第五十七話「破格の”利”」前編(改訂版)
第五十七話「破格の”利”」前編
「くれぐれも気を付けられよ多絵殿、あの男は!」
「解っております、計算高く油断の出来ぬ男だと……父も良く愚痴していましたから」
「交渉事は弱みを見せた方の負け、あのような男相手では尚更の事。心して参られよ多絵殿!」
「……」
亀成 多絵はウンザリだという顔で足早に歩いていた。
左右から付き纏い、散々に指導……いや、出しゃばってくる二人の男。
自分が前日乃領主、亀成 弾正の娘だからと日乃奪還の旗印に祭り上げておきながら、その後の主導権を争って自分への影響力を誇示しようと必要以上に口を出してくる二人の日乃の元有力者達。
「抑もが日乃の要の一つである那知城主でありながら早々に敵に降り、剰えその支配の手助けに奔走するなど……」
「日乃”三城主”の一角を担う立場でありながら、彼奴があれこれ動いたが為に、この日乃はその後の抵抗も殆ど起こらず、南阿の……いや今は臨海の支配地域として存在しておると言っても過言で無い……忌忌しい男だ!」
「……」
左右からステレオで垂れ流される雑音に眉間を顰めつつ、亀成 多絵は思う。
――そうだというのなら、何故にそのような男と交渉をするのか?
――そこまで嫌っておきながら、何故に侵略者”臨海”と同様に討伐対象として討ち滅ぼさないのか?
答えは……それだけあの男が”有能”だと言うこと。
この戦も、今後も、草加 勘重郎という男の才覚と人脈が大いに必要だと言うこと。
それは、今の今まで政治や戦に全く関わって来なかった、国政などに疎い多絵にでも解る事だった。
――だったら……陰口などくだらない事を言わなければ良いのに……
そう思いつつも、そんなことは口に出来るはずも無く、お飾りの日乃奪還軍の代表者は会談予定の場所に向けて足早に歩く。
「……」
それはこの大役への緊張と同時に、少しでもこの……”耳障りな”声を聞く時間を減らすためでもあった。
「お待ちしておりました。ささ、此方です」
――ここは日乃領土内、那知城と覧津城のほぼ中間地点に位置する”とある砦”
十年以上前に使われなくなって廃棄された古砦であった。
此方の勢力圏内である覧津城近くに呼び出すのも要らぬ警戒心を与えると、最大限の配慮をした亀成 多絵は、約定通り供回り六人ほどの兵士を連れて交渉に挑んだのだった。
――ギィィッ!
先に到着していたのだろう那知城の兵士が二人、大きめの鉄扉を開いた先には……
「おぉ、これはこれは……前にお目にかかった時は何年前でしたか?」
そこには――
天井も何も無い……
青空がすっかり見える開放的な廃墟。
ギリギリ崩れきっていない四方に残る石壁と、意外にしっかり残った錆びた鉄扉の向こうで大きめの石台の上に腰掛ける顎髭の人物とその部下、六人の兵士……
――いや、そんな事よりっ!
「くっ!どういうことです、勘重郎殿っ!」
「どう?約定通り護衛は十人未満、場所はこの廃砦、問題ないはずであるが?」
入るなり驚愕に震えた声を上げる亀成 多絵に、しれっと答える草加 勘重郎。
「そ……それの……それの何処が……」
多絵の唇が怒りにプルプルと震え……言葉は上手く繋がらない。
「ふむ、多絵殿は昔に、父君に連れられて祝賀会に出られた時と同じ、人見知りで口下手ですなぁ」
「っ!?」
「ふ、巫山戯るなっ勘重郎っ!貴様の手の中に在るのは……」
言葉にならない多絵に代わり、従っていた男の一人が怒鳴った。
「そうそう、正確には六年ほど前か、多絵殿はたしか十五歳でしたか?確かあの祝賀会は……おお!弟君!そうそう、多絵殿の腹違いの弟君である”亀成 正五朗”殿!そうであった、弾正様の跡取りである”正五朗”殿の誕生、お披露目でしたなぁ!」
多絵に従っていた男の怒号など何処吹く風、草加 勘重郎は態とらしく思い出した様に昔話を語ると、右腕の脇に抱えるように拘束した児童の顔をグイッと多絵に見えるように向かせた。
「う……うぅ、ひっく……」
そこには涙顔の幼児。
「や、やめて!」
泣きはらした子供の顔を見て多絵は悲痛な声を上げ、膝をガクガクと震わせる。
「ひ、卑怯なっ!貴様、武人としての誇りは無いのかっ!」
「勘重郎っ貴様ぁっ!」
顔面蒼白、声にならない亀成 多絵の代わりに、付き従っていた男達の内の二人が再び怒声を上げるが……
当の顎髭男、草加 勘重郎は全く動じること無く、手の内の子供の頭をあやすように撫でる。
「俺はなぁ……残念ながら我が主君ほどに武勇にも戦術にも精通しておらぬ、故に得意な分野で仕える御方に報いるだけ、それも武人とは言えぬか?」
勘重郎は真顔でそう応えるが、
「詭弁を!約定破りの痴れ者がっ!」
腰の刀に手をかけて、亀成 多絵の周りを固める六人の男は威嚇する!
「約定破り?……ふむ、お主等が言うのか?護衛は十人未満……言ったはずであるが?」
だが、勘重郎は自身の周りを護る六人の兵士達より先、二人の兵士が守る先程の鉄扉とは逆の、崩れた壁の向こうに視線を向けて意味深に笑う。
「っ!?……ま、まさか!?」
そして、勘重郎のそんな仕草に……亀成 多絵は自身の周りの男達の顔を見ていた。
「ふん、我らは貴様の如き変節漢に真面に挑むほど間抜けでは無い!」
すっかり青い顔になった多絵の横で、男達が不敵な笑みを浮かべていた。
「草加 勘重郎……小細工は貴様の専売特許では無いぞ、お得意の計算が狂ったなぁ?」
そして更に、別の男が余裕の笑みを浮かべながら右手をサッと挙げる。
――ザッザッ!
――ザザッ!
廃砦の崩れかけた壁の隙間から……一人、二人……五人、十人……
武装した兵士達がわらわらと姿を見せ、殺気立った雰囲気で抜き身の剣を手に勘重郎の一団と多絵達を纏めて取り囲む!
その数……三十人以上。
「き、聞いてないわ……私……聞いてません」
ガクガクと膝を震わせながら、味方であるはずの男達に縋る視線を向ける女。
「ふん、多絵殿、交渉とは既に戦争と同議なのだ。よく覚えておくと良い」
「で、でも……これでは約定が!……いえ、こんな……正五朗が人質になっているのに……」
「大事の前の小事ですよ、正五朗殿が居なくとも多絵が居る。我らの旗印としてはそれで良いのだ!」
「なっ!……話がっ!それでは話が違いま……」
バシッ!
「っ!」
取り縋る女を張り倒し、男はニヤリと邪悪な笑みを浮かべていた。
「出過ぎた口を効くな、この素人がっ!!お前は大人しくお飾りの神輿に乗っておれば良い、亀成 多絵!」
「うっ……あ、あぁぁ……しょ、正五朗ぉぉ……」
本来自身を護衛するはずの男達の足元で、崩れ落ちて嗚咽するしか出来ない女。
亀成家の跡取りたる歳の離れた異母弟を見殺しにせざるを得ない状況の無力な女……亀成 多絵という女の姿がそこにあった。
――
そして、その光景を一部始終見届けた顎髭男は……
「ふむ……これでは……折角、悪役を買って出た俺の立場が無いな……ふむ」
残念そうに顎髭を摩っていたのだった。
第五十七話「破格の”利”」前編 END