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血染めの銀狼 前編 2ー1話

17歳の時に書いた二作目をアップします。

ほぼ展開等は原文のままですが、一部描写を追加して文庫版の碧の疾風に、伏線等を繋げてあります。

血染めの銀狼

高坂 幸緒


 夢現に、悪夢のような出来事が男の脳裏に繰り返し浮かび続けていた。

 薪を売りに遠方の町まで行った帰り、遠くから自分の村が燃えているのを目撃して、空に近くなった荷車を捨てて無我夢中で自分の家まで走って向かった。

 そして自宅前に、あの男と自分の妻が立っていた。

 長い銀色の髪をしたその男は、この世のものとは思えぬ程の美貌の持ち主だった。

その無機質な瞳はガラス玉のようで、寒気がする程澄んでもいた。

 黒い服に身を包み、青白くわずかに反った長剣を妻のルーシルの胸元に添えていた。

 その光景を見て、何かが真っ白になった。

 彼女の身の危機に、そして二人の足元に幼い子供が倒れているのを目撃して彼の理性は完全に吹き飛んだ。

 それは間違いなく……自分と彼女の息子だったからだ。

「貴様! 俺の妻と子供に何をしたっ!」

 彼は剣を構え、刺し違えるつもりで男の前に飛び出した。

その距離感を考えれば、そこで声など上げるべきではなかった。

しかし彼は息子かも知れない子供が倒れて、妻が危機に晒されていることで頭に血が上っていた。

 銀髪の男はルーシルから剣を外し、足を左右に僅かに開いて剣を構え直した。そうやって存在する彼は、まるで美しい一匹の獣のようであった。

 例えるなら、銀色の毛並みをした狼。

「やめて……!」

 そのしなやかな体躯が反撃の体勢に入った直後、その間にルーシルが入り込んだ。

 彼女の豊かな栗色の髪が宙に舞った。しかしすでに彼の勢いも止まろう筈もなかった。

「ルーシル……?」

 次の瞬間、二人は同時に刺し貫かれていた。

 妻は心臓を、そして自分は腹部を。

 なぜか……その瞬間ルーシルは男に向かって声を掛けていた。

「やっと……あんたに、会えたのに……酷いね……グラ、イズ……」

 妻は、銀髪の男の方を向きながらそんな言葉を何故か、呟いた。

「……ルーシル、俺は……」

 男もまた、妻の名前を呼んでいた。その声は、外見に似合わない……まるで壮年の野太い男のようであった。 

「けど、やっとあんたに……会えて、良かったよ……」

(ルーシル、何でその男に……そんな懐かしそうに、声を掛ける。知り合い、なのか……!)

それが、彼が覚えている最後の記憶だった。

二人の会話はもう少しの間だけ、続いていたらしいが……直後に、彼の意識は暗転し……その意識は途切れていった。


                     *


 彼は……サリックは確かに死んだ筈だった。

 腹部を刺し貫かれ、意識が途切れた瞬間にそう覚悟していた筈だった。

 あの瞬間、銀色の煌めきが己の命を掠め取っていった……そう確信していたのに。

 しかし、彼の意識は覚醒していた。

「大丈夫……?」

 小さな、消え入りそうな声だった。

 その方向に視線を向けると、金色の髪をした子供が目を潤ませ、何かにしがみつくように自分の手を握っていた。

「お前は……?」

 村では一度も見たことがない顔だった。

これだけ鮮やかな、いや見事な金髪は滅多にないと感心したし顔立ちもどこかあどけないが、実に整ったものだった。

「僕は……昨日から、この村で泊めて貰っていたんだ。それよりも、オジサン大丈夫?」

 澄んだ瞳は、その風貌をより幼く見せていた。真っすぐこちらを射るように見つめるその目はサリックからこの少年が何者なのか、それ以上の問いを奪った。

「お腹の怪我……塞がってると思うけど……」

 それを聞いて、意識を失う寸前のことをを思い出し慌てて自分の腹部に目をやった。鍛え上げられた腹筋に血液はこびりついていたが、その傷は八割方塞がっていた。

 そこは、本来なら急所の筈だった。

 その時、一緒に妻も刺し貫かれたのを鮮明に思い出して、ハっとなっていった。

「……ルーシルは! 彼女は?」

「……あの人は、助けられなかった……」

「!」

「オジサンの上に被さっていたオバサン、昨日僕を泊めてくれたんだ。それで、あいつらが襲撃してきた時も、僕を隙を作って逃がしてくれて……。けど、やっぱり気になって戻ってきた時には、もう……冷たくなっていた」

 その少年の声も、すでに耳には聞こえてなかった。

(あの男が……)

 そう、はっきりと覚えている。

 冷たい……どこまでも感情がない瞳を。

 まるで良く出来た彫像のような、整い過ぎた風貌を。

 サリックは瞼を閉じて、男の容貌を脳裏に描いた。決して……どんな事があっても忘れぬように克明に。鮮やかに。

 この瞬間から、彼は憎悪という黒い炎を胸に飼うようになった。

 それから少年を脅えさせぬよう、心を落ち着けてから言葉を紡いだ。

「それで……ルーシルはどこに」

「さっき埋めたよ」

「埋めた?」

 よく見れば、少年は泥だらけであった。着ている身なりも薄汚れてはいるが上等な代物だった。顔色も悪く、先程は気付かなかったがその手はかなり酷い状態になっていた。

「向こうの……見晴らしの良い丘があったから、そこに……」

 子供一人で、大人の女性を埋めるしたら、相当に時間が掛かるし、労力も掛かるだろう。ただ一宿の恩だけの為にこの少年はそれだけの事をしたというのか。

「そうか……それで、俺の手当をしてくれたのも、君か」

 彼は小さく頷いた。

「魔法が使えるとは、凄いな……」

「無我夢中だったし、やり方もよく判らなかったから、完全には治らなかったけれど」

「ここまで治れば上等だ」

 どこか脅えている少年を宥める為に、サリックは無理して笑顔を作った。しかしどこか引きつった感じになるのは否めなかった。

「ありがとう……」

 小さなその身で、必死になって自分たちの為にがんばってくれた少年。

その存在は絶望に染まりつつあった彼の心に僅かだが光を差し入れてくれた。

「君の名は……」

「シャル……スだと思う」

「……自分の名だろ?」

「こないだ母さんが死んで……それから良く覚えてない。……何も、思い出せないんだ」

「そうか」

「けど、あのオバサンは優しかった。だから、何か返したくて……」

 少年は自分でも、何を言っているのか判らなかった。

今だって必死になって、自分の名前や過去を思い出そうとしたが、まるで靄が掛かったかのように思考がぼやけている。

 思い出せるのは、自分と良く似た面差しの女性……育ててくれた母親の笑顔と、その人が死んだという事だけ。それ以外の考えは全て形にならなかった。

 サリックの方も、それ以上は深く尋ねようとはしなかった。

 まだ幼いこの少年にとって、それだけ母親の死は衝撃的であっただろうから。

 そうした子供を……そして自分自身もそうであったから、だからサリックはその件に関してはこれ以上聞かないことにした。

「俺の名はサリック。シャルス、行く当てはあるのか」

「……ない」

 首を振って否定した。

「なら俺と一緒に来ないか」

 もう、サリックには何もなかった。

 自分たちが住んでいた街は、焼け落ちてしまった。

 結婚後に妻がこの地に住みたいと望んだから、自分はこの地に移住していた。だが……彼女がいないのなら、生まれ育った砂漠の町に帰りたい……長年封じていたその思いが湧き上がっていたから。

 焦土と化した、自分が住んでいた村。それでもまだ、自分には行く当てがあった。

「うん……けど、本当についてって良いの?」

「あぁ。構わない。それで、2~3歳ぐらいの小さな男の子を……見なかったか」

「ううん。ここに倒れていたのはサリックさんと……オバサンだけだった」

「そうか」

 息子は恐らく、助からなかったのだろう。

 安否を確認する前に、あの男に対峙して何も出来ないでいた。直後に手を差し伸べられたのならもしかしたら…という思いはあったが、あれから長い時間がすぎている上、自分の自宅は完全に焼け落ちてしまっていた。 

 あの村を焼いた奴らか、生き残った誰かが息子の亡骸を埋めてくれたのだろうか。又は自宅から出ていた火に巻き込まれて、焼けてしまったのだろうか。又は、あの瓦礫の下にいるのか……意識を失っていたせいで、特定は出来なかった。

(昨夜……俺達がいた自宅前は、瓦礫で埋まってしまっている。あの下にいるのか……?)

 その場所を確認したい気持ちはあったが、遠くの方でまだ戦の気配は感じられた。あまりこの場に長く留まれば、再び争いに巻き込まれるだろう……そう理性を働かせた。

もし瓦礫の下にあるのなら、それを退ける為にかなりの労力を使うし、物音も立てる事になるだろう。それはこの状況ではかなりのリスクを伴う行動だった。

(すまん……今は、お前の亡骸を探してやれる状況じゃない……)

心の中で、息子に深く詫びていきながら……亡くなった可能性の高い我が子よりも、今生きているシャルスの身の安全を優先することにした。

「……行くぞ」

 短くそう言うと、彼は歩き始めた。シャルスもすぐ後を追った。傷はまだ痛んだが、我慢出来ない程ではなかった。

 少年を気遣って、普段のペースの半分のスピードで歩いたが、それでもついて来るのがやっとらしい。息を弾ませ、大粒の汗が額に浮かんでいたが、シャルスは文句を口に出す事はしなかった。

 そうして三時間後、泉の側についた時、腰元に下げてあった袋に、アプリコットを乾燥させたものがあったのを思い出した。妻と息子のお土産にと、厳重に紙に包んであったので、中身は無事だった。

 それを少年に渡してやると、嬉しそうに口に頬張った。

 その顔を見て、サリックはささくれ立った己の心が癒えていくのを感じた。

「ありがとうサリック……」

「……疲れが取れたら、また歩くぞ」

「うん……」

 それから一カ月間の旅路、サリックは決してシャルスを甘やかす事こそはしなかったが時折彼をこうやって労ってやった。

 少しずつ信頼関係は築かれ、いつしかシャルスにとって彼は父親のような存在となり、サリックの方も彼が本当の息子のように思えるようになった。

 それに……息子を失った日に、記憶を失った彼が目の前に現れたのも何かの運命のようにさえ感じた。

 サリックが少年であった頃所属していた盗賊団に、二人で身を寄せるようになってからもシャルスに対する態度は変わる事はなかった。

 いつもは厳しく、あるときは優しく。ただ甘やかすだけではない関係は、シャルス自身を急速に成長させた。

 そういったサリックの努力は身を結び、シャルスは一年も経たない内に組織に馴染んでいった。

 そうしてサリックは風の噂で、銀髪の凄腕の傭兵の名を聞いた。その名はドヴィン。

 血染めの銀狼の二つ名を持つその剣士の特徴を聞いた時、あの時の男に間違いがないと確信した。

 血染めのドヴィンの名は、どこにいっても聞く事が出来た。しかし二年前から、まったく聞くことが出来なくなってしまった。

 その焦りと、深すぎる憎悪が彼に誤った選択をさせた。

 穏やかで幸せであった時間。そして息子に等しいシャルスと、父と仰ぐ親方ことハルバルト。実の兄妹同然に育ったグレックリールとミーリアの存在すら彼を完全に正しい道に止める事は出来なかった。

 彼らの存在以上に……サリックは妻を、ルーシルという女性を愛し過ぎていたから……。

 その想いゆえに彼は、魔女の囁きに耳を傾けてしまい。

 そして大きく道を踏み外すこととなるのだった―。


                   *


 港町クルベール。

 統一性のあるレンガ造りの町並みは、多くの人々で賑わっていた。

 他の地域より一カ月は早い真夏の陽光の到来は、より一層街全体を熱気に包み込んでいた。

 レンガの淡い赤銅色が、町の雰囲気をグッと華やかにし、とても明るい雰囲気を醸し出している。

 一カ月近い徒歩の旅の末、ようやく当面の目的地のたどり着いた二人はその熱気の中を歩いていた。

 大通りから、広場にやってくると食べ物やアクセサリーなどの露店が所狭しと並んでいた。若い娘たちがアクセサリーを物色してたり、間から酒を飲んで陽気になっている中年男。饒舌に客から相場より若干高い金額で買わせようとしている商人。

 この町の商店街は、自分の良く知っている『市場』とは、性質の異なる賑やかさだった。それが妙に珍しくて、少年はつい落ちつきなく視線を巡らせてしまう。

 盗賊団に所属していた時、親方や兄弟子たちに連れられて行った市場はこんなに明るく楽しそうな雰囲気とは無縁の場所だった。

 その時の事を思い出し、苦い思いが口の中に広がる。それを彼女に悟られぬよう、誤魔化すように明るく振る舞った。

「すっごく賑やかな所だな」

「あぁ、港祭りが近いからな。後一週間もすればもっと人の往来が激しくなる」

「港祭り?」

「武闘大会の事だ。腕に自信のあるものたちが選りすぐって参加するな。外からも大勢の人間がこの町にやってくる」

 そう説明すると、彼女の眼を彼は大きな碧い瞳で覗き込んだ。

「どうしたシャル」

「あのさ、カシルは出ないのか」

 シャルスは疑問そうに、彼女に尋ねた。

 現在彼らの懐はかなり寒い。ここまでの通行料や食事代やら宿代で、出費は結構な額になっていた。あと一週間は過ごせるが、余分な物を買ったりする余裕はないだろう。

 そういった催しなら賞金が得られれば、随分財布は潤うだろう。

「なんでそんな事を聞く」

「だってカシル、あんなに強いのにさ・・・」

 彼女の強さは恐らく大陸一と言って差し支えがなかった。

 『血染めの銀狼』と二つ名がつくくらい、彼女の実力は圧倒的で、そして一般人の間では畏怖の対象とされているくらいだった。

「良いか、シャル。私はお前の知ってのとおり強い。それくらいは自覚している。だが、強すぎる者はああいった場所では敬遠される」

「ふーん。そんなものなの?」

「ああ、世の中そういうものだ。ああいった所ではまず、裏で非合法に賭け事をしている。強すぎる者がいると、そういった賭けのバランスが崩れてしまうんだ。私はいま、必要以上に目立つのも睨まれるのも御免なんだ」

「ふーん」

 とりあえず納得したようなフリをしたが、内心では不満そうだった。

「……」

 顔の前で両拳をくっつけてこちらを見つめてくる瞳から、無言の圧力が掛かった。思わず眉根を寄せ、怪訝そうな顔になる。

「……シャル、何のつもりだ」

「可愛い子ぶりっこ」

「男のお前がするな。似合い過ぎてて、怖い」

 眉間に青筋を立てながら、カシルがジトっと睨んだ。

(こ、怖ひ……)

 ……シャルスは、女のカシルが見ても可愛いと思う。こっちが女らしさのかけらもないというのに。

 おまけに彼は初対面の時、どっから見ても女にしか見えなかった、じゃなく今だってそうとしか見えないのだ。

 身長は百五十センチくらいの小柄で華奢な身体つき。長く美しい金髪。大きな碧い瞳に

可愛いとしか形容しようがない童顔。

 女のカシルが抱き締めて、その腕の中にすっぽり入ってしまうくらいなのだ。カシルは女性にしてはかなり長身の部類に入るとはいえ、その事実を差し引いても彼は小さすぎる。

 そんな容姿でカートみたいな、ヒラヒラした足丸見えの格好をしているのだから、男に見ろという方が無理がある。

 カシルの方は紫の瞳の麗人である。その美貌は儚さを感じさせず、キリッとしてともかく凛々しい。昔男として傭兵をやっていても通じていたぐらいだ。

 背もシャルスより二十センチは高く、黒い服の上に青い貫頭衣。その上に銀色の鎧を身に纏っている。

 二人を並べてどっちが男かと道行く人に聞いたら、カシルの方をまず大概の人は指すだろう。

「いくらぶりっこしても無駄だ。そんな事くらいじゃ私は出ない」

「それじゃ、うまく加減とか出来ないの? 準優勝とかそれくらいに止めるとか」

「……私は、殺さないように加減をする事は出来るが、うまくとかワザと負けるといった事はやった事がない」

「……物騒な奴だな~」

「仕方ないだろう。そんな事をすれば、死に繋がったのだから」

「……?」

 まるで彼女は、そういった場で戦った事があるような言い方をしていた。

「あのさ、カシルって闘技場とかで戦った事があるのか」

 彼が彼女について知っている事と言えば、戦場では『死神』の異名をとる程、凄腕の傭兵だったという事くらいだ。

 それ以外の事は一カ月共に旅しているが、彼女の口から語られた事がなかった。

「……ある」

 暫しの躊躇の後、彼女は正直に答えた。

「いつ?」

「五年程前だ。もういいだろう」

 はっきりとした拒絶の言葉に、シャルスは驚いた。いや、言葉よりもその表情に。

 普段は平静としているか、余裕の笑みを浮かべているかのどちらかの彼女の顔が、微かに苦悶の表情を滲ませていたのだ。

「カシル……?」

 それに気づいたのか、カシルは柔らかく笑った。

「気にするな。私は、ただ人に見られながら戦うのが苦手なだけだ」

 嘘だ、と思った。

 そんな事くらいで、あんな苦しそうな顔はしない。けど、聞き出すのは彼女の古傷を抉るみたいで嫌だった。

「うん……ごめんな」

「お前が謝る事はない」

 彼女は普段見せない、優しい表情を浮かべて誤魔化していった。

「そろそろ、宿を探そう」

「えっ、まだ日が高いぞ」

「この時期は人がたくさん訪れるから、このくらいの時間から取っておかないと野宿をする羽目になるぞ」

「へえ、そうなんだ」

 確かに、この賑わい方を見るとそうなのかも知れない。

 今までに、こんなにたくさんの人間が行き交う光景など目にした事がなかっただけにカシルの言葉は説得力があるように感じられた。

「分かった。行こうぜ」

 チラリ、と彼女の顔を覗き込むと、先程の苦しそうな表情は微塵も感じられなかった。

 いつもの無表情だ。

「その前に、船着き場の方を先に行こう。いつ、フィード大陸行きの船が出港するか確認しておかないとな」

「うん」

 そう言って二人は人込みをかき分け、レンガで舗装された道を歩きながら、港の方へ向かった。

                    *                       


 彼らの当面の目的地、ラーンの町はここクールベルがあるゾート大陸のすぐ西側にあるフィード大陸の西北西に位置にあった。

 フィードはこの世界、四つの大陸の中心であり、中枢でもある聖王都サンブルク、風の国マーズファルがある。そこからさらに西に向かうと、残りの聖王都三つ・・・俗称火、水、地の王国が存在する。

 ここから一番近いフィードの港へは海流が激しい場所を避け安全に向かう為に川を使い内陸に入って、幾つかの水門を通らねばならない。

 そして更にラーンに向かうには、内陸からずっと歩くか、馬車などやラクダ、砂船などの交通手段を使わねばならない。

その周囲は過酷な環境であり、雨は雨季の二カ月しか降らず、それでも地下に水が溜まるので水源こそ困らないが、基本はかなり乾燥した気候である。

 だが運が悪い事に、丁度内陸の方は雨季に入っていて、川の水が頻繁に氾濫する。その為、あまり船が運航する事はなかった。

 船着き場で恐らく最低一週間は出港出来ないと言われ、下手をすればもっと掛かると告げられた。それまで二人は、この町に滞在するしかなかった。

 ゆっくりとここで過ごすには、あまりに手持ちの金は少なすぎ、二人に残された選択は働くという事だった。

 今まではカシルに養って貰っていた形のシャルスであったが、それではあまりにも情けないという事で働きたいと彼女に申し出た。

 他の所ならともかく、人の出入りの激しいこの時期に、シャルス一人を働かせるのは危険と判断して(何せどこから見ても彼は美少女にしか思われないのだ)最初は反対していたが、彼はテコでも動きそうになかったので結局一緒の職場で働く事で互いに妥協した。

 幸い二人は見目が良かったので、繁盛しているオシャレな酒場の給仕として雇ってもらえた。

「いやー二人ともよく働いてくれたわねぇ。お客さんにとっても評判良かったのよ。あ、これお給料。少し水増ししておいたわ」

 ズッシリした手ごたえの革袋を受け渡され、二人は嬉しそうに微笑んだ。

「ホントはね、もうちょっとここで働いて貰いたかったんだけど、目的があるんじゃ仕方ないわね」

「どうもすみません」

「謝る事はないのよ。シャルちゃん。誰にだって事情はあるからね」

 人生の酸いも甘いも噛み分けた、でっぷりした熟女は、口ではそう言いながら、かなり名残惜しそうであった。

「それじゃ、そろそろ宿に戻らないといけないので」

「カシルちゃんも、元気でね」

「えぇ」

 二人は閉店した酒場の裏口から、表に出た。

 店から離れて暫くすると、シャルスは深いため息をついた。

「ふえぇー」

「お疲れ、シャル」

「疲れた。マジで疲れた。もう女装なんてマッピラだ」

「そう言うな、似合ってたぞ」

 カシルはクックックッと思い出し笑いを浮かべていた。

「それが嫌なんだよ!」

 彼はこの一週間、女の子の格好をさせられていた。

 最初にこの店に来たとき二人共、オーナーの女性に気に入られて即採用されたのだが、シャルスを少女と信じて疑わなかった彼女は、ヒラヒラした白が基調の、胸元にピンクのリボンをあしらえたドレスを彼に渡したのだ。

 心底楽しそうにドレスを着ることを薦められていたので、まさか自分が男だと言えぬまま一週間の着せ替え人形さながらの屈辱の日々を過ごしたのである。

「まあそうゆうな。私だって慣れぬ事をしたので正直な話、顔の筋肉が引きつっているくらいだ」

「……それはそれで、極端だよなー」

 カシルの方は身長と雰囲気から男性と頭から思われてしまい、黒いスーツ姿にエプロンに身を包んで、普段から想像できないくらいに優美に微笑んで客に対応していた。

 その笑顔は男女を問わず好評で、カシルはうっとうしいぐらいに多くの女性からナンパされまくっていた。

 逆にシャルスは、大勢の男性客にモテまくりその度にカシルが威圧して退けていたのだった。

「まあ、これで暫くはのんびり出来るな」

「あんだけやりゃ、当然の結果でしょ」

「だから、機嫌を直せ。せっかくの可愛い顔が台なしだぞ」

「カシルゥ!」

 完全にからかわれている事に気づき、シャルスは頬を膨らませた。その反応がまた可愛くて、カシルはククッと笑い続けた。

 彼らが働いていた酒場は船着き場のごく近い所にあり、宿泊している場所は町の入り口の間近にある。

 大きな港町であるだけに、端から端まで結構な距離があった。

 ようやく帰路の半分に差しかかった頃、背後から野太い声が聞こえた。

「よぉ、姉ちゃんたち。ちょっと待ちな」

 二人は同時に振り向くと、そこには見慣れたというか、嫌な顔ぶれがズラリと並んでいた。

「また、あんたらか」

 カシルは心底ゲンナリとしていた。

「いい加減、俺たちのデートの誘いくらい受けてくれよぉ」

「そうそう、それくらいしてくれたって罰は当たらないぜ」

 からかいを含んだ言葉を口にしながら、男たちは彼らの周りを囲んだ。

 自然と大通りを離れ、裏道の暗がりに誘導される。表通り

がすべてレンガ造りに対し、脇に入れば普通の町と変わらぬ石や木の家が並んでいる。

 すでに日が暮れている事もあって、明かりはほとんど無い。ただ、カシルは異常に夜目が効くので僅かな光源でも男たちの顔を判別するくらいは出来た。

 男たちはバイトしている間、シャルスに絡んできた人間の筆頭だった。

 特に最初に声を掛けてきた男は、一度帰り道に待ち伏せをしていて、執拗に彼らを追いかけて来たのだ。

 その時はあっさり気配に気づいたカシルに叩きのめされたのだが……。

 翌日から人員を増やして、五人くらいで仕事中にシャルスにコナを掛けてきたので、ついにキレたカシルは裏口に呼び出して全員を殴り倒していた。二人と彼との間にはそういった経緯が存在していた。

 今は全部で十人以上の人間に囲まれていた。

 普通の人間であるなら、ここで脅えの表情の一つくらいは見せる筈なのに、二人は平然としていた。むしろ、銀髪の女の方は余裕の笑みさえ浮かべている。

 彼らは知らなかった。例え百人に囲まれていようとも平然として、それくらいならあっさり叩きのめすくらいの実力をカシルは持っていた事を。

 ジリジリと距離が詰められていく中、二人は戦闘態勢に入った。

 男たちは、予想外の反応であった為、困惑を隠せずにはいられない。

 しばらく、両者の睨み合いが続いた。

 緊迫感が最高潮に高まったと思われた時、それを霧散させる、飄々とした男の声が辺りに響いた。

「たった二人を、多数で襲うなんて、情けないね」

 表通りに向かう道の方から、茶色の髪をした剣士らしき青年が歩いてくる。シャルスには暗いのではっきりと顔は見えないが、結構な長身で整った顔立ちをしていた。

 首元が隠れるニット風の黒い服に、ショルダーガードなしの革鎧を装備している。

 下はデニムのズボンを履き、ベルトには小袋やポーチがつけられている。それらは全て動きを妨げないように装飾されていた。

「何だ!てめえ!」

「優男、引っ込んでいな!」

 男たちが怒気を孕んだ口調で言っても、青年は動揺一つしない。

いやむしろ、余裕そうに口元に笑みを浮かべていた。

 その表情が見えていた訳ではなかったが、態度で伝わってくるのだろう。次第に男たちの間に、険悪なムードが漂っていく。

「悪いけど、俺はお人よしなんでね。可愛い子のピンチは放っておく事が出来ないのさ」

「野郎……!」

「こいつから先に片付けちまおうぜ」

「おう!」

 カシルたちを囲っていた男たちの半数が、一斉に青年に襲い掛かった。

 その場から逃げ出す事は簡単だったが、青年が気になって二人はその場に残っていた。

 品性も何もない雄叫びを上げながら、男たちは青年に向かっていく。

 青年は悠然と微笑しながら、素早く腰元の袋から何かを取り出した。始めは灰色の綿花状の物質が、男が何か短く念じると無色の光源へと変貌した。

「えっ……」

「すげぇ……」

 手で輝く綿花みたいな物をすり潰し、薄暗い闇の中にキラキラと光霊の粉が舞う。

それは風に乗って広がり、辺りは真昼とそう変わらない明るさになっていた。

 その場にいた人間が、それぞれの顔を見渡せるくらいだ。少しすると輝きは消え、自然な明るさになる。

 襲って来た男たち呆気に取られ勢いを殺していた。カシルは突然明るくなったので、一瞬だけ目の奥に痛みを感じた。

 すぐに我に返った男たちの一人がケンカ腰で尋ねた。

「てめえぇ! 何のつもりだ!」

「ハンデのつもりだけど、足りなかった? そっち人数多いからね。統率も取れてなさそうだから、乱戦になるかなー、と思って」

 まったくの平常な態度で青年は応える。それが一層彼らの憤りを強くした。

「皆よ! やっちまえ!」

「おう!」

 男たちは一致団結し、今度こそ一斉に青年に襲い掛かった。これだけの人数に囲まれて攻撃されたら、逃げようがない。彼らは勝利を確定した、その時。

 男は背中からバスタードソードを抜き、構えた。独特の、この辺りでは見かけない形状のものだった。

 そうして、光が宙に舞った。

 闇の中に、瞬く間に男たちの身体を一閃した。

 例えるなら風の魔法を使ったかのように、男たちの身体には無数の浅く小さな傷痕が刻まれた。どれもかすり傷であったが、その青年のスピードと、瞬間にかいま見せた実力に男たちは震えずにはいられなかった。

「お、覚えてやがれ!」

 お決まりのひねりのない捨てゼリフを吐きながら、真っ先にリーダー格の男が逃走していった。

「まってくださいよぉ、兄貴ぃ!」

 情けない声を口々に上げながら、他の男たちもその場から逃げていった。

 そこにはシャルスとカシル、そして青年が残された。

「あの……ありがとうございます」

「ありがとう、礼を言う」

 あれくらいなら実はカシルなら数分で倒せたが、シャルスが礼を言うならば、自分も言わねばならないと感じた彼女も儀礼的に頭を下げた。

「なーに、美人を助けるのは男の義務みたいなもんだから」

 剣を鞘に収めながら、男はあっさりと言った。

 普通の男性が、こういう類いのセリフを言うと、どこかキザくさくて、不自然な印象を受けるのだが、この青年は限りなく自然に口にしていた。ただ者ではない。

 青年はシャルスの方を眺めながら、ポツリと言った。

「やっぱ、似ているな……」

「えっ?」

 何を言われたか、まったく分からずに困惑の表情を浮かべたシャルスを宥めるかのように、彼は金色の頭をポンポンと叩いた。

「こっちの事だ、気にしなくていいよ」

 近くで顔を眺めると、シャルスはこの青年をどこかで見たことがあるような気がした。

 印象的な翠の双眸。それはさっきまでの、月明かりしかない闇の中でも、くっきりとした存在感を発していた。

 明るい茶色の髪が、潮風に煽られてサラサラと靡いた。

 何故か、シャルスにはその髪が一瞬だけ鮮やかな緑色に映った。

「あの……どこかでお会いしましたか」

「一昨日に、喫茶店で」

 あっさり返されて、シャルスの方が答えに窮した。

 そう言われてみれば、店に来ていたような気がする。ただ、それ以前にもこの顔を見たことがあるような錯覚に襲われた。

 しかし曖昧すぎる記憶である為か、引き出す事は叶わなかった。

「すみません、よく覚えてなくて……」

「大繁盛だったからね、あの店。俺以外に客も沢山いたしな」

 青年が気にするな、と気軽にポンと肩を叩いた。何故か、それだけの事で本当に心が軽くなった。

 顔立ちこそ似ていなかったが、態度や口調が少しだけ、かつての仲間の一人に似ているなと思った。会った事があるように感じたのはそのせいかも知れない。

 そうシャルスは納得した。

「あんたたち二人、えらく評判だったしね。あそこ、結構レベル高い娘揃っているけど、あんたらの前では霞んでいたくらいだし。席座っても、噂話が聞こえてくるくらい、注目浴びていたよ」

「何か、そう言われると照れるな……」

「まあな」

 意外と純情な反応を見せる二人に、彼は好感を覚えた。少しだけ他愛もない会話をこのまま続けるのも良かったかも知れないが、彼は本当の用件を済ます方を優先させた。

「なあ、ドヴィンさん」

 いきなり、その呼びかけによって平穏な空気が霧散する。

一旦解かれた警戒心が、再び彼らの心に生じた。

「何……?」

 カシルの瞳が鋭い光を宿した。

「噂に名高い最強と呼ばれた傭兵、「血染めのドヴィン」それ、あんたの事だろ?」

 何故この男がそれを、という顔を二人ともしていた。

青年の予想通りの反応だったので彼は含み笑いをした。それが二人には余計不気味に映った。

「何が言いたい」

「一か月前にあんたが名乗っていただろう。自分が血染めのドヴィンだって。覚えてないのかい?」

 二人は胸中で警鐘が鳴り響いているのを感じた。

――この男は、危険だ

 そう、一か月前カシルは出会って間もないシャルスと共にいる時チンピラに絡まれ、その時彼を試す意味で確かにそう名乗った。

しかし、それ以外の場で名乗り上げた事はなかった筈だ。

道中に、ドヴィンという姓を名乗った事自体数えるしかない。主にシャルスと二人でいる時に宿の部屋で過ごしている時ぐらいだ。

 この男はその時の事を言っているか、又は二人が宿で過ごしている時の会話を盗み聞きでもしてない限りは、それは知らない筈の情報の筈だった。

「知らないね」

「嘘だね」

 シャルスがカシルに代わって答えたが、青年は即座に否定した。

「俺が本当に見当違いの事言っているんだったら、お二人さんが、そんな強ばった顔をする訳がないだろう?」

 至極そのとおりである。図星だからこそ、二人は動揺しているのだ。

「……ンな顔されると、俺傷つくんだけど」

「何が目的だ? 金か……それとも名声か」

「まあ

、確かにあんたの事を街の自衛団にでも言えば、俺の懐は潤うだろうな」

 男はからかいを含んだ口調で、言い放った。

 現在『血染めのドヴィン』には、所属していた傭兵団といくつかの国家から莫大な懸賞金が掛けられていた。

 懸賞金を掛けられている理由は単純。彼(世間一般ではそう通っている)が強すぎたからである。

 だから失踪した際、賞金首として追われる事となった。

 しかしその煽り文句に反応したのは、シャルスの方だった。

「言えるもんなら、言ってみろよ!」

 嫌悪を含んだ表情でシャルスが言い放つ。

「あんたがカシルの事言うつもりなら、ここでオレがぶっ殺してやる」

 その胸倉を掴み、引き寄せ、思いっきりシャルスは目の前の男を睨みつけた。そこにあるのは純粋な怒りだけ。

 そのギラギラと怒りに燃えている碧の瞳は何とキレイなのだろう。まるで上等の碧玉石のようだ。どこまでも澄んでいながらも、深い色彩を秘めた光。

 青年はその両目に魅了されながらも、何か微笑ましくて笑った。この少年は自分の事でもないのに、こんなに怒れる。そんな彼の純粋さが羨ましかった。

「……何が、おかしいんだよ!」

「いや、よく怒れるなぁと思って」

「何だと!」

「たかが自分の同行者の為に、そんなに怒れるお前って凄いなと思ってさ。俺はそんな感情、どっかに置いて来ちゃったからね」

 そう自分以外の他者の事を考えられない。余裕がないのではなく、いつの間にか自分の事しか考えられなくなっていた。だから、シャルスの反応は好ましく映った。

「……」

 本心から言っている事が伝わり、シャルスはその言葉と表情に毒気を抜かれた。

 彼は懐かしげにシャルスを見ていた。遠い昔を思い出している。そんな表情で。

 その顔に、シャルスは戸惑いを隠せなかった。

 何故、彼はこんな瞳で自分を見るのだろうか。

 怒りから惑い……そしていつしか自分も男の存在に懐かしさを感じ始めていた。

「シャル、もう良い。行こう」

「カシル……」

「私の事を通報されて、追われるならそれまでだ。実際に私は、それだけの事をしているのだから」

 ……そう、傭兵だった頃。自分は傭兵団の中で『英雄』と呼ばれていた。そんな言葉は少しも嬉しくなかったが、何も大切でなかった頃はそんな言葉に踊らされ、それこそ何百何千もの人間の命を闇に葬り去っていった。

 感情がなかった頃はなんでもなかった事が、実は罪深く償うことは容易でもない行為であった事実に気づいた時から、その覚悟はあったのだ。

今更、うろたえる権利など端からこちらにないのだ。

「あだ名の通りだ。私の手は血に染まり過ぎている。むしろ、いままでこうゆう輩が出なかった事の方が不思議だったんだ」

 無意識の内、その手に目をやっていた。実際、今もなお自分の手からは返り血で濡れ続けている。そんな気がした。

「カシル……」

 彼女の瞳には、諦めの色が瞬いている。自分には追われるだけの理由がある。そのくらいの自覚はあった。

「おいおい、二人で話進めるなよ。俺は一言も通報するなんて言ってないだろうが」

「えっ?」

 意外な言葉に二人は呆けた。

「俺はあくまで、通報すりゃ大金が入るだろうなと言っただけだ」

「なら、お前の目的は何だ?」

「おう、ようやく本題に入れたな」

 本題に入る為に、楽しい語り合いの時間を削った筈なのに、かなり時間を喰ってしまっていた。

 急がば回れというのは本当の事だな、と青年はつくづく実感した。

「本題?」

 二人は声をハモらせた。

「あぁ、カシル=ドヴィン。俺はお前さんと手合わせがしたい」

「手合わせ?」

「そうだ。噂通り本当に鬼神がごとき強さなのか、この身で確かめてみたくってね」

「断る。私には何もメリットがない」

「そんな事言える立場か、お前?」

 ハッとなって、二人は青年を見据えた。

「そう、俺も金や名誉の為に、お前の事を通報するつもりはない。だが、お前が断るというのなら、俺はその事を自衛団に言うかも知れないぜ」

「……私を脅しているのか」

「そうだな。そうとらえて貰って構わない。まあ何せこっちの唯一無二の最強の切り札だからな。効果は絶大だろう?」

「……判った。受けよう」

 その視線だけで、こちらの心臓を凍らせるくらい彼女の眼は鋭く冷たかった。その煌めきを目の当たりにして、青年はゾクゾクした。

(こんな眼を持っている奴なんか、滅多にいないな……)

 こっちの殺意すら込めた眼差しに脅えるどころか、楽しそうに口元を緩めている青年に嘆息しながら、カシルは腰から細身の長剣を抜いて構えた。青年は慌てて手を振った。

「ちょい待て。俺は今とは言ってないぞ」

「なら、どこでやるんだ?」

「そうだな。明日から武闘会が始まる。それに出場しろ」

「何?」

「俺は派手なのが好きだ。手合わせはそこでやりたい」

「……判った。呑もう」

 チラリ、とシャルスの方を見遣った。正直な話、自分一人ならこんな脅しに屈しなくても良かったのだが、カシルは彼まで追われる身にしたくなかった。

 ただ、まだカシルは知らなかった。彼もまた、追われる身である事を。

(カシル。あんなに嫌がっていたのに……)

 一週間前、自分もカシルに武闘会に出ないのかと仄めかした事があった。だが、こんな形で出る事なんか望んでなかった。

「そう言えば、俺の方からは名乗ってなかったな。俺の名はラドス。ラドス=フォルレイン。見てのとおり剣士だ。そっちの坊やの名前は?」

「オレはシャルスだ。シャルス=ドーン。良く覚えとけ!」

「良い名だな……」

 ケンカ腰に言ったにも拘わらず、ラドスは目を細めて微笑んだ。

「何だよ……」

 その反応がシャルスにはひどく奇妙に映る。思わず後ずさってしまった。

「いや、別に」

 何かこのラドスという男、よく判らない。掴み所がないというか、何というか嫌な奴かと思えば、こんな優しい顔もする。

 良い奴なのか、悪い奴なのか、敵なのか味方なのか判断しづらい。

 もっとも、カシルにとってはこうゆう人種が一番タチ悪く映るのだが。

「それじゃ明日」

 そう言ってラドスは去っていった。

 彼の背が見えなくなると同時にカシルは呟いた。

「シャル……」

「何?」

「宿に戻ろう。もう遅い」

「そうだな」

 いつしか、ラドスが振り撒いた光霊の明かりはかなり弱くなっていた。

 空にはすでに、大きな半月がポッカリと浮かんでいる。

 二人は月明かりに照らされながら、帰路についた。

 宿に戻ると、すぐに二人は食事を終えて入浴を済ませた。

 寝る準備が整うと、カシルは宿の者から山羊の乳を温めて貰った。

 部屋に戻ると、シャルスが窓から月を眺めていた。

 この二人はいつも別々の部屋でなく一つの部屋で寝泊りしていた。二人が一週間過ごしたこの宿はこの町の裏道にあり、木造りの暖かみある宿だ。

 部屋の造りは至って質素で、幾つかの壁掛けとベッドが二つ、それと燭台を置く台と机一つ、奥には窓が一つあり、そこからは町並みと鮮やかな月夜を望める。

 今は湯上がり直後の為、シャルスは髪を束ねていなかった。

金色の長い髪は、濡れているせいもあって月明かりに照らされ、錦糸のようにキラキラと輝いている。

 その光景は神秘的で、美しかった。

 寝間着に着替えたその姿は、どこから見ても愛らしい少女にしか見えない。カシルは苦笑を浮かべた。

「シャル」

「うん?」

「山羊の乳を貰って来た。飲め、体が温まる」

「ありがとう」

 嬉しそうに彼は木のマグカップを受け取った。実は彼は乳製品全般が好物なのだ。

 故郷の慣れ親しんだ味とは微妙に違うが、それでもそれに近い風味は彼の心を和ませてくれた。

「……美味しい」

「サービスで少しだけ、ニッケの粉と砂糖を入れてくれたんだ」

 二人は山羊の乳を飲み干すと、マグカップを机に置いた。シャルスは窓とカーテンを閉めると、カシルの隣のベッドに腰を下ろした。

 暫く、重苦しい沈黙が続いた。

「カシル……」

「何だ」

「教えられる範囲で良い。カシルの昔の事を、教えてくれないか」

 二人は一カ月ずっと側にいた。

だが、その間にお互いの事は詮索しなかった。

だからカシルもシャルスもお互い何故旅をしているのか、その理由は知らないままだった。必要以上に、相手の事情に踏み込まないようにしていたのだ。

 今のところカシルはシャルスと出会う少し前に義父の仇討ちを終わらせたばかりで、今は特に目的はないので、とりあえず彼に同行していた感じだった。

「ああ、構わない」

 彼はまっすぐな瞳をこちらに向けた。それは純粋で邪気のカケラもない。そして強くこちらの保護欲を掻き立てた。

「どこから、聞きたいんだ?」

「カシルが話しても良いと思えるところからで良い」

「そうか……」

 少しカシルは考え込んで、頭の中で話を整理した。

「そうだな……もう、七年程昔の事だ。当時裏闘技場を勝ち抜き、自由を得た私は行く当てもないまま、請われるままにある大きな傭兵団に雇われた。もうその時点では、私には頼るべき身寄りは失われてしまっていたからな」

「それはいくつの時?」

「多分、十五歳くらいの頃だと思うが……」

 カシル自身、正直な話自分の正確な年齢は判らない。それ以前に、恐らく十歳と思われる年齢以前の記憶がないのだ。だから、曖昧に答えるしかなかった。

十歳ぐらいの頃に、義父と義母に拾われて其処で四年ぐらい共に暮らしていたが……その砂漠の街は焼き払われ、義父は死亡し……義母からは恐怖に満ちた目で最後見られる形になった。

(この話は、しなくて良いな……。グライズとルーウェの事は、省こう)

 カシルの表情が一瞬曇った事に、シャルスの方は気づかず話された情報を頭の中で整理していた。

 その時に十五で、それが七年前ならカシルは今、二十二歳という事になる。今のシャルスが丁度十五歳だが、彼と比較するとカシルの超人的な強さと壮絶な過去は、それなりに辛酸を嘗めてきた筈の彼の過去よりも、凄惨だ。

「今のオレと同い年の頃か……」

 その台詞に、カシルの眼が見開いた。

「ちょっと待て、シャル。お前、いま何て?」

「え、だから同い年って」

「お前、十五だったのか?」

 心底意外そうに言われてしまった。その物言いにさすがにムッときた。

「幾つだと思っていたんだよ」

「十歳くらいだと思っていた……」

 その顔には、女の自分でさえ十五の時にはもっとデカかったぞ、という感情がありありと滲み出ていた。

「……そうか、そういう事だったんだな」

 成程、そういう事か。

 ようするに自分と一緒の部屋を取って寝ているのは、こちらが子供だと頭から思われていたかららしい。

確かに十五歳の男と知っていたら、流石に普通は別々の部屋を取るだろう。

(ふんだ。どうせオレは童顔だしチビだし、声変わりの前兆もない発育不良人間ですよ)

 確かに個人差はあるかも知れないが、大体十五歳の男といったら、もう少し身長だってあるし頬骨が目立ってきたり、喉仏が出て来たりする。他に特徴を数え上げればキリがないくらいである。

 それに比べて、シャルスはそれらの男性特有の特徴が一切表に出ていない。ついでに小柄である。

確かに彼が少女であったなら、14~5歳ぐらいの年齢に見えなくもないだろうが、男だと知っているカシルには十歳くらいにしか見えなかった。

 だが、これにはシャルスの方にも多少問題があるともいえる。

 普通若い男女、しかも年頃の人間が一カ月も二人で一緒の部屋で寝ていて、意識する事もなかったというのは、ある意味奇妙ともいえた。

 これは恐らくシャルスの異常なまでの奥手さと、カシルの常識外れな鈍感さ故といえるだろう。

「明日から、部屋別にした方が良いかも……」

「何故だ?」

 カシルは意外そうな顔をした。その反応に、シャルスの方が驚いてしまう。

「気にしないのか」

「今更、だろう?」

(……そーだ、コイツはこういう奴だった)

 シャルスは頭を抱え込んだ。そうだ、出会ったばかりの頃、少女と認識していたシャルスが男だと知っても彼女は何も頓着しなかったのだ。

 それにもう一カ月も一緒の部屋で寝ているのだ。確かに今更だ。

「何か、話が思いきり逸れたな……」

「本題に戻ろう」

「そうだな」

 シャルスがそう言うと、カシルは小さく咳払いをした。

 カシルの話は、長かった。普段あまり彼女は饒舌でない為、昔の事を思い出す度に考え込んで頻繁に話が途切れてしまうからだった。

 たどたどしく語ってくれた過去は、こんな内容だった。

 シャルスとも浅からぬ因縁のある、ザウル帝国と深く密接している大規模な傭兵団に彼女は五年前まで所属しており、『血染めの銀狼』や『銀の死神』というのもその時についた二つ名らしい。

 その時はドヴィン=フィアレスという、格好や服装も男として振る舞っていた。

 十歳前後から治安があまり良いとは言えない砂漠の町で育った、彼女のその強さは圧倒的であった。

 その軍に所属中にいくつかの事件が起こり、そしてある開拓民の村での出来事がキッカケで彼女は傭兵団を後にした。

 彼女はその事件についてはあまり詳しくは語ってはくれなかった。

(五年前に、開拓民の村で……。偶然の一致か? オレがサリックと出会った時期と被っているような……?)

 その話が出た時、一瞬だけ疑問が湧いたがカシルが語っている時、自分は殆ど口を挟めなかった。いや、挟む事なんて出来なかった。彼女が教えてくれた事は、彼女の過去の片鱗でしかない。しかしそれだけでも、十分凄惨なものだった。

「……私の話はここまでだ。もう、夜も遅い。寝よう」

 カシルが話を止めたとき、シャルスの目は潤んでいた。

「シャル……?」

 名を呼びかけると。ポロッと涙が一筋頬を伝った。

「どうしたんだ?」

 彼は答えない。

「私を……哀れんでいるのか」

 まるでイヤイヤをするみたいに、首を横に振った。必死に、否定していた。

「なら、何故泣いているんだ?」

「わかんない……」

「自分の事だろう

 彼は泣きじゃくっていた。ただでさえ幼い風貌が、さらに幼く見える。

 それはカシルの中の保護欲を強烈に掻き立てていく。その細い指が彼の髪にクシャッと触れた。

「……」

 自分よりも小さな身体が、小刻みに震えていた。何故泣いているのか、彼自身にも判らない。

 はっきりと悲しみを認識している訳ではない。自分、という心より遥深い所で、まるで別の意識が存在していて、それが泣いている。シャルスにはそんな感覚だった。

 どれだけシャルスが抗っても涙は止まらなかった。

 男が涙を人に見せるのは、世間一般に女々しい事とされている。だからシャルスは恥ずかしくて顔を俯かせた。

 その意思を重んじたのか、カシルは自分の肩に彼の顔がくるような姿勢でそっと抱き締めた。こうすれば彼の顔を見ることもない。同時に彼女の柔らかな感触と甘酸っぱい匂いをシャルスは感じた。

「カシル……?」

「泣くな。どうしていいのかわからなくなる」

 若干テレながら、カシルはシャルスを両腕で包み込む。お互いの鼓動が聞こえるくらい今近くに二人は存在していた。一定のリズムで刻まれる心臓の音がシャルスを落ち着かせた。

 肩口に彼の涙の存在を感じながら、カシルは抱き締め続ける。

「ごめん……」

「あやまるくらいなら、泣くな」

「うん」

 そう言いながら、また涙が溢れそうになった。思わず、カシルの首の所に腕を回し、しがみついてしまった。

 カシルは驚きを隠せなかったが、少しすると彼の背をポンポンと叩いた。まるで自分の子供をあやすように、優しい眼差しをしながら、彼女は彼の髪を幾度もすいた。

 そうされることが心地良かったのか、シャルスの反応は次第に穏やかになっていった。

 優しい時間が紡がれる。

 ……どのくらいそうしていただろうか。

 いつしかシャルスは安らかな寝息を立てていた。

 首に回されていた腕も、ダラリと力が抜けてカシルの身体に凭れかかった。

「世話が焼ける奴だな……」

 口でそう言いながらも、不思議と、嫌な気分ではなかった。

 彼を抱き、彼のベッドに横たえるとそっと上に布団を掛けた。

 普段は童顔としか形容のしようがない要望は、大きな瞳が閉じられると意外に整ったものである事が判明する。

 頬を伝う涙をそっと、指で拭うとカシルはそっと彼の額に口づけた。

「おやすみ、シャル。良い夢を……」

 彼女は優しく微笑んだ。

 『血染めのドヴィン』であった頃の彼女を知っている者がこの笑顔を見たならきった我が目を疑う程、それは穏やかな表情だった。

 そうして彼女は全てのロウソクを消し、暗闇と静寂の中で眠りについた。



 翌朝、シャルスはすっきりと起きれた。

 隣のベッドには、カシルがまだぐっすりと眠っている。

(カシルの寝顔見るのって、初めてかも……)

 彼女は、シャルスより早く寝ることはあっても、遅く起きることはない。

 だから今まで、日の光がある時にマジマジと彼女の寝顔を見る機会に恵まれなかった。

 柔らかなストレートの髪が、陽光に反射してキラキラと銀色に輝いている。

 象牙色の真珠の光沢を持つ、他の誰も持ち得ぬ奇跡の肌色。白いのにひ弱さや病弱さを感じさせない見事な美しさだ。

「うっ……ン」

 小さく寝返りを打つ。のけ反らせた首のラインが妙になまめかしい。

「あ……」

 気のせいだろうか。カシルが凄くキレイに見える。いや、普段でも十分キレイな人ではあると思うがいまここにいる彼女にはいつもの硬質な感じが払拭させている。

(何か変だ……)

 変に彼女を意識している自分がいる。

昨夜の事を思い出し、我知らず顔が赤くなる。

 思いっきり彼女の首元に抱き着いた自分。それを優しく宥めるカシル。そして……。

(そーだ、抱き着いたまま眠っちゃったんだ)

 何か男女の立場が逆だ、と心の中でツッコミながら、大胆な行動を取った自分に赤面する。

 カシルの甘酸っぱい匂いと柔らかさを思い出す。

 昨日のカシルの温もりを思い出し、見とれる。

 そして先程の寝返りからピクリ、とも動かない彼女に違和感を覚える。

 ふと、五年前の母が死んだ朝を思い出し、不安になって彼女の腕を取った。

 トクン、トクン、トクン。

 一定の生命のリズムが腕から伝わる。あのときの氷のようだった腕とは違う。その鼓動と温かさにシャルスは安堵する。

 同時に、カシルが覚醒した。

「あ……」

「おはよう、シャル……」

 柔らかに笑う彼女。その顔を見てシャルスは耳まで真っ赤になる。

「どうした、熱でもあるのか」

 反対の手でカシルは彼の額に手をやる。そこに全身の血液が集まる感じがした。

「あ、あの……」

「どうしたんだ?」

 どうしよう、これだけでカシルの顔がまともに見えなくなっていた。

 まだシャルスに自覚はなかったが、昨夜の出来事で今まで奥に秘められていた感情が表に出てしまったようだった。

「ご飯食べにいこう。お腹空いちゃって……」

「あぁ、そうだな」

 まったくもって脈絡もへったくれもない台詞だったが、カシルはあまり追及せずに、相槌を打つ。

 そして彼にとって不幸な事は、カシルが今朝の彼の態度の変化を、全て空腹と熱のせいと解釈されてしまった事だった。

「着替えるから、先に食堂に行ってくれ」

「判った」

 そそくさとシャルスは立ち去った。

「……そんなにお腹、空いていたのか。悪い事したな」

 昨夜、ミルクだけでなくパンの一切れでも持っていけば良かったかなと、見当違いの事を考えながら、カシルは着衣に手をかけた。



翠の疾風に出てきたシャルダンは、こちらの本文には一文にしか登場していません。

後日、ラドス視点での話を改めて書いて、そちらに登場させる予定です。

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