13:やり直す
門をくぐると、途端に酷い頭重感を覚えた。前頭部から目蓋にかけて脳が鉛にでも変わってしまったかのような鈍重さが襲ってくる。ぐったりと前に落ちそうな首と背中にグッと力を入れて背筋を伸ばすと、黒い靄のように湧き上がってくる睡魔を振り払うように、俺はかぶりを振って掌で自分の頬を軽く叩いた。
はあーっと深い息をついて改めて前を見た俺の目に飛び込んできたのは、無数の万国旗だった。
抜けるような青空、雲ひとつない日本晴れだ。大きな声援、砂埃、火薬の匂い。
これは、運動会だ。
小学校の運動会。体操服を着た俺は、黄色い鉢巻を巻いてグラウンドの上に立っている。ああ、これは学級対抗リレーだと気付いた。フォルダを開くみたいに俺の記憶が展開する。
小学校5年の学級対抗リレー。俺が麻疹で欠席している間に勝手にランナーに決められていた。俺が全く足なんか速くないこと、そもそも体育が得意でないことはクラスの全員が知っている筈だったのに。
そうこうしているうちに、俺の前のランナーがどんどん近付いてきている。他のクラスの走者をグングンと突き放して断トツの1位で走ってくる。俺はゴクリと生唾を飲み込んだ。バトンを受け取るべく左手を後ろに伸ばしながらジリジリとリードを取る。
俺の記憶だと、五年生の俺はここでバトンを落としてしまい、慌てて拾おうとしゃがんだところを、他のランナーに蹴られた上に踏まれて、結果リレーは最下位になってしまった。この事は小学校を卒業するまで、そして中学生になってからも事あるごとにネタにされ、いじられ続けることになる。
胃の辺りに重苦しい不快な塊を感じる。唇を噛み締め、足を踏ん張る。眉間にグッと力を入れた。俺は負けない。
左手がバトンを掴んだ。汗で生暖かく湿った掌をきつく握りしめて、俺は駆け出した。少し足が縺れはしたが、転びはしなかった。俺は全力で走った。心臓が巨大化したように上半身を叩く。
「きゅうーせーしゅさまああああ!!がんばってくださああああーい!!!」
唐突に光が射すように、応援の声が聞こえた。ミドの声だ。俺は驚いたが、同時に嬉しいと思った。脚に力が流れ込むような気がした。
「救世主様ー!!」
「がんばれー!!」
ミドだけではない、みんなの声がする。俺はもう、順位も何もわからずただひたすらに腕を振って足をめちゃくちゃに蹴り続けていた。白いゴールテープが見えてきた。
溺れるように喘ぎながら必死でテープに手を伸ばした刹那、俺の足下が崩落した。グラウンドが忽ちのうちに崖になったのだ。
「ぐっあああああああ!!」
何の前触れもなく空中に投げ出された俺の足を、トールが掴んでくれていた。
「うおおおおおお!!!」
彼は気合一閃、俺を空高く投げ上げた。万国旗や運動場は搔き消え、眼下に鬱蒼たる森が見えた。ああ、幻覚だったんだな、と思う間もなく落下した俺をグリンブルスティの背が受け止めてくれた。
「ああ、助かった。みんなありがとう。」
まだ整わない息で礼を言った俺の周りにみんなが集まってきた。
「救世主様は足もとっても速いのですね!!流石です!!」
「ホントホント!!速かったよね!!」
ミドとリルがいつものように過剰に褒めてくれるので、なんだかむず痒い。だが、昔の嫌な失敗をやり直せたようで、なんとなく気持ちがスッキリとしていた。
「トール、本当に助かったよ。ありがとう。」
「いいや、あんなおかしな世界でお前さんが冷静でなかったら、今頃どうなっていたことか…。俺たちの方こそ助かった。ありがとう。」
正直、なんだかよく分からない感謝をされてしまっているなと思うが、何をどう訂正すべきかも判然としないので、あははと俺は曖昧に笑った。