第五十話「実力と証」前編(改訂版)
第五十話「実力と証」前編
戦国世界最終日の深夜、日付が変わる寸前を狙って――
俺達が尾宇美城を無事抜け出し目指したのは旺帝領土内にある”香賀美領”だった。
彼の地は旺帝全土の中でも最西端に位置する領土の一つで、天都原領”尾宇美”にも隣接している。
北に”暁海”を臨み、海路を通じて西の大国”長州門”、その更に西南にある南の島”日向”を統一した”句拿国”……果ては北の島”北来”を統べる”可夢偉連合部族国”にまで交易を行う一大商業都市だ。
”暁”にある都市中でも五本の指に入る、肥沃な大地と発達した商業施設を有する領地であり、現旺帝の王、燐堂 天成の嫡子にして次期王たる燐堂 天房が治める土地でもある。
――”暁”屈指の良物件……”香賀美領”
「香賀美の守備軍は中々の精鋭揃いと聞きます、如何に領主の燐堂 天房が今回の尾宇美城大包囲網戦、旺帝軍側の総大将として出兵して不在だと言っても、攻め取るには我が軍の現状の戦力では……」
眼下に見渡せる香賀美領都の堅城、香賀城を指しながら心配そうに聞いてくる少女。
俺の右隣に轡を並べた、くせっ毛でショートカット、瞳に澄んだ叡智を秘めた少女、八十神 八月だ。
「そうか?旺帝軍はまさか逆に”京極 陽子の軍”が侵攻してくるとは思っても無いだろうし、尾宇美城戦に国境周辺の各領土からは”それなり”の兵が出兵しているはずだ、案外たいしたこと無いかもしれないぞ?」
「それは……どうでしょうか?香賀美領は旺帝でも屈指の重要都市ですし、守備兵はそれでも一万は下らないでしょう。何かあれば直ぐに近隣の領土から援軍が駆けつける事を考えると……」
今度は左隣で、細い銀縁フレームの眼鏡をかけたお堅い秘書といった趣のある中々の美人、十三院 十三子が冷静にそう注意喚起する。
「まぁなぁ……とりあえず考えはある」
「まぁ」
「また、そんな風に簡単に……」
眼下の都市を見下ろしたままの俺の横顔を見ていた左の女は”ふふっ”と微笑み、右の少女は不満そうな顔で俺を睨む。
――
俺と王族特別親衛隊の八枚目と十三枚目の三人は、香賀美領都を見渡せる丘の上に轡を並べて立ち、すぐ後方の森には引き連れて来た兵を二千ほど隠していた。
あの”尾宇美城大包囲網戦”から逃れた後、先行して旺帝領土に踏み込んだ先遣部隊、謂わば露払いの隊だ。
「鈴木……鈴原 最嘉様がいつも”独り”でなにか企んでいるのは嫌と言うほど思い知ってます、ですから今回は事前に具体的な説明を要求しま……」
――サッ!
俺は不満タラタラで棘のある言い方をする八月の言葉を右手で遮り、そのままその手を動かして、前方から丘を駆け上がってくる単騎の騎馬に向け指していた。
「……あ、あれは?」
「……」
彼女たちが懸念するように、攻め込むには香賀美領は頑強に過ぎる。
残った一万近くの常備兵に強固な城壁と豊富な物資、周辺領土からの援軍。
――それに、それを率いるだろうはずの……
俺達はなんとか不意を突いてこの地まで逃れ来る事には成功していたが、兵力は仮に分散した分を全部合わせたとしても精々五千に満たない。抑も連戦に次ぐ連戦のうえ、此所に至る脱出作戦の疲労で真面な作戦能力は期待できないだろう。
「あの……鈴原様?」
「あれはな……」
駆け寄ってくる所属不明の騎馬が一騎。
俺の右隣から聞いてくる、くせっ毛でショートカットの少女、八十神 八月に俺は答えた。
「あれは、旺帝の穂邑 鋼だよ、ほら、曾ては”独眼竜”って呼ばれてたっけ?」
「えっ?えぇぇぇっ!!」
初耳の八十神 八月は丸く瞳を開き、実は予め打ち合わせ済みの十三院 十三子は微笑んだまま近寄ってくる騎影を笑顔で迎えていた。
――思い返せば、この状況になる少し前……
俺は事前にある人物と交渉していた。
陽子から尾宇美の指揮を任されて、俺が最初に取り掛かった仕事がそれだった。
――今後、鍵を握るのは”アレ”との交渉だと、それなくしてはこの戦いは……と、
今回の戦の要だと、そう考えた俺は、”いの一番”にそれを進めたのだ。
――
―
「陽に援軍の話を断られたんだってなぁ?」
尾宇美城で京極 陽子の寝室に忍び込み、少しばかり強引に指揮権を引き継いだ俺は、七山 七子の説得もあり無事に一原 一枝を協力者に引き入れる事に成功した。
その後、直ぐに司令室には向かわなかった俺は、”ある場所”に足を運んだのだ。
「陽?……お前は一体?」
俺の前には、疑り深い視線を向けてくる若い男が独り。
――其所は尾宇美城のある一室だった
尾宇美に到着して直ぐに、七山 七子経由で”その情報”を得た俺は、”その男”を暫し留めるように、これも七子に頼んで手配していた。
「あぁ、そうか……京極 陽子のことだよ、陽子姫、理解出来るよな?」
男が俺を怪しんだのも無理は無い。
会って直ぐに俺が発した”陽”という呼び方。
それは家臣が主君を呼ぶには余りにも無礼……親密過ぎる。
「……」
男の、俺を値踏みするような視線の右側は微妙に不自然な光りを放っていた。
――義眼……か
良く出来てはいるが、その男の右目は造り物だろう。
そして間近で観察すると、義眼であろう右目の目尻には小さい傷もある。
「……断られるも何も、会見さえ適わず門前払いだったな」
義眼の男は取りあえず俺を会話する程度の価値はあると判断したのか、そう答えて”ヤレヤレ”と首を横に振る。
この義眼の男は……穂邑 鋼。
東の大国”旺帝”の人間ではあるが、現王である燐堂 天成にではなく、前女王になる燐堂 雅彌に仕えているという男だ。
「まぁな、陽子と”黄金竜姫”……お前の主君である燐堂 雅彌の間柄を考えたら、それも仕方が無いだろう?もうちょっと”交渉の手順”を考えなかったのか?」
ひとつ付け加えておくが、”援軍の話”といっても、この男が陽子に援軍を頼んだのでは無い。
というかその逆、恐らくは旺帝の黄金竜姫こと燐堂 雅彌が窮地に陥った京極 陽子に助力を申し出たという様な話であろう。
「そうか?関係性って二人は従姉妹同士だろ?……雅……雅彌は別に気にしてないし、だからこそ援軍を……」
――”雅”……ねぇ……
他人の事はあまり言えないが、この穂邑 鋼とやらも燐堂 雅彌との関係は只の主従関係という訳じゃ無いって事か。
「なら、陽子が気にするんだろう?……大体、旺帝と天都原は敵国同士、その敵国の王位継承候補を助けたいっていうのは、血の繋がりって綺麗事だけじゃ無くてお前達にも他に意図があるんじゃないのか?」
俺は答えつつ、最早建前は不要だと踏み込んでみる。
「そう……だな……解った……だがその前にひとつ……」
それを受けた義眼の男、穂邑 鋼の生きた左目には、先ほどまでとは違う真剣さが増していた。
「……」
「……」
無言による駆け引き……否、見極め合いだ。
「俺は鈴原 最嘉。臨海の王で、現在は京極 陽子を助ける者だ」
ならば、ここは小細工は無用。
得るためには与える事を厭わず、胸襟を開いてこそ得られるものも在る。
俺は包み隠さずに答えた。
「鈴原?お前が……なるほど」
穂邑 鋼は小さく頷いた後、サッと右手を伸ばす。
「噂に聞く”賢人”なら迂遠な説明は不要だろうな……旺帝はもう何年も燐堂 天成の悪政に苦しめられている。そして俺の支える燐堂 雅彌こそが本来の王、女王であり、汚い簒奪の犠牲者だ。俺はその正当性を示すため、雅彌の為に……”尾宇美”に来た!」
俺の意図を完全に理解した男は、自らも清々しいほどに胸の内を明かしてきた。
――旺帝の独眼竜……
確か俺より二つほど年長で、初陣は十二歳……
ある特殊な戦法で目を見張る程の功績を重ね、僅か二年で最強国”旺帝”の中枢である”二十四将”にまで名を連ねたという男。
そして……
先々代王であり祖父である燐堂 真龍から王位を継いだ、幼なじみの燐堂 雅彌に仕えるが、五年前に彼女の叔父である燐堂 天成による強引な王位移譲によって王権を失い、実質的には僻地の小領、”恵千”に流された彼女と共に歴史の表舞台から消えた男。
「……」
子女でありながら、聡明さと高潔な人柄、そして”暁”でも”至高の宝石”と噂されるほどの美貌から、臣民から圧倒的支持と期待をされし”黄金竜姫”。
その燐堂 雅彌が旺帝を治めた期間は、実質的には僅か一年に満たないという。
幽閉同然に追いやられた現在も彼女は十九歳……
歴史の表舞台から消えるには若すぎるうえに、何よりも……勿体なさ過ぎる。
相手の言葉から俺は頭の中の情報を整理していたが、その間の空白にもこの男は一切差し出した手を引くことは無かった。
――穂邑 鋼……なるほど、面白い男だ
俺の心は、実際は決して一筋縄では行かない男だろうに、妙に実直な一面も見せる、この旺帝の独眼竜に妙な興味を引いていた。
「つまり、利害は一致しているってか?」
そして、差し出された相手の右手をガシリと掴んで俺は笑う。
「ああそうだ、鈴原。燐堂 天成は共通の敵って事で、俺達二人はお互い支えるべき大事な女の為に協力できるってことだ」
俺の言葉を受け、対面の男もまた親しげに、それでいて何処か不敵に笑ったのだった。
第五十話「実力と証」前編 END