7 チネッタ失言
「ルミナス様にも困りましたね」
「こまらせて、わるいとはおもってます。引きさがるとします」
今日のところは、だけどね。
「目が、あきらめていませんね」
あらま。バレテーラ。
「これは……糸をつけておきますか」
「いと? まいごひもでもつける?」
散歩犬のぎゅいーんて延びるやつ。有効距離はせいぜい5メートルくらい。
それとも、よちよち幼児の紐か。互いの手首につける。こっちは2.5メートルか。
どっちにしても、もれなくくっついてくるつもりか。うっとうしいな。
「動かないくださいね。”迷子の赤犬”」
「ん、え?」
チネッタの掌に、輪がぼんやり現れる。犬の首輪みえなくもない。
5センチほどの赤玉くっついていて、それもやっぱりぼんやり揺らめいてる。
それを俺の頭にそっと被せようとしてくる。
嫌な感じ。半歩バックし、それを避けた。
「なぜ避けます? 見えてるんですか」
「あやしいくびわをつけようとするチネッタがみえます」
「見えるとは驚きですが、あやしくなんてないですよ。ただのマーキングです」
「マーキングぅ?」
しまったという風に口を押えるメイド。
マーキングっていうとあれか。犬がおしっこ飛ばすヤツ。臭いをつけることで縄張りを主張したり、犬が互いの存在を認識するとか。人の言うところのマーキングは、印だな。それを俺につけるって。怪しいことこの上ない。チネッタ、そんなことができるんだ。魔法かな。
「マーキングなんて言いました私。ルミナス様がどこにいてもわかるスキルですって」
「スキルぅ!?」
さらに、しまったという顔するメイド。
しかし。俺の心は躍った。
というより待ってましたぜ サンバカーニバル!!
ホイッスル吹いて、全身踊りだしたい気分だ。いや心はも踊ってる。もう誰も止められないぜ。
(ここで出たかーーー!)
ヨーソロー! 初めて顕現のファンタジー要素ぉ!!
ずっと剣を振ってるだけで終わるのかと、心肺してたんだ。
よかった。本当にうおかった。
「なんで泣いてるんですか。はぁ……。とにかく大人しく囚われてください」
囚われるって言ったぞ、このメイド。
ダッシュ。全力で脱兎。スキルのことは後で考える。
「おとなしく、できるか!」
捕まえ首輪を付けようと、チネッテは迫ってきた。大人の足だ、さすが速い。
俺はこの小さな体を、ひねって、横ステップで、しゃがんで、逃げる。
延びる手を、かいくぐり、何度も何度もかわしていく。
「はぁはぁ、危なくないですから。兄弟みなさんにつけてるんです。無断で」
誰だ。こいつを雇ったの。
「あやしすぎ。どこでもいつでもみつけるって。ゆうかいしほうだいじゃないか」
「そんなことしません。無くしたくない人や物に、私にしか見えない印をつけるだけです。100メートルくらいだし、効果は、成人になったら解除してあげます。10年ほどの辛抱してください。私が、自分の仕事を楽するためです!」
じゅうぶん、私的かつ身勝手な理由だ。
成人になったら解除って。解除わすれたらずっとつけっぱなしってことだろ。なにその永久マーカー。首輪つけたまま人生歩めってか。不可視でもいやだ。
避ける避ける。直線逃げじゃそのうちつかまる。
幸い、敷地は仕切りだらけ。ふり返る余裕もない、チネッテの影をチラ見し、カンだけで左右にステップする。
「もう! 待ちなさい!」
くそやっかいなスキルめ。
チネッタはどうやって習得したんだ。
「ぼ、ぼくにもつかえますか?」
誰でも可能なのか。俺にもか?
「文字を覚えれば」
「文字だって?!」
「なん、なな、なにも言ってません」
冷徹イメージのキャラが崩れていく。うっかりメイドになってるぞ。
我が家の情報、外にもらしたりしてないよな。
うちの秘密。父が自慢する豆の育成方法くらい……か。俺に実害ないな。
3度目のしまったさんポーズを尻目に、区角割で見通しのわるい敷地内をとにかく逃走する。父の耕した、来週豆を植える畝の列を荒らさないよう、ジャンプ。
文字。口に中で繰り返す。文字。
そうだ。家中を思い出しても、文字らしいのは極端に少ない。ぱっと浮かぶのは予定表にしてる黒板くらいか。カレンダーもない。そもそも植物紙をみたことないから、そういう時代なのだと、受け止めていたが、文字とはな。
謎めいてて面白くなってきやがった。
ファンタジーバンザイだが、脳内の別の部分では、眩暈を覚える。
『俺の夢説』が、ずっと遠のいてしまった。
風景がズームアウトしてくような酔った感覚があった。
納屋の奥。藁が積まれ、立て掛けてある農具の陰に身をひそめる。
日本風の納屋だと、耕運機やトラクターを雨風から守る木造だが、こっちの建物は、基本、木造ではないのだ。文化遺産かよと触るのもためらわれる、アンティークで強固なレンガ。基礎も石か、少なくともコンクリートっぽい頑健さだ。
ふりきったか。ほっと息をつく。チネッタは、こちらを見失ったようだ。
だがすぐに、それが誤りだとわかる。こちらへ真っすぐやってくるのだ。
”迷子の赤犬”だっけ。マーキングいらなくね?
これはもう逃げ切れない。お手上げだ。いや最初から無理なはなしだったんだろう。ここの熟知度は彼女のほうが圧倒的なんだから。
頭をかきながら、俺は、チネッテに姿をみせる。
「チネッテは、なにものですか」
「賢い子ですね。口が滑りすぎました。わたしはなにもしりません」
静かに近づいてくるチネッテ。
「いまさらですが」
「捕まえましたよ。ルミナスさま……手間をかけさせてくれましたねっ」
軽いデコピン。頭上に置かれた”迷子の赤犬”の輪っかは、頭蓋骨に染みこんだかのように、すぐ消えて無くなった。熱もない。ちょっとまぶしいだけたっだ。