婚約破棄なさりたいようですが、貴方の『真実の愛』のお相手はいらっしゃいませんわ、殿下
「ニコル。おいニコル、どこだ?」
会場をうろつき回りながら女の名前を呼ぶとある青年を、私は遠くからじっと眺めていましたわ。
彼はこの国の王太子殿下。
金髪碧眼の顔だけは非の打ち所のない方。そして私――アゼノラン公爵家長女ユーフェミアの婚約者でもありますわ。
どうして婚約者である彼が私の傍にいないかと言えば、それは至極簡単な話。
私ではない、全く別の女を探していらっしゃるからですわ。
無論、婚約者がいながら他の女性をエスコートしようなどと非常識にもほどがありますが、そんなことがわからないくらい、顔だけはいい――はっきり言ってしまえば、他に褒められたところが一つもない――お方なのです。
「ニコル! いないのか!?」
王太子殿下の声はさらに大きくなり、会場中に響き渡りました。
この場が多くの貴族たちが集う夜会であり、大勢から白い目を向けられていることなど殿下は全く気がついている様子がありません。
ニコルさんとやらを見つけ出すことに夢中なのでしょう。ですから私、気は進みませんが殿下の元へ向かい、声をかけさせていただきましたわ。
「王太子殿下、ごきげんよう。しばらくお待ちしていたのですけれど、私が場所を間違えてしまったようでしたわ。申し訳ございません」
「ああ、ユーフェミアか。お前には後で話がある。俺にはやらなければならないことがあるから、お前は姦しい女たちとでも喋ってろ」
「承知いたしました。しかしその前に一つ、申し上げたいことがございますわ。
殿下がお探しの方は、いつも殿下の傍にいらっしゃるご令嬢ですか?」
「そうだ。ニコルのことはお前はよく知っているだろうが」
そう言われ、私は頷きました。
殿下のおっしゃる通り、彼の恋人――ニコル・ジリィ子爵令嬢についてはよく存じておりますとも。
ニコル嬢は、ジリィ子爵の愛人の娘で、十三歳になるまで平民として育ちながら子爵令嬢となった経緯のある少女。ピンクブロンドの髪をした儚げな恋に恋する乙女であり、まるで物語のヒロインのようだと女性たちに影で言われていましたわね。
「ニコル嬢ですの? 彼女なら、探しても無駄だと思われますわ」
私がそう言って口元に静かな笑みを浮かべて見せると、王太子殿下が呆けた顔をして私をまじまじと見つめてきました。
唯一の取り柄である顔も台無しにしてしまうなんて、なんと勿体無い方なのでしょう。こうなると哀れにさえ思えてきてしまいますわ。
私はそんな風に思いながら、まだ私の言葉の意味を理解できていないであろう殿下に言いました。
「婚約破棄なさりたいようですが、貴方の『真実の愛』のお相手はいらっしゃいませんわ、殿下」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
通常は十年かかる王妃教育をたったの五年で終えてしまい、歴代最高の才女と言われている私。
自分より優れた私の存在が気に入らなかったらしい王太子殿下は私の存在を疎み、その腹いせと言わんばかりに貴族向けの娼婦の店に足を運んでいたことは周知の事実でした。
そこまでなら良かったのです。ええ、娼婦であれば孕まない方法をきちんと心得ているでしょうし、別に王太子殿下個人のことなど私にとってはどうでもいいことでしたから。
けれど殿下は決して踏み入れてはならない領域に足を突っ込んでしまわれました。それが子爵令嬢ニコルとの恋です。
今までの遊びとは本気度が違ったのでしょう。王太子殿下はわかりやすく熱を上げられ、それまでは最低限こなしていた公務すら行わないようになってしまわれましたわ。
そしてさらに困ったのは、子爵令嬢を公式の場でエスコートして回ったこと。
これはさすがの私も苦言を呈さざるを得なかったのを記憶しております。
何度「戯れはほどほどになさいませ」とご忠告申し上げたことでしょう。しかし愚かな王太子殿下は、まるで聞いてくださいませんでしたの。
これは『真実の愛』なのだ。『真実の愛』を邪魔するのは何者であろうと許さない――そんな戯言をおっしゃって。
ニコル嬢の方は玉の輿を狙っていただけなのだと気づきもしていなかったことでしょうね。
だってそうでなければ、駆け落ちではなく、身分が遥かに上の私を断罪して婚約破棄しようだなんて言い出す彼女を不審に思わなかったはずがありませんから。
「ニコル・ジリィ子爵令嬢。
否――今は罪人なのでただのニコル嬢ですわね。
彼女はこの夜会へ出席しておりません。そして今後も公式非公式問わず、貴族の集まりに参加することはないと思われますわ」
「――!? ど、どういうことだ。ニコルが罪人だと!? 罪人はお前だろうがッ!」
「風の噂でお聞きしましたわ。貴方は、私がニコル嬢を虐げたと言って、『お前のような女は俺の婚約者には相応しくない』と婚約破棄なさるつもりだったとか。
悲しいですわ、殿下。私のことを下々の者を虐げるような悪女に思われていらっしゃっただなんて……」
悲しげに声を震わせ、私は言葉を続けましたわ。
「ニコル嬢は国家反逆罪によりつい昨晩、捕らえられたばかりですわ。当然でしょう? 王家と公爵家の信頼関係の証である婚約を破棄させようと目論んだのですから。
あ、そうそう、子爵令嬢は殿下のお子を身籠っていたようですわね。いけませんわ殿下、王族として子種をばら撒くことだけは絶対になさらないでくださいといつも申し上げておりましたのに。
国王陛下の許可を頂戴した上で、お子は堕ろさせていただきました。残念なことですわ……」
王太子殿下とニコル元子爵令嬢は、すでに既成事実がありましたの。
『真実の愛』さえあれば結ばれる。そう信じていた王太子は、未来の王妃となるのだから構わないだろうとニコル元子爵令嬢に手を出したようなのですけれど……こればかりは私も認められませんでしたわ。
「お前っ……。お前、ユーフェミア、俺とニコルの子を殺したと……そういうのか?」
「そうなりますわね」
その瞬間、王太子殿下のお顔からサッと血の気がひいて。
それからたっぷり十数秒経った後、まるで沸騰したかのように頬を赤く染めた王太子殿下が怒鳴り出しました。
「何故だッ! 何故なんだッ!? ニコルは俺が心から愛したたった一人の女性で、子供は未来の王子になったかも知れないんだぞ! それを何だお前は! ふざけるのも大概にしろよ! ニコルをあれだけ虐げておいて、さらには罪人に堕とすなど、あってたまるかッ! 父に直談判して、ニコルを連れ戻して代わりにお前を牢にぶち込んでやる……!
ユーフェミア・アゼノラン公爵令嬢、貴様との婚約は今この時をもって破棄させてもらう! タダで済むと思うなよ、この頭でっかち腐れ悪女がァ!」
地団駄を踏み、泣き叫ぶ殿下の姿は駄々っ子そのものでしたわ。
そんな彼の醜態を前にし、どうにかため息を堪えられたのは我ながらすごいと思ってしまいました。
……ともかく。
「そうしたいのは山々なのですけれど、そうはいかないのが現実というものでしてよ。
この婚約にどれほど多くの方々の思惑が絡み合っているのか……殿下はきっとご存知ないでしょうね。
これを破棄すれば、この国が滅びかねません。殿下の他に王子のいないこの国では、あなたしか王たる者はいないのですよ、殿下。
『真実の愛』? ご冗談を。それで世の中回るようなら、誰も苦労は致しませんわ」
私が今までどれだけ貴方に困らされてきたのか。
きっとそれすらも理解していないに違いありません。私だって本当なら今すぐこんな婚約なかったことにしたい。けれどそれが許されないのが公爵令嬢であり、王太子という立場なのですわ。
ですから――。
「愛はなくても構いません。悪女と罵られようがどうされようが、正直なところ私はどうでも良いんですの。
ただ、他の女と子を作らず私との間に王子をもうけ、公務という名のハンコ押しをしてくださればいい。愚かでどうしようもない殿下でも、それくらいはできますでしょう?
婚約破棄など許しはいたしませんわ、殿下。もしも次貴方がこのような愚かな行いをされた時は、覚悟なさいませ」
――次は『真実の愛』のお相手だけでなく、あなたの首も危ないかも知れませんわよ?
無論それは口にしませんでしたし、やはり愚かな王太子殿下は理解してくださらなかったようで、その後もずっと騒ぎ続けて結局護衛騎士たちに引っ立てられて行きましたけれどね。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
こうして王太子殿下は『真実の愛』のお相手と顔を合わせることすらできぬまま婚約破棄を失敗に終えることになりました。
夜会の後に国王陛下から謹慎を言い渡され、その最中にニコル元子爵令嬢が処刑されたという話を聞いてからはさらに私を嫌悪するようになり、ことあるごとに毒殺してこようとするので困り物ですわ。
まあ、その度に成功せず、殿下が罰で苦しむのは見ものではありますけれども。
――こんなことなら国を潰すのも承知の上で、婚約破棄された方が良かったのではないでしょうか。
心の中で度々そう呟いてしまうことがあります。
将来王妃となり、国を担う者と言っても所詮は人間。心のままに生きてみたい。そのような欲望が胸に湧き出してしまうのですわ。
そう思うと、殿下の気持ちもわかるような気がしましたか――。
「だからと言って、私は愚かにはなれませんもの。死ぬほど恨まれている婚約者と結婚するという非情な運命を受け入れるしかありませんわ。……はぁ」
私は小さくため息を漏らし、今日も今日とて私の暗殺計画を立てているであろう殿下の元へ会いに行くのでした。
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