18:INTEGRATED−CIRCUIT
俺の部屋の床に、ずぶ濡れで惨めに転がっている俺。
白く輝く玉座で冠を戴いている俺。
そして、この俺。
いったい、これは何なんだ。
いったい、俺はどうなっているんだ。
「頼む、助けてくれ!」
再び男の、いや、俺の声が頭上に響く。
だいたい、助けるって何をどうしたらいいんだ。もう充電だって、ほとんど残っていやしないのに。
え?
俺は、いま何て??
充電、だって???
背中を冷たいものが駆け抜け、ザザッと全身の皮膚が粟立った。心臓が頭蓋骨の中に移動したんじゃないかと錯覚するくらいに、自分の鼓動がうるさい。寒気と吐気と眩暈が俺の脳を掻き回す。
ああ。
ああああ、なんてこった。
俺は、おれはおれは。
世界の画質が急激に粗くなっていく。
ただ、ヘルの形に開いた穴の外側、粕井明の部屋だけは相変わらず滑らかな立体感を保っている。当たり前だ。だって、あちら側が本当の、
「救世主さま!!助けて下さい!!」
「救世主さま!!おねがい!!」
唐突に、ミドとリルの叫びが光の矢のように俺を貫いた。
もはや単なる記号に戻ってしまった彼女らを振り返って見る勇気は俺にはなかった。いや、俺自身ももう粕井明の姿でい続けることはできない。
だって、俺は…
「アングルボダ、しっていたんですか?」
俺は音声ではなく、文字で問い掛ける。
「はい。最初から、貴方が『この世界そのもの』だと知っていました。…だから、貴方に助けを求めたんです。」
アングルボダの声は優しくて温かい。錯覚だとわかっているけれど、俺は柔らかな彼女の声が好きだ。
そうか、『この世界そのもの』。彼女らにとっては、そうだろう。
この世界は、粕井明が作った小説の世界だ。
彼が携帯電話のメモ帳に綴った、そして置き去りにした世界だ。
そして、俺は
粕井の古い携帯電話だ。彼が中学生の時分から数年間に渡って彼と生活を共にした、時代遅れのガラケーだ。
彼がスマートフォンを使うようになり、ここ数年は単なる目覚まし時計として部屋の片隅で眠ってばかりいるが、俺の中には、粕井の思い出や、彼の作った世界が、アングルボダたちが未だに残っているのだ。
「たのむ、たのむ、たすけてくれ!!!」
粕井の掠れた悲鳴が空気を震わせている。
俺は数年ぶりに、電話帳を開いた。
シムカードなんか入っていない。充電だってほとんどない。
でも、粕井を助けたい。
『おふくろ』
俺は実在しない世界から、実在しない回線づたいに、実在の電波を捉える。
たった一度の奇跡なら、何者にだって起こせるはずなんだ。
PPPPP…
運命の扉を叩くような信号音が、プツリと途切れ、一瞬の空白ののちに優しい女性の声がした。
「明?明なの?どうしたの?突然…」
よかった。繋がった…。
安心した途端、俺は猛烈な眠気に襲われた。
これまで感じてきたどの眠気よりも強い、暴力的なまでに劇烈な睡魔だ。
ああ、充電が切れたのかな。
粕井は、助かるのかな。
助かったら…アングルボダの物語の続きを書いてほしいな…
俺の意識(と呼んでもいいのだろうか)は、消し飛んだ。