第十話「三要塞の魔女(トリアングル・マギカ)」(改訂版)
第十話「三要塞の魔女」
叢雲に覆われ、ぼんやりと滲むように鈍く光を放つ下弦の月。
足元さえも覚束ない闇の中で――
ザザッ!
ストンッ!
人の丈を遙かに凌駕する石塀を、いとも容易く軽やかに跳躍する影があった。
「……」
外敵からの備えの要を難なく跳び越えた影は、そのまま敷地内に音も無く着地すると塀の内側に建つ大層な屋敷の一つに向け進路を取った。
「随分と遅いお帰りね?ペリカ・ルシアノ=ニトゥ……職務を全て私に押しつけて本当に良いご身分だわ」
――っ!?
突然、背後の闇から掛けられた声に、歩き始めたばかりの影はその場に立ち止った。
「アルトォーヌ・サレン=ロアノフ?」
目の覚めるような深紅の長い髪を風になびかせて立つ二十歳前後の美貌の女性。
少し癖のある燃えるような深紅の髪、一度、目見えただけで確実に脳裏に刻み込まれる程の見事な紅蓮の双瞳……
魅つめる者、悉くを焼き尽くしそうなほど赤く紅く紅蓮く燃える紅玉石の双瞳。
振り向いた紅蓮い女の深紅の髪が、古時計の振り子のようにゆっくりと闇に揺れる様は宛ら闇の中で静かに揺らめく炎のようだ。
「アルトォーヌ・サレン=ロアノフ?ではないでしょう……貴女のお仕事、解っているわよね?」
紅蓮い女が口にした固有名詞、”アルトォーヌ・サレン=ロアノフ”と呼ばれた人物は、胸の前で腕を組み、呆れ顔で佇んでいた。
目前の紅蓮い女にも劣らぬ長い髪を二つに割って三つ編みにし、それを輪っかにしてそれぞれを両耳のところで留めた髪型の、整った顔立ちの女性。
彼女の最も特徴的な白い肌、白い髪は……
それは色白と言うよりは、色素を全て忘れて生まれてきたような、そんな不自然な希薄さだ。
紅蓮い女を呆れ顔で見つめる瞳のみが、僅かな碧い瞳ということ以外は本当に華奢で存在感の薄い人物だった。
「職務……ああ”戦争”ね、不平不満を言うしか能の無い半端者達なんて”基子”がいれば充分事足りるでしょう?」
紅蓮い女、ペリカ・ルシアノ=ニトゥは、妖艶な石榴の唇の端を上げて微笑う。
「国内の反乱を抑えるのは国主たるペリカの責務でしょう!それを放棄してフラフラと出歩くなんて……度重なる貴女のその軽率な行動で、この”長州門”が傾いたらどうするつもりなのよ!ただでさえ”句拿”との戦争も目処が立っていないのに!」
「……」
自分の想像していた以上の剣幕で責められたとでもいうような、そんな不満そうな顔で紅蓮い美女はため息を吐いた。
「ペリカ!」
「大丈夫でしょう、”句拿”の堅物、斉旭良は馬鹿の一つ覚えの守勢ばかりで”長州門”に攻め込むという知恵が無いでしょうし、万年”コソ泥”紛いの国内不穏分子共が起こす反乱の一つや二つ程度、賢い”アルト”と超強い”基子”の軍があれば”焔姫”の出る幕はないでしょう?」
「そういう問題じゃ無いわ!ペリカ、貴女には国主としての心構えが足りないのよ!それで無くても私たちは”長州門”では余所者で、ペリカが国を譲られた事に納得しない輩が……」
「アルトォーヌっ!」
――っ!
白い女性、アルトォーヌ・サレン=ロアノフがそう口走ろうとした瞬間、ペリカ・ルシアノ=ニトゥの紅蓮い瞳が鋭く光って、アルトォーヌは慌てて言葉を呑み込んだ。
「……あ、その…」
「良いわ、アルト……でも憶えておいて、私そういうネガティブな思考は余り好きじゃ無いわ」
「そ、それは……もちろん、識っているけど……」
「なら良いわ」
先ほどとは変わり、優しい眼差しで白い女性を見る紅蓮き姫、ペリカ。
「あ、ありがとう」
主であり友でもある相手を多少気まずそうに見ながら、ボソリと応えるアルトォーヌ。
”ペリカ・ルシアノ=ニトゥ”と”アルトォーヌ・サレン=ロアノフ”は物心ついた頃からの友人同士で、共にこの本州西の大国”長州門”にある”外人”の集落が出自であった。
二百年以上前に元々の世界であったこの”戦国世界”と数日おきに現れるようになった”近代国家世界”、二つの世界が切り替わるようになって直ぐににこの島国は外海から隔離された。
そして”暁”に取り残された異国人の子孫は”外人”と呼称され、”暁”内でいくつかの国家では許しを得て集落を築き存在している。
とはいっても、”暁”では集落がある国の方が圧倒的に少数で、現在は全国でも人口的に数千人規模という少数さだ。
また、外人を語るときに忘れてならないのが……”ある”事実。
容姿の違い、言語の違い、そして特殊な環境下での民族主義の結果からか、それらの者達は蔑まれることが多く、身分をある程度備えた家や、政府関連の要職に就くことなどまずあり得ない存在であった。
つまり、大国”長州門”の国主になった”ペリカ・ルシアノ=ニトゥ”は異例中の異例であり、付け足すなら彼女とその友、”アルトォーヌ・サレン=ロアノフ”は、二百年以上前の世界の変革以降で残る、混じりっけ無しの”外人”。
”暁”の血が一滴も混じっていない、ごく少数だけ存在する生粋の”外人”だった。
「そうね、少し自覚が足りなかったわ……でも、私は本当に信頼しているのよ、貴女達を……」
赤い、朱い、紅蓮い瞳……
ペリカの証である、全てを焼き尽くす紅蓮の炎の双瞳が、珍しく落ち着いた光を放って目の前の友を静かに見据えていた。
「……ペリカ」
アルトォーヌは、普段は好奇心と欲望で燃える瞳の彼女がこんな殊勝な事を言うと、何も言い返せない。
色素の抜け落ちたような肌と髪の女性、アルトォーヌ・サレン=ロアノフ。
国主である”ペリカ・ルシアノ=ニトゥ”の幼なじみである彼女は、多少病弱で体つきも華奢そのものだが、国の運営の殆どを取り仕切り、戦場にあっては参謀としてその力を発揮する知将でもある。
そして、今この場には居ないが、ペリカやアルトォーヌよりも五つほど年下で、幼いながらも実質この国のナンバースリーである少女……
小柄で可愛らしい風貌とは裏腹に、軍を率いては”天性の直感”と”呆れるほどの強運”を備え、凶悪なまでの軍の強さを誇る、誰が呼んだか、通称”戦の子”……
――菊河 基子
アルトォーヌ・サレン=ロアノフと菊河 基子。
”長州門”の二人の重臣は、本州西の大国”長州門“国主である、ペリカ・ルシアノ=ニトゥの”両砦”と呼ばれ、近隣諸国に恐れられていた。
更に付け足すなら、”長州門”君主であり、”焔姫”または”覇王姫”と呼称されるほどの個の武勇を天下に轟かせる、ペリカ・ルシアノ=ニトゥと合わせた呼び名としては、”長州門”の”三要塞の魔女”であって、本州西の大国”長州門”の不敗の象徴であった。
「もういいわ、ペリカ。とにかく、七……いえ、六大国家会議にはギリギリ間に合ったのだから……”旺帝”の領都”躑躅碕区”には”世界が切り替わる”明日の早朝に発つ予定だけど……」
「ええ、そうだったわね……ふふ」
「?」
予てから通知されていた”暁”の現時点での有数強大国家による会議。
”近代国家世界”での利益の分配と仮初めの平和、力の均衡を維持するための最重要会議。
――”七大国家会議”改め、今回は”六大国家会議”
基本的には年に数度開かれるそれを、いつも面倒臭がるペリカの予想外の態度に、アルトォーヌは不思議そうな視線を向けていた。
「ふふ、ちょっとね、”七峰”である情報を仕入れたのよ……明日が楽しみだわ」
深紅の髪の美女は、紅玉石の双瞳を輝かせて子供のように無邪気に笑う。
「あきれた……数日姿を見せないと思ったら”七峰”まで遠征していたというの?」
「べつに個人的に喧嘩を売って廻っているだけよ、戦争とは関係ないから」
「……」
何でも無い事と言い張る主に、白い美女は軽く頭を抱える。
――この戦国乱世において、敵勢力をフラフラとする国主……
それだけで充分問題がある訳だが、それに輪を掛けて厄介なのは――
ペリカのこの性分。
強者の噂を聞くと可能な限り探し出して真剣勝負を挑むという厄介な趣味。
勝負の対象が国の重要人物の場合は、それだけで充分戦争の火種になり得る行為を彼女はアッサリとこう言ってのけるのだ。
「……」
アルトォーヌ・サレン=ロアノフは、主であり友人である、この困った人物に対して、いつも通り白い指先をおでこに当てて、隠すこと無くため息を吐くのだ。
「それでね、その”七峰”に面白い男がいてね、その男とは決着がつかなかった、というか、途中で私が引き下がったのだけれど……」
「え?ペリカと互角!?……いえ、引き下がったって貴女が!?」
武勇に優れる将の噂を聞かない宗教国家”七峰”に、この”覇王姫”に単騎で互角に渡り合える人物がいたことにも驚きだが……
それ以上に驚きなのが、そんな”強敵”相手に引き下がるなんて行為をこの”焔姫”が選択したという事実。
幼い頃から彼女を熟知しているアルトォーヌも、その話にはただ目を丸くする。
「そのことは良いのよ、それよりアルトも聞いたことがあるでしょう?”臨海”の……えっとなんと言ったかしら……鈴原 さい……えっと……さい」
「”臨海王”……鈴原 最嘉のこと?」
「そう!それよ!さいか!”臨海”のペテン師よ!」
燃えるような深紅の髪の女は、そう言ってビシリと目前の友人を指さす。
「鈴原 最嘉……」
そして、アルトォーヌ・サレン=ロアノフは、そんな主に呆れた視線を向けながら少し考えていた。
最近、巷で噂になっている”臨海軍”……その王、鈴原 最嘉。
弱小の小国家でありながら、盟主国たる”天都原”と”南阿”の戦争に乗じて、双方から領土と財を巧みに掠め取り、その後は大国”天都原”から独立して、現在は最強国”旺帝”影響下の小国家”赤目”と交戦中という。
遠く離れたこの”長州門”まで噂が流れてくるような目下話題に事欠かない注目国の領主だ。
「”臨海”の鈴原 最嘉は智将と聞いているけど……」
アルトォーヌの言葉に、ペリカは”ちっちっち”と人差し指を揺らす。
「あまり識られていないらしいけど、以前は武勇もかなり注目されていたようよ……最近はその名も聞かない十把一絡げの弱小国家君主だったけれど、どうも何か意図があって地に潜っていたようね」
なにやらウキウキと愉しそうに話す紅蓮い女を眺めながら、アルトォーヌは再びため息を漏らす。
「敵が強いのをそんなに喜ぶなんて……ほんと貴女は……」
「まだ敵とは決まっていないわ……けど敵の方が断然に面白いけど」
――それは全然面白いような事では無い
ただでさえ、海の向こう側、南の島”日向”を統一した”句拿”相手に手こずっているのに、それに加えて宗教国家”七峰”?”天都原”?……挙げ句は、新進気鋭の”臨海”っていうのはどんな悪夢かと……
紅蓮の焔姫の参謀、アルトォーヌ・サレン=ロアノフの悩みは尽きない。
「それで……その鈴原 最嘉が明日の六大国家会議に出席すると?」
現在敵対関係で無い”天都原”や”臨海”とは当面ぶつかりようも無いだろうと、アルトォーヌは言いたいことを一旦棚に上げ、取りあえず嬉々として話す主の話を進めた。
「そうね、”七峰”の男からはそう聞いたわ、なんでも”臨海”が六大国家に加わる可能性があるとか」
ペリカの言葉を聞いてアルトォーヌは少し不機嫌な顔をする。
「ああ、気にすることは無いわアルト、いつものことでしょう?六大国家の一つとは言え、我が”長州門”にだけ詳細な情報が伝えられないのは」
そう言って何事も無い様に微笑む紅蓮の姫は、”暁”世界にはびこる、外人蔑視などものともしない。
「……そうね、それで、その鈴原 最嘉とは、どれほどの腕前なの?貴女がそこまで楽しみにするのは久しぶりでしょう?」
気を取り直したアルトォーヌはそう言ってニッコリと笑った。
「ふふ、その男……”七峰”の折山 朔太郎という男が言うにはね、南阿の無愛想ハゲ、織浦 一刀斎を一蹴する、下手をすると音に聞く天都原”十剣”の阿薙 忠隆と同格の化け物らしいわ」
「南阿三傑、”武”の織浦 一刀斎を!?それに阿薙 忠隆って……戦場の羅刹、鬼阿薙 忠隆……それは……」
アルトォーヌ・サレン=ロアノフは予想の遙かに上を行く答えに言葉を失う。
「折山 朔太郎、あれは虚言を弄する輩ではなかったわ。それに実際、南阿の”純白の連なる刃”……現在は”臨海”の久井瀬 雪白と言ったかしら?あの”閃光将軍”を戦わずして麾下に収めたという器量、ふふふ、久々に本物の男の予感がするのよ!」
ブワッ!
「!?」
アルトォーヌの隣で、本当に心底愉しげに笑う紅蓮の美女は、薄暗い夜空に白い拳を突き上げていた。
――サァァーー
「ぁ……」
偶然か必然か……
途端に雲が引いて、差し込む月光。
ポカンとした表情で天を仰いだ白い女の微かな碧色がそれを反射して輝いていた。
「さぁ、アルトォーヌ・サレン=ロアノフ、心して用意なさい!この先ドンドン面白くなるわよ!」
第十話「三要塞の魔女」END




