第六十五話「通算成績」前編(改訂版)
第六十五話「通算成績」前編
俺がその広間に入った時、宗三 壱は広間の床に直に正座し背筋を伸ばして両目を閉じていた。
――カツ、カツ、カツ……
壱の傍で腰に差した刀の柄に手を添えたまま、監視者として立っているのは、久井瀬 雪白。
「……」
光に溶け込んでしまいそうな光糸の輝くプラチナブロンドをひとつの三つ編みにまとめて肩から垂らし、輝く銀河を再現したような幾万の星の大河の双瞳。
白金の軽装鎧を身に纏った純白い剣姫は、相変わらずの冷徹な表情で虜囚を見下ろしていた。
――カツ、カツ、カツ
武器は取り上げられてはいるものの……
通常の虜囚と違い拘束さえされていない宗三 壱の状況は、柄にも無く雪白が俺に気を遣ったからだろう。
――カツ……
「雪白、ご苦労だったな、少し壱と話がしたい」
渇いた足音を響かせてそこまで歩いた俺は、立ち止まるとプラチナブロンドの少女にそう伝える。
「さいか…………うん、わかった」
そして、純白い美少女は一瞬だけ逡巡する素振りをみせかけるが、俺と視線を絡めた後は素直に頷いて、そのまま後方へと下がって控えた。
「…………」
「…………」
広間ほぼ中央に佇む俺と、依然として正座し黙祷したかのような宗三 壱。
更に数メートル離れた位置で俺達二人を見守る様に並んで立つ、鈴原 真琴と佐和山 咲季の横に、たった今下がった久井瀬 雪白がその列に加わっていた。
部屋を警備していた兵士達は入って直ぐに真琴の指示にて外に出され、小津城の二階広間には今はこの五名のみだ。
「ほんと、真琴にしても、雪白にしても……気が利く良く出来た家臣で俺には勿体ないな」
「……」
呟いた俺の言葉にも壱は反応せずに無言を続ける。
「そう思わないか?壱」
そして今度は明らかに問いかける俺に、坐した虜囚は……
「臣下の者が正しき忠節を尽くせるのは、その主たる御方が優れている証拠でしょう」
目を閉じたまま……
スッと背筋を伸ばして正座したままの男はそう応えた。
――宗三 壱らしい見解だ……
本当に俺はそう思った。
「そうか……なら、お前はどうだ?宗三 壱」
そして俺は続けて男の真意を問う。
――
その言葉に、主君たる鈴原 最嘉の問いかけに……
虜囚の瞼はゆっくりと開く。
「主君に刃を向けた恥知らずの”裏切り者”には死罪以外の何がありましょうか」
――っ!!
その瞬間……
俺の背後で真琴が息を呑む気配が伝わり、場の空気は冷たく沈む!
――そうか……やはり言い逃れはしてくれないか……
俺は予測済みの”腹心の部下”の答えに溜息を吐くと、もう一度口を開く。
「俺には”裏切り者”の姿なんぞ何処にも見えないが?」
「……」
壱は今度は応えない。
あくまで臨海のため、俺の為に汚れ役を演じた事を言わないつもりだろう。
「壱、事は済んだ。心配しなくても後のゴタゴタは俺が……」
「法は曲げるべきでは無いでしょう、特に軍隊は規律無くしては成り立たない。公平な政も行えない為政者を民衆は認めることが無い……それが解らぬ”暗君”こそ、私にはこの広間には居ないと思いますが?」
「くっ……」
鋭い切り返しだ。
ぐうの音も出ない辛辣かつ合理的な反論。
――”神ならざる人の身が国を治めるには法は曲げるべきでは無い、況して軍隊は規律無くしては成り立たない”
俺自身が以前に真琴に向けて放った言葉でもある。
だが……
「お前が決行した”策”をお前自身の口で話せ、そうすれば……」
――そうすれば……独断の罪だけで済ます事もあるいは可能
「未練がましいですよ、鈴原 最嘉殿。反乱者は死罪!私……俺は貴殿の全てを認めず、反旗を翻した。それが全てだ!」
「っ!!」
――鈴原 真琴は言った。
”謀叛は例外なく死罪です”……と、
――京極 陽子は言った。
”致命的裏切りに対するのは死罪、それを覆すことは専制君主制への挑戦といえる。絶対的支配者たらんとする者は時に非情さを”……と、
――そして宗三 壱は言う。
”主君に刃を向けた恥知らずの裏切り者には死罪以外の何がありましょうか”……と、
「……」
――曾て……
――曾て嘉深は……俺の妹は……
皆が言う”それ”に殉じた。
裏切りに対する処罰、君子の君子たる器、民衆の上に立つ者として……
”そういう”世の理に殉じたのだ。
”最嘉兄様は優しすぎるから、凄いのに……兄様は強くて優しくて……そしてやっぱり非道い……”
空虚な俺の両腕に、芯の無くなった少女の身体の重さが甦る。
力なく首の角度を落とした曾て嘉深だった魂の抜け殻が甦る。
「……」
――殺せ、殺せ、殺せ……
どうしてそんなに死にたがる?
どうして皆、俺の為だと死んで行く?
なぜ俺に殺させたがるんだっ!!
戦国の世の摂理?
秩序在る世界のために?
世界を統べるにはそれが……
「…………」
――腹が立つ……
――あぁ、腹が立つ!
それは誰であろうと”その壁”を越えられないという諦めだろう。
誰にも……
俺には無理だと!?
「…………」
――繰り返しだ
――ずっとずっと繰り返す……
だから腹が立つ。
決めつける奴等に、それを許容させる世界に……
腹が立って俺は……
「……」
シャキ!
「っ!」
「……」
「せ、先生!」
右手に持った刀、宗三 壱の愛刀である鵜丸を抜刀する俺に、後方で固唾を呑んでいた真琴が一瞬息を止め、雪白は見守り、咲季は思わず声を上げる。
シャラン!
「…………」
そして、完全に抜き放たれた自らの刀身を目の前に、宗三 壱は何の抵抗も見せずに再び目を瞑った。
「…………腹が立つな」
俺は呟いて刀を振り上げる。
――腹が立つ……
――ああ、そうだ腹が立つ!
シュオン!
「っ!」
「……」
「ひっ!」
苛立つほどに殊勝に死を待ち続ける宗三 壱に鵜丸を勢いよく振り下ろす俺!
真琴が、雪白が息を呑み、咲季は短い悲鳴を上げた。
――が立つ……を……断つっ!!
ガキィィィーーン!!
直後に視界いっぱいに激しい火花が飛び散り、俺の手の中にある刀の柄から伝わる衝撃で右手が震えた。
――”鵜丸”は業物だ……
――俺の愛刀”小烏丸”と同じ鍛冶師に鍛え上げられた逸品
だが!
壱が坐した石床の近く、膝先数センチに激しく激突した鵜丸の切っ先は回転しながら後方へ弾け飛び、俺の手には刀の柄と三分の一程になった刀身が残る。
「っ!?……最嘉……さま」
「……」
真琴が小さく驚きの声を上げ、壱は静かに瞼を開いて俺を見上げた。
――刀という物は、どんな名刀でも所詮は鉄とその他の金属の合金……鉄塊だ
硬い刀身はそれ故に使い手の技量が覚束なければ信じられないほど簡単に砕ける。
標的に刃を合せることもでき無い。
角度と力加減、タイミング……どれも切断するには程遠い。
――そんな未熟者ならどんな名刀も”模造刀”と大差ない!
逆に言えば、それらを熟知して尽く逆を選択すれば、天下の名刀を台無しにするのもまた容易い。
ガシャン!
俺は痺れる右手に残った、業物だった”刀”をヒョイと目前の壱に投げ捨てた。
「…………」
それを無言で見つめる宗三 壱。
「お前の刀だ、返してやるよ」
シャラン!
俺はそれだけ言うと、今度は自身の腰に装備した小烏丸を抜き放つ!
「せ、先生っ!?」
俺の不可解な態度に、今度は咲季が若干非難を含んだ声を上げるが――
「……」
「……」
真琴と雪白は変わらず無言で俺を見守ったままだった。
「綺麗事言うなよな、宗三 壱……俺に不満があるんだろ?」
俺はそう言いながら抜き放った切っ先を、未だ坐したままの男に向けたのだった。
第六十五話「通算成績」前編 END