第四話「賭場と剃刀」前編(改訂版)
第四話「賭場と剃刀」前編
――もう四年も昔の……
私が十三、最嘉さまが十四になったばかりの、まだ臨海国次期当主であられた頃の話だ。
最嘉さまは鈴原 真琴と宗三 壱を引き連れ、ある人物の元を訪ねられた。
場所は臨海領内、扶路社の外れにある屋敷……
そこは十数年も放置された”ある古参の家臣”が所有する別荘で、大幅に改修して現在はその”古参の現当主”が住んでいるらしい。
その人物は……
数年前に家督を継ぎ、臨海国領主である鈴原 大夫様に数年間仕えたが……
普段の素行の悪さから大夫様に疎まれ閑職に回された事で、そのまま自棄になって職を自ら返上してこの僻地へと移り住んだという話だ。
――
「本当にこの頭数で訪ねるのですか?相手は……」
私の横を歩く従兄、宗三 壱が前を行かれる主人に問う。
「別に問題無いだろ?敵に会いに行くわけじゃあるまいし」
その問いに平然と答えられた最嘉さまは、そのまま目的地を目指して先頭を進んで行かれる。
「それはどうでしょうか?件の人物の良い噂は聞きません、なにやら良からぬ者達を集めて日がな一日、爛れた生活を送っているそうです。そんな輩ですから既に鈴原本家に忠誠心があるとは思えません」
前を行かれる最嘉さまにしつこくそう問う宗三 壱。
どうあってもこの従兄は主君に再考を求めたい様子だ。
「鈴原に忠誠心ねぇ、真琴はどう思う?」
壱の執拗さを適当に聞き流している様に見える我が君は、それまで無言で付き従っていた私を振り返って問われる。
「はい。”神反 陽之亮”ですか?私は面識は無かったと思いますが、確かに良い噂は聞きません」
その涼しい瞳に一瞬ドキリと胸を高鳴らせるものの、私は平静を装って応えた。
私は壱の様に主人に変心を働きかける気持ちは無い。
私の主人たる最嘉さまのお考えに口を挟むなどあり得ない。
鈴原 真琴にとって鈴原 最嘉さまはそういう絶対的なお方なのだ。
――とはいえ
私の知る限りその男は、臨海国の直参の家臣家系ではあるが家督を継いでから職を返上してこの僻地に隠遁するまでに、主君である鈴原 大夫様と何度も衝突し、挙げ句は職場放棄……
そして現在は屋敷に”ならず者共”を囲い、酒と女三昧だと聞くどうしようもない男だったはず。
そういう情報から私は最嘉さまの御心に反しないまでも、壱の忠告にも一定の理解はしていたのだ。
「けど”切れ者”だぞ?ことに数年前の天都原、日乃領での戦……そこで奴が進言したという、南阿軍に対する切り崩しの内部分裂策は絶品の……」
「”あれ”は人道に悖ると思いますが?」
不敬ながら壱が我が君の言葉を遮る様にそう言い、
「姑息な策だと思います」
私も壱の意見に大凡賛同だと最嘉さまに伝える。
そう、その戦で”神反 陽之亮”が献策したのは――
わざと南阿軍を日乃領へと上陸させ、占領させた村に仕込んだ遊女達を使って一部の船頭達を酔い潰して籠絡、或いはそれで動けぬ一部の孤立部隊兵士を人質に敵全軍を分断するというものだったそうだ。
「そうかぁ?戦はなにも正面から矛を交えるだけが全てじゃないし、奴の策なら楽で味方の被害も……」
「……」
「……」
最嘉さまはそう言われるけれど、私はやはり戦場で女を売りにしたような方法は抵抗があるし、壱は戦闘結果での捕虜ならともかく、それを盾や人質にするような策は好まない。
――勿論、最嘉さまがお命じになれば、私には異論などあるはずもないけど……
「いや、まぁいい……とりあえずは訪ねてみよう。余人の無責任な噂、他人伝ての不確定情報なんてものは、散々に”願望や思惑”が加わってとても鵜呑みに出来る代物じゃないしな」
最嘉さまは私達二人の表情を見て取ると言葉を止め、そして軽く笑ってそう言われる。
「……」
――そう、真琴にとって最嘉さまの出される結論は全て正しい!
どんなときも真琴はそう確信している。
――けれども今回は……
職を失った奉公人、夜盗崩れ、浪人に遊女、そういう無頼の輩が群れるそんな場所に……
私が本心では乗り気で無い理由は宗三 壱のそれとは少し違い、その人物の真偽ではなくて……
私の最嘉さまに!
そういう”いかがわしい場所”には近づいて貰いたくないという事からだ!
「……」
酒に女……
欲望に溺れる人生の落後者達。
そんな輩を纏める屑男なんかに関わって最嘉さまの御身に、
いいえ!
万が一、その男を最嘉さまが気に入られた後で、裏切られ傷ついたりされたら……
――そう、一年前の”嘉深様の時”のように
「……っ」
――私は最嘉さまをイチミリだって傷つける可能性がある存在を絶対に許容しないっ!
あの時の最嘉さまのお姿を思い出し、私の胸は心臓を握り絞められたかのように苦しくなる。
――させない!万が一にも!
我が君の後ろを歩く私の指は、無意識にギュッと強く握られていた。
――
「てなわけでぇ……行くぞ、壱、真琴。やさぐれ男の巣窟へ!」
最嘉さまは宝探しに戯れる童のように無邪気な笑みで先を指し示される。
――私は……
「お供いたします」
――私がお護りする、この身に代えても!
頭を下げて応え、堅くそう誓ってから我が君の背を追ったのだった。
――
――ガヤガヤ……
「……」
――がははっ!
――きゃっ!ちょっとぉ!うふふふ……
「……」
予想以上というか、予想だにしないと言うべきか。
”神反 陽之亮”の別荘とやらは耳を覆わんばかりの喧騒で、
「なに……これ?」
私は思わずそう独り言を吐き出してしまう始末だ。
「おおぅ!?この”お坊ちゃん達”はどこのお偉方だぁ!?」
「きゃはは!止めなよ、アンタみたいな怖面のおじさん見てさあ、このお嬢ちゃん固まっちゃってるでしょ?」
――ぎゃはははっ!!
「……」
件の”神反 陽之亮の館”は……
上半身裸で酒を手に騒ぐ柄の悪い男達に、
派手な化粧の半ば開けた”しどけない”衣装の女達……
ある者は博打に我を忘れ、ある者は侍らせた女と酒に溺れ、
そしてまたある者は掴み合いの喧嘩に怒声をまき散らす。
「……」
屋敷の中に案内されて直ぐに、私は充満する商売女達の化粧と野蛮な男達の酒の匂いに自然と眉を顰めていた。
「やぁやぁ、誠に申し訳ないねぇー、こんな片田舎までお運び頂いてこの有様……はははっ……で、鈴原の若様はどういった御用向きで?」
歳の頃は二十代半ばから後半だろう。
切れ長の眼をしたヒョロッとした色白い男が屋敷の中央にドッカリと腰を下ろし、左右に妙齢の女達を侍らせながら上機嫌に酒杯を上げて笑う。
「……貴殿、神反 陽之亮か?」
立ったままの私達、その中で宗三 壱が始めに言葉を発した。
「あ?ああ……俺が誰かって?ああ……なるほど……って誰だっけ?ええと……ちょっと待ちなよ兄さん……ええと、どうだったかなぁ?天下の色男って事だけは覚えてるんだけどなぁ、どうだったけなぁ。おぉい、桔梗?どうだっけ?あははははっ」
色白い優男は上半身の衣服を開け白くて貧弱な体を晒しながら巫山戯きった口調で、隣で酌をする女に問う。
――あ……だめだ
隣で立つ壱の顔を見て私は思った。
男は肩に掛かる長さで無造作に垂らした髪を振りかざし、相変わらずのほろ酔いで軽口を発した口の形のまま、自らが”桔梗”と呼んだ右隣の女を抱き寄せてケラケラと笑っていた。
「神反 陽之亮。自らの口で我が主君に名を告げよ!それが臣下として最低限の礼節だ」
言葉は落ち着いているけど……
壱はかなり苛立っている。
それはこの男が最嘉さまに向ける態度が原因なのは明白で、かく言う私も壱と同様に怒りが臨界点だった。
「はぁ?知ってるならそれで良いでしょ?でぇ?何の用かなぁ、す・ず・は・ら・のぉ!若君ぃ?」
――っ!!
あまりの無礼に!私達二人が堪らず前に出ようとした瞬間だった!
「神反 陽之亮。お前を見込んで頼みたい仕事がある」
最嘉さまはスッとしゃがんでから、その巫山戯た男と目線を同じにされた。
「…………」
巫山戯た優男、神反 陽之亮は正面から最嘉さまと視線を絡めたまま、薄笑いを浮かべたままで黙っている。
「親父殿には随分と煙たがられているようだが、俺はお前を買っている。どうだ?」
「…………」
それでも返事を返さず黙ったままの神反 陽之亮。
この無礼千万な男に対し……
「このっ!我が君の質問に答えなさい!無礼者っ!」
思わず怒鳴りつける私。
「………………ふぅ」
けれど目前の無礼な男は、ニヤけ面のまま溜息をひとつ、
そして手にした酒杯を一気に呷った。
「どういった任務か知りませんがぁ、どうせ命懸けの使い捨てでしょう?職務を放棄して日がな一日遊び惚ける穀潰しの使い道には持って来いだ。ははは」
睨み付ける私と、全く動じない表情で男を見詰めておられる最嘉さまに、神反 陽之亮は軽薄に笑ってから、
――ガシャン!
手にしていた空の杯をそのまま床に落とした!
「なにを勘違いしているのか知らないがなぁ?お坊ちゃん!俺は既に身分や肩書きを返上した!」
打って変わって荒々しい口調で私達を睨み付ける男は先ほどまでとは別人の迫力を見せる。
「そ・れ・にぃーーだっっ!!我が神反家は鈴原当主家の直参であって、その命令権は当主に帰するんだよ!解るかい?現在は当主でもない”お坊ちゃん”にあれこれ命令される筋じゃないってことだ!」
そして不敬にも、最嘉さまの鼻先数センチまで顔を寄せて憎たらしい顔で暴言を吐く。
「このっ!」
これには、反射的に腰に装備した特殊短剣に手をやる私だが、
「真琴」
それを最嘉さまは静かに制した。
「……うう」
――納得いかない!
いいえ!当然、最嘉さまにでなく!
この目前の無礼者を二つにして斬り捨てられない事にだっ!
「……」
けれど最嘉さまは私とは違い、酔っ払いの無礼者とお顔を突き合わしたまま、ニヤリと口元を微かに釣り上げられた。
――あ……
これは心中で、凡人には思いもつかないお考えを、なにか良からぬ事を考えているときのお表情だ!
すごく頼りになって、ちょっとだけ意地悪な、私の最嘉さまの……
「……」
私はその一瞬で全ての苛立ちを忘れ、頬が熱くなる。
「合い分かった。ならば賭けで決めようか。そうだな、俺が勝ったら……」
――っ!?
そして次に発せられたそのお言葉に……
その場の全員が一瞬、そう予測通りに意味が解らず立ち尽くす。
「は?……いや、ちょっと!?坊や?……何を言って」
最嘉さまのお言葉に神反 陽之亮だけじゃなくその場の全員が驚いて言葉を無くしていたのだ。
――ふふん!
そうよ、私の最嘉さまのお考えが、私を含め凡人に理解出来るはずも無い!
誇らしい気持ちでお側に控える私だけど、
――でも、この雰囲気で平然とそんな提案?
――いえ、どういう状況?
私の誇らしいと感じる理由の通り、さっぱり見当もつかない。
「だ・か・らぁっ!賭けだよ賭け!俺が勝ったら”陽之亮”は俺の所有物だ。今後は俺の麾下で馬車馬の如く働いて貰う」
同列にポカンとした無礼な優男に我が君は再度、説明をされる。
「い、いやいや……だからなんで賭け?やらない!やらないって!俺は此所で酒と女達に囲まれながら一生涯、面白可笑しく過ごす予定……」
「なんでって?お前、ここは賭場だろ?賭場ですることは賭け事しかないだろうが?」
完全に呑まれたふうの優男の否定を最後まで言わせず、最嘉さまは然も当然とばかりに言い放たれる。
「さすがは最嘉様、ここは完全に……」
壱の呟きに私は改めて周りを見回す。
「ぎゃははっ!」
「ざぁーんねんっ!親の総取りだぁ!」
「ちっくしょう!もう一回だ!」
この場は私達が来た時から、荒くれ者と商売女と酒盛り、とくれば……
「……賭場ですね」
壱が言う。
「……賭場だわ」
そして私も賛同した。
「い、いやいや!!……しかし!だからと言って俺がそんな賭けを受ける言われは……」
「俺が負けたらお前の言う事を何でも聞くぞ、なんでもだ」
またしても優男の否定を最後まで言わせず、最嘉さまは平然と言い放つ。
――っ!
尻込みする優男に向け、最嘉さまの口から出たとんでもないお言葉は……
騒がしかった荒くれ者共も思わず息を呑む内容だった。
「あと……そうだなぁ、勝負の方法は陽之亮に任せる。お前の得意な分野で勝負だ、どうだ、これでも逃げるか?」
鼻面を付き合わせたままの距離で、意地悪く、挑発的に笑う我が君。
「おおっ!やれやれ!」
「神反の旦那!まさかこんな子供相手にここまで言われて逃げねぇですよねっ!」
いつの間にか周りの無頼達も巻き込んで場は大いに盛り上がっていた。
「……う……むむっ」
――これだ!
最嘉さまはこんな風に、戦でも交渉でも周りの状況をもの凄く上手く利用される。
私のウットリとした視界は、必然的に我が君で占められていた。
「ほ、本当に……何でも聞いて頂けるので?」
ある意味観念したのだろう、神反 陽之亮はタジタジながらも至近で最嘉さまの挑発的な瞳を見返す。
「お前の予測通り命懸けの任務を頼むんだ、此方もリスクを背負って当然だろう?」
そして――
こういう時、私の最嘉さまは決して逃げる事などしない。
「ふふ……ふ……なるほど、成る程、成る程」
色白の優男はドタンッ!と、
後ろに両手を着いてからグッと仰け反って天井を仰ぐ。
――その姿は、心なしか……なんだか楽しそうにも見えて
「ではでは……鈴原の若君、俺が勝ったら……」
そして、その優男……
神反 陽之亮の切れ長の瞳に、初めてギラついた光りが宿った!
――こ、この無礼な優男……
その異様な迫力に、思わず私はゴクリと唾を飲む。
「……」
宗三 壱も無言ながら、刀の柄に置いた手に力が入っている様だった。
それほどまでに、この男の雰囲気は豹変したのだ。
「そうですな、この神反 陽之亮が勝ったあかつきには……この女性、”桔梗”を抱いて頂きますが……鈴原 最嘉様?」
――はっ!?
私はその瞬間、完全に頭が真っ白になった。
「な……な……」
そして咄嗟に言葉も出ない。
「ふふん」
対して、試すような、いやらしい視線を向ける神反 陽之亮。
そして肝心の……最嘉さまは……
「わかった」
短くそう答えられた。
――な!?なな!!
「ふふ、それは重畳……」
返答を確認した神反 陽之亮の切れ長の瞳は……
極上の愉悦に細められ、どんな美酒にも不可能な陶酔の底にて剃刀の如き鋭利な光を煌めかせたのだった。
第四話「賭場と剃刀」前編 END