第1話 日常に潜む黒 その1
午後11時。暗闇に包まれた街は不気味なほどに静寂で、朝であれば通勤通学で賑わう道にも人気は無く、街灯のぼやけた灯りが人の通らない道を照らし続けている。
ピチョ…ピチョ…
そこに、黒くて液体みたく形の定まらないものが、地を這うように姿を見せた。“それ”は何も目的が無いかのようにうろつきながら、徐々に前へ進んでいく。
「見つけた」
唐突に静寂を破る少女の声。おとなしくも凛々しさを感じる。暗闇に紛れ込む黒髪は腰まで届き、整った顔立ちは十分な灯りが無くとも美人だとわかった。
少女はじっと“それ”を見つめると、静かに右手をかざした。直後、右手が橙色に輝き―――
ゴオォォォ…!!
右手の先から真っ赤な炎が発現し、“それ”に浴びせかけた。道の両脇の塀が赤く染まる中、少女は顔色を変えずに炎を放ち続ける。
程なくすると、炎の高熱によって“それ”は黒い蒸気を上げて徐々に小さくなっていき……ついには消失してしまった。
消えてなくなったのを確認すると、少女は炎を放つのをやめ、手を引っ込めた。そして、これまでの表情を緩め、ホッと肩の荷を下ろしたのだった。
朝になると、昨夜の静寂が嘘のように賑やかさを取り戻す。通学路には紺色のブレザーを着た生徒が多数。その中に、腰まで届く黒い髪を揺らしながら歩く少女の姿も。
黒瀬雫――16歳の高校2年生で、平均身長より少し背が高く、スレンダーな体型をしていた。
「雫~!」
そこに朗らかな声を上げて駆けてくる少女の姿が。黒髪の短いポニーテールに丸っこい目をした少女は、雫の親友――安堂愛乃。おとなしい雰囲気の雫とは対照的に明るく元気で笑顔を絶やさない。
感情豊かとは言えない雫も、愛乃の前では自然と頬が緩んでしまう。そんな2人組は今日も日常会話を弾ませながら学校へ向かうのだった。
学校が始まると、雫はまさに普通の女子高生だ。淡々と授業を受け、昼休みは愛乃と弁当を食べ、午後はうとうとする愛乃に和みながら授業を受け――最後のホームルームを終えて、今日も学校生活は終わりを迎える。
「今日は駅前に新しくできたパフェのお店行かない?」
「ジョリーって名前だっけ。わたしもあそこ行きたかったんだよね」
放課後の予定決定。だいたいは愛乃が突発的に思い付いた所へ行ったりして遊ぶことが多い。……ただ、残念なことに今日は――
「愛乃~、今日は図書委員の当番だよ~」
そこに別のクラスの図書委員の子がやってきて、愛乃に当番であることを告げる。愛乃は手を口元に当ててハッと思い出したような表情になる。この日は図書委員として、図書室で貸出の受付をやる日だったのだ。
「あっ!忘れてたっ!危うくさぼるところだった!」
「じゃあよろしくね~」
図書委員の子が手を振って去っていくと、愛乃は雫の方を向き、両手を顔の前でパチンと合わせて詫びを入れた。
「ごめん!今日はだめだった!うっかり屋の私を許しておくれ~」
「いいよいいよ。わたしも手伝おうか?」
雫は困り笑いを浮かべると、一緒に当番を手伝うことを提案する。すると、愛乃は一転して明るさを取り戻し、顔を上げて雫に迫った。
「えっ!?いいの!?」
ということで、雫は愛乃と一緒に図書室の当番をやることに。とは言っても、放課後は訪れる生徒も少なく、貸出の受付は1人で十分なので、雫は本の整理をやることにした。
整理整頓は結構好きなので、彼女は黙々と本を分類ごとに綺麗に並べ直していく。
「雫~、暇だよ~」
本棚の向こうから愛乃のだらけた声が聞こえてくる。まだ30分しか経っていないが、今日は珍しく1人も図書室にやってこないため、必然的に受付は暇だろう。だが、雫からしたら気兼ねなく本の整理ができるので逆に好都合なのだ。
本棚越しだが愛乃のお喋り相手をしようかと思って顔を上げると――――
モゾ…
視界の端に何か黒いものが動くのが見えた。