第四十五話「狂人の交渉場(テリトリー)壱」後編(改訂版)
第四十五話 「狂人の交渉場 壱」 後編
「…………特典」
不敵な俺の視線を、そのまま微塵も揺らがない堂々たる紅蓮の瞳で迎え撃った焔姫は、鮮烈な石榴の唇で俺の言葉をなぞる。
「……」
焼き尽くされるような敵意の視線を受けつつ俺は先ほど同様に、後ろに控える花房 清奈に視線で促した。
「は、はい!……それは、け、計画書です……その……”坂居湊”を速やかに入手する方法が記述された……さ、作戦書……です」
「……!」
花房 清奈の説明に覇王姫の勝ち気な眉がピクリと上がり、背後に控える彼女の家臣二人が目を丸くして改めてテーブル上の封書をマジマジと見ていた。
「そ、それは……つまり……我が長州門が貴国に協力すれば……”七峰”領土である”坂居湊”を奪って我らに進呈する……と?」
俄に信じ難いという顔で、人相の悪い坊主が俺の顔色を覗って聞いてくるが――
「ちょっと違うな、奪い取るのはあくまで”長州門”だ。しかし、その為のお膳立ては完全に整っているって訳だ」
――そうだ
俺は……臨海はこの計画を二年以上前から進めていた。
当時領主になったばかりの俺が最初に着手した戦略のひとつ……
責任者に神反 陽之亮を据え、やがて剣を以てまみえるだろう本州中央北部の大国、宗教国家”七峰”を切り崩す為の数年先の戦略……
だから、先ほどの様に花房 清奈が微妙な表情を返すのも無理は無い。
本来ならこんな序盤で切るべきカードでは無いし、ましてやそれを他国に売るなど……
この策のために仕込んできた人材、資金、労力を考えると、花房 清奈でなくても面白い訳が無い。
「”坂居湊”は七峰にとって海路の要衝だわ、確かにそれが真実なら今回の”臨海”の提案……交渉材料にならなくも無いかしら」
長州門が敵対するもう一つの大国、宗教国家”七峰”
その要衝の都市と長州門の中心武将である菊河 基子の身柄……
この二つを以てしてなら、今回の交渉は対価的に無謀というわけでは無い。
「そうか、なら……」
――スッ
俺が頷いて、右手を差し出した瞬間だった……
「っ?」
不意に対面の覇王姫が立ち上がっていた。
「言ったでしょう?それが”真実”ならと……最嘉の話には真偽を確定する要素が無いわ」
そして意地の悪い笑みを浮かべて紅蓮い姫は妖艶に微笑う。
「……」
――そう来たか……なるほど、先ほどまでの意趣返し……ってだけじゃないな
長州門の王、覇王姫、紅蓮の焔姫と恐れられるペリカ・ルシアノ=ニトゥは、”武”にのみ愛された存在では無く、支配者たるに相応しい知勇兼備の傑物だったか。
「疑り深いなぁ、人格疑われるぞ」
――”人格”が疑われるか……
俺は自分で放った台詞だが、それは果たして覇王姫のことか、それとも……
「そう?」
紅蓮の焔姫は俺の皮肉に全くこれっぽっちも揺るがない。
とはいえ……人質の件は兎も角、”坂居湊の攻略”は証明しようが無かった。
現時点では空手形であるからだ。
封書の中には計画を記述してはいるが……もちろん全容では無い。
抑も交渉が成って、長州門がこちらの約定を果たした後に臨海がそれを補足して手伝うという算段であったのだ。
人質の返還はその”前金”みたいなものなんだが……
それを読んだ覇王姫は、先に全て晒せと要求して来たのだ。
「現時点では無理だ、後金の方は臨海を信じて貰うしか……」
「信じる?ふふ……基子を人質に私をまんまとこの場に引きずり出し、あの忌忌しい引き籠もり……斉旭良の名を出してまで交渉しようとする相手を信じろと?……ふふふ……私、最嘉は好んでいるけれど、貴方の臨海まで無条件に信じるほどお人好しではないのよ……ふふふ」
紅蓮の焔姫はヤケに楽しそうに微笑う。
――前言撤回……やっぱり此奴、さっきまでの意趣返しを楽しんでるだろう!?
「慧景っ!」
そして焔姫は俺に愉しげな熱い視線を向けたまま、部下の名を叫んだ。
「はっ……ははっ!」
響き渡る紅蓮き姫が一声に、後方で控えていた人相の悪い僧侶がビクリと背筋を伸ばして返事をした。
「臨海王、鈴原様に先ずお聞きしたい!拙僧の得た情報では貴国は現在、幾つかの内紛を抱えて困窮している……」
「問題ない」
――!?
”先ず”もへったくれも無い!
覇王姫の意を得て次手に転じようとする坊主に、俺は質問を最後まで完了する事をさせない。
「い、いやはや……問題ないとは?そ、それは具体的にどういう事で?実際は場違いな”尾宇美”戦に手を出されて後悔をされておるのでは?なんなら”暁”でも大国である我が長州門が相談に乗らぬでも……」
「問題ない」
――!?
再び向けられた言葉にも俺は”にべ”もない返答を返し、ただでさえ人相の悪い僧侶は明らかに心証を害した仏頂面で黙り込んだ。
――脅しの後は一転、懐柔か……予め入手していた情報を用いて搦め手を……ね
――悪くない……
――悪くない手法だが……残念、現在の俺は一切応じる気が無い!
「ぬっぬぅぅ……」
――あぁ、そうだ、思い出した……此奴は確か安芸国 慧景という男だったはずだ
仏頂面で黙って唸る坊主という失礼な状況で俺はその人物の子細を思い出していた。
安芸国 慧景、長州門の前領主から仕える怪僧。
ペリカ・ルシアノ=ニトゥが国権を引き継いだ時、異を唱えた重臣達の陣営について戦い、敗れた後は焔姫に乗り換えた。
権威に靡く解りやすい人物だが、強かな外交能力で先代の長州門領主からも重宝がられ、その能力故に覇王姫にも許されて仕えているのだとか。
「強がりも大概にしてはどうなの?……最嘉、貴方の臨海は現在、それどころじゃ無いでしょう?男として恋慕する相手への意地が下らないとは思わないけれど、現実に国を治める者の矜恃はそれに勝るべきものではなくて?」
長州門君主、ペリカ・ルシアノ=ニトゥの言は正しい。
だが――
「問題ない!……というか”長州門”にはあずかり知らぬ事だ」
「…………」
俺の頑なで無礼な応えに、覇王姫が紅蓮の双瞳に炎がチチッと着火した。
「……そう……なら仕方無いわね」
そう呟いて、自身の後ろに控える側近に目配せする。
「ペ、ペリカ!?……でも、それは……」
「アルト」
「……う……解りました」
主の意図するところを察した存在感の希薄な女性は、躊躇しつつも自らの腰に装備していた護身用らしき小刀の柄に手を添わせる。
シャラン!
「……!」
アルトォーヌ・サレン=ロアノフが抜き放った白銀に、場は一瞬にしてピリリと張り詰める!
――ちっ!凄い殺気だ……
しかし、それは小刀を抜いた希薄な女でも、目前で偉そうに微笑たままの紅蓮の姫でも無い。
「…………さいか……斬る?」
俺の右後ろに控えた剣士。
光糸を集めたかの如き煌めくプラチナブロンドをひとつの三つ編みに纏めた見目麗しき白金の騎士姫の放った殺気だった。
「雪白……」
久井瀬 雪白が、腰に装備した見事な白漆の剣に手を添えて備えていたのだ。
第四十五話 「狂人の交渉場 壱」後編 END