第五十八話「気怠げ(アンニュイ)な午後の病室と企む女」前編(改訂版)
第五十八話「気怠げな午後の病室と企む女」前編
「清奈さん、書類仕事がまだなんで出来たら急ぎでお願いした……」
「……」
「いえ、なんでもないです!」
上半身裸になった俺の背後に回り、手際よく傷の手当てを施してくれている女性に睨まれた俺は、要求を言葉途中で呑み込んで大人しく従う。
――いやいや、だってな、涙目なんだぜ?これってある意味最強だよなぁ……
どれだけ口うるさく言われても一向に留意しない俺に、医者であるお団子髪型のおっとり娘は、最終兵器とでも言える武器で俺に抗議中なのだ。
「…………」
――花房 清奈は……
丸く愛嬌のある瞳とおっとりした口元が特徴の、長い髪を後頭部で団子に纏めた可愛らしい女性だが、臨海軍内では、
臨海軍特務諜報部隊、通称“かげろう”の隊長。
つまり、情報収集の専門家にして、我が臨海の縁の下の力持ち。
そんな花房 清奈のもう一つの顔は医者だった。
それも”とびきり”凄腕の外科医である。
「た、確かに、命の危険は無いです……けど……こ、こんな重傷で仕事なんて……」
清奈は床に放置してある、”バラした酒樽の木片”と”それを固定するのに使った組紐”を見ながら……相も変わらず、俺に抗議の視線を向けてくる。
「いや……あれだ……あの……ごめんなさい」
因みに、”酒樽”と”組紐”は倉庫から自身で調達した。
それは、肋骨と背骨を痛めた俺が自身で簡易的なギプスとして巻いて使うためだ。
十三院 十三子や八十神 八月など、天都原の者達に怪我の具合がバレようものなら、こんな書類仕事をする事も止められるだろうと、俺は大丈夫なフリをしていた訳だ。
――と、言っても……かなり怪しまれていたのだが……
「お、応急処置としては間違っていませんが……て、適当すぎま……す」
「……」
全く以て返す言葉が無い。
そうして固定しなければ真面に座ることさえ出来なかった俺がとった対処は、自傷癖があるか、マゾヒストかと疑われても仕方が無い愚行だろう。
「ええと……ほっとけば治るかなぁ?とか」
ギュッ!
「いてっ!」
恐る恐ると巫山戯た返答をする俺に、清奈の治療の意図して手は粗くなる!
「と、十三子さんにも、は、八月ちゃんにも、ほ、穂邑さんにも……お、教えて頂いたから良かったものの……お、王様はほんとうに……」
――ちっ、三人ともグルかよ……
花房 清奈に延々と泣き言のような小言を言われながら治療を受ける俺は、普段から多少秘密主義的な所がある自分は棚に上げて心中で愚痴を零す。
「お。王さまっ!」
「うっ!はい反省してますっ!」
と、まぁ……こういう感じで、普段は”おっとり”さんだが俺がこんな無謀を行うと、彼女の機嫌は頗る悪くなって怖いことこの上ない。
とはいえ、花房 清奈は医者であるが軍医というわけで無く、実行部隊の現役将校であるから、軍の最高責任者たる鈴原 最嘉が体を張ったり、その結果多少の怪我をする事全てに否定的という訳では無い。
だから、彼女が涙目になってまで抗議するのは今回の様な場合事……
俺が結構やりがちな、こう言った無理を継続し続ける事による病状の悪化に結びつくような行為であった。
「……」
「……」
暫く黙々と治療に専念する花房 清奈とそれを受ける俺。
「……」
「……」
因みに穂邑 鋼は……この雲行きを読み取ってか既に部屋には居ない。
――目端の利くヤツだ、ちっ!忌忌しい
「……」
「……せ、清奈さん……そういえば清奈さんは第二隊と同行してたと思うけど?」
少しばかりして、彼女の怒りが治まって来るだろう頃合いをみて、俺は尋ねた。
「はい、い、一原 一枝さんという方と一緒に先行して来ました……か、香賀美領攻略がどういう状況か事前に、か、確認するために……」
「そうか……」
――なるほど、情報収集を兼ねた行路の安全確保か……慎重な陽子の考えそうな事だ
俺は花房 清奈の返事に独り納得し、だったら京極 陽子の本隊である第二隊もそれほど間を置かずに到着するだろうと安堵していた。
「……」
「……」
一方的に受け手な患者の手持ち無沙汰な時間……
「…………」
――そういえば、宮郷 弥代……
――アイツも今回、尾宇美での一連の戦で負傷し、こうやって花房 清奈に治療を受けたんだったなぁ……
俺はこの間に、つい先程まで振り返っていた案件の二件目、この時点で一応の解決をしている案件のうち残る一件を状況整理の意味も兼ね、改めて心中で振り返ってみることにした。
――それは”近代国家世界”で花房 清奈から報告のあった”宮郷 弥代絡みの一件”だ
―
「宮郷領主代理の宮郷 弥代様が王様にお会いして話したいと……あの、連絡がありました」
そう報告された俺は……
結局、近代国家世界での超過密予定をなんとか遣り繰りして、その日の午後には彼女の入院したという宮郷市の病院に足を運んだのだった。
「…………」
――弥代か、あの救出劇での”礼”……って訳じゃないだろうなぁ
俺は”面倒くさい事じゃなけりゃ良いが”と心配しながらも、気怠げでやる気無い垂れ目女を訪ねるため、病院の廊下を独り歩いていた。
「…………」
この世界での常識……
”近代国家”側での傷は、一度”戦国世界”側に戻ると綺麗さっぱり無くなる。
それどころか”死さえもリセットされるのだが、逆に”戦国世界”での傷や死は近代国家世界にも適用されてしまう。
だが、花房 清奈が施術した”戦国世界”での応急処置が功を奏して、後遺症の残るような大きな怪我は未然に防げたと、オレは報告を受けていた。
で、俺は当然、そのお団子女子を称えたのだが……
「い、いえ……わ、私は最善を尽くした……だけですので……」
とか、当の本人は少し照れくさそうに頬を赤らめ”はにかんで”いたが、若いのに実際ホントに大した名医だ。
「…………っ!」
とか、そんなことを考えて居る間にも、俺は目当てである”気怠げ女”の病室前に到着していたのだった。
「…………」
――ええい、考えていても仕方が無いっ!
そうだ、幾ら弥代でも、まさか恩人の俺に難癖をつけるような常識無しでは無いだろう!
――コンコン……
ガチャッ!
「弥代、入るぞ!」
俺はノックの後、思いきってドアを開け病室の中に……
「サイカくん遅いわよっ!淑女を待たせるなんてなってないわ」
「…………」
――宮郷 弥代は俺の予想を超越した、キング……いや、クイーンオブマイペース女だった
「……えと……あのだな……お前何言ってんの?」
宮郷領主の娘、一応お嬢様な弥代は上等な個室病室のベッドに横になった状態で、理解不能の言い分を以て俺を迎えた訳だが……
彼女はそんな、ドン引きな俺の問いかけは一切気にも留めないで、
「宮郷は今大変なのよ、天都原の権力体制が大きく変化して……」
溜息を一つ吐いてから、これまた勝手に話を進めたのだった。
――ほんと、マイペースだな……この”毎日気怠げ女”
大国、天都原の時期支配権を巡って、王位継承権第一位である王太子、藤桐 光友と王位継承権第六位、京極 陽子の争いは、どうやら手段を選ばない光友の勝利で終わりそうだ。
そして、陽子側に属した小国、宮郷は今は蜂の巣をつついたような混乱であるそうだ。
このままでは”宮郷領”は攻め滅ぼされるか、とんでもない悪条件で支配下に置かれると。
その焦りが領主である弥代の父や兄達の正常な判断能力を失わせ、国内は分裂の危機にさえあるという。
あと……弥代は一言も言わないが、実際に陽子の元で将として戦った弥代に向けた風当たりは相当に強いらしい。
と、俺は花房 清奈から情報を入手済みだった。
勝手な話だ。今まで全て国事の厄介ごとを弥代に押しつけて置いて、状況が悪くなると全責任をも背負わせる。
兎に角、そう言った理由で小国領、宮郷は弥代の言うように”大変な状況”らしい。
「お前の”宮郷”の窮状は解ったが……それと俺にどんな関係が?」
臨海だって、この殺人的に忙しい時に呼び出しておいて、一方的に話し出す。
ベッドに横になって上半身のみ起こした女、その横に置いたパイプ椅子に腰掛けた俺は大いに不服だったから、態と素っ気なく返す。
「終わりのつもりだったのよ……」
そんな俺のあからさまな態度に、てっきり軽口が返ってくると思っていた俺。
「……」
だが女の言葉と表情は、予想外な真剣さだった。
いつもは後ろで束ねて垂らした長い黒髪を編み込んで纏めた宮郷 弥代の横顔は儚げで、垂れ目気味な瞳は愁いを帯び、なんというか……ずっと遠くを見ているようだ。
「おわ……り?」
俺は驚きで一呼吸遅れて返す。
「そうよ、やるだけのことは十分やったと自負しているから、宮郷でのワタシの役割は終わりを迎えると……そんなつもりで最後は戦場に立っていたのよ」
「……」
そこで俺は心当たりを思い出す。
――”ワタシが代表を続ける理由?
――”一番能力のある者が責任を持つ、それだけよ”
在る時、戦場で俺がなんと言うこと無く質問した時の彼女の答えだ。
宮郷領主……つまり彼女の父は健在で、腹違いの兄も二人ばかり居るという。
だが、女だてらに武器を持ち、先頭きって戦う彼女を、
宮郷の領主代理として政治の全般まで熟す彼女に、
曾ての俺が野次馬的な興味を抱いて、なんとなく交わした会話であった。
第五十八話「気怠げな午後の病室と企む女」前編 END