第七話「用兵の法」(改訂版)
第七話「用兵の法」
枝瀬川下流域に広がる平原……
といってもそう広くは無い。
そこに盛り上がった瀬田丘陵があり、その周りはごく浅瀬の枝瀬川に挟まれている。
「久井瀬様……迎撃の用意は整っております」
その瀬田丘陵に陣取る臨海軍司令部で、各陣容を確認してから帰参した士官が報告する。
「……ん」
陣内から眼下に展開する大量の敵兵を眺めていた人物の、美しい双眸がチラリと伝令した男に向いた。
――っ!
途端、思わず言葉を呑み込む士官。
その人物……
腰までありそうな輝くプラチナブロンドをひとつの三つ編みに纏めて、肩から垂らした十代後半の少女。
「……」
白磁のようなきめ細かい白い肌。
整った輪郭には、それに応じる以上の美しい目鼻が配置されている。
白い肌を少し紅葉させた頬と控えめな桜色の唇。
白金の軽装鎧を身に纏った少女は……
――紛れもない美少女だった
「えっと……真琴の部下の……木崎?……えっと、じゃあ手筈通りに進めて」
そして、その少女の特筆するべきはその双眸。
目前に佇むプラチナブロンドの美少女の瞳は、輝く銀河を再現したような白金の瞳……
――それは幾万の星の大河の双瞳
「あ!……は、はい……了解しました……が……」
木崎と呼ばれた士官は、少女の希な美貌につい見蕩れてしまいがちになりながらも、何か言いたそうに口ごもる。
「…………なに?」
プラチナブロンドの美少女はそれを察して……だが、しかしそれ程興味無い顔で尋ねた。
「い、いえ、私のことは木崎とだけ呼んで頂ければ……いちいち真琴様の……とは、なんというか、長いというか……」
ドギマギとしながらも訂正を要求する木崎。
多分、彼はここに至るまでも、ずっとそう呼ばれていたのだろう。
確かにそれは呼ぶ方も長くて面倒臭いだろうし、呼ばれる方も中々にストレスだ。
「なぜ?だって貴方は真琴の部下でしょう?ちがうの?」
純朴な白金の瞳で見つめてくる少女。
「いや……まぁ、それはそうですが……」
白金の少女、久鷹改め”久井瀬 雪白”に今のところ部下はいない。
彼女は臨海軍では新参で、今はまだ君主である鈴原 最嘉の直轄の部下扱いである。
この戦で軍の指揮官を命じられてはいるが、同じく臨海の指揮官である鈴原 真琴と宗三 壱の残していった隊を一時的に預かっているだけの立場だ。
「木崎は真琴の部下、温森は宗三の部下……」
雪白はそう言って、鈴原 真琴と宗三 壱の隊で副長を努める人物の名を並べる。
「……それで……わたしは……最嘉の部下」
少しだけ白金の美しい瞳を伏せて、そう続けた少女の言葉は……
白金の美少女の桜色の口元は……少し綻んでいた。
「……ぐ……う、うらやましいです……最嘉様……」
木崎は心の底からそう唸ると、敬礼をしてから命令通り現場指揮に戻ってゆく。
先ほどより瀬田丘陵の頂上にぐるりと陣取る臨海軍三千は各々に弓を構え、足下で自軍を包囲する大軍、枝瀬川の水に身体を浸して浮き足立つ赤目援軍、大凡”八千”に狙いを定めていた。
――放てっ!
――弓を射よっ!
程なく、東側で木崎、西側で温森の号令が響いた。
ヒュンヒュンヒュン!
シュバッ!バシュ!
「うわぁぁっーー!!」
「ぎゃぁぁっ!!」
予期せぬ足元からの水……
一斉に頭上を埋め尽くす弓矢の黒い影……
下からの、上からの攻撃に、赤目三氏の合同軍は混乱の極みであった。
「落ち着けっ!落ち着くのだ!水はこれ以上来ぬ!この地の事は誰よりも我ら赤目の民が知り尽くしておろう!」
立派な太刀を背中に背負った精悍な面魂の武将が、浮き足立つ将兵を統率しながら我先にと丘陵の麓へ進軍する。
「おおっ!加藤殿!加藤 正成殿!」
その奮戦する勇姿に、武将達、兵士達から歓声が上がった。
「応とも!如何にも加藤 正成だ!断言する!水はこれ以上来ない、水量の少ない枝瀬川上流の堤を決壊させたとて、川幅の広いこの下流域では膝丈か、せいぜい腰丈が限度ではないか!数で圧倒的に勝る我らの包囲を阻害するものではないっ!」
周辺の兵達に轟くような声で叫びながら、自らもズブズブと水を押し分けて臨海軍が陣取る丘陵の頂を目指して突き進む勇猛果敢な将軍。
「おおっ!そうだ!数では圧倒している!」
「小賢しい臨海軍め、目に物見せてくれようぞっ!」
周りがパニックになる中、冷静な判断力と行動力で進む自軍の将を目の当たりにして、すっかり気勢を盛り返す赤目軍がそこにあった。
――
―
「確かに……水で兵を押し流す程なら兎も角、この程度の水攻めならば眼前の兵力差には焼け石に水、故に赤目もその線は警戒していなかったのであろうが……」
臨海軍対赤目軍。
戦況が一望できる枝瀬城の麓でそれを眺める禿げ頭が、ボサボサ頭の男を供に連れ、佇んでいた。
「”確かに……”じゃないですよぉ、数酒坊様。なに捕まってるんですか!?予め仕込んでおいた我が信徒達にたまたま牢の番兵がいたから良かったものの……」
禿げ頭……根来寺 数酒坊にボサボサ頭の従者、川辺 太郎次郎は呆れる。
「仕方無いであろう、まさかこうまで我が”那伽”の工作が先読みされた上に、恐らく血族を人質にとっての脅しであろうが、それにしても、あの律儀者の荷内 志朗を変節させるなど……鵜貝 孫六、なんとも恐ろしい人物ではないか」
川辺 太郎次郎によって牢屋から抜け出したばかりの数酒坊は、如何にも他人事のように述べる。
「俺は臨海の鈴原 最嘉に”上々です”って言ってしまいましたよ……まったく、立つ瀬が無いじゃ無いですか」
「……」
川辺 太郎次郎の愚痴にも当の数酒坊は興味深そうに眼下で展開する戦を眺めたままだ。
「数酒坊様?」
「…………その割には、どうも臨海軍は用意周到に見えるが?」
戦場に視線をやったままの数酒坊に川辺 太郎次郎は溜息を吐いた。
「なんか、予測してたみたいですね、色々情報を集めてましたし……城に向かう時にも、”虎穴”へ向かうとか?言ってましたよ」
「…………」
ボサボサ頭の従者が答えに禿げ頭の主は、その眉を僅かばかり反応させてニヤリと笑う。
「……でも、戦況はあまり芳しく無いんですよね?」
主の表情を見て、川辺 太郎次郎は恐る恐る聞く。
「言ったであろう……水で兵を押し流す程なら兎も角、この程度の水攻めならば眼前の兵力差には焼け石に水と……だが……」
「なっ!?……この状況はっ!?」
答えた禿げ頭の隣に立つ、ボサボサ頭が眼下の戦場に起こった異変に気づき、慌てた声を上げていた。
「…………」
そして禿げ頭の男……
首元に大きな数珠を幾重にも巻いた坊主は、目を懲らし、その様子を覗っていた。
――予期せぬ水攻めにより戦場は混乱、しかし、それでは補いきれない兵力差に再び形勢は逆転、一気に赤目側に軍配が上がるかと思われたが……
「明らかに赤目軍の足が遅い……いや、遅すぎる」
数酒坊は思わず呟く。
それは……その状況は……
水位がそれほど障害にならないと気づき、冷静さを取り戻したはずの赤目の大軍勢が何故か未だに動きの鈍いままで……
戦で優位な高所に陣取った臨海軍が、その相手に一方的に矢を射かける格好であった。
「あれは……どういうことでしょう?数酒坊様」
問いかける太郎次郎に数酒坊は眉間に皺を寄せた”凝らした目”で返す。
「あれは……足元が?……おおっ!!」
戦場を見据えたままの数酒坊の驚嘆に、太郎次郎も同じように目を懲らした。
「……」
確かに……
瀬田丘陵頂上付近に陣取る臨海軍本営に押し寄せるはずの赤目軍の足は覚束ない。
まるで何者か……
そう、まるで”河童”に足でも取られているかのように……
「水の抵抗というのはあるのでしょうが……それにしても?」
そうだ、その進軍の遅さは明らかにそんな程度では無い。
赤目軍はまるで要領を得ない動きで遅遅として前に進まず……
中にはひっくり返って水浸しになる者まで数多くいるような状況だ。
「川底に……何か仕込んでいるのだろうな、恐らく」
それしか考えられないと、
顎に手を当てて思案顔で呟いた根来寺 数酒坊はフッと笑った。
ザッ!
「数酒坊様!?何処へ!?」
そして、その場から背を向け……
城内の方へ戻ろうとする数酒坊に慌てて声を掛け、追随する従者。
「やはりな……あの鈴原 最嘉とは、とんだ”食わせ者”……いや……ははっ失敬!”切れ者”のようだ……はははっ!」
破戒坊は屈託無く大口を開け笑い、禿げ頭をペチペチと叩く。
「ついてこい川辺 太郎次郎!最嘉様のお役に立てるよう、我らも働くとしよう!」
「働く?……城内に潜ませた我が信徒に決起させるのですか?ですが……それは数が少なすぎて……」
追い縋りながら応えるボサボサ頭に禿げ頭の主人はカカカッ!と笑う。
「いいや、臨海勝利後、この枝瀬で戦後処理が楽になるように、骨を折っておくのだ!大いに働けよ太郎次郎!今度こそ、あの御仁に恩を高値で売りつけるのだっ!」
根来寺 数酒坊は豪快に笑ったまま、従者の川辺 太郎次郎を引き連れて城内に消えるのだった。
――
―
「な、なんだこれはっ!どうなっている!?」
「うわっ!」
バッシャァァン!
ドスゥゥ!
「ぎゃっ!」
水に足を取られて転ぶ者、
まごまごとしている間に射倒される者……
戦場は赤目の将軍、加藤 正成が持ち直させる前よりも輪をかけて混乱状態であった。
「ぬぅぅー!何故に川底がここまでも不安定なのだ!」
加藤 正成が周りも顧みず、情けなく叫ぶがそれも無理も無い。
川底には多種多様の石、石、石……
川底に石があるのは当たり前だが、ここにはあまりに不揃いな石が大量に点在する。
川底の石など、通常は川の流れにより摩耗され、基本的に粒が揃うような物だが……
此所では明らかにゴツゴツとして不揃いすぎる石たちが散乱して敷き詰められ、あろうことか所々には足底のサイズ程の穴まで多数存在する始末……
「これは……明らかに人為的だな……」
――自軍の惨状を眺める黒い影達
敵の弓矢の射程範囲外で控える複数の影の一つが呟いた。
「凡そ用兵の法は、高陵には向かうこと勿れ、背丘には逆うること勿れ、絶地には留まること勿れ……なるほど、臨海王、鈴原 最嘉の知略は噂倒れでは無いということか」
別の影が呟いた。
「で、どうする?……兵がこの状況では、我らのみで行うことになるが?」
さらに別の影が問いかける。
「なに、問題あるまい……鵜貝様の策にこれほど対応できる敵には久方ぶりであるが、それでも最後に勝つのは我ら赤目だ」
そして、また別の影が”どうという事も無い”という体で答える。
「フフ……数では圧倒、しかし敵の小細工により苦戦。この手の戦は相手の指揮官を潰せば一気に形勢が一変する」
「然り、赤目の真骨頂は、情報、謀略……そして暗殺」
「ククク、如何にもであるな」
次々と言葉を発する影達。
「では各々方、参ろうぞ……この戦の指揮官を狩りに……あの丘陵の頂へと」
影達は最後にそう言い残し、一つの影のみを残してその場から消えた。
「…………」
そして、そこに残された影が一つ。
「鈴原 最嘉、我が主の策を尽く識る男…………果たしてこれが奴の策の全てなのか……」
黒い影……
”軒猿”と呼ばれる赤目御三家、鵜貝 孫六に仕える忍びは……
相変わらずの冷徹な表情で山頂の枝瀬城を見つめていた。
第七話「用兵の法」END




