4:黄金の猪
目を覚ますと夜だった。真っ暗闇の中、焚き火だけが世界の中心かのように明るく熱い。
俺が体を起こすと、火の傍らに座っていたミドが立ち上がって駆け寄って来た。
「先程は本当に何も知らず、失礼なことばかり言って申し訳ありませんでした。まさか貴方が、いや失礼致しました、救世主さまが、これ程の戦士だったなんて…。」
俺が気を失う直前とは全く正反対と言ってもいいほどの変わりように、少し狼狽えたが、おそらく俺はまた眠っている間に何かしらの厄介ごとを乗り越えたのだろうと思い、いつものように適当に調子を合わせる事にした。
「いや、そんな謝るようなことじゃないよ。俺はそんなたいした男じゃないし…」
「とんでもありません!あんな巨大なイノシシに立ち向かう勇気、そしてイノシシの突進を受け流しねじ伏せ生け捕りにする力、このまま乗り物兼、兵器としてイノシシを旅のお供にしようとする知恵、全て私には到底敵いません!!」
「え、イノシシ…?」
彼女の言葉は俺の想定をかなり大幅に超えていた。まさか自分が寝ている間に巨大イノシシを生け捕りにしているとは夢にも思わなかった。
「ねえー、やっぱりこのイノシシ食べちゃダメなのー?」
背後からリルの声がした。こちらも昼間の印象とは真逆な表情だ。悪い意味で。酷く不機嫌な顔で、声も恨めしげだ。ギョロギョロと炎のように燃えている眼はまさに肉食獣だ。
その視線の先に、問題のイノシシはいた。焚き火の光を反射させた身体は赤銅色に輝いていて、大袈裟かもしれないが、山のような、と形容したくなるような大きさだった。体高は150センチ程だろうが、体の厚みと重量感が凄まじい威圧感となって全体を覆っている。今はどうやら眠っているようだが、寝息までもが強そうだ。ハッキリ言って、こいつを食べようとかとてもじゃないが考えられない。(ねじ伏せるとか生け捕りにするとかはもっと考えられない事ではあるが)。
「駄目よ。リル、先刻も救世主さまの言うことを聞いたでしょう?いまイノシシを食べてしまったら、また旅が不便になるわ。」
「でもステーキが食べたいんだよ!ミドはなんでも丸呑みにするから味とか判んないんだろうけど、肉汁したたるステーキは最高なんだよ!」
「失礼ね。私だって味くらい分かるわよ。だいたいこんなに大きなイノシシ、解体するのだって大変だし食べきれないでしょう?」
「残りは干し肉とか塩漬けにしたらいいじゃないか!肉が食べたいんだよう!!」
ミドとリルの大ゲンカが始まってしまった。少し離れた所で眠っていた様子のアングルボダとヘルもこの騒ぎに目を覚ましてやってきた。
「あらまあ、リルったら困った子ねえ。イノシシには荷物を載せることができるし、疲れたら自分も乗れるって言ったでしょう?」
アングルボダも優しい口調で諭すが、リルはますます興奮して地団駄を踏む。まるで3歳の子供のようだ。
俺はだんだん疲れてきた。記憶にはないが昼間かなりの運動をしたらしく全身が筋肉痛の予感を訴えつつある。取り敢えずこの場を収めたい。
「リル、別にイノシシを絶対に食べてはいけないというわけではないよ。」
俺の言葉に、大泣きしていたリルは顔を上げた。
「イノシシは、本当に食べるものがなくて困った時のために取っておくんだよ。」
「成程、非常食というわけですわね。」
アングルボダが相槌を打った。リルは少し眉間に皺を寄せて黙っている。何やら考えているようだ。
「それに、最後まで食糧に困らなかったなら、世界を救ったお祝いにイノシシを丸焼きにして食べるパーティでもしたらいいじゃないか。」
これは完全に適当な思いつきだったが、リルの琴線には触れたようだ。
「世界を救ったら、イノシシパーティ…!!!」
頭上の犬耳がピンと上を向いた。瞳がキラキラと真っ黒に輝いている。
「ひゃふー!!救世主さま!!すごい、すてき!だいすき!!」
リルはその場で駆け足のような不恰好なステップのようなものを踏み、踊りのような不思議な動きで喜びを表現していた。
ああ、やれやれと深く息をつく俺の隣でアングルボダは柔らかく微笑んでいた。
「ミドとリルの2人の心をあっという間に掴むなんて流石ですわ。」
俺は気恥ずかしいような、むず痒いような何とも言えない気持ちで、曖昧に笑った。
「この、イノシシは、グリンブルスティ、と、名付けましょう。」
眠そうな仏頂面をしたヘルの不景気な声が、満天の星空に抜けていった。