第2話 日常に潜む黒 その2
雫は黒い“それ”に注意を向ける。すべてを吸い込むような黒に、形容しがたい定まらない形状の液体―――ダークマターと呼ばれている謎の物質だ。
いや、謎ではない。雫は知っていた。ダークマターがどうやって生まれるかを。
ピチャ…
ダークマターは本棚と床の隙間から出てくると、雫から離れるように動いていく。学校で目撃したのは今回が初めてだ。アレがここで生まれたのか、もしくは学校の外から移動してきたのかはわからないが、アレは人の負の感情が強い場所に移動する傾向がある。
つまり、今この学校には負の感情が渦巻いていることになる。何が原因かはわからない。いじめが起きているのかもしれないし、叱責によるものかもしれない。…ただ、雫にはそれを突き止める能力はない。彼女ができることは―――目の前にいるダークマターを消滅させることだ。
ダークマターは床を這って壁まで行くと、今度は壁をよじ登り始めた。このままだと窓から外に出るかも知れない。そうすれば、追跡は困難になる。雫は意思を固めると、手をゆっくりとダークマターに向けてかざした。
「すぅー…すぅー…」
一方、愛乃は退屈過ぎていつの間にかカウンターに突っ伏して居眠りしていた。
次の瞬間、愛乃の位置から本棚の向こうが真っ赤に明るくなったかと思うと、程なくして元通りになり、代わりに窓側の壁から黒い蒸気が上がった。
「んー…むにゃむにゃ…」
「愛乃、居眠りしちゃだめだよ」
気持ち良さそうに居眠りし続ける愛乃の前に雫が近付き、彼女の肩を揺する。
「ん…?」
すると愛乃が目を覚まし、重いまぶたを上げて視線を雫に向けた。
「おはよ~。もう時間になったかなー」
「まったく…、図書室の受付が寝てちゃ意味無いでしょ」
雫はぐうたらな親友に困り顔でため息をつく。一方で、彼女が寝ていたおかげで気付かれずに済んだのだから結果オーライだ。
その後、数人の貸し出しと返却の対応をすると、何事もなく閉館の時間を迎えた。図書室の扉を閉める際、雫はチラッと部屋の中に目を向ける。――何も異常はない。いつも通りの光景が広がっているだけだった。
「ふぁ~~!課題がなかったら今からでもパフェ食べに行ったのに…」
帰り際、愛乃は疲れた体を伸ばしてほぐすも、今から家で課題をやらなければならないことにガックシと肩を落とす。
「パフェはまた明日にしよ。楽しみをとっておけば課題も苦じゃないはず」
「そうだね!うん!私はポジティブに生きるよ!」
「その調子その調子」
元気を取り戻す愛乃に、雫は笑みを浮かべる。いやなことばかり考えていると体に良くない。楽しいことを考えていれば、体の調子も良くなるものだ。
「ただいまー」
家に帰り、玄関で靴を脱いでいると、奥からエプロン姿の母親――千里がやって来た。
「おかえり。もう少しで夕飯できるからね」
「うん」
手洗いうがいを済ませ、自分の部屋で部屋着に着替えると、1階のダイニングに向かう。ちょうど母がテーブルに夕飯を並べているところだった。夕飯は2人分。
「お父さん、今日も出張?」
置かれたのが自分と母の分だけなので、父親が今晩帰ってこないのだと察した。
「えぇ。それでね…お父さん、来月から福岡に転勤だって」
「遠いなー…。でも、仕事なら仕方ないよね」
父親は仕事柄、泊りがけの出張が多く、家に帰らないこともしばしばある。そして、来月から単身赴任。1ヶ月どころか数か月に1回会えるか会えないかぐらいの頻度になるのだろう。…それも仕事だから仕方ない。
夕飯を食べ終え、自分の部屋に戻って数学の課題に取り掛かる。スマホで好きな音楽を聴きながら黙々と課題をこなしていき、21時には終わらすことができた。その後はお風呂に入り、同じく課題を終えた愛乃とチャットでやり取りしたり、ネットサーフィンして過ごしていると、机の上に置いてある時計の針がいつの間にか23時過ぎを指していた。
すると、雫は立ち上がって上着を一枚羽織り、物音を立てないよう気を付けながら、部屋の電気を消して外に出ていった。