第四十三話「停雲落月」後編(改訂版)
第四十三話「停雲落月」後編
裏切りの報いとして――
真琴の策を採用したならば、敵中に孤立した壱は赤目の奴等に縊り殺されるだろう。
常道から言えば、主君を裏切るような恥知らずには当然の結末だと言える。
言えるが……
「…………」
――なら、何故に壱はそんな無謀な反乱を……
「問題は残った赤目残党の反乱軍ですが、そこは私と久井瀬 雪白の隊で対処を……」
真琴は黙ったままの俺に進言を続ける。
「最嘉さまは此方の事はお気になさらずに、先ずは尾宇美戦に専念頂ければ……」
「…………」
俺の方の状況を慮っての真琴の言葉だが、俺はそれを聞き流していた。
俺の頭の中は、この時も未だ宗三 壱に対する未練が頭を擡げ……
――俺が皆の前で壱の進言を無下にしたから?
――宗三 壱に恥をかかせたから謀叛を起こした?
いや断じて無い!!
それは確言できる!
俺と壱の間でその程度のことは障害にならない。
成るはずが無い!
それは立場が逆であっても同じだ。
数多の戦場を共に駆け抜け、華麗なる勝利も、泥にまみれた惨めな敗走も……
俺と壱はどんな苦境も困難も潜り抜けてきた兄弟同然の間柄だ。
「…………」
――過去の在る時に俺の父である鈴原 大夫が言い放った言葉がある。
「貴様は身の程を識ることを覚えよ、多少の才に恵まれたぐらいで身の丈に合わぬ高みを目指した馬鹿共が、その不釣り合いな高さ故に無惨に堕ちて無様な骸を晒すのを儂は腐るほど見てきたのだ!」
それは……当時、僅か十四歳で立て続けに戦手柄をたてた俺に対し、家臣の前で戒めて君主の威厳を示そうとした父が謀の一環だったのだろうが……
当時の浅はかな俺はこう答えた。
「理想高く、飛べば飛ぶほどに代価として酷い重傷を負うというのなら……俺が地ベタに晒すものは何も無いでしょうね。原型を留めない程に砕け散った肉片では誰も察しはつかないでしょうから」
――それほどまでに、誰も為し得ないほどに高く至れる!
誰も、父さえも自分の器を計れていない。
鈴原次期当主、次代の臨海王、鈴原 最嘉は正しく昊天へと羽ばたく鴻鵠であるのだと!
そんな絶対の自信を抱いていた俺は、それを周りを気にせず口に出来るほどにのぼせ上がっていたのだ。
そして、身の程を弁えない生意気な若造の言葉は、当然の如く王である父の怒りを誘発し……
「貴様如き、嘴の黄色い小僧が、王の前で大層な寝言を……っ!?」
――ザッ!
臨海王である鈴原 大夫が吼え、家臣は肩をすくめて縮こまる!!
そんな殺伐とする空気の中、歴戦の武勲を所持する諸将さえも緊張に固まる空気の中、一人の若者が歩み出た。
「お待ちください、王よ」
宗三 壱は臆すること無く自ら歩み出ていたのだ。
「最嘉様が誰よりも高く飛ばれるのなら、従者である私はそれを地上を這いずり回ってでも必ずや受け止め、降される天罰を代わりにこの身に刻みましょう。何故なら、そのためにこそ、宗三 壱という人間は存在するのですから」
そして、鈴原 大夫と居並ぶ諸将の前で、微塵も揺るがぬ瞳でそう宣言する。
「ぬ……ぬぅ……」
怒りの機先を潰され、低く唸る臨海王、鈴原 大夫。
――降る天罰を代わりにこの身に刻む
それは、俺が受けるべき罰をその身に受けるという意思表示。
主が至らないのは側近である自分の罪だと訴える。
次期当主とは言え、諸将の眼前で這い蹲るように……
年下の従兄弟である俺に対して卑屈なほどに傅いてみせる宗三 壱。
主君の為ならば何時如何なる時にあっても、命どころか誇りさえも擲つ事が出来ると……言葉通り、地ベタを這いずって泥を噛んで、”鈴原 最嘉”を守る家臣。
その姿勢に――
他の重臣、宿将達も言葉を出せず、厳格で非情な王たる鈴原 大夫までもが俺を裁くことを諦めざるを得なかったのだった。
――
―
「…………」
「最嘉……さま?」
その時、俺の手は……
俺自身意識しない状態で、自然と真琴の言葉を遮るように翳されていた。
――そうか……
俺は自身が無意識でした、その行動に納得する。
――これは俺の意思なのだ!
「最嘉さま……あの」
――それが唯の感傷であっても、
――あり得無い希望的観測を未だ望んでいる結果であっても、
――俺は……
翳した手で真琴の進言を中断させた俺は、縮こまったままの壱の副官にスッと視線を移す。
「ひっ!ははっ!」
突然の指名に体を硬直させた温森は、そのまま頭を地面に貼り付ける。
――そうだ……
この時、只の一つも定まっていなかった俺の心は決まった!
反乱に対する対処は?
仮に無事、事が収まったとしても、謀叛人への処罰は?
――どうすべきか?
それが未だ曖昧でも、
少なくとも、現在、俺の取る行動は決まったのだ!!
「…………ふっ」
俺は本当に納得する。
――そうだな、今更だった……
俺は動揺のあまりか、一番大切な始まりを失念していたのだ。
――俺の原点は”それ”だったよな…………嘉深
「…………」
真琴が向ける心配そうな瞳を余所に、俺は温森を見据えて言葉を発する。
「温森……真琴の予測通り、壱が赤目軍内で孤立しそうになったら、お前は部下を出来るだけ説得して壱の元に残るように動いてくれ」
「っ!?」
青い顔で平伏していた中年は、思いも寄らぬ言葉に顔を上げ俺を凝視する。
「……あ、あの……それは……?」
「最嘉さまっ!それはっ!!」
意味が解らないという中年男と、サッと顔色を変えてなにか意見しそうになる少女を、俺は再び手を上げて留めていた。
「壱の処分がどうであれ、敵に裁かせてやる訳にはいかないだろう?」
「そ、それは……ですが、それだと……」
真琴には不安があるようだ。
――久井瀬 雪白が先走ったという小津城攻めの再現……同士討ちの可能性か
「とりあえず俺が行くまで小津城は攻めるな、包囲して時間を稼いでくれれば良い。赤目反乱軍の首謀者は俺が尾宇美で死ぬと高を括っているんだろうが……」
「尾宇美はどうなさるおつもりですかっ!!幾ら最嘉さまでも、とてもそんな余裕は無いのではないですかっ!?」
それは流石に下策だと……
最早、火種とは言えぬ炎を放置同然にする甘さは身を滅ぼすと……
俺の信頼する腹心は食い下がってくる。
「そうだな……なにしろ”暁”本州四大国家が揃い踏みだ、局地的勝利を数度勝ち取ったところで戦況は揺らぐはずも無いな」
「ならばっ!」
真琴は珍しく俺に反論を続ける。
赤目領内の”処理”を効率的に進めるべきだ、任せて欲しいと懇願する。
――だが、それはつまり……宗三 壱を効率良く、敵の手で処分させるという事
膝を折ったままで、再び俺に躙り寄って必死に縋る少女の真剣な瞳。
勿論、真琴だって壱を案じていない訳じゃ無い。
俺と同様に真琴も壱とは兄妹同然に育って来た。
幾つもの困難と死線を共に潜り抜けて来た従妹で戦友だ。
なにしろ、宗三 壱との付き合いの長さで言えば鈴原 真琴は俺よりも長いのだから……
「最嘉さまっ!!」
――真琴にこんな嫌な事を言わせ無ければならないのは……
「……」
――全て俺の未熟が招いた結果だ!
俺の我が儘のせいで……
俺がもっと上手く事を進めていれば……
壱をこんな窮地に追い込むことも無ければ、真琴にこんな嫌な役を負わせる事も無かった。
「真琴……尾宇美の方はなんとかする」
俺は自分の不甲斐なさを嫌と言うほど認識し、そしてそれがあっても……
いや、それだからこそ、決断したのだ!
「し、しかしっ!」
「大丈夫だ……”戦国世界”で歯が立たない相手なら”近代国家世界”でなんとかすれば良い」
「最嘉……さま」
無理矢理に余裕の笑みを作った不格好な男を見上げ、
そんな馬鹿な男を、自身の大切なもの全てを置いても心配する少女は……
――泣いているんだ……ずっと……なのに俺には、俺の為には……
「忙しくなるぞ、明日……いや、もう今日か?とにかくする事が山ほどある」
だから俺は、歪で見るに堪えない笑顔でも継続して続けた。
「最嘉さま……謀叛は例外なく死罪です……宗三 壱は……」
先ほどまでとは全く違う……
小さい声で……震える声で……少女は呟く。
真琴の外装を剥ぐのは俺の本意では無い。
それが俺の為に纏った装甲なら尚のことだ。
「解っている。神ならざる人の身が国を治めるには法は曲げるべきでは無い……況して軍隊は規律無くしては成り立たない」
けれど、俺の決意は変わらない。
――裁くのは……俺だ
――他の誰でも無い……壱に対する責任を負うのは鈴原 最嘉でなくてはならない!!
「…………」
少女は黙りこんで……そして悲しみを孕んだ瞳で小さく頷く。
「真琴、温森……お前達にはより困難な指令を出すことになるが、今まで通り俺を支え、我が臨海に尽くして欲しい」
「も、勿論です!最嘉様、臨海国の為にこの非才の身を捧げます!」
俺の言葉に、跪いたままでいた中年は”ハハァー!”と更に頭を低くして応えた。
――真琴は……
「…………」
深く深く頭を垂れたまま、無言で頷いていた。
――そうだ……真琴には返事を聞くまでも無い事だ
鈴原の呪いで家族の全てを失った……
殺し尽くした俺にとって……
”鈴原最後の呪いの残り塵”……鈴原 最嘉に家族と言える者はこの鈴原 真琴と……
「…………」
俺はギュッと拳を握る。
――宗三 壱だけなのだから……
第四十三話「停雲落月」後編 END