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リリアンナがリューナという名を授かったのは、妹の誕生の日のことである。
その日を境に、リリアンナは美しく輝く金色の髪をバッサリと切り、女性的なものを一切身に着けなくなった。
もとより乳母メアリーの好みで着せられていたものだったので、心は男な彼にとって、さほど問題にはならなかったのだが。当時仕えていた使用人は、信用のおけるものだけを残して一掃された。残ったのは主治医と、執事長、庭師、そしてメアリーだけだった。
「何が起きたんだ……」
全身鏡の前でへたり込んだリューナは、もちもちの幼い頬をつねってみる。
じわりと鈍い痛みが頬に広がった。
「死んだら、次の人生になるかと思ったのに」
ふと、最後の剣の痛みを思い出し、リューナは胸に手を当てた。
一切ふくらみのない胸。まだ8歳なのだから、当然と言えば当然だ。女だったことも夢なのでは、と今度は視線を下におろしてみる。そっとズボンのゴムを引っ張ってみると、やはりこちらも何もない。
「さすがについてるわけない。馬鹿か」
「リューナ坊ちゃん、お食事のご用意ができましたよ」
扉の外から聞こえたメアリーの声に、びくりと反応してとっさにズボンから手を放す。
反応がないのを変に感じたのか、部屋の扉を開けてリューナの顔をのぞくメアリーに、はははと謎の苦笑いをした。
◆◆◆
食事をするために部屋を移動した。テーブルには病み上がりにも優しい、野菜たっぷりのスープが置いてあった。
そういえばひとつ前の人生では、調味料も開発して食文化をめちゃくちゃ促進させたな……と、心の中で考える。
席についてスープを飲もうとスプーンですくうと、バタバタと焦ったような足音が近づいてきた。
リューナがスプーンをおいて振り返る前に、ぐいっと右腕を下に引っ張られる。すかさずスープがこぼれないよう、もう片方の手で器を抑えると、小さな影が視界に映った。
「ソフィ?」
見知った姿に声をかけると、白金色のふわふわの髪の毛が揺れた。
なかなか上を向かないので、リューナが椅子から離れ、片膝をつく。
「ソフィ、久しぶりに、かわいい顔を見せておくれ」
あの日、あの襲撃を受けた日、リューナはかわいい妹を守ることすらできず、それどころか遺体を埋めてやることすらできなかった。
その後悔が、妹の姿を見ることでより強く押し寄せる。
ソフィーナの頬を優しくなでてやると、ようやく彼女は顔をあげた。
目にはいっぱいの涙をため、唇に力を入れているからか、梅干を口いっぱいに含んだような顔になっている。
「にーさま、もう眠っちゃ、いや!」
いやいやと掴んだ腕を上下に振るソフィーナ。よほど心配してくれたのだろうか。
そういえば、以前同じようなことがあった。熱を出して庭園で倒れ、三日寝込んだ。起きるとソフィーナがもう寝るなといって泣くのだ。それをなだめるのに、かなり時間を要した。まるで、あの日の出来事を繰り返しているかのような感覚に陥る。
――ああ、本当に。俺は同じ人生を二度繰り返そうとしているのか。
なぜだ? 死ぬことで新たな人生を始めることはあった。しかし、繰り返したことはない。
死に方がキーなのか? 39歳、排水溝でないと新たな人生に進めないルールでもあるのだろうか。
ぐるぐると頭の中で考え込むと、カタリと背後の扉が動く音がした。
反射的に視線を向けると、閉まろうとするドア。その奥に、妹と同じプラチナブロンドの髪を持つ、女性の後ろ姿。
「母様?」
つぶやき程度の小さな声。それが遠くを歩く母に聞こえるはずもない。
リューナが起きたことを聞きつけ、様子を見に来たのだろうか。声をかけてくれればよいのに。思うが、何も言わないのが母らしいとくすりと笑みがこぼれた。
前回の時は、回復後に母の姿を見ていない。
この愛らしい妹を慰めるのに必死で、扉の音にも気づかなかったのだ。
ふと、ソフィーナをかばうように庭園で息を引き取っていた母の姿を思い出す。
そうか。リューナは胸のつかえがすっととれたような気持ちになった。
母は決して、子どもたちに愛情を持っていなかったわけではないのだ。
激しい男尊女卑、男児しか家督を継げないルールがあるこの世界において、男児を産み育てることが母の生きる意味だったのかもしれない。
リューナが、人に求められることを生きがいとしているように。
「ソフィ、泣き止んでおくれ。かわいい顔が台無しだよ」
「やー!」
滅多にわがままを言わない妹が、駄々をこねる。
その姿を更に愛らしく思い、同時に、リューナは強く思った。
時が戻ったのならば、母と妹に、二度と同じ運命をたどらせはしない、と。