1
ああ、今回の人生はこんな悲惨な結末なのか。
「リューナ坊ちゃん……、お逃げ、ください……」
どこか諦めたような表情で、リューナは目の前に広がる悲惨な光景を見渡す。
異常に静かで深い夜。父の死刑執行の知らせを受け、動揺収まらぬうちに、彼の住む家に火の手が回った。それが人為的であることはすぐ理解し、即座に母と妹を探しに庭園へ駆けた。普段最低限の交流しかしない二人が珍しく散歩に出たのは、父の死を受け入れられない母を気遣った、妹の優しさからだった。
しかし、リューナが庭園へ着き目にしたものは、最悪の事態だった。母と妹、そして幼い頃から良くしてくれていた侍女の死体。
足がすくんで動けなくなったリューナの手を引き、襲い来る刺客から守ろうと剣をふるった、剣の師匠は先ほどの言葉を最後に、ぴくりとも動かない。
鍛え抜かれた肉体と優れた剣技をもち、誇れる経歴を持ちながらも、彼は一度も横柄な態度を取ることはなかった。幼い頃から師匠として慕っており、成長したリューナを歓楽街へ初めて連れ出したのも彼だったが、その時の表情はまるで息子の成長を喜ぶ父のようであった。もうすぐ、子どもが生まれると喜んでいたのに。
「リューナ、あなたで最後ですよ」
聞き慣れた低い声が、これほど不快に聞こえたことはない。
リューナの学園初頭部からの幼馴染であり、卒業後も定期的に連絡を取り合っていた相手。唯一、心を許せる友だと信じていた相手だ。
声のする方を見上げると、自らのものではない鮮血に身を包む幼馴染の姿。利き手には、血で染まるおぞましい剣が握られている。
真っ黒な髪の毛は、まるで日本人を思わせる。漆黒を不吉とするこの国で、理不尽に忌み嫌われることに悩んでいた彼と出会ったのが、二人の交友関係の始まりである。
「リューナが俺の髪を、普通だと言ったとき、覚えていますか」
黒い髪をかき上げながら、彼はリューナを見下ろす。
日本人だった前世をもつリューナにとって、黒髪は特に目を引くものではなかった。
むしろ、自らの美しすぎるブロンドヘアーに目が潰れると思ったほどだ。
何も考えずに、「君の髪よりも僕の髪の方が人の視線を惹きつける!」と、威張り散らした記憶もある。
「アル……アルランス。なぜ、こんなことをする」
リューナが幼馴染のアルランスへ問う。
質問に、彼は眉をひそめた。
切れ長の目が、より鋭くリューナを射抜く。かと思った途端に、アルランスがリューナの胸ぐらを掴み壁へと強く叩きつけた。
呼吸が、止まる。
「なぜ、と問うには遅すぎるんだ。リューナ!」
「……っ」
180センチ近い身長のアルランス。決して師匠のように巨漢ではないが、鍛えられた身体は立派な男の体である。
対して壁にたたきつけられたリューナは身長こそ、男性の平均身長近くあるものの、全体的に線の細い体つきだ。もちろん、アルランスの力に敵うわけもなく、苦しさに身を悶えさせる。
「母様に、ソフィまで、なぜ」
苦し紛れに声を絞り出すと、アルランスはつまらなそうに掴んでいた胸ぐらを放した。
急に取り込んだ酸素に、リューナはゲホゲホとむせる。
当主である父は少し離れた皇都で、身に覚えのない罪で処刑された。その知らせを受けてから、まだ一晩も経っていない。
突然の知らせに家族だけでなく屋敷全体が動揺している中、予期せぬ謎の集団からの襲撃。
子どもたちへの愛情など持ち合わせていない女性だと思っていた母は、先刻、妹のソフィーナを守るように抱え、美しく整えられていたはずの庭園で殺されていた。
頭の整理が追い付かないまま、リューナは剣の師・ゲルドに守られ脱出を試みるが、この屋敷をよく知るアルランスに追い詰められた。
「……俺は、初めからお前を殺すつもりだった」
アルランスが絞り出すように発した。その言葉に、リューナは目を見開く。
思考を整理する前に、感情が口から出た。
「そんな……! ずっと、友達だと、思っていたのに……!」
振り返っても、楽しい思い出ばかりだ。
彼の信じられない発言に、リューナは顔を歪めながら、訴え続けようとする。
しかし、それはアルランスの愛刀によって阻まれた。
言葉を続けるよりも前に、彼の剣がリューナの胸を貫いたのだ。
まるで、これ以上話すのも無駄だと言わんばかりに。
「く……そ……、3度目の人生が、こんな終わり方なんて、糞、すぎる」
息も絶え絶え吐き出すリューナに、背を向けようとしていたアルランスが興味を示した。
「3度目? 何の話ですか」
「教えてやるよ、俺の人生はこれで3度目を、終える」
「何を言って……」
突拍子もない話に、アルランスが食いついた。
世迷言だと一蹴されても可笑しくないような話だ。
しかし、リューナはこれまで、3度の人生を経験している。
日本の大手百貨店勤めのサラリーマン、中世のような異世界でスラム街出身の技術者、そして、今現在、公爵家長男としての人生。
少し違うことは、1度目と2度目の人生は、39歳に排水溝に足を滑らせ頭を打って亡くなっていることだ。次も39歳では排水溝に気を付けようと決意していた矢先の出来事が、この事件である。まだ、成人のパーティーを終えたばかりだった。
彼が無慈悲に、突き刺した剣を抜く。神経が麻痺しているのか、感じたのは熱さのみだった。
そして、剣を抜かれたことで、リューナの秘密がほどけた。
ずるりと、それが重力にあらがえず床へ落ちていく。
「……? 包帯?」
アルランスが驚いたようにリューナの胸元を見つめた。
落ちたのは、リューナの血によって赤く染まった、包帯のようなもの。
怪我をしていたのならまだしも、リューナは健康体だった。
なぜ、包帯が。アルランスが考えるよりも前に、視線の先が信実を語る。
包帯がほどかれたことによって、リューナの胸元が、女性的な丸みを帯びた。
「胸……? なぜ」
「驚く、よなあ。だって、俺、女なんだわ」
ははは、と乾いた笑いが、アルランスを刺激したようだ。彼の表情からは戸惑いと、怒りのようなものが見て取れた。
ああ、意識が、遠のいていく。
かすむリューナの視界にとらえたのは、アルランスの何とも言えぬ苦痛の表情。
「女だと知っていれば、こんなことには」
アルランスのつぶやきが、リューナの意識に届くことはなかった。