第三十九話「雪白と新しい名前」後編(改訂版)
第三十九話「雪白と新しい名前」後編
「良かったのか?あれで本当に……」
”昼食会”から少し後……
花房 清奈はちょっとした雑務のため席を離れ、”包帯男”幾万 目貫は七山 奈々子達に連行されて別室に消えた。
そんなわけで現在ここに残っているのは俺と雪白の二人きりだ。
そう、二人きりで奈々子さんの用意していってくれた紅茶を飲んでいた。
――コクリッ
品の良い甘みがそのまま微かに香る上質な紅茶に一口、淡い桜色の唇をつけながら彼女は頷いた。
「いや、でもなぁ、あの名はなぁ、ちょっと自虐が過ぎるというか……」
「ううん、あれでいい。だってその方が忘れないで済むもの」
「忘れない?」
「……うん」
「……」
「……」
――カチャリ
タイミングを計ったように、同時にティーカップを置く二人。
「うん、あの時……”伊馬狩 春親”に連れて帰られそうになった時、さいかは言ってくれたよね?」
「……」
「”他人の作ったルールで勝手に不自由気取って死んでんじゃねぇ”って、”そこは楽をするなっ!”って……」
白金の少女は大切な物を扱うように優しく丁寧に言葉を紡ぐ。
「久鷹 雪白。今までの自分に疑問を感じたなら、変わりたいなら、自分の命なら他人に預けるなっ!!”って……」
「……雪白」
目の前の少女は終始柔らかい表情で……でも真摯な瞳の色で……
「全部本当だった、うん……すごいよ、さいか……全部ほんとうに駄目なわたし……だから嬉しかった……あのね……あの……」
あれから今まで……お互い特にあの時の話題には触れなかったけど……
それはなんだか二人の暗黙の了解のような、俺としてはそこに触れるのは不味いような……なんとなくそういう感じだった。
「あのね……さいか……」
頬を染めながら必死になんとか心の内を言葉に形作ろうとする少女は見ていて少し辛い。
それはきっと彼女にとって良い兆候なのだろうが、それでもそれはまだ彼女には早くて……少し前まで心を閉ざし人形を演じてきた少女にとってそれは大変な……
「雪白、別に良いんだぞ……その、そういうことは言葉にしなくても……」
――俺はこう思う。済んだことは……乗り越えたことはもう、無理に振り返らなくても良いだろうと
だから俺は、気づいた時にはそんな言葉をかけていた。
「う……ん……そうだね」
そう応えた彼女は……雪白は……
桜色の唇をふっと弛めて同意したものの、少し残念そうに微笑った。
「……」
俺は……
間違えたのだろうか?
――俺は雪白を気遣ったつもりで……くそ……偉そうに雪白に講釈をたれといて……
「…………クスッ」
――そして
自らの未熟に顔を曇らせて悔やむ俺を見詰めていた白い銀河を少し細めた雪白は、優しく微笑った。
「わたしね……わたし、さいかのそういうところ…………すごく……好き」
「!?」
そして純白い美少女は、突然そう告白した。
「……あ……えっと……」
見事な不意打ち……
これが戦なら俺は為す術が無かったろう見事な攻撃に、俺は間抜けな顔で思考停止していた。
「……………………ことばにしない方が……よかった?」
そして白磁の如き滑らかな肌を少し朱に染めて、雪白は白金の瞳を遠慮がちに俺に向ける。
「い、いや……それは……」
――き、気まずい……気まずい……気まずすぎるって!!
「別に……あれだ、その……嬉しいといえばだな……あれだし……」
――これは不味い、駄目なやつだ!
解っていながらも流される俺がいる。
「……それに……ね、もっと以前……わたしが”伊馬狩 春親”の命令でさいかに剣を向けようとした時、叫んだよね?叫びながら無防備に……飛び込んできた」
「あ、あれは、お前の剣に細工をしていたからな……」
話題が少し変わり、内心ホッと胸をなで下ろす俺。
「そうだよ、でも、さいかは最初からわたしを斬る気は無かった……そして叫んだんだよ…………”約束だ!”って」
「約束?」
――言ったな……うん言った、でもあの言葉は……
今までで一番嬉しそうにそういう彼女を前に俺はちょっとばかり困惑していた。
「うん、嬉しかった!数学教えてくれるって、学園で面倒見てくれるって……あんな時でさえ、わたしとの何でも無い日常の約束を大切に思ってくれていることが凄く嬉しかった!」
「…………うっ」
やはりかっ!と……そしてなんて幸せそうな顔をするんだ……と俺は固まる。
目前で恥ずかしげに俯く幸せそうな少女は……今の俺には眩しすぎる!
現在の雪白は、人形少女だと揶揄されていたのが遙か過去の出来事のような変わり様だ。
「……」
そして、俺は口が裂けても言えないだろう……
あの時俺が咄嗟に叫んだ”約束”という本当の言葉の意味とは……
雪白が言うところのまだもっと前に、俺と雪白が出会って間もない頃に……
俺が雪白に荒縄でぐるぐる巻きにされた、捕虜だった時に放ったセクハラ発言。
”おまえ、憶えとけよ、いつか絶対、同じように縄で縛ってひーひー言わせてやる!”
っていう台詞の事で、俺があの窮地に強がって叩いた軽口だったなんて……
「えと……あのな」
「うん、なに?」
麗らかな昼下がり、柔らかな日差しに包まれて”はにかむ”純白い美少女は、まるで暖かな光に溶け込んでしまいそうな無垢な天使。
「……」
一瞬、意を決した俺だが……
――死んでも言えないっ!!
「……いや、なんでもない」
――決めた!!俺は決めたぞっ!!お互いのため墓場まで持って行こう!!
「……」
「……」
俺はそう心に誓い、そして二人の会話は少しだけ途切れた後、僅かに落ち着かない様子で白い銀河の瞳を泳がせた少女は再び口を開く。
「…………さいか、えっとね、元々わたしが臨海に密偵として来たのって、”伊馬狩 春親”に無理を言ったからなんだよ」
「は、はぁ?」
予期せぬ方向に話題が変わり、俺は少し間抜けな相づちを返していた。
「だから……さいかの聞きたいって言ってたこと……」
要領を得ない俺の表情を確認して、純白き白金姫は恥ずかしげに発言を補足する。
「あ……」
――”俺が聞きたいのは、交戦相手の情報収集にどうして”純白の連なる刃”本人が潜入するなんて言う愚策を……って事の方だけどな”
確かに……俺が曾て彼女に投げかけた言葉だ。
「今度の対天都原戦は生きて帰れる確率が低いって、”白閃隊”は後発して敵中に拠点を築くためその場に留まらないといけないって……だから色々見ておきたかったの……わたし、そういう”普通の日常”ほとんど知らないから……」
雪白は過去の俺の質問に対して今更律儀に理由を告白しながら寂しく笑う。
「……」
この少女が……
この天然白色少女が……こんな感情の入り乱れた複雑な表情をするのか……
――こんなどうにもならない寂しさを持て余した切ない笑みを……
――ちっ!
俺は納得いかない!伊馬狩 春親ぁっ!!
「……そうか、だが”純白の連なる刃”ほどの戦力を捨て石にするのか?そんな損失を?」
だが、雪白がそうやって明るく話すなら……
俺は……こんな風に別の質問しか出来ないだろう。
「わたしのね、代わりは幾らでもいるの……だから……でもそのおかげで、”伊馬狩 春親”はわたしの我が儘を聞いてくれた。あんなのでも、そういう心は少しはあったみたいだね……ふふ」
――代わり?
――”剣の工房”とやらのか……ちっ、ほんと胸くそわるいな
「潜入先がね、臨海になったのは偶然だよ。多分、敵陣営で最も相手にならなさそうな、無難なところを選んだみたい……わたしじゃ密偵の頭数に入らないから」
「そうか……」
彼女がそれを過去の出来事にしようというのなら、俺がギャアギャア騒ぎ立てる事じゃ無い。
「春親は雪白を人形と言った……俺はそれが許せない」
騒ぎ立てることじゃないけど……
――くそっ!……ある程度推測はしていても、実際に本人からというのは……
雪白がこんなに明るく話していても……”俺は”収まらないっ!
「現在は違うよ、さいかのおかげ」
当の本人がそう言って終わらせた過去に部外者の俺が憤るお節介……
雪白はそんな野暮な俺に微笑みを返す。
「でも、さいかが……いなければ……わたしは人形のままだった、人形のまま生きるまねごとをして人形のまま壊れていった……と……思うの」
「……」
「だからね……わたしは、ただの雪白は、それを忘れないために”名前”はあれで良いの」
一番最初の質問に、恥ずかしげにそう答えた少女に俺は……
「……」
――ビックリだ……
――正直、心底驚いた
――こんなにしっかりしていたのか……雪白
考え無しの天然白色美少女という認識を完全に改めていたのだった。
「……」
いや、しかしよくよく考えなくても俺と雪白は同じ歳だし、俺以上に今まで潜り抜けた修羅場も半端ないだろう……
「ゆ、雪白……」
「ぁ……」
思わず熱くなる俺の視線に、白磁の様に繊細な肌の頬を朱に染める少女。
「立派だな雪白……とても少し前には他人のハンバーグを横取りしていた人間とは思えない」
「は、はぅっ!?……そ、それはっ……」
良い雰囲気の中、意図的にそれを壊す俺の言葉。
「えと……それは……あう……」
「……」
――またしても……俺は誤魔化した……な
「さ、さいか!」
彼女は混乱し、慌てた為かつい立ち上がってしまい……
――ガシャン!
その時軽くテーブルに足をぶつけてしまい、紅茶のカップを床に落とした。
「あっ!」
「おっ!?」
それを止めようと手を伸ばして蹌踉めく雪白。
そしてそんな彼女を支えようと咄嗟に乗り出す俺だが……
ズキィッ!
――ぐっ!?……よりによってこのタイミングで……
俺の右膝は持病とも言える鈍痛で力が抜けていた。
「きゃっ!?」
「うわっ!」
――ドサッ!
結果……俺たち二人はもつれ合うように、重なり合って床に倒れたのだ。
「…………てて……大丈夫か?……ゆき……」
俺が上で。
「…………」
雪白が下。
上下に重なり合って密着する身体は……押し倒したと言われても言い訳のしようのない体制だろう。
「さ……いか……」
吐息が触れるほどの距離で桜色の唇が動く。
ーーくっ……なんだ……これ……?
「う……さいか……」
俺の下で蠢く良い香りの物体。
――”わたしね……さいかのそういうところ…………すごく……好き”
「……」
――こんな時に……いや、この状況だからか?
さっきの雪白の言葉と表情がフラッシュバックする。
「さいか?」
熱を帯びて鈍く輝く白金の視線。
蕩けるような桜色の可愛い唇……
密着した彼女の身体はどこまでも柔らかく、ほんのりと暖かい。
「どうしたの?……さいか」
そして……すぐ近くで……甘い……香りと……吐息……
「ゆき……しろ……」
――駄目だ……俺に抵抗する術は無い……
「……」
「さいっ!……ぁ」
俺の手はゆっくりと……
そう、ゆっくりと、一際に触り心地の良さそうな隆起した彼女の胸の曲線に伸び……
「駄目……だよ……さいか」
「っ!!」
二人の密着した身体の間に差し入れられた白い両手。
下から俺の胸に沿った彼女の手のひらには、弱々しいまでも確かに俺を押し返す力が籠もっていた。
「あ……う……」
そこで俺は我に返った。
他ならぬ雪白の言葉と控えめながら抵抗する行動で。
「……あ……えっと……わ、わるかった……その……」
そうだ……ちょっと”好き”って言われたからって……
短絡的すぎるだろ!
大体、ただ雰囲気に流されてなんて……
雪白のこういうどこまで冗談か本気か解らない言動は、今更だろう?
「あ……あの」
「……」
下からの声に再び至近で絡み合う視線。
「あ、ああ、悪かった。俺がどうかして……」
俺は謝罪の言葉を述べ、直ぐさまにその体勢から退こうと……
「あ、あのね……」
「?」
して、途中で止まっていた。
――なんだ?ちょっと雪白の反応が予想外というか……あれ?
「あ、あのね……嫌……とかじゃなくて……その……」
――嫌じゃない?なにが?
至近距離から白金の視線を伏し目がちに……
でも確かに視界に俺を捕まえた状況で……
雪白は消え入りそうな声で続けていた。
「今日は……ね……あんまり可愛いの……着けてないから……」
「…………」
「…………」
――えぇぇと……なんだ?…………その、可愛いの?着けてない?
咄嗟に彼女の言葉の意味を美味く理解出来なかった俺は、そのままの体勢でもう一度、下に横たわる少女を見る。
「……う……うぅ……」
そして、これでもかと頬を染めて瞳をそらす乙女。
「……」
――着けてない……(何を?)
――今日は……可愛いの……(だから何を?)
そのまま俺は思考する。
「……」
――嫌じゃ無い?……(押し倒されたのが?)
――可愛いの着けてないから……見られる……のは……
「……」
――えーと……
「ふむ……」
そして俺はようやくある結論に至る。
「って?……え、えぇぇーーーー!!」
「!?……さ、さいか?」
少女に覆い被さった状態で大声を上げる俺。
俺の下の少女はビクリと身体を震わせて驚いていた。
「おまえ、それって!いや、それって!!」
「ぁ……あぅ……」
俺の言わんとすることが解ったのだろう。
改めて真意を確認する俺に純白い美少女は俺の下で赤くなって、ババッと顔を逸らせた。
――しまった!
ちょっと露骨すぎた……よな?
「いや……あの……」
そして申し訳ない顔で見下ろす俺に、白金のお姫様は真っ赤な顔を逸らせたまま、潤んだ白い銀河の瞳で一言、こう呟いたのだった。
「………………………………ばか」
第三十九話「雪白と新しい名前」後編 END




