第五話 「最嘉と希なる捨て石」(改訂版)
第五話 「最嘉と希なる捨て石」
ーー蟹甲楼、陥落せしめし!
その報が大国”天都原”を駆け巡ったのは、鈴原 最嘉達、小国群連合軍と”南阿”の主力部隊が天都原領”日乃”でぶつかった三日後であった。
”蟹甲楼”とは、本州中央南部の大国”天都原”から天南海峡を挟んだ向こう側の島、西の統一国家、”南阿”が誇る不落の要塞のことである。
島国”暁”は四つの大島からなる列島だ。
ひとつは中央に存在する最も面積の大きい島”本州”
次に大きいのが、その本州から北に浮かぶ島”北来”
そして南に浮かぶ島”日向”
最後に西に浮かぶ島”支篤”
西の統一国家、”南阿”はこの”支篤”の国家群を統一した大国で、”本州”中央南部を押さえる大国”天都原”に対してほぼ三分の一程度の領土規模を誇る。
”支篤”の統一を果たした”南阿”は、本州侵攻への野望のもと、天南海峡を挟んで接した隣国、”天都原”へと侵攻した。
ーーそして十余年……
長らく続く天都原国と南阿国の国境での戦場は大きく分けて二通りあった。
ひとつは二国間の間を分断する天南海峡を挟んだ天都原側の領地、”日乃領”。
そしてもうひとつが”小幅轟”という、天南海峡に浮かぶ南阿領の小島だ。
天都原としては、南阿の本拠地”支篤”へ侵攻するにはどうしても天南海峡に浮かぶ南阿領の小島、”小幅轟島”そして、そこに存在する要塞の攻略が必須であった。
しかし小幅轟島に在る要塞は、グルリと三百六十度の絶壁に囲まれた天然の要害で、聳え立つ城は黒き鋼鉄の壁。
さらに駐留する海軍は、”暁”最強の海軍とも呼ばれる海洋国家”南阿”の誇る無敵艦隊である。
堅き黒甲羅を纏う大蟹、”蟹甲楼”。
それは天都原軍にとって、まさしく難攻不落の要塞だった。
「なんと目出度いことか!」
「おぅ!南阿の野蛮人共と争って十年余、とうとうあの堅物を攻略したのだ」
「くぉぉ!今までどれだけの将兵達がその眼前に散っていったことか……」
「数多の部下を失ったのは貴殿だけでは無い……だがこれからは……」
天都原国内は歓喜で満たされ、その偉大な功績を残した人物を称える声が至る所に響き渡った。
「人民は将軍から庶民に至るまで宮を称えております」
荘厳な造りの広間でそれを聞いていた、玉座の前に佇む少女は……
「……」
透き通る様な色白の手をそっと上げてそれを制する。
大国、天都原の王都、”斑鳩領”にある王宮”紫廉宮”。
本州屈指の大国、その政治、軍事の中枢たる場所で、臣下の報告を聞いていた少女の表情は別段の変化は無い。
腰まで届く降ろされた緑の黒髪は緩やかにウェーブがかかって輝き、白く透き通った肌と対照的な艶やかな紅い唇が人々の賛辞にも興味なさげに結ばれている。
紫梗宮 京極 陽子。
王弟、京極 隆章の第三子であり、若干十七歳にして天都原国軍総司令部参謀長を勤める才女で、大国天都原にあって王位継承第六位の王族でもあった。
「……岩倉」
闇黒色の膝丈ゴシック調ドレスに薄手のレースのケープを纏った美少女は、臣下の方へ僅かに視線だけ動かして別の報告を促す。
「……はっ!」
主である少女の仕草を敏感に感じ取り、若干緊張気味に、ピシリッ!と姿勢を正す老騎士。
長年仕える老家臣にとっても、この少女の双瞳には心を奪われるのだろう。
そう……まことに希なる美貌の少女の極めつけは漆黒の双瞳だった。
対峙する者を尽く虜にするのでは無いかと思わせる美しい眼差しでありながら、それは一言で言うなら”純粋なる闇”。
恐ろしいまでに他人を惹きつける……”奈落”の双瞳であった。
「南阿の領島、小幅轟にある蟹甲楼攻略と同時に進めていた我が領内、日乃領での防衛戦は敗北したとの報を受けております」
岩倉と呼ばれた彼女の側近の老人は、そう報告する。
「確か……日限領主の熊谷 住吉と宮郷領主の娘、宮郷 弥代が這々の体で逃げ帰って来ていたな」
「少しは名の知れたとは言え、しょせんは属領如き匹夫の勇、実際はそんなものだろう」
宮廷内では、天都原国重臣や将軍達によって当事者の二人を軽んじる声が此見よがしに飛び交っていた。
「まぁまぁ諸将よ、先ずは申し開きを聞こうでは無いか。近日中に参内する予定なのだろう?」
「そうだな、その後に相応の処分を下しても遅くはあるまい」
言いたい放題の面々ではあるが、その実、天都原国の重臣という彼らの立場上、今回の戦の意味を十分承知しているのも事実であった。
今回の戦における第一目標は、自領である”日乃”に相手の本軍を誘い込み、手薄になったもう一つの航路、相手領内で自軍を阻む”小幅轟島”の要塞”蟹甲楼”を攻略する事。
つまり、天都原に属する小国群連合軍はその役割を十分に説明されぬまま、いいや、寧ろ騙されたとも言える状況で、敵軍の猛攻を防ぐ壁役に利用されたのだ。
結果、本来の敵軍の規模や意図を伏せられて戦わされた小国群連合軍は多大な被害を被った。
それを知っていてなお、彼らは最嘉達小国群連合軍を軽んじていた。
いや、剰え功労者ともいえる彼らに、敗戦の責を負わせて処罰を与えようとさえしている。
「……それで、小国群連合軍の指揮を執っていた鈴原 最嘉は……どうなったのかしら?」
ーー!!
黒い装いの美姫が放った言葉に、小国群連合軍の敗戦を肴に賑わっていた一同は静まった。
否が応でも注目を集める暗黒の美姫。
それは大国、天都原に集う、これだけの重臣と諸将にさえ一目置かせるだけの実績と存在感をこの少女が十代そこそこで既に備えている証拠だった。
「報告では行方不明との事です」
「……」
老家臣の答えを聞いても、美しい容姿を寸分も変えない少女。
「実は敵に降伏したとも、討ち取られたとも……噂はありますが子細は不明、如何せんかなりの混戦であったため情報が錯綜しておりまして……」
「臨海は?」
少女はそのまま質問を続ける。
「はい、臨海領に撤退した鈴原の軍は、鈴原 最嘉の側近である宗三 壱なる人物が代わりに率いたようで、留守を守っていた同様に側近の鈴原 真琴が現在暫定的に領内を治めているようです」
「……」
「まあ、何にせよ、その鈴原 真琴という者も近日中に出頭させ、速やかに経緯を説明させた上で、領地を召し上げるなり何なりの処置を……」
「臨海は同盟国で属領ではないでしょう?領地の召し上げは出来ないわ」
黒い装いの美少女はただ静かに、理不尽とも言える天都原側の一方的な裁定を口にする老家臣、岩倉の言葉を指摘した。
「ほほ、確かに形式上はですな……しかし同じようなものでしょう。領地を切り取るにしても、その鈴原 真琴なる人物を体の良い傀儡として後釜に据えるにしても……盟主国である我らの胸三寸であることには変わり在りますまい」
ーーざわざわ……
当然の様にそう答える老家臣の言に、集った天都原の重臣達も彼方此方で相づちを打ったり頷いたりしていた。
そして……
ーーニコリッ
「……」
その流れを見届けてから、少女は老家臣が僅かに見せた呆れた様な笑みを確認する。
そう……それは”ガス抜き”だった。
何かにつけて小国群連合軍を見下す天都原重臣達と自身の主君の間に必要以上に軋轢が生じないようにとの……老家臣、岩倉の配慮であろう。
「…………そうね」
細やかな気遣いを欠かさない家臣の行動を察した彼女の闇黒の瞳は、さも無関心にそれを受け流して言葉を切る。
ーー
ー
「しかし流石はこの天都原が誇る智将、”無垢なる深淵”と称えられる京極 陽子様、宿願である南阿の要塞を攻略せしめたばかりか小国群なる目障りで無能な奴らをここまで有効活用なさるとは……いや、将官、感心して言葉もありませんな」
少し空いた沈黙の時間を好機とばかりに、ある将軍の彼女へのおべっかが割り込む。
京極 陽子は誰もが気づかない僅かな一瞬、美しい眉の間に影を落としたが……
「…………直ぐに南阿の攻略にかかるわ」
先ほどの老家臣の気遣いを思い出したのか、気持ちを切り替えたように話題を変え、今後の方針を議題に挙げて簡潔に断を下す。
ーーっ?
ーー!?
「えっ!」
「い、いま……直ぐにですか?」
浮ついた雰囲気から一転、諸将は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まった後、俄に浮き足立った。
「その為の”蟹甲楼”攻略だったはずでしょう?」
「いや、しかし……兵にも休息が……」
「そ、そうです、”蟹甲楼”を落とした以上は今後はこちらが圧倒的に有利、ならばここは焦らずとも……」
ーーふわりっ
泡を食う諸将には目をくれず、薄手のケープを翻してその場を去る少女。
「……!」
「…………」
それを呆然と見送るしか出来ない男達の間抜けな視線の先で……
彼女は思い出した様にそっと立ち止まった。
「…………ふたつ訂正」
そして、振り返りもせず静かな口調で言葉を発する。
「ひとつめ……優勢だからこそ”兵は拙速を尊ぶ”、天の時を見逃すのは愚か者のすること」
「お、愚かっ!?……」
諸将の前で公然と愚かと言われ、流石に険しくなる先ほどの将軍の顔。
「ふたつめ……壁役は誰にでも務まるわけでは無かったわ……鈴原 最嘉、あれ以外で、あの戦況で見事に壁を全うできる”希な捨て石”がこの中にいるのかしら?」
しかし、少女は構わずに続ける。
「っ!?」
「……ちっ!」
堂々たる大国、天都原の重臣諸将達は、自分達が”たかが”と見下す小国の王、鈴原 最嘉如きと比べられたばかりか、十代の少女に暗に無能と誹られて面白いわけが無い。
それでも相手は王族であり王位継承権を所持する京極 陽子……
王宮”紫廉宮”に集った重臣達の双眸が奥底に、明らかな不満と敵意の炎が燻っているのは一目瞭然であったが、彼らは不承不承ながらも口を噤んで、代わりに刃の仕込まれた厳しい視線を投げつけるだけだった。
「…………」
無数の敵意に晒されて独り佇む暗黒の美姫。
老家臣の心遣いを無に帰す愚行とは理解りつつも、その少女は“鈴原 最嘉”に対する”侮蔑”をどうしても見過ごせなかったのだろう。
なんとも言えぬ嫌な緊張感が支配する無音空間で……
ーー
ー
くるりと……美しく輝くウェーブのかかった緑の黒髪を僅かに揺らせて、暗黒の希なる美少女は振り返った。
「……ぅ!」
「……っ!」
そこには――
思わずゾクリと背筋が凍るような……
比肩しうる存在が想像すら出来ない氷の如き美貌が……
暗黒の美姫、京極 陽子の白氷の肌に一際映える朱い唇が……薄く綻んでいた。
第五話 「最嘉と希なる捨て石」 END