第六十三話「策士の智」(改訂版)
第六十三話「策士の智」
――赤目領内、小津城にて
「あれ如き輩にここまで追い詰められていたのか?ふん!平久、貴様も老いたなぁ?」
多羅尾 光俊は上機嫌で、鎧を装着する作業をお付き二人の兵士に任せながら、自分は酒皿を手に笑っていた。
「……」
その足下に頭を垂れ、片膝を着くのは……
眉間に特徴的な刀傷のある老将、松長 平久である。
「此方に向かっている杉谷 善十坊が、この城を出陣た荒井 又重と合流すれば、まだまだ此方にも勝ち目は大いにあると思わんか?ああ?平久よっ!」
今より少し前、手勢を率いて小津城に到着した多羅尾 光俊は、攻め込んで来た臨海軍の先鋒部隊を早々に撃破し、そしてその勢いのまま、城を囲む数部隊をも蹴散らしてから再び小津城に戻っていたのだ。
「……して、殿は何故に再び鎧を?」
「はぁぁ?」
頭を垂れたまま、主君たる多羅尾 光俊に質問する老将に、光俊はあからさまに不機嫌な声を返す。
「解らんのか?本当に耄碌したのか平久……懲りずに城前を彷徨いている敵部隊を再び蹴散らす為に決まっとろうが!?」
「……」
主君の自分を馬鹿にした態度を受け、平久は無言でそっと顔を上げる。
「……うっ」
老将と思えぬ鋭い眼光……
光俊が一瞬、酒も覚めたと言わんばかりに”たじろぐ”のも無理は無かった。
――
老将の顔は確かに年相応の年輪を刻んではいたが、その目には間違い無く”現役”であるという光りが宿る。
そう、”現役”の戦人であるという光りが閃く、鋭い眼光であったからだ。
「あのようにチョロチョロと動き回るのは明らかな挑発……誘いである可能性が高いと、”老いぼれ”たるこの平久は読みますが?」
「ぬ……うぅ……だから何だと言うのだ!アレは確か鈴原 最嘉の左腕と呼ばれる側近、鈴原 真琴とかいう小娘の部隊だと言うではないか、ならばその小娘をも撃破して捕らえて見せしめにしてくれよう!」
主君が放った侮蔑、”老いぼれ”と皮肉を込めた言葉を、態と自身で使用する老将の言に、余計に引き下がれなくなった光俊は最初の判断を貫き通すのに固執する。
「……」
そして実は”それこそ”が松長 平久の術中。
”梟雄”の思うままであった。
「はははっ、地下牢には毛ほどの役にも立たなんだ裏切り者の宗三 壱を繋いでいるのだ、ならば其所に新たに鈴原 真琴とやらを放り込み、”鈴原最嘉”の右腕と左腕を並べて繋いで、その後に捕らえた鈴原最嘉の目前で順に縊り殺してやるというのも……」
「……」
「ふ、ふん……冗談だ、俺もそこまで事が上手く運ぶとは思っていない、だが我が軍の精強さは思い知ったであろう?目前の小娘の隊などに後れを取るとはお前も思うまい」
「……」
松長 平久の押し黙った視線を受け、見る見ると自信が揺らいでいく主君、多羅尾 光俊。
「ひ、平久……それに、側近たる鈴原 真琴を捕らえれば交渉の材料になろう?既に手にある、“鈴原 最嘉”が憎んでも憎み足りない宗三 壱の首と同時に差し出せば、それなりの条件で和睦が結べると……」
自身が向ける無言の視線による圧力に圧されたのか、打って変わって弱気な声でそう言い直す主君に対し、平久は再びスッと深く頭を下げる。
「……そこまでお考えなら、老兵は何も言いますまい」
再び年輪を刻んだ顔を地面に向け、表情が見えなくなった松長 平久。
それを見下ろす多羅尾 光俊は……
「ふ……ふんっ!」
すっかり着替えが終わり、調った鎧姿の多羅尾 光俊は、それを手伝っていた共周りの兵士を八つ当たり気味に邪険に押しのけて、無理に胸を仰け反らせて張る。
「此れより城前を彷徨く目障りな臨海軍の小娘を捕らえるために出陣するっ!平久!貴様も付いて参れっ!」
部下の前で一度情けない態度を垣間見せてしまった男は、形だけは無理矢理に威厳をまき散らして宣言する。
ザッ!
「お、お待ちを……」
「殿……」
その後に兵士達が慌てて続いた。
「…………恐れながら殿、儂は城に残って臨海軍本隊の動きに警戒しておこうと考えますが、お許し願えるでしょうか?」
「……ぬっ!?」
気を取り直し、颯爽とやり直そうとした出端を挫かれた光俊はその足を一旦止めた。
――
そして、一瞬だけ露骨に顔を歪めはしたが……
「ふん、勝手にせいっ!」
結局はそう吐き捨てて兵を引き連れ出て行ったのだった。
「…………」
果たして、其所に残ったのは地ベタに膝をついて頭を下げたままの老将が独り。
「…………」
――”光俊”にしては上策じゃ……
「くくっ……ははっ」
――勝てぬ戦ならば、譲歩を引き出すための”駒”を手に入れる
誰も居なくなった部屋で……
頭を垂れたままの老将の肩が小刻みに震えていた。
「じゃが……その”鈴原 真琴”を”多羅尾 光俊”が捕らえられればじゃが……なぁ?」
多羅尾 光俊は気づいていなかったのだ。
床に視線を落とし、顔を伏せた老将の口元が”その時”からずっと歪んでいたことに。
「く……ははっ……」
そして老将は――
「我が策は成れり……かははっ!はぁーはっはっはぁぁーー!!」
ゆっくりと年輪を刻んだ顔を上げて、今度は憚らずに嗤う。
「くくっ、ははっ!はははぁぁーー!!」
そうやって壊れたように笑い続ける”梟雄”の眉間に残る特徴的な刀傷は、
さも愉しそうに揺れていたのだった。
――
―
――そして、小津城を包囲する鈴原 最嘉の拠点……
「多羅尾 光俊、率いる敵本隊は敗走する鈴原 真琴様の隊を追い、かなり城から離れました……全て予定通りです」
俺の傍に立つ、くせっ毛のショートカットにそばかす顔の快活そうな顔立ちの少女がそう報告する。
「御し易いな、多羅尾 光俊。この程度の虚構にも気づかないとは、噂通りの無能だな」
報告に率直な感想を述べる俺に、”王族特別親衛隊”の八枚目、八十神 八月……現在は本名の方を名乗っている佐和山 咲季が頷く。
「ここに来ても戦場で松長 平久の姿が一切見当たらないのが気には掛かりますが……予定通り久井瀬 雪白様に指示を出されますか?」
「……」
――松長 平久、赤目の”梟雄”か……
「先生?」
少しだけ考えこんだ俺の顔を咲季が覗き込む。
「ん?ああ、そうだな……虎を調き山から離れさせる、これは城を活用した防備を固める敵に対してよく使われる策の一つだが……」
「”調虎離山”……兵法三十六計の第十五計ですね」
俺の言葉に対する素早い咲季の返答に俺は頷く。
「ここまで易く敵を引っかけるには多少の工夫が要る、つまりは状況だ」
「状況……」
その少女は俺の言葉を一言一句も聞き逃さないといった殊勝な顔つきであった。
――戦場では騙す者と騙される者の二通りしかいない
「そう、状況だ。自軍が圧倒的優勢な時、仲間内で手柄を競った時、その逆に窮地に陥り起死回生を切望している時……」
俺は胸中にそんな思いを秘めながら説明しつつ、傍に控えて俺の言葉に聞き入っている少女の瞳を見た。
「ええと……今回は後者、敗色濃厚な敵に希望を見せて、それを餌に誘き寄せた訳ですね」
満足のいく答えを少女から得た俺は更に頷く。
――そう……そして俺は、”策士”は何時だって騙す側だ
「兵法自体はこの戦国の世では誰でもが学んでいるありきたりの知識だろう。だが、それを活かすのは使い方……相手の希望する”餌”を如何にして、どの時期にチラつかせるか、それが大体の謀略の基本だ」
俺は聡明な光りを宿す策士の卵に手解きしていた。
「はい、それを作り出すのが”状況”なんですねっ!」
佐和山 咲季の瞳は輝いている……
それは尊敬の輝きに満ちた瞳だ。
そして、”彼女の瞳”は未だ本当の意味で”穢れ”を知らない。
とどのつまり、一人前の策士とは、謀将とは……
どう言い繕っても”そういう”側の人間なのだと。
――八月には才能がある……でも、私はそういうのは余り得意じゃ無いから最嘉にお願いするわ
我が愛しの”暗黒姫様”は、そう言って事も無げに、俺が尾宇美を出る時に自身の部下を押しつけた。
確かに……
京極 陽子の様に生まれついての”大天才”様には凡人の教育など出来ないだろう。
とはいえ……
よくも自分の部下をこうもアッサリと貸し与え、剰え……
――で、それなりに成ったら帰してもらえるかしら?その手の人材はまだまだ必要なのよ
とまで言いやがった。
なんの遠慮も無く、然も当然の如く……
「…………俺は陽子の軍の二軍監督か養成官かよ」
「先生?」
「ああ……そうだな、こうしている暇は無いな」
色々思いだしていた俺は、ついつい、愚痴が口に出てしまっていたようだ。
つまりだ、八十神 八月を改め、現在は佐和山 咲季が俺を”先生”と呼び、こうして臨海領土内の反乱鎮圧について来ているのには、そう言った経緯があったからだった。
「では、久井瀬 雪白様に伝令を出しますか?」
俺の手解きを受けながら、佐和山 咲季はテキパキと仕事を熟す。
嬉々とした様子の彼女を見ていると……曾ての俺を見ているようだ。
とは言っても俺に師らしい師は居なかったが、それでも学んだ策や考案した戦術が実戦で効果を得た時、当時の鈴原 最嘉はただ快感と達成感でこれ以上無く充実していたものだった。
得る者が居れば、当然、喪う者もあるというのに……
「進路上の塹壕に伏せさせている久井瀬 雪白の部隊に伝令、先行する鈴原 真琴が反転攻勢に出るのを合図に、突出する暗愚な司令官の隊を後背から強襲せよっ!真琴の隊とで挟撃し、殲滅!一兵も逃すな!と」
「はい、先生!」
――はは、今更綺麗事を……
――策士の”智”とは元来そういう類いの”智”なのだ
本当の穢れを知らない無垢なる叡智に効率よい人殺しを手解きし、
結局俺は、色々と複雑な思いを抱きながらもそう指示していたのだった。
第六十三話「策士の智」END