9 スキル覚えん
サンガリは折れた。
ローラン母の、上級貴族に知れたときは自分がなんとかするという口添えが決定打となって、文字を勉強できる運びとなる。驚きだ。母に感謝を覚えることになるとは。
「まとまった文字の書物を捜してきました」
「これは?」
執事がもってきたのは埃だらけの冊子。とてもじゃないが本ではない。千枚通しで穴を開け靴紐で縛ったような羊皮紙の束。江戸時代の大福帳がシステム手帳にみえるほど。A4からB5のサイズバラバラの台形のを閉じたこれは、親父のもってた『ホチキスの無かった時代の手作り小学校文集』以下のシロモノだ。
文字の書物とは、妙な言葉があったもんだが、ほかのはどれも画だけの冊子とのこと。
この3冊が、唯一、我が家にある書物。がっかりを顔に出さなかった俺は、偉いと思う。
「……」
「文字は、私が教えてあげるわ。お勉強がんばりましょうね。ルミナス」
「書くモノがいるだろうな。白い石を拾って使え。黒板は作ってやろう。玄関の黒板もわたしが工作したのだ。こう見えて器用なのだぞ」
思ってたのとなんか違うが。こうして勉強が始まった。
「文字は25個あるのよ。母音と子音を組み合わせて一字というのが基本ね。複数の字を並べたのが単語。単語を組み合わせたものが熟語。難しいけれど、わかるかしら?」
英語と日本語を合わせたような言語だった。そういや俺はここで、違和感なく会話してる。
夢だと信じてたから、気にならなかったけど。一字一字は、みたこともない形状。脳内翻訳みたいなことになってるのかも。いっそ文字も書けりゃいいのに。
「読書き帳でもあればいいのに、そういう便利な教書はつくられてないの。ごめんね。どの家も、あるもので勉強しているのよ。上級貴族が拡散を気にかけなければいいのに。そこ、綴りが違っているわ」
母がさりげなく貴族批判。教科書にしてる3冊というのは、グルーム家の家系図、レブンの歴史、それとなんかの図解。図解は、釜みたいな絵と説明書きだ。設計図にみえなくもないが、中二的ないたずら書きだろう。パスだパス。
共通してるのは3冊とも手書きということ、娯楽要素の欠片もない点。
文字の用途は文書に尽きた。記録媒体以上の役割は与えないつもりだろう。ラノベ文化に昇華する日はくるか。来ないな。将来に期待したいが、それこそ政権がひっくりかえりでもしないと、永劫に不遇。転覆でも謀るか。そんな根性も甲斐性も、俺にあるかよ。
「さすが私の子だわっ。もうおぼえてしまったのね」
数日で、書いてあることは読め、書けるレベルになった。
母は喜んでる。教え甲斐があると有頂天だが、苦労しろっていうんだ。できないほうがオカシイのだ。
とにかく勉強材料がすくなすぎ。小学校から高校までの必須熟語を混ぜ、そのうち、1パーセントほど大づかみに抜粋したら、こんな粉本ができるだろう。3冊への主観だが、外れてない自信がある。
この数日、つきっきりで教えてくれた母には感謝。
ここからは俺一人での学習となる。
母はこれでも忙しいのだ。家のわりには家族は少ないが、洗濯機や掃除機といった電化製品のない世界だ。チネッタ一人は家事は回せない。そのうえ、領民の仕切りや他家との交流、上級貴族相手の社交が、ウェイトを占める。
売買は、実家から御用聞きが出向いてくるから楽だが、手が抜けるのはそこだけはとのこと。父は母任せ。なにをやってんだ。
「母上。ありがとうございました。これでスキルを……」
「え?なに?」
「す、好きですって言ったんです」
字を覚えたことで、話し言葉の表現が広がった。
まともな会話ができるのは、単純にうれしい。
「まぁ! ルミナスありがとう。私も大好きよ。愛してる!」
「いたたたっ」
だから締め付け過ぎだって。そのうち死ぬんじゃねーか。
いやきっと死ぬ。母の愛によって。
それから一週間が過ぎたんだが。
「おーい。チネッタ?」
「ルミナス様。食事の準備で忙しいので、あとにしてください」
「おーい。食事終わったよ」
「お茶の時間です。そして片づけがあります。あとで」
「おーい。全部終わったよね?」
「寝る時間です。本日の業務は終了しました。また明日に」
「チネッタ。朝だよ」
「ぎゃー! 乙女の寝床を突撃するなんて! 出て行ってください、出ていけ!」
スキルを覚えることができてない。
頼みの、チネッタもこのとおり。
俺と接触するのを避けてるような気がする。
つーか俺が避けられてる?
「ルミナスよ。このところ、チネッタに付きまとっているようだが」
「はい。少々、聞きたいことがありまして」
父が感づいた。事あるたび、追い回してたからな。でもこの件は、中途半端に情報を垂れ流したチネッタが悪い。明快な道筋を、一度でいいから教えてくれれば、自己解決する自信はあるんだ。根拠はないが、トライエンドエラーは、RPGクリアの基本だろ。
ツボを品定めする鑑定士みたいなストイックな眼光に、つい怯む。
どう斬りこんでくるつもりだ。スキルは、公然の秘密。どう来る。
「男して咎めるつもりはない。貴族としては、むしろ推奨する立場なのだが。だがな、それにしても早すぎるのではないか。色恋への目ざめが」
「はぁ?…………んなわけないっしょ。まだ5歳ですよ?」
そうきたか! これはジャブか。予想外の攻撃だ。
つい、地で返してしまった。
「もう5歳だ。ルミナス。ちなみに私がはじめて手籠めにしたのは」
「サンガリ、あなた! ルミナスに何をご教示なさってるのです!」
「いや、こいつが」
母が真顔で怒ってる。サンガリ、あんた。スキルの件じゃないんか!
「こっちへいらっしゃい!」
「……はい」
母に首根っこをつかまれ、哀れ、父は連れ去られていった。
2階にしょっ引かれるながらも、途中、階段でふり返った。
「あールミナス。言い忘れていたが。明日は年に一度の演習がある」
「演習、ですか?」
「うむ。シタデル貴族の総出による軍事訓練だ。出店もある。子供にとってはお祭りだ」
「お祭り。それは楽しみです」
「今夜はよく寝ておくがいい。くれぐれもチネッタの部屋に忍びこむでないぞ。ニタリ」
俺の中で父の評価が、音をたてて瓦解してく。
ほかの兄弟も、みんなあぜんと……してねぇ。なんで通常モードでいる。
つまり、そういうキャラだったんだな。俺が知らなかっただけで。
「あーなーたぁー」
「痛いって、わ、わかったから…………!」
スキル。いつ獲得できるのだろう。
文字との関連もよくわからない。なにか、切欠がいるのか。
教会で洗礼をうけるとか。魔物を倒すとか。
自分の名前を木片に刻み込む。字が書けるようになった記念。小さな栄冠だ。アルファベットに似たシタデル文字は、日本語よりデザイン的に俺好み。紐をとおして首にかけ、ドッグタグを気取る。
お、なかなか!
 




