないのだ。だが、年寄りすらも同じであろう。人の寿命じゃとても敵わない。偉大そのものを鳳凰堂は見せつけず、鳳凰堂も知らず知らずのうちに身につけてしまった。もしそうなら鳳凰堂は愛らしい。

 そして二体の鳳凰はお互いを見つめ合いながら鳳凰堂もとい平等院を守るために支え合ったのだろうか。この子達は性別などは恐らく無く、夫婦でも友人でもないのだろう。ただ、二体が生まれながらに宿された使命を今にも全うしている。それはもう例え人によって作られた物であろうと尊敬に値してしまうのだ。

「詩乃さん。詩乃さん」

 新太郎に呼ばれて私は考え事をやめた。

「しばらく黙っとったけど、何か思う事でもあったん?」

 私は新太郎の瞳を見つめるようにさらりと流れるように焼き付けた。

「はあ、ようおわかりやったな。鳳凰堂が私達の生まれる前からずっと存在している事に感動してたんや」

「それを言うならこの世の神社が寺はほとんど僕らが生まれる前に存在してんで」

「そやけど、本当に昔から....」

「僕らの家の近くにある東寺なんかもずっと古いやん」

「まあ、そうやけど....」

 私はそれを言われても何故か鳳凰堂が立派に感じてしまうのだ。それは私の中ではこの建物が金閣や銀閣、清水寺や東寺、仁和寺よりも美しく圧倒的な存在感を醸し出しているからなのだろう。誰にどう言われようとそうなのだ。なので、別の人が金閣を美しいと思おうが否定はできない。人の価値観であるこらそれを否定するのならその人を侵害しているのと同じなのだ。この世は美しさが全てではない。何かに圧倒され動けずにいる時、それに支配される時、それが感動を与えられると言うものだ。

 神社や寺は全てを包み込んでくれるような包容力があり、人の作り出した物であるが、それは神や仏の魂が静かに小さく宿っているからなのだろう。

 私はどうもこの場所に支配されているようだった。

「新太郎さんはどこか感動させられた場所はあったりするん?」

「感動させられた場所?」と新太郎は少しわからない様子だった。

「私でいうここみたいな所や。心を奪われた言うんかな?」

「それならさっきの東寺、僕と詩乃さんが小さい頃に五重の塔を訪れたかもしれへんって話。詩乃さんがいたからこそやけど、あれは感動を覚えたような気がするわ」

「そう....」

 そのような事もあるのかと私は新たな発見をした。私は孤独ゆえの物だったが、新太郎は他人がいてこその感動を得ていた。私の知らず知らずのうちに新太郎は私によって感動をしていた。

 私の耳には風の音が聞こえるか聞こえないかの狭間を進んでいる。そのうちに鳳凰堂の前の池から水の流れる音も聞こえてきそうであった。

 私は新太郎を見た。首を少し上げると新太郎の首筋が影になり、そこから陽に当たる綺麗な肌が陽を反射していた。

「詩乃さんはロマンチストやな」と新太郎は言った。

 私は否定をしたかったが、どうにも恥ずかしながらそうなのかもしれないと思った。

「そうかもしれへんな。でも新太郎さんは私みたいな単純者やのうてもっと理屈っぽい硬派な所があるわ。私は柔らかすぎる」

「そんな所がいかにもロマンチストって感じや。詩乃さんらしい」

 私らしいということは私はこれからロマンチストな事を言わなければ私らしくならないと言う事である。新太郎の望む私にはもう私は自然になれることはないかもしれない。

 その時、風の音が響き、風は私の髪を靡かせた。

 鳳凰堂は私を見つめていたのだ。鳳凰堂の優しい眼差しを私は感じ取った。二体の鳳凰は私の事を意識しながらも変わらずお互いを見つめ合うが鳳凰堂は私を確かに見守っていたのだ。ありがとうと私は心の中でお礼を言った。私の記憶のない小さい頃の思い出を鳳凰堂はしっかり覚えていた。私が記憶を忘れていても私を忘れないでいてくれていたのだ。嬉しさのあまり涙が出てきそうになるのを新太郎に悟られまいと必死に堪えた。

 涙を最後に流したのはいつであっただろうか。

「詩乃さん。風が強なって来たさかいここは後にしよか?」

 新太郎は私の髪を見てそう言った。涙は見ていないと思いたかった。

「へえ、ここは充分すぎる程、感動させてもらいましたわ」

「なあ、詩乃さん。聞きたいことがあるんやけど、失礼が無かったら聞いてもええ?」

「へえ、ええよ」

 私は内心に冷や汗を流していた。だが、新太郎の聞きたいことは私の危惧していたことではなかった。

「髪を切ったやないか。あないに長う伸ばしとった髪やのに....」

「別にこれと言うた理由はあらへんけど。強いて言うんやったら、大学生になりはったから気分転換のようなものやな」

「そうなんや。僕はてっきり僕のせいかと思うとったわ。僕が何か詩乃さんの長い髪を切らさせなくちゃいけへん理由でもあったんやとばっかり」

 新太郎の思い違いに私は笑ってしまった。それは新太郎に対する優しい笑いである。

「なんや、新太郎さんは随分と気にしいなんやな」

「詩乃さんは女の子やろ?」

「女の子やで」

「女の子は複雑やさかい。色々気にしてしまうもんや。特に詩乃さんは難しい事を考えていることが多いし」

 私は新太郎に胸の内が知れていることに驚いた。その胸の内を隠せない事に動揺し、心の中ではなく、体の外の背中から汗が垂れ落ちるのを感じた。

「女の子は複雑やけど、人間は誰も複雑やで。新太郎さんかて、単純なお人やあらへんやろし」

「詩乃さんには負けるで。僕は勉強もできへんかったし」

「勉強は関係あらへんやろ?」

「へえ、そうなん?」

「所詮は考え事や。皆何を考えているかなんて自分以外わからへんさかい。新太郎の言うことは今のは当たってたけど、当てずっぽうみたいなもんや。かなわへんけど」

 私は新太郎のような人にはなれないだろう。彼は天性の物を無意識に持っている。私のような容量が悪い女には彼には近づかないような気がした。新太郎はもうこの話を口にはしなかった。

「雲行きが怪しくなって来たわ。駅に戻りまひょ?」

「へえ、そうしやすか」

 先程まで綺麗に晴れていた青空は遠くから覗いていた曇り空に侵食されていた。

 宇治駅に着く頃にはぽつりぽつりと一粒ずつ雨が降ってきた。

「夕立に間に合ってよかったな詩乃さん」

「へえ、本当に」

 雨に少し触れた私はその冷たさに鳳凰堂によって、生まれた暖かさが消え去るような思いをした。焦った私は早足で宇治駅の中へと入って行った。

 だが、私の心配とは他所にあれからしばらくしても私は鳳凰堂の幻影が日常にも現れ、そこで培った暖かさは消え入ることはなかった。そして私の日常で何かあるたび平等院とは関係のない場所でこの場所はあの極楽浄土を模した鳳凰堂なのかと私を常に知らしめ、苦しめた。

 昔、母は友人が母に会いに京都へ行き、京都に染まった友人は京都旅行が終わり、家に帰った後も京都の幻影が中々抜けず困って母に電話をしたと私に笑って言っていた。

 だが、私は楽しかった旅行を思い出すのではなく、私の最終の地を見せられているようだった。それが何があってもそこに行けると言う安心とそこに行ったらもう二度と家族や友人には会えずそこから出ることもできないと言う不安が私の中を回るように乱れていた。

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