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ペンの切っ先が、紙を滑る音がする。

カリカリと数分つづいた音が止むと、隣で本をもって立っていた丸眼鏡の男が、紙をもって一読した。視線が上から下まで流れると、悲しそうに息を吐く。


「リューナ坊ちゃん」


その声色は、わずかに震える。それどころか、紙を持つ手が震え、丸眼鏡の奥の瞳が揺れた。

かと思えば、大量の涙。40代半ばの男とは思えないほど、顔が崩れた。


「坊ちゃん~~~! なぜこうも早く親離れしようとするのですか~~~!」


情けないその泣き声に、隣で座るリューナと呼ばれた少年は、苦笑する。


「泣かないでおくれよ、ラント先生。驚かせたくて、一生懸命勉強したんだ」


100点満点のその返答に、ラントと呼ばれた男は更に声を大にして泣く。


「わたしはそんな模範解答教えてませんよぅぅ!」


ならどうしろと。

リューナが困ったように眉尻を下げると、ラントはついに膝から崩れ落ち、リューナの腰に巻き付いてきた。


「なぜっ、なぜ先生であるはずの私よりも進んでしまわれるのですかあああっ、かわいいお顔で『せんせい、ここはどう計算するの?』と聞いてきたあの頃が恋しいぃぃ」


ぐりぐりとリューナの腹に顔をうずめ、ついに圧力に耐えかねて眼鏡が飛んだ。

大の大人、しかも男に泣きつかれて、リューナは及び腰になる。何とか引きはがそうと、彼の肩に両手を置いて慰めの言葉をかけてみるが、彼は変わらず嗚咽を漏らした。

おっさんに抱きつかれて喜ぶタイプじゃないぞ……と、心は男のリューナは思う。

この男をどうやって落ち着かせようかと悩んでいると、コンコンと扉のノックされる音がした。返事をすると、いつも花が咲くような笑顔のメアリーが、じとりとこちらをにらみつけるように入室した。

正確には、ラントを睨みつけながら。

「ラント先生、そろそろリューナ坊ちゃんから離れてくださいまし」


先ほどまでの一連の流れをどこから聞いていたのか、メアリーはいつもより低い声で言い放った。

それでもイヤイヤとわがままを言う子どものように、リューナにしがみついていると、メアリーがそっとラントの側にしゃがみ込む。

そして彼の耳元で、冷たい笑顔のまま、恐ろしい言葉を紡いだ。


「離れないと、先生の研究室、塵も残さず燃やしますよ」

「ヒッ」


驚くほど素早く、ラントがリューナの体から離れた。

まるで、以前本当に燃やされたことがあるような反応の仕方だ。


「僕は、僕はね、嬉しかったんだよ。リューナ坊ちゃんの先生に指名されて!」


ガンッと机をたたくと、泣きながら彼はつづけた。


「僕は幼い頃から、天才だと言われてきたんだ。でも、そんな僕の輝かしい人生は、そう長く続かなかったよ……」

「ラント先生は、10歳年下のヒューバー様に、あっけなく天才の地位を奪われたのです」

「父様……」


温情のない淡々とした声で暴露されたラントの過去に、リューナが同情する。

父の優秀さは間近で見てきた。常に冷静な判断は、並大抵の神経ではできない。

最も正解とされる道を選べるのが、父ヒューバーという男である。


「だから、彼の息子に教えるという栄誉に、気合いを入れて臨んでいたというのに……彼の息子もまた天才だった……。今度は40も下の子どもに……」


がっくしとうなだれたラントを、無慈悲な表情で横目に見るメアリー。

リューナやソフィーナをそのような目で見ることがないからか、新しい顔を発見したようで嬉しくなる。きっと、まだリューナの知らないメアリーの顔があるのだろう。


実を言えば、過去でリューナはある程度勉強のできる、ほどよい子どもを演じていた。

あまりにも出来過ぎて、変に目立つことを避けたのだ。

2度目の人生で、目立つことのデメリットを体験していることに起因する。

リューナは前世、魔法に頼るファンタジーの世界で、調味料を初め、家事労働に役立つ家電などを次々と開発することで富を手に入れ、育ったスラム街に光を灯した。

やがて奇跡の発明家として名が通るようになると、王宮に招かれたのだ。

そして、国外へ出ないことと、用意された屋敷に住むことを条件に、全面的な後押しを受けた。

バックがあることは、技術力を生業とする上で非常に心強い。彼はその取引に応じ、国から要請される生活を便利にする開発にも協力した。同時に、この取引が国による監禁に近いことにも、気づいていた。

国は国外にこの技術が漏れることを危険視したのだ。いうなれば、未知の技術を生み出す体の良い操り人形である。


その経験から、貴族として恥ずかしくない程度な優秀さを心がけた。

そう演じることができるほど、この世界の学問は遅れている。貴族はまだしも、平民の識字率はかなり低い。学のない民が異常に多い。2度の異世界での人生を歩み、日本の学問に対する環境がいかに整っていたかを実感したほどだ。


しかし、今回の人生ではそうも言っていられない。


「もう僕が教えることはない……」


ラントはそう言うが、彼が頭のキレる人物であることに変わりはない。

今までこの世界になかった日本の計算方法をあたかも今思いつきましたと言わんばかりに提案した時、少しの時間ですんなりの吸収し、新たな発見に繋げたのだ。

貴族ではあるが、後継ぎでないラントはその生涯を学問に費やしてきた。持てる引き出しは多く、間違いなく、天才と言ってよい。


「そんなこと仰らないで。僕は、まだまだ先生から勉強したいのです」

「誰ですか! 純粋無垢な少年に処世術など教えた人は!」


馬鹿と天才は紙一重か。リューナは内心で肩を落とした。






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