73 ガギロン=バーザダー
閉塞されたダンジョンには、想像できる灯りというものが見当たらない。暗いということもはなく、むしろ日中の自室の奥より明るい。
これまで遭遇したどんな魔物や人間よりも、ヤバい強敵である相手を前にした幼児が、明るい空間の真ん中で寝そべってる。
「あーめんど。寝る」
まぶたが落ちると同時に、子供を外用転移陣まで追いこんだ3つの盾が霧散。
アディラ=ビェズルとウィゲリーリ=ガモルクは、お互いの顔を見合わせた。
確かにこの5歳児は、やる気というものを感じさせず、どことなく浮世離れしていた。
だが敵を前にしてしょぼくれるヤツではなかった。直前には、上位階へ行くぜと、先走る気持ちを抑えきれない姿勢を披露してもいたのだ。
「リーデンタット殿。ヤツのスキルは、人の記憶と気分を操るといったな。知ってることを教えてくれないか」
「よくは知らぬ。だがスキルの術中にあった自分を顧みることはできる。”思ってる行動ができない”ということなる」
「それで……アレか」
くーくー。かわいらしいイビキをかいてるルミナスを見やった。
「試練のダンジョンから戻ったものは、中での記憶を失ってるものが多いと聞いた。ダンジョン特有の記憶抹消だと言われているが。全てがそうでは無かったと、いうことだ」
拘束から解放された子供が浮遊のまま、転移陣から床へと着地。といっても足はまだ浮いたまま着いてない。むっふっふと、含み笑う。こらえきれないとばかりに両手を大きく天へ掲げ――天井しかないが――湧き出る言葉をほとばしらせた。
「こ、こ、この日を夢見ること幾星霜。主の姿がいかにお労しいかったことか。なかなか子種に恵まれず、ようやく授かった命は病弱でお亡くなり遊ばせること幾たびかそれがようやく、ようやくいま、モガーマイト様を送り届けることができた。任務完遂。喜ばれずにおられようか!」
子供の瞳からはらはら流れる熱い涙が、衣服を伝って床に落ち、ギャグのような水たまりをつくった。
アディラはルミナスの小さな体を抱きかかえると、頬をぺちぺち叩いて、眠りから覚まそうとする。まぶたが半分だけ開いて、すぐに閉じた。アディラはそっと床に頭をおろす。立ち上がって短槍を子供にむけた。
「聞く耳もたないのだろうが一応言っておく。ルミナスを元に戻せ」
「警告しておくが上階へゆくはもはや無意味だ。その子倅を小脇にかかえて、いさぎよい退場をおすすめする」
いつもな魅惑的なアディラの黒い瞳が暗くつり上がる。
ウィゲリーリが腰から鞭を取りだし護衛3人が剣を構えなおす。前衛アディラ、左右に護衛の二人、後衛にウィゲリーリとひとり。取り囲んだ。単独の魔物を倒してきた実績の半円だ。
「物分かりは悪いほうでね。マスターに成れないとしても退けるものではない。この目で確かめないと私の夢が許してくれないのだ」
「どうしても、階上への転移陣に載りたいと?」
「そう言ってる」
「どうしてもか」
「どうしてもだ」
「そうか……」
子供がため息をついた。つるんとした艶の額に浅く短いシワが一本。それが二本になり3本になり……数が増すごとに深く長く積み重なる。可愛らしい鼻は鷲のように尖り、口元は鋭く裂け、眼窩が奥へとくぼんでいく。体のほうも、みるみる大人になっていとともに、真っすぐだった背筋はやや前傾へと曲がりをみせる。
「見かけを変容させるスキルか。老人と子供。どっちが正体だ」
不気味さ以外に特徴のなかった渋皮を着こんだ子供は、より特徴の落ちた大人になり、小柄な、初老の男へと変貌した。
「ガギロン=バーザダー……?」
同時に疑問形で声をあげたのは、ゲゲリーと3人。
リーデンタットも目を見開く。
都市伝説があった。領主長に不利益をもたらす人物は、消されるという実しやかな都市伝説が。外淵から捨てられるとも、ダンジョンに放りだされたともいう。実行者は、領主長の子飼。代々仕える僕で、家を影から支える暗躍者。ゲマインナー家の者以外は顔を知らない男。覚えてしまったものは消される。
その人物の名が、ガギロン=バーザダー。
印象のない老人とすれ違ったら、決してふり返って確かめてはいけない。ガギロン=バーザダーは、顔を覚えられることを嫌う。好奇心の代償を命で支払わせるだろう。
「リーリは顔を見てしまったです」
「私もです。こ、殺されるのでしょうか」
敵の心臓に向けた短槍を、アディラは1ミリたりとも動かさずに否定する。
「ひるむなっ。ガギロン=バーザダーなど伝説。実在するわけがない」
初老の男は曲がった背中を延ばして、深い呼吸を3度繰り返す。さらには念入りに腰をひねる運動をしてから、とんとんとその場でステップを踏む。関心や興味の色は塵ほども感じられない目でアディラたちを値踏みしてから、ゆっくりと上を仰ぐ。
「次代マスター候補をくじくこと30余年。モガーマイト様がマスターの椅子に着いたからには、これが最期となるだろう。どうやら、今年の試練志願者は貴殿らが最後。真剣な手合わせというのも、任の締めくくりなら許されることだろう」
アディラやウィゲリーリに申すのではく、ここにはいない上司にいい訳するような小言を終える。目の色が暗く沈んだ。
「いかにも私はガギロン=バーザダー。死んでも恨むなよ」
両の腕をだらりとたらす。どこから取り出したのか、くの字を描いた短い刃物が両掌に握られていた。暗器にしては長くナイフにしては形がおかしい。元は、ククリとかグルカと呼ばれる刃渡り30センチの多目的ナイフを、軽くもちやすく作り変えたものだ。ガギロン=バーザダーの瞳が細く光った。
「来る! 【盾】展開! 【浮遊付与】!」
アディラが叫んだ。左右と正面の3方向に展開した盾で、敵を封じ込めると。攻防どちらにもイケる【浮遊付与】を己のカラダにバフし、ジャンプ。武器層で得た短槍を上手に持ち、跳んだ勢いを駆って上段よりたたきつけた。
「ガラ空きの頭上!」
ルミナスがウィゲリーリたちに試し、進化させた必勝戦術。攻撃はそれほど速いとはいえないが、盾で逃げ場をふさいでからの頭上攻撃に逃げ場どころか隙間も与えない。
ウィゲリーリは、倒したと確信した。真っ二つになったガギロン=バーザダーの血糊が服に着くのはやだなと、半歩退いた。
だが。
ガッキィィィィ――ン
外しようがない攻撃が敵に当たらない。槍は空を素通りしたのだ。
たたきつけた反動。槍は手から離れて跳ね上がる。
床の硬さは痛みとなって手首を走った。
「つッ――!」
原始的な痛みのリアクションの数舜は致命的。
ガギロン=バーザダーは床のぎりぎりから、アディラの胸元に切りこんだ。
「遅いな」
曲がりの内側に波打つ刃が、15女子の柔らかな喉元に迫る。
だが掻き切ろうとした寸前、ガギロン=バーザダーは手首をひるがえす。
そのポイントを埋めるように、ウィゲリーリの鞭先が飛び込む。
「惜しいです!」
目の端でウィゲリーリたちの援護を確信しつつアディラは身の半分を退げる。
退がる反動で半転しながら宙の槍をつかみ、さらに半転、円を描く槍がガギロン=バーザダーのいる空を薙いだ。
「だから遅い!」
リンボーダンスのごとく槍の下を滑った老人は、アディラの顎を蹴り上げると。
「【風魔法】真空鞭」
「うぎゃッ」
援護するウィゲリーリの鞭を切り刻み、次いで、護衛3人のかかとをククリ刀で切って行った。
「ぬあ!」
「まさか!」
「不覚!」
【年齢詐称】【浮遊付与】【風魔法】。複数のスキル効果を余すところなく理解し使いこなす。それも体術と同時進行の攻撃で。ガギロン=バーザダー。老練のひとことでは言い尽くせないものがあった。そして血が流れたことのショックも大きい。
「怪我を……したのか?!」
「ダメージはスキルカウントでカバーできるはずなのに」
「落ち着け! とにかく【回復】しろ」
「すまない。そうだな」
ルミナスが複写したスキルを配ったおかげで、【盾】【浮遊付与】【物体移動】【土魔法】【回復】はデフォ。皆【回復】持ちなのだ。練度と得意不得意のせいで、ひとりしか冷静に仲間を回復できない。
「カウントでの無効化を知っているとは勤勉なことだが、カウントカバーに限界があることは知らぬようだな」
「なんだと!」
「己の力量を大きく越えるダメージは庇えぬということだ。急所に当たってもな。人の力の及ばぬ高所から落ちれば誰でも死ぬ。カウントがどうのではなく生物としても理だ」
リーデンタットも剣を構えて、斬り込むチャンスをうかがっていた。
援護するスキが暇がまったくない。
ヘタに手出しをしようものなら、助けどころか足を引っ張る。
「出る幕がない。この戦いはなんだ。スキル持ちはバケモノになるのか」
高説を並べるガギロンが目をくれると、その視線だけで足が震えて動けない。
あまりな桁違いの力量に、悔しがるこそさえできなかった。
傷を治した護衛3人は、立ち上がり、剣を握りなおす。
素早く、アディラとウィゲリーリ護る位置に立つと、ガギロン=バーザダーを見据える。
一人が【土魔法】で生んだ小石を散弾のように発射。
ガギロンはそれを、飛ぶことでかわした。いや、飛んだそのついでにかわした。
「外敵を知らずレブンの内側でぬくぬく育った若者たちよ。危機感が足らないな」
槍も鞭も届かない空中。老人はククリ刀で、つまらなそうにジャグリングする。
ぶれず安定した体幹は、見えない板の上に乗っているかのよう。
「攻撃はそれでおしまいか? おしまいなら私から攻めるが?」
「誰が!」
アディラも【浮遊付与】【物体移動】で飛びあがるが、速さがまったくおよばない。老人のいたあたりに届くころには、敵はもう床にいある。
「【行動操作】”その1”」
右手をウィゲリーリに向けると掌を広げた。ズシンとした重みが、銀髪・銀目の鞭使いを襲った。膝からぐにゃりと倒れる。床に落ちる直前、2人が主人の助けに間に合う。
「ウィゲリーリ様あ!」
「……?ういげ? ……は……私のことです」
「!……まさか、きっさまぁ!」
「名前を思い出せなるのだ。そっちのスプラード坊主にもかけたな。だが……名前だけとも限らんぞ?」
ふらりと右手を前に突き出す。
リーデンタットが叫んだ。
「全員が名前を失ったら戻れなくなる! 目をそらせ! あれだけは、受けてはいけない!」
槍を、剣を、それぞれが、目をそむけた防御姿勢にはいる。
「そんなんで、私の攻めから逃れらると?」
腰よりも低い姿勢で、アディラの背を斬り、横滑りでウィゲリーリの腕を裂く。
アディラ、ウィゲリーリ、それに3人の護衛は、
一人の都市伝説老人にもてあそばれ、傷を増やしていくのであった。




