8 文字の格式
夕飯あとの団らんタイム。
俺は、ぶらぶら遊ばせた足を止め、父に切り出した。
「ちちうえ。もじのべんきょうをしたいんですが」
「ぶ――――っ!」
「うわっ」
「なんだっ」
「父上、汚いっ」
レリアのお菓子を、どうにか飲みくだそうと、お茶をひと口含んだ父。それをすべてぶちまける。小粒入りの霧が対面にいた俺たちを襲った。カンの良いマルスは素早く退避、おっとり気味のトマスは、顔を直撃。端っこにいた俺は、隣に座る母にかばわれ被害なし。
「文字を習いたいと聞こえたようだが。むろん、聞き間違いであろうな!」
「サンガリ」
眉毛を寄せた父は、激怒と困惑のまざった口調で聞き直す。俺を胸倉をつかまんばかりの勢いを、母がとりなす。なにかしら反応を想定はしてたが、ここまで狼狽するとは。
噴飯物で汚れたテーブルを拭きにきたチネッタが、感情のない目で一瞥していく。
おそらくは。よけいな仕事を増やしてくれましたね。スキルのことは言うな。どちらかだ。両方という可能性も高い。
ますます面白い。
「そういいましたが?」
「文字は、文字とは……。誰かに、たぶらかされたのか?」
言い淀んでるな。
べつに、誑かされたわけじゃない。涼しい顔の執事を睨んでもムダだぞ。
しいていえば、チネッタだが。本音はべつのところにある。
「ひまなもので」
本音だ。左右に娯楽だらけの日本育ちに、ここは退屈すぎる。
剣しかすることがない。それも午前の数時間のみ。正直、気が滅入ってくるのだ。
学校もなさそうだし、外にも出してもらえない。
アリの行列やカタツムリの親子に感動できるはずもない。
なにかしら、他の刺激が欲しいのだ。シプナスを刺激するような。
「ひま? そんなことで文字を? 読書きの先には……分かって言ってるのか」
知ってますよぉ。スキルですよね。父は、その一語にためらいがあるようだ。
だから俺も言及しない。こういう掛け合いすきだよ。チネッタ睨むなって。
種の飛ばしっこみたいで。
「ほんをよみたいなと、おもってます。そういうものですよね」
苦虫をかんだような顔。それが返事だった。初めて見たよ。
外野はといえば、トマスは困惑。マルスは苦々しく。
レリアは泣きだしそうで。フレッドは……母に寄りかかって居眠り。大物だ。
「もじをおぼえるのが、そんなにわるいことですか? ははうえは、まいにち、みんなのよていをあれにかきこんでますが」
黒板のある玄関のほうを指さした。母は読み書きできる。なら俺ができてもいいじゃなかというアピールだ。
「うむ。ローランは大商人の娘だからな。幼いころに叩き込まれた。だが我が家では文字をそれほど重要視せぬ」
「なぜです?」
「下級貴族は領民を統べることが責務である。ほぼそれで生涯をすごす。食糧を作り、決まった分を受け取り、決められた分を、国に治めるだけのこと。領民は字を知らぬ。上級貴族への納は物量でわかる。サインの名前さえ読めて書ければ事は足りる」
珍しく長文ですね父うえ。
「”ほん”とはなんだ?文字が活躍する場は家系図や台帳くらいだ。あと戦時の命令書だな。子供が読んで楽しいとは思えぬが?」
なんといった?
本を知らない?
「ほんがないのですか? むかしのえいゆうや、しんわをつづったものがたりです」
「神話に英雄譚は、金子を払って街で聞くものだ。盛り場か広場にいけば、吟遊詩人たちが喜んで詩ってくれよう。だが物語は、聞くたびに中身が変わる。そのたび、貴重な羊皮紙に書き連ねるというのか。そのような奇特な上級貴族は知らぬな」
「そういうものですか。ではごらくをかいた、はなしというのは」
「ない」
ないってアンタ。まいったな。取り付く島がない。
文字がってより、スキルを体感してみたいだけなんだ。
半分はヒマつぶしだし。一から本をつくるとか、そこまでの執念はない。
「なによりもだ。上級貴族に目を付けられのが面倒なのだ」
「きんし、してるんですか?」
「表立ってはしてない。だが文字を読書きできるという情報は、すぐに知れ渡り、目付人が飛んでくる。対応が面倒なのだ」
「……なる」
部屋をさりがなく見渡した。フレッドを抱きあげたチネッタの目が、不自然に泳ぐ。
文字の重みとスキルとが、ようやく、繋がったな。
貴族。いや上級貴族のスキル独占だ。下級貴族や平民どもが、スキルを覚えると困ることがあおこる。優秀な下っ端が増えると、統治が難しくなるからな。
知識が向上するだけでも、インパクトがある。それが直に能力に繋がってるときた。
たとえば圧政に対する反乱だ。兵士しかもってないはずの重火器を、そこらの農民も手にしてる手ごわさ。現代、地球の各地で沈静化しない動乱をみれば、明かだ。
つまり、便利道具レベルのマーキング程度でなく、武力に繋がるスキルも、あるということ。それこそが、文字を広げない最大の理由だ。あれ、突破口にできそう。
「ちちうえ。もしかすると、もじがよめないのではありませんか?」
「何を言う! そんなことはないぞ。ローランよりも読めるしキレイな字が書ける」
食いついた。この人、字がよめないか、苦手だ。
「そうですか。ちちうえがじをよめないから、そんなつくりばなしをしたんだと、おもったもので」
「ば、バカなことを。落ちぶれたといえ、元をただせば我が家は上級貴族。読書きができないなんてありえん」
「そうですよね? ちちうえはりっぱなかたです」
「う? うむ。わかればいいのだ」
「ならそれを、しそんのぼくにもわけてください。えらいせんぞにならい、こどものぼくも、もじをおぼえ、ぼくにこどもができたときには、つたえたいとおもいます」