第六十二話「翻意の在処」後編(改訂版)
第六十二話「翻意の在処」後編
――小津城の地下室……
蝋燭の覚束ない灯りの元で、二人の男が対峙していた。
「……」
一人は石壁に両手を鎖で磔にされ、自由を奪われた若い男。
「……」
もう一人はその男を見上げるように、正面の粗末な木製椅子に坐した鋭い眼光の老いた男。
その空間は古びた石壁と所々苔の生息した石畳……
同じく石で出来た天井の溝からは木の根らしきものが幾本もの蔦となって絡まり、彼方此方にへばり付いていた。
「意外だの……我と共に行くのを拒むのか?」
要はカビ臭い石尽くしの地下の一室で……
そんな陰々滅々とした場所で、老将による尋問が行われていたのだ。
「……」
若い男は答えない。
上半身裸で、両手を鎖で壁に磔にされた状態で数日間……
ただ黙って強固なる否定の意志を示していた。
「我が主、多羅尾 光俊様の命でこうして生かしてはおるが……」
大方の部下達に離散された若い男だが、それでも数十人が残った。
未だ多少の影響力がある男ならと、攻め来る臨海軍との交渉にも有用かと、
この小津城に到着した多羅尾 光俊は、取りあえずこの若い男の処刑を保留すると命じたのだった。
「儂なら多羅尾 光俊様にはどうとでも報告できるのだ、考え直さぬか?」
殺害をチラつかせる老いた男の眼光は光り、磔られた若い男を執拗に勧誘する。
「…………」
しかし、その若い男の表情はピクリとも反応しない。
「儂はお主の”翻意”を確信しておったが……違うのか?」
諦めず質問する老いた男には、眉間に特徴的な刀傷が刻まれていた。
その者の名は松長 平久。
「……」
そして磔の若い男の名は、宗三 壱。
黒髪を尻尾のように後ろで結わえたスッキリした顔立ちの青年である。
「貴殿は自らの忠告を無下にした無能な主君に、破滅に向かう母国に見切りをつけ、預かったこの小津の城を以て我ら赤目と手を組んだ……」
「……」
「いいや、成る程……はは、まさか……だが、成る程!成る程!」
頑なに従わぬ宗三 壱の態度に、松長 平久は何かに気づいたように急に独り納得する。
眉間に特徴的な刀傷のある老いた男は、相変わらず無言の男の表情を覗いつつ、続けた。
「成る程……今となっては、だが、こうも考えられるな」
「赤目残党が挙兵し、それがある程度の結果を出せば赤目各地では我も我もと戦は至る所で起こるであろう。ならば収拾がつかなくなる前に、その反乱軍を一箇所に集めて時を稼いで臨海本軍の到着を待つ……そうして”一網打尽”か?」
松長 平久は鋭い眼光を宗三 壱に向けて……
「……」
変わらず無反応な男にニヤリと皺を刻んだ口元を上げる。
「個人を捨てて、名誉を捨てて主君に仕えるか?見上げた忠臣よな……だがな、宗三 壱よ、それは無謀に過ぎる。その方法では事は必ず最後には破綻するじゃろう、作戦の実行者は確実に赤目の者達に捕縛され縊り殺される……このように」
シャラン!
そして松長 平久は足元に置いてあった刀を抜き、その切っ先を磔られた宗三 壱の首元に宛がった!
「……」
しかし、それでも……それでも宗三 壱は押し黙ったままだった。
――っ!
「ふん、大した度胸だが……主のとった行動は愚かの極みだ」
眉間に特徴的な刀傷の老いた男の表情は一瞬だけ曇り、そして垣間見せた苛立ちを覆い隠すかのように口元を歪めて笑う。
松長 平久は歪な笑みを浮かべたまま、ギラつく切っ先をグイと前に出す。
「ひとつ……赤目の中心たるこの小津城にて謀叛の誘いに乗れば、他の赤目反乱軍は地の利を頼ってこの地に集うとの算段は的を射ているじゃろうが、それ故に兵力が集中され鎮圧する臨海軍は容易に手が出せなくなる」
ググ……
「ふたつ……例えそれを撃破できうる力が臨海に在ろうとも、それを煽動した部隊、つまりお主じゃ宗三 壱、貴様とその部隊は敵中にて全滅するじゃろう」
グググ……
松長 平久は一言ごとに握った刀を少しずつ少しずつ、押し込んでゆく。
「……」
それは抵抗できない宗三 壱の首元に沈み……
やがてそこから赤い筋が一本、ツゥと鎖骨に向けて流れ落ちる。
「みっつ……例え万事上手く事が運んで反乱を鎮圧出来たとして、そのような捨て石の如き部下の使い方をする王に誰もついては来ぬ!」
グググ……
「……」
ズブリと数センチ刃先が沈み、そこで宗三 壱の表情が初めてピクリと反応するが……
「ふふん、部下共は表面上は忠臣を装ってはいても明日は我が身、古くからの功臣、莫逆の友を切り捨てた王、しかもその原因は王自らが作った愚かな選択の代償というのだから笑い話にもならぬ……」
「……」
「くくく、かははっ……大した王じゃなぁ?“臨海王”鈴原 最嘉っ!これでは噂に聞く”詐欺師”では無く只の虚け、大した暗君じゃ!!」
「っ!」
しかし、刃に串刺される男が反応したのは痛みでも死の恐怖でも無い!
「…………」
皺を刻んだ顔で歪んだ笑い声を響かせる老いた男を、初めて感情を剥き出しにした鋭い瞳で睨み付ける宗三 壱。
「なんじゃ?宗三 壱よ、お主はこんな扱いをされた臨海王に未だ忠義を……」
「勘違いするな松長 平久!我が行動は全て独断、これは”れっきとした謀叛”だ!!」
「……」
自身の身を犠牲にしてまで行った忠義を謀叛を言い切る宗三 壱。
その顔を坐したままの老将は鋭い視線で眺めていた。
「謀叛じゃ……と?馬鹿を言うな、主君のために行動する、それのどこに翻意がある?」
そして再び握った刀の柄に力を入れ、凶器を前に押し出した。
ズブリと切っ先は更に血を吸ってめり込む。
「……主君を……信じられないのは翻意だ」
突き刺さった切っ先。
宗三 壱の首から流れる血の量は増すが、彼は臆すること無く毅然と答えていた。
「主君を?信じられない?」
松長 平久は俄には理解出来ない。
主君の行動により引き起こされる危機、それに対応するため独断にて身を捨てる……
それはつまり、主君がその危機に対応できないと判断したが故の独断であり命令違反。
主君を想っての行動であろうと主命に背く行為は、主君を心底から信じられない故の翻意の行動だと……
――この宗三 壱という男は考えるのか?
暫し思考し、そういう推測に至っても……矢張り松長 平久には理解出来ない。
――しかし……この”宗三 壱”……
「…………」
微塵も揺るがない力ある瞳。
――!
その瞬間、赤目きっての梟雄、松長 平久の痩せぽっちの身体は”ぶるり”と震えた。
「ふ、ふふ……不憫よなぁ、宗三 壱ぃ」
「……?」
歪んだ顔、不格好に捻上がる渇いた口元……
異質すぎる老将の表情に、さすがの宗三 壱も目を見開いて言葉を失っていた。
「かははっ、蒙昧よなぁ、宗三 壱ぃ……」
そのまま節榑立った肩を上下に揺らせて嗤う老人は……
――スチャ、ガシャリ……
「……」
虜囚の首元から刀を退けて、それを元の石床の上に置いていた。
老将は嗤ったままで……
梟雄は坐したままで……
カサカサで枯れ木のような両の指先を顔の前で搦めて合わせ、その上から歪な視線を虜囚に向ける。
「儂はのぉ、宗三 壱。曾て現在の主君、多羅尾 光俊の祖父である多羅尾 俊則殿に救われた」
「……」
口元に歪んだ笑みを浮かべた老将は語りを始め、虜囚の壱はそれに無言で聞き入る。
「当時の儂は自分で言うのもなんだが才能に恵まれた若者であった……じゃがな、それ故に当時の主家、東雲の当主が不正に手を染め領内の富を独占していた事に、領民を蔑ろにしている事に我慢ならんかった……」
「……」
「解るか?正義感と言うヤツじゃ……ははっ……で、それを他の赤目主家に訴えた儂はその勇気を称えられるどころか他の赤目主家、赤目四十八家から総スカンを受け、遂には追放され路頭に迷ったのだ」
昔語りをする梟雄のテンションは異様に高い。
「ははは、解るかよ?我が一族郎党は生活の糧を全て取り上げられ野に捨てられたのだ」
「……」
「家族は離散し、儂もその命を絶とうとした時、救いの手は差し伸べられた……」
「……」
「それが現在の主君、多羅尾 光俊の祖父である多羅尾 俊則殿だったのだがな……何のことは無い、それこそが全て仕組まれた”謀”であったのだ」
「謀?」
思わず疑問を返す壱は無意識だったろう。
「そうじゃ、謀……赤目主家、それも赤目四十八家を束ねる御三家が一つ、東雲家に逆らったのが抑もの運の尽き、我が松長の家人は全て根絶やしにされるところを若き儂の才能を惜しんだ……いや利用価値があると踏んだ多羅尾 俊則が一計を案じ、儂を如何にも助けたという形で拾った。無論、東雲と他の四十八家に話を通してからじゃ」
「……」
「それを長らく知らなんだ儂はな……儂は……ははは、愚かにも恩を返そうと必死に多羅尾に尽くした……くくく、そしてな……そして必死に奉公した儂は在る時つまらぬミスを犯し、それが理由で只一人残っておった息子の命を絶たれ、儂自身もほれ……」
そうして老将は自身の眉間の一際目立つ刀傷を指さして、より一層に歪な笑みを浮かべたのだった。
「……」
「こういった具合に羞恥を刻まれたのじゃ」
宗三 壱は黙っていた。
黙って目前の老将を見ていた。
「今思えばのぅ……儂は働き過ぎたのじゃ、恩に報いようと働き過ぎ、それ故にその能力を恐れた多羅尾 俊則が心中にな、無能な息子、孫が将来において、この儂に取って代わられるやもと猜疑心を生み出し、結果、儂に態と失敗をさせて残った儂の希望を全て奪い去った」
「……なんの」
宗三 壱の言葉は詰まる。
「なんの為か?はははっ」
赤目の梟雄は更に嗤う。
壱の言葉を打ち消して、赤目を多羅尾を……自らを嗤う。
「それは儂の心を殺し、無気力な”繰り人形”として我が才だけを利用しようと算段した結果じゃろうが……儂は気づいたのだ、その後に偶然の情報により儂はそれに気づいた」
――偶然……?
宗三 壱はその言葉に多少の違和感を感じるが……
「その後はのぉ……多羅尾家に尽くすと言うよりも我が出世、我が利益の為にのみ奔走し、時には非道を行った。無論、都度都度にて罰せられはしたが、多羅尾は終ぞ儂の命を奪うことはせなんだ……ははは、我が才が惜しかったのじゃ、この期に及んでも無能揃いの多羅尾一族は、この松長 平久を手放せなんだ!はははっ!」
「……」
――怨嗟だろう
だが、だとしても誰に?
宗三 壱にはその矛先が単に多羅尾 俊則……いや多羅尾一族でさえ無いと、そういう違和感を感じていたのだった。
「なんじゃ?その目は?宗三 壱よ……ここまで言うても解らんか、お主も有能なればこそ良いように使われておるだけじゃと気づかんか?」
「……」
異様なほど鬼気迫る謀将に詰め寄られ、宗三 壱は静かに呼吸を整えていた。
「それが……”梟雄”と呼ばれし理由か?だが我が心中は貴殿とは違う、松長 平久」
「ほぅ?……違う?……ほほう、なればこそこの貴様の為体はなんぞや?この主の状況は?」
「……」
「無理をするな宗三 壱、貴様ほどの逸材なれば、儂と手を組めばこの戦国の世でも十二分に甘い汁を吸える、天都原にて新しき人生を……」
「無駄だ、松長 平久」
「……ぬぅ」
再三に渡り甘言で誘う相手と、微塵も揺るがない真面目な男。
睨み合う視線の二人は永遠に平行線だろう。
「殺せ……我が役目は終わった」
そう言ったのが最後、虜囚の宗三 壱はその後から言葉を発する事は無くなったのだった。
「……」
歪んだままの顔の老将は……
歪んだままの口元を、僅かに苛立たしげに変形させ……
チャッ!
再び、今度は切っ先に朱の滴る刃を拾い上げたのだった。
第六十二話「翻意の在処」後編 END