第四十六話「狂人の交渉場（テリトリー）弐」前編（改訂版）
第四十六話「狂人の交渉場 弐」前編
「識っているわよ貴女、最嘉以外の臨海軍内で私をこれほど身震いさせる剣気……」
――っ！？
放たれた雪白の凄まじい殺気を覆い尽くすかの如き殺気！
瞬く間に場を支配するに至った”覇王姫”の息苦しいまでの殺意による圧迫感！
我が純白き姫騎士に対峙する紅蓮の焔姫が石榴の唇はスッと口角を上げる。
「南阿の”純白の連なる刃”……いえ、現在は臨海の”終の天使”だったかしら？」
――
「…………」
ヒリヒリとピリ着く空気の中、俺はある違和感を感じていた。
殺気の大元である長州門の覇王姫、ペリカ・ルシアノ＝ニトゥの様子が”ちょっとばかり”おかしい？
強敵となると有無を言わさずに闘いを挑むような気性の女が……
俺にも愉しそうに突っかかって来た”戦闘狂”が……
これほどの”久井瀬 雪白”を目の前にして、なんだか煮え切らない。
「…………」
それは、まるで彼女の中になにか別の感情が存在するかのような……そんな紅い双瞳で雪白を睨んでいるのだ。
「雪白……お前、覇王姫と面識があるのか？」
つい気になってしまい、俺はそう問いかけるが、
「知らない。はお……ひめ？」
白金の騎士姫は、剣の柄に手を添えたままブンブンと頭を横に振った。
「っ！！」
無表情に、興味無く、そう言い捨てる久井瀬 雪白の言に、対峙する紅蓮の焔姫はチッと舌打ちをうつかの如き苛立った表情に変わるが、それも一瞬だけ、直ぐに表情を整える。
――解る……それは理解るぞ、覇王姫！！
――俺も初対面では似たような感じで無下に切り捨てられたものだったからなぁ……
この”白金のお嬢様”にとって、興味の無いものは、例えそれがどんな大物であれ、その辺の石コロ同然なのだ。
「…………そうね、私としては、”白金”の貴女には思うところが多々あるのだけれど……まぁ良いわ、とりあえずこの瞬間は”臨海側”を鏖にする気は無いから安心しなさい」
そして、意外なほどアッサリと矛を仕舞った紅蓮の姫は……
「……」
――なんだ？
彼女の腹心たる”存在感の希薄な女”、アルトォーヌ・サレン＝ロアノフに一瞬だけ、意味在り気な視線を送ってから、抜き放たれていた小刀を受け取る。
――
意味ありげな視線……
それが気になるにはなるが、今はそれより……
「…………」
雪白も、その他の誰もが、紅蓮い姫のとる行動を注視していた。
ブォンーー
ドスッ！
小刀を振り上げて、机上の封書に勢いよく切っ先を突き立てるペリカ。
「なんの……つもりだ？」
俺はペリカが小刀を振り上げた一瞬に、即座に応戦しようとした血気盛んな白金姫を左手で制し、その光景を見届けた後で問いかける。
「…………」
ググッ……カッ！
ペリカは無言で、テーブルに突き立っていた刃を引き抜き、そしてその切っ先を天井に向けて持った。
勿論、紅蓮の姫が握る小刀の切っ先には、”臨海側”が用意した例の封書が串刺しされた状態だ。
「ペリカ・ルシアノ＝ニトゥ、だから何のつもりだ？答え…………おっ？」
――カツ、カツ……
ヒールを鳴らせて、紅蓮の姫は此方へ……
大きめの会議用テーブルを廻って……
「あ、あの……ペリカ様、あの……困りま……」
――カツカツ…………カッ
そして臨海の花房 清奈が制止しようと声をかけるも、全く意に介すること無く俺の前まで歩き、立ち止まった。
「……」
――白金の騎士姫、久井瀬 雪白の行動は俺が先程からずっと制している
「……っ」
「清奈さん」
そして――
本来なら、丸く愛嬌のある瞳が細められ、おっとりした口元が一文字に締まった瞬間！俺は名を呼んで、髪を後頭部で団子に纏めたお団子女子が殺意の機先をも押さえた。
「ふふ……」
「……」
――微笑ってやがる……
俺はこの時改めて、長州門の覇王姫、ペリカ・ルシアノ＝ニトゥの……
”紅蓮の焔姫”という怪物を知るに至った。
”瞬間”のは……一端の武を刻んだ者なら解るはずだ。
終の天使、久井瀬 雪白の剣気は言うに及ばず……
我が臨海が誇る諜報部門の責任者、”蜻蛉”の花房 清奈が”徒手術”は、臨海軍中でも傑出している。
”素手格闘”と”殺法”に限るなら、花房 清奈は俺を除けば真琴が辛うじて数分ほど渡り合えるくらいの手練れ。
つまり――
その二人の殺気を直前にて受けて、尚……
この紅蓮の焔姫の紅き石榴の唇は優雅に微笑する！
「ペリカ・ルシアノ＝ニトゥ……命のやり取りを所望か？」
――スゥ……
「っ！」
そして、またも俺の問いかけを無視した紅蓮い女は……
手に持った小刀を顔の高さで示す。
それはまるで、戦場で槍の穂先に敵の首級を掲げる真似事のような格好だ。
「”臨海側”の策に乗ると言うことはこう言う事よ、お解り？……四大国家連合を裏切る立場になる。それはつまり……」
「…………」
刃物を手に見下ろす紅蓮の双瞳と、座ったままそれを見上げる俺。
「一国を率いる王は、結ぶ相手の”格”を見定める器が必要なの、それが王自身の”格”でもあるわ」
言いながら覇王姫は、串刺しになった封筒の端を、小刀を握っていない方の白い指先二本で挟んで――
ズズッ……ズッ……ズッ
それを刀身の根元まで引き下ろす。
「如何に美味しい話をチラつかせられようと、その”果実”は危険極まりない刃の向こう側、そんな話を信頼関係も出来ていない相手とする愚者は……っ！？」
目前に立ち、抜き身の小刀を手に講釈を垂れる紅蓮い女。
俺はそんな女を前に立ち上がると、無造作に左手を伸ばしていた。
「あ、貴方？」
石榴の唇が驚きに形を変え、同時に真正面から俺の顔を見据える紅玉石の双瞳。
「……」
「……」
俺が立ち上がった為、ほぼ同じ高さになった二人の王が視線は絡み合い、そして……訝しむ女の紅蓮の双瞳は俺の心を探ろうと更なる炎を宿す。
「ぬぅっ！？」
「鈴原様！？」
覇王姫とは違い、彼女の部下二人は俺が何事を始めるのかと慌てていた。
「……」
俺は左手を開いた状態で手の平を下に……ギラつく切っ先の上にそれを翳す。
「お、王様？」
「……」
いや、それは我が臨海の二人も同様か……
「…………」
だが、俺はそういう些細な事には構わない。
翳した手の平を下に……下に……
少しずつ高度を下げながら……
紅蓮い女の……覇王姫の宣戦布告に応じる言葉を口にする。
「臨海王たる鈴原 最嘉が現在、この瞬間に所望するのは”対等なる交渉”それだけだ！それ以外の些末な事情など知ったことでは無いな」
「……」
「どうだ？”鈴原 最嘉”の”格”とやらは、”藤桐 光友”の”格”とやらより劣るか？」
――
その瞬間、俺を見据えていた紅蓮の焔姫が……
紅く、紅蓮く燃える双瞳が、一回り大きく見開かれた。
「最嘉……貴方、私を、よりにもよって、このペリカ・ルシアノ＝ニトゥを試すつもりなの……」
試す……
それはつまり、覇王姫がついさっき口にした言葉そのもの。
――”一国を率いる王は、結ぶ相手の”格”を見定める器が必要、それが王自身の”格”でもある”
つまりは、藤桐 光友が主導した”尾宇美城大包囲網戦”に参加した長州門の覇王姫、ペリカ・ルシアノ＝ニトゥは鈴原 最嘉には乗るのか？
鈴原 最嘉を見極める器は、即ち！覇王姫、ペリカ・ルシアノ＝ニトゥを見極める器であると！！
――ははっ、流石に勝手すぎる反論か？……けどな……
俺は覇王姫の答えを待たずに、翳した左手を下げる。
ゆっくりと……
「っ！？」
そして――
そこに存在のは覇王姫、ペリカ・ルシアノ＝ニトゥが握ったままの鋭い小刀の切っ先！
「なに！？」
「えっ！」
ペリカの部下たる二人が眼を見開いて声を上げる。
――先ず、掌にチクリとした感覚が走る
ズッ……ズズ
――続いて、よく張った皮膚が鋼の切っ先に抗して撓み……
「…………」
ズズ……
撓んだ皮膚はそのまま限界に達して、やがてプツリと……
「なっ！？」
「きゃっ！」
”長州門”側の外野は騒がしいようだ。
――プツッ！
そう、プツリと……まるで水風船を貫いた様な確かな感触と供に、切っ先は肉に食い込んでいた。
「これは交渉だ。臨海と長州門の、決裂したならばそれは即ち……」
ズズズ……
皮膚に当たる抵抗を無視して俺の左手は更にゆっくりとゆっくりと下がってゆく。
「……」
鮮血が刀身を伝って根元まで流れ……
ズズズ……
「……鈴原……最嘉」
直下で小刀の柄を握る覇王姫の白い右手は……
滝壺の血だまりに浸した様に朱に染まっていた。
第四十六話「狂人の交渉場 弐」前編 END
