猫カフェ裏で猫を拾ったら…
高校を卒業して就職して、孤児院を出て。代わり映えのない毎日が繰り返される。
そんなある日、何故か俺は猫カフェの前で足を止めた。何かが、俺の意識をピンと引きつけた。
か細くて助けを求め嘆くかのような掠れた声…
俺以外の多くの人が気づいていない様な、その声に導かれた先は、触れたら壊れてしまいそうなほどに小さな小さな子猫だった。
猫カフェの裏で、今を生きようと精一杯な命、それが持つガラス玉の様な無垢な瞳に吸い込まれる様に、気がつけばそっと抱き上げていた。
ふと猫カフェを覗くと、毛並みの良い血統書付きの猫達がキラキラとした世界で様々な人々からチヤホヤされていた。
「お前と俺は、似てるな…」自傷気味に笑って、俺は密かにそう呟いた。
泣き止んだ子猫は、不思議そうに俺を見上げていた。
(やれやれ、俺が誰かに情が湧く日が来るとは)
懐にいる初めての温もりに、何かが変わる予感を感じた。
それから俺は、猫に対する知識もなかったので、適当にコンビニで猫缶を買い、元気そうだったので特に病院に連れて行くこともなく帰宅した。
(小さくて、顔が可愛いいから、メスか…)
一年目 子猫はみるみるうちに大きくなり、俺の日々は鮮やかに色づいた。生まれて初めてそばにいてくれるだけで、心が温かくなる存在を見つけた。
二年目 会社で気になる子を見つけた。俺を見ている気がする。しかし、噂によると猫嫌いらしい。
(残念だが、猫嫌いじゃ仕方がない。惜しい気もするが、諦めるか。)
自宅のソファーの上で、腹の上にいた愛猫を抱き上げながら「やっぱ、俺にはお前しかいないのかな?」と問いかけると、にゃーとお気楽そうに猫は鳴いた。
(この可愛さを見れば考えが変わるかもしれないのに、もなったいないな〜。まぁ、俺だけが知っていればいいか。)
そう思う俺の表情が嬉しそうだった事を、愛猫だけが知っている。
二年と数ヶ月、ペット禁止のアパートで猫を飼っていた事がバレて、いきなり家を追い出された。
あいにく、近くのペット可物件は高級な場所ばかりで、俺の給料ではすぐには引っ越せなくて、猫と一緒ではホテルにも泊まれず俺達は成り行きでホームレス生活を送る事となった。
「ごめんな、完全室内飼いだったのに、お前までホームレスにしちまって。まぁ、元はといえばお前が原因なんだけどな。」
軽い冗談のつもりだったが、猫というものは人の話を案外きちんと理解しているもので、耳を伏せ、怯えた目で飼い主を見上げていた。
しかし俺は、よく知るはずのその視線に気づく事なく、さらにこう続けてしまった。
「あーあ、泊めてくれる美人な彼女が欲しい。」
俺のため息と同時に、世界にたった1匹の大切な愛猫は、するりと俺の腕をすり抜けて、闇と消えた。
「おいっ!どこへ行くんだ!?待ってくれよ、もうっ、お前まで…俺を一人にしないでくれっ…」
君を呼ぶ声は、ただ、虚しくこだました。
さんざん探し回って、いつのまにか歩き疲れて眠り、その日は、久しぶりに両親の夢を見た。
次の日、あいつを拾った猫カフェの前に行くと、見知らぬ美女が、ホットミルクを飲みながら、密かにキャットフードを摘んでいた。
美女は、俺の姿を見つけると、静かに手招きをした。
独特な雰囲気を放つ美女に惹かれて、俺は店内へと入った。店内の猫達は、俺に興味を示そうともせずに、ぼんやりとあくびをした。
「前に、座ってもいいか?」
俺が問いかけると、彼女は静かに頷いた。
それから彼女は、俺が何を問いかけようと、首を振るだけで、声を発さなかった。
「もしかして、声が出せないのか?」
彼女は、特に気にする風でもなく、にこにこと笑いながら縦に頷いた。
会話に言葉が返ってこずとも、彼女に話しかけるのは苦ではなかったし、不思議と心地良ささえ感じた。
愛猫を探しながら、いつからか彼女に会いに行く事が日課となっていた。
そして俺は、彼女に告白する決意を決めた。
猫カフェを出る瞬間、普段ならそこで別れるところだが、思い切って、デートに誘ってみる事にした。
「あの!これから一緒に、花でも見に行きませんか?」
勇気を振り絞った俺に、彼女は猫目を細めてニカっと笑い、勢いよくうなずいた。
花々の中を二人で歩いていると、彼女は風に舞う花弁を追いかけて飛び跳ねたり、ずいぶんと子供っぽくて可愛らしい、心なしか尻尾の幻影すら見える気がする。
しかし、それがまだ見つからない愛猫と重なり、グサリと切なさが胸を貫いた。
頬を伝う冷たい涙を止める術を、俺は知らなかった。
彼女は、そんな俺を心配そうに見上げ、俺の涙を舐めようとした。
俺は、反射的に顔を真っ赤にしてのけ反った。その後でお互いベンチに腰掛けてから彼女に愛猫の大切さを語り、今日告白しようと思った事を打ち明け、しかし告白は愛猫が見つかってからにすると決めたと言い微笑んだ。
俺が話し終わると、彼女の瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。
「ごめんな、俺の話、つまらなかったか?」慌てる俺に彼女は抱きつき、首を何度も横に振った。何も言わず、俺は彼女の頭を撫で続けた。
暗くなって来て、ベンチに優しい月の光が差し込んできた。いつのまにか俺の膝の上で眠ってしまった彼女の頭を撫でていると、みるみるうちに不思議な事が起こっていった。
どんどん小さくなり、懐かしい手触りが俺の手に伝わっできた。
信じられない話だが、彼女の頭上には猫耳が生え、スカートからはゆらゆらとした尻尾がのぞいていた。
ただ、その時の俺はすんなりと彼女が愛猫である事を受け入れる事ができた。
「このっ、バカ猫…心配したんだからな!」
その言葉とは裏腹に、愛し気にそう囁いた。
愛猫は目を覚まし、真っ直ぐに俺を見つめた。
「こんな事しなくたって良い!俺はずっと、お前と一緒にいられるだけで充分だから‼︎」
もう二度と離れない様にきつく抱きしめた。
すると彼女は初めて口を開き、こう言った。
「あんたに恩返しがしたくて、そばにいたくて!昼の間だけ人間の女なれる魔法をかけてもらったんだ!言葉を話してしまったら、次の日からは人間になれないって言われてるんだけど、人間の方があんたの役に立てると思って、それで…!」
ゴロゴロと喉を鳴らしながら甘えてくる美女は、どんどんずっと会いたかった愛猫の姿へと変わってゆく。
「安心してくれ、どんな姿でも俺はずっとお前と一緒だし、お前は俺の一番の家族だから。」
額に優しく口づけを落とし、「でも今回、お前の本音が聞けたのは良かったかな?美女の夢も見れたし…あっ、猫のお前も美女だよ!」と頬擦りをすると。
訴えかける様な目をしてから、目線をそらして、
「最後に!俺っち、本当は男っスよ!!」
といたずらっぽく、どことなく決まり悪そうに告げ、月にかかる雲が晴れると同時に猫の姿へと戻っていた。
チラリと俺の顔色を伺っている愛猫に、
「調べもせず勘違いしてたのは俺だし、気にしなくていいぞ。それに言っただろ?どんなお前でも愛してるよ。」
正直少し驚きはしたが、自然と溢れた彼の愛の言葉に、彼の愛猫は元気に甘えた声を出した。
「よーし!ペット可物件探すか!」「にゃー!」
晴々とした表情で二人でいられる幸せを噛み締めている彼らが、後に彼が趣味で生み出す作品である、愛猫をモデルにした絵や愛猫との暮らしを綴ったエッセイ本の影響で、一躍猫好きの間ではちょっとした有名コンビとなる事を、このときの彼らはまだ知るよしもない。