7:苦難の運び手
小学生の頃、よくドッヂボールをした。
俺はボールがどうしようもなく怖かった。ひたすら逃げてばかりで、いつもいつも最後の一人になってしまう。外野にいる連中がしきりに「ボールを取れ!」と叫んでくるのだが、どんなに緩いボールでも、外野の味方からのパスであっても、俺にはどうしても手を出すことができなかった。
クラスメイト達もそのうち俺が絶対にボールに手を出さないことがわかると、軽蔑と失望が綯い交ぜになった溜息混じりの冷たい視線で最後に残った俺を見るようになった。
あの怖い、申し訳ない、恥ずかしい、もどかしい情けない気持ちがゴダ混ぜになって、頭部がカーッと熱くなる、あの感じがたまらなく厭で、俺は球技全般が嫌いだった。
はああああ、と背中を縮めるような大きな溜息をついてから、ゆっくりと目を開いた瞬間、鼻先を掠めるように何かが風を切り裂くように飛んでいった。
ハッと顔を上げ、猛スピードで滑空するそれを目で追うと、バシンと爆ぜるような音を立てて筋肉質な男の手に収まった。どうやら大きなハンマーのようだ。当たったらひとたまりもない。
そういえばアングルボダ達はどうしたのだろう、ちゃんと逃げているのだろうか。慌てて周囲を見渡すと、女達を乗せて全速力で遠ざかっていくグリンブルスティの尻が見えた。ああ、よかった彼女達は助かったと安心した自分に少し驚く。
筋肉男がなにやら大声で叫んでいるが、声が響いて何を言っているのかサッパリ聞き取れない。まるで白い紙に黄色で大きく書き殴った文字のようだ。
男は叫びながら、またハンマーを投げつけてきた。俺は避ける。ハンマーは俺の前を通過すると、見えない紐でも付いているかのようにまた男の手に戻った。
投げる避ける戻る、投げる避ける戻る、投げる避ける戻る…繰り返しているうちに、俺は小学生時代のドッヂボールを再現しているかのような気分になってきた。後頭部というか、頭蓋骨の裏側に蕁麻疹が広がっていくような不快なむず痒さにもう、絶叫したくなってくる。
いかつい男の大声が俺の耳を直撃した。
「余所見してる場合か!マジメにやらんか!!」
間髪入れずに飛んでくるハンマーをまた避ける。俺はうっすら気づいてきた。この男はノーコンだ。
「すみません、ちょっと考え事をしていて。」
我ながら間抜けな返事だ。
「もうこれ以上お前達の好きにはさせんぞ!!」
個性のない台詞だ。いや、俺はまだ一度も言ったことがない台詞だな。そう考えると俺よりも彼の方が独創的なのかもしれない。
そもそも、この男は何を怒っているのだろう。これ以上好きにはさせないということは、イノシシや魚の飼い主だったのだろうか、或いは昨日の巨人や小人の関係者かもしれない。その両方という可能性も捨てきれない。
そういえば、この世界にきてから自分の頭で考えて問題を解決するということをしていなかったような気がする。アングルボダの滴る陽光のような笑顔が脳裏によぎった。何故か今は、全く眠気がしない。
ハンマーを避けながら、俺は今どうすべきかを全力で考えた。
「その、なんだ、魚を食べ過ぎた事は謝るよ。すまなかった。でもあの時は腹が減っていて。」
「そんな事はどうでもいい!」
「じゃあ、あのイノシシの飼い主だったのか?すまない、あれならすぐに返すから…」
「そんな話じゃない!!ふざけているのか!!」
ますます怒らせてしまったようだ。ハンマーが大きく外れて遥か彼方、宵の明星の如く空の一点に輝きながら消えた。
「お前が」
男の声が、三段階くらい大きくなった。こちらにノシノシと歩いて近づいてくる。
「お前達がこの世界を滅ぼそうとしているのは、判っているんだ!!」
「!!!!!」
俺は固まった。こいつは一体なにを言っているんだ。
咄嗟に言葉が出て来ず、ひたすらに首を横に振って口をパクパクさせている俺に、男は続けて言った。
「天地を喰らい燃やす巨大狼のフェンリル、世界を毒液で汚し水没させる世界蛇ミドガルズオルム、死者の女王ヘル、そして、苦難の運び手アングルボダ。お前達が徒党を組んで、この世界をめちゃくちゃに破壊しようとしていることを、俺は知っている!!」
まさか、まさかそんな筈はない。しかし、余りにも衝撃的で、俺はガックリと膝をついた。
と、俺の頭頂部を何かがヒュンと掠めた。
グアアああ、絶叫がこだまする。
男の眉間には、先程彼自身が投げたハンマーが突き刺さっていた。