第十六話「安い義眼」(改訂版)
第十六話「安い義眼」
「入るぞ」
そう言って、その義眼の男は許可を得る前にズカズカと入室して来た。
「おいおい……予想以上の荒れ様だな」
そして伊達眼鏡のブリッジ部分をクイッと人差し指で上げて直し、態とらしく肩をすくめてみせる。
――俺はというと……
「……」
部屋の中央近くに突っ立ったまま、特に反論するわけでも無くその闖入者を無言で眺めていた。
――蹴り倒した椅子に散乱した報告書、
――そして
その元凶たる感情の抑えられない未熟者が独り……
――反論など出来るはずも無い
「とは言え、部下に当たり散らすよりはよっぽどマシだ」
義眼の偽眼鏡男はその惨状にも、”仕方ない奴だなぁ”という笑みを浮かべつつ言う。
――不躾な来訪者の名は”穂邑 鋼”
我が臨海の同盟国であり、この戦争の主役である”正統・旺帝”の代表的な将軍だ。
「まぁなぁ、気持ちは良く解る」
そしてその偽眼鏡男は独り勝手にウンウンと頷くと、倒れてあった椅子を直し、そして俺にそこに座るよう促した。
「…………真琴が居たはずだが?」
気まずい雰囲気の中……
俺はそれを無視し、取りあえずそれだけ返す。
「ん?ああ、それな。こっちにもな、そこそこの”手練れ”は居てなぁ……性格にちょっとだけ難ありで、俺にはトコトン反抗的なんだが……」
偽眼鏡男は設問の答えにもならない言葉を返しながら、自らが直した椅子の前の地ベタに胡座をかいて座った。
「……」
――つまり真琴を、その”性格に難ありの手練れ”とやらに押さえ込ませ……
――自分は此所へ来たと……そういうワケか
同盟国とはいえ他軍の陣内で随分と勝手に動くものだと、呆れる俺。
「それより座れよ、”お前の椅子”だろ?鈴原 最嘉」
突っ立ったまま自分を睨む俺を、胡座をかいた男はそう促した。
「…………」
俺は……
――残念ながら”そういう”心理状態では無い
だからこそ独りになりたいと……
ほんの暫しだ。
ほんの少しだけその時間が欲しいと言うだけなのに……
「座れよ、”お前の椅子”だ。臨海王!」
「っ!?」
偽眼鏡……穂邑 鋼の二度目の言葉はこの気さくな男にしては語気が強く、それでいて氷の様に研ぎ澄まされた響きだった。
「………………わかった」
少しだけ虚を突かれつつも俺は頷いて、奴が直した椅子に素直に腰掛ける。
――”お前の椅子”
そう、これは俺の椅子だ。
――臨海王!
そうだ、俺は臨海を統べる王。
多くの民、多くの将兵を束ねる一国の王であり不動の統率者なのだ。
――
「なによりだ、鈴原」
そして座する俺を見て、穂邑 鋼は普段通りの柔らかい笑みを見せる。
「……」
――王としての本分、それを見失わなくて“なにより”だ
それがこの男が俺に向けた言葉だった。
「…………確かにお前の言うとおりだ穂邑。今現在、俺達臨海とお前ら正統・旺帝の連合軍は窮地だ。そんな状況では少しの時間も……」
――ほんの少しだけ、その時間が欲しい?
そんな甘えは”統率者”たる身には到底適わぬ贅沢な感傷なのだと、そういう忠告だったのだろうと……
「いや、普通にヘコむだろ?仲間なんだろ?大切な女なんだろ?俺は別にイイと思うぞ。人間そう簡単に割り切れるものじゃないし、そんな感情をスッパリ捨てきれる人間を俺は盟友とは思わない」
「……………………」
――は?
どういう……この男はどういうつもりだ?
穂邑 鋼の行動の意味を独り勝手に納得していた”鈴原 最嘉”は若干混乱していた。
「なぁ鈴原。この局面、正直お前の策は必要だ。だがな、どのみちその精神状態のお前じゃ将兵の命を任せるわけにはいかないし、俺もな……その……スッキリしない」
目をまん丸くしていただろう俺に、胡座をかいた男は少しだけ照れながら最後の所を付け足す。
「なんで……穂邑がスッキリしないんだよ……」
ここに来て俺はようやっと反論する。
俺が折角、素直に従おうとしているというのに……ちょっとばかり腹立たしかったのだ。
「まぁ聞けよ、鈴原。一応年上の経験談は多少の役には立つぞ」
そして今更……
二歳ほどの年の差程度で兄貴風を吹かせる偽眼鏡男。
「そんな時間無いだろうが?てか、お前は状況打開に役立つ敵の情報持って来たんじゃないのか?」
数で劣る上に敵城は強固、そのうえ直近の敗戦から士気も彼方が上と……
実際、今の状況は結構不味い。
猛将、木場 武春は言うに及ばず、天下の堅城”那古葉城”を守る”旺帝八竜”の甘城 寅保、更には宿将、山県 源景と……
だが新たなる難題は――
先だって広小路砦攻略戦で用いられた旺帝の戦術だ。
有能である上に慎重すぎるほどの我が臨海軍参謀、内谷 高史を完全に手玉に取る権謀術数は旺帝軍内に予想外の策士が居る証拠であった。
「それはそうだがな……その前にもっと重要な事を話したい」
「…………」
――重要な事?
この状況下で戦争の議題以外に重要な事なんぞ……
「いや、だってなぁ……お前の頭脳は確かに必要だが、そんな為体じゃ役に立たないだろう?」
「余計な配慮だな、ここは戦場で俺は臨海の総司令官だ。公私のケジメくらい……」
俺は侮られていると、ついカッとなって言い返す。
実際、それは穂邑 鋼の指摘が正鵠を射ていたからだろう。
「ムリムリ、そういうのは理屈じゃ無いってのは俺もよくわかってるから」
だが偽眼鏡男はそんな俺を憚ること無く勝手に話を進めようとする。
「…………俺は別にお前に精神の安定を頼んだ覚えはない」
俺は少々苛ついていた。
知った風な……大きなお世話だと!
「戦争は人がするものだ。で、その人と心は切っても切れない間柄だ。ちがうか?」
「だからそういうのはいいって言ってるだろうが!それより持ってきた旺帝軍の情報をサッサと……」
「そう言うなって、俺は経験者だぞ?」
「経験者?何のだよ?はぁ!?」
俺の燻っていた苛立ちは再び薪を焼べられ……
いや、抑も収まってなどなかったのだから。
「まぁ聞けって」
「ちっ!」
――俺は……既に失った
”だからこそ”の怒りと苛立ち……
それは全て不甲斐ない自身のせいであると自認しつつも、内に抑えきることの出来ない俺。
そんな未熟な鈴原 最嘉を眺めながら、眼前で床に直接坐した偽眼鏡男は打って変わって静かに口を開いた。
「俺は昔……”命より大切な女性”を奪われ、そして取り戻した」
――っ!?
叱るでもない、諭すでも無い……
正統・旺帝の”独眼竜”穂邑 鋼の生身た左目は――
本来の機能を成さない硝子眼鏡の下で澄んだ湖面の様に透明で在り、紡ぐ言葉は独白のように淡々としたものだった。
――そして
穂邑 鋼の言う”大切な女性”とは、最早言うまでも無いだろう。
――この世の何ものでも比べられない”大切な女性”
「”黄金竜姫”……燐堂 雅彌か?」
なのにその名を態々と口にした無粋な俺は、素直に頷く穂邑 鋼を量りかねていた。
――”燐堂 雅彌”
序列一位、黄金の魔眼の姫にして京極 陽子の従姉。
そして本来ならば旺帝の正統王位継承者だった人物。
「これは”魔眼姫奪還”の話でもある」
――”魔眼姫奪還”……だと?
魔眼の姫を!?
一度奪われた魔眼の姫を!?
――あの幾万 目貫から取り返せるというのか!?
「……」
椅子に座したままの俺は、目前で地ベタに座った男の顔を上から覗き込んだまま、ゴクリと唾を飲み込む。
「そうだ」
――穂邑 鋼……
なんというか、まるで人が変わったかのような凄みだ。
これこそが!嘗て最強国旺帝に在って最年少で軍の頂点”二十四将”に名を連ね、”独眼竜”の名で恐れられた男。
戦国世界では到底叶わぬ新技術をその身一つの錬磨研鑽のみでイチから築き上げ、独自の新たな技術体系を唯一の女のためだけに実現させた大馬鹿者の傑士!
――これこそが穂邑 鋼という男の本来在るべき姿であるというのだろうか……
「…………」
「まぁそう鯱張るなって、鈴原」
急に力を抜いた様に脱力した男は伊達眼鏡を外し、裸眼になった義眼の……
造り物の右目近くに刻まれた小さい傷の辺りをコンコンと指で叩く。
「穂邑 鋼の場合、”代償”は……この右目だった」
「…………」
そして事も無げにそう言うと、裏表無い顔でニッカと笑う。
「どうだ、安い代償だろう?」
第十六話「安い義眼」END