第三十話「無垢なる深淵と計算違い?」後編(改訂版)
第三十話「無垢なる深淵と計算違い?」 後編
緩やかにウェーブのかかった緑の黒髪。
白い陶器の肌にそれとは対照的なうっすらと微笑んだ朱い唇……
「……」
およそこの世の存在全てを無価値に貶める美貌だ。
――底なしに恐ろしく……
――それ故に至高の美といえる
南阿の英雄と呼ばれし男は、その生涯で多くの女を侍らせて来た。
英雄色を好む……
その格言に漏れず春親もまた多くの側室を持ち、謀略による政略結婚を始め、占領国の美姫の徴集など、色事に熱心であった。
そんな彼が、如何な佳人とはいえ……
一目で思考を無くさせられる。
木偶のように立ち尽くす自分自身が信じられない。
「………………っ!?」
暫く後、春親は我に返った。
――ザッ!
そして思わず半歩下がる。
それは数多の修羅場を潜り抜けて来た彼の危険察知能力が、遅ればせながら働いた結果であろう。
「……クスッ」
暗黒の美姫はその光景に整った口の端をあげる。
「木偶のように立ち尽くすだと?……南阿の英雄と呼ばれる俺が?」
そして春親は一度周りを確認していた。
「……」
意味深に微笑む黒髪の美少女とその傍らで控える老人……
自身の傍に抜刀したまま控えるスキンヘッドの男と、後ろで臨戦態勢を維持したままの三人の南阿軍兵士……
「いや、今はそれより……そうじゃ、それが真実という確証はないじゃろ、虚仮威し、演技力頼みの苦し紛れ……京極 陽子どうじゃ?」
状況を再確認した春親は無理矢理に心を落ち着け、すっかり仕切り直ししたかのように問い返す。
「……」
伊馬狩 春親の言葉は常識的だ。
それはそうである。
自国の領土がこの時期に離反……
しかも支篤の半分もの版図が……
俄には信じがたいことだ。
天都原と南阿は総力戦を持ってここ、天南海峡で決戦を行っている最中だ。
それがいつの間にか此所を越えた向こう側、南阿にしてみれば本国の北半分、そこを占める大領主達が一斉に天都原に寝返るなど……
「”一領具足”……大層な言葉だけれども、南阿の総力たる”最強の槍”は勝ち続けてこその神通力……無様な敗戦を繰り返しては只の虚仮威し、虚しいだけの落書きだわ」
「!」
春親の肩に掛けられ、誇らしく誇示された長物の軍旗文字を一瞥して少女は微笑う。
「そんなヘマを俺がしたち言うのか?……この俺が!?あり得んき」
「失敗?……貴方は前にも同じ轍を踏んだでしょう?」
「!?」
暗黒の美姫の言葉に南阿の英雄は黙り込む。
”蟹甲楼”を失い、天都原領内に侵入した南阿兵士を大量に失い、今回は蟹甲楼攻略はおろか、その手前で自慢の海軍を散々に蹴散らされた。
”一領具足”の代名詞たる勇猛果敢な地上軍と最強を誇る海軍……
その何れもが衆目の中で無惨に敗れ去った。
確かに南阿軍の団結力が地に落ちるのには十分な条件だった。
元々、伊馬狩 春親という希代の傑物が力でまとめ上げた現在の支篤だ。
彼にその能力無しと判断されれば……いや、他にもっと強力な庇護国が現れれば……
支篤の各国が南阿から離反する事態は十分考えられた。
「……ぬ……う……」
そこで春親は初めて思いが至る。
――そう、これは……用意周到に仕組まれていたこと……
南阿の……
伊馬狩 春親の最大の武器は英雄性。
それを“へし折って”見せることによる支篤勢力の懐柔こそが、天都原の真の狙いだったのだと。
「く……貴様……」
この戦いの発端であり、彼が味わった最大限の屈辱……
”蟹甲楼”陥落!
そこから全てが始まっていたのだと。
――迂闊だった?
いや、そう言うには春親は慎重で抜け目は無かったはずだ。
大胆にして繊細、馬鹿正直にして狡猾……
それは伊馬狩 春親の真骨頂だった。
「……」
そう……だったのだ……
この京極 陽子と関わるまでは……
――”伊馬狩 春親”は何も変わっとらん!……しかし……相手の策が狡猾すぎる
「悪魔かよ……貴様……」
自国の日乃領を囮にし、自軍内部の分裂をも逆手に取った”蟹甲楼”攻略。
そして、今度はその”蟹甲楼”を囮に南阿本国に楔を打ち込んだ調略……
「ふ、二つ聞かせろ……”蟹甲楼”の兵力は張り子じゃな?」
切れ長の眼光を光らせて、春親は黒髪の美少女に問う。
「…………現在は内外に喧伝した兵力の半分も存在していないわ」
京極 陽子は悪びれも無くアッサリと答えた。
「守勢に徹していたのはこれで得心がいくき……そうしちょったのでは無く、それしか出来んかったということかよ……」
天都原軍……いや、京極 陽子の懐事情もそれほど余裕が在るわけでは無かった。
いや、というよりも、そもそも天都原国内に多くの政敵が存在する彼女には、総参謀長という肩書きを利用しても自由が利く兵力は実はそう多くなかった。
「ふん、あの身勝手な”十剣”ちいい、人材難と兵力不足はどこも同じことか……」
「……」
男の掃いて捨てるような呟きを、少女の漆黒の瞳は無言で流す。
――ザッ!
「二つ目……自分達、天都原軍の独り勝ちだと思うちょるか?」
伊馬狩 春親は一転、凄むように睨み付けると……
肩に担いだ”釣り竿”のような凶悪極まる刃を揺らせて一歩前に出る。
「…………それはどうかしら?」
「……」
黒髪の美少女の前に再び白髪の老人が庇うように立ち、腰の剣に手を添える。
「……なるほど、勝負はまだ着いとらん……その見解は共通ちいう訳か……なら」
春親はその様子を先程までとは一転、愉しげに眺めながら……
自身の隣に控えるスキンヘッドの男に目配せをする。
「……」
無言で頷いたスキンヘッドで無骨な男、織浦 一刀斎は剣を自らの正中線に構え、ズイッと前に出た。
「なら……予定通り、京極 陽子を手込めにして逆転を狙う手もあるき……」
「…………野蛮で無粋ね」
黒髪の美少女は美しい眉間に影を落としながらも、比較的落ち着いた様子で立ち上がると……
「……」
そこからそっと半歩下がる。
「……ククッ」
しかし表面上は平静を装っている少女も、よく見ると堅く握られた両手は緊張気味に震えている様にも見え、それに目聡く気づいた春親は口元を歪ませて笑う。
「戦場では無粋な事の方が当たり前じゃ!」
「……」
少女の繊細な白い指で光る複数の……
色取り取りの原石で彩られた古風な指輪。
それが確かに小刻みに揺れていた。
その珍しい指輪を見てか、それとも少女の虚勢を見抜いたからか……
中性的な顔の男が口元は更にニヤリと不敵に捻じ上がっていた。
戦略では相手が一枚も二枚も上手だった。
戦術では一歩及ばず……
だが、暴力はこの世の全てをねじ伏せる万能の理不尽!
この司令室に踏み込めた事で伊馬狩 春親はその”万能”を手に入れたのだった。
「戦場とはの……こういうもんじゃ、お嬢様よ!」
春親の口元は益々歪み、既に準備万端……
戦闘モード全開だった。
「……」
「……」
「織浦ぁぁ!」
「承知!」
次の瞬間!
春親のかけ声で黒髪の少女を庇う老騎士に一気に斬りかかるスキンヘッドの男!
ギィィン!
それを古風な片手剣で受け流しつつ、主君である暗黒の美姫を背中に護ろうと体勢を整える老騎士。
「はっ!ぬっ!」
ギィィン!
ビュォ!
ガシィィ!
次々と繰り出される織浦の鋭い一撃は、受け手に廻る”老騎士”岩倉の剣を削ってゆく。
「くっ!」
「はっ!」
織浦 一刀斎の強烈な一撃を受ける度、岩倉の膝はガクガクと震え……
その都度、防御の反応が遅れゆく。
ギィィン!
「み、宮っ!お逃げ下さい!もう数撃ももちませぬ……」
「っ!?」
勿論、陽子もそれまで指をくわえて見ていたわけでは無い。
老人の背後から脱出の機会を窺ってはいたが……
織浦 一刀斎の神がかり的な剣撃と、その男の後方から目を光らせる春親の例の長剣……
射程が恐ろしく長いあの”釣り竿”のせいでその隙が全く無いのだ。
「……」
それでも”ジリ貧”である事を理解している彼女は、一か八か華奢な身体を一気に横に踊らせて背後のドアの方へ……
シュバァァァ
「っ!?」
カコーーン!
そこに必死に手を伸ばした少女の目前で……
甲高い金属音を響かせてドアノブが床に転げ落ちていた。
「逃げられるち思うとるんか……」
ニヤリと口角を上げた春親が鞭のように撓る長剣を振り回して彼女の行く手を遮っていた。
「……」
陽子の伸ばした白い指先は直前で目的を失い、少しだけ虚しく宙を彷徨った後に再びギュッと握られる。
「……」
そして陽子は、なにかに想いを込めるように……
右手と左手を彩る複数の指輪を胸元に合わせ、祈るように瞳を閉じる。
「……なんち?そん変わった指輪が切り札にでもなるんかよ?……どげな色男の贈り物か知らんが俺の元で飼ってやるち、もっとマシなのを送っちゃる」
――!
その言葉に暗黒の美姫は奈落の瞳を再び開く。
「…………哀れだわ、支篤の田舎者には指輪の価値は理解できないようね」
いつも通りの毒舌……
しかし今回の陽子の言葉には、珍しく、僅かではあるが明らかな怒気が籠もっていた。
「そうかい……それはすまんのぉ」
陽子の見下した言葉も気にも留めず、春親は剣を担いだまま無遠慮に近づく。
「貴様が、もうちぃとでも部下と敵に恵まれておればのう……相手が悪かったのぉ、京極 陽子ぉ……実際の戦は女子供の盤面遊戯のようにはいかんのじゃ」
「っ!」
陽子の眼前に手を伸ばす伊馬狩 春親……
ギィィィーーン!
だが、春親の担いだ長剣が背後から強引に弾かれ、体を入れ替えるように春親と陽子の間に割り込む人影がひとつ!
「き、貴様っ!?」
春親はその人物を睨んで叫ぶ!
「陽子、陽子って気安く呼んでんじゃねえよ、春親ぁぁ!」
ギィィィーーーーン!
間髪入れぬ二撃目に春親が大きく横に飛んだ。
「……き……貴様……臨海の……」
そこには……
既に抜刀して立つ、鈴原 最嘉……
つまり俺の姿があったのだった。
第三十話「無垢なる深淵と計算違い?」 後編 END




