第四十二話「前夜」前編(改訂版)
第四十二話「前夜」前編
「尾宇美城北第三塔の内堀は東門外堀以上の水深だと、予め説明させて頂いたと思いますが……無茶をしますね、燦太郎様」
「いや……ゼーゼー……あれしか……ハーハー……脱出方法が……ゼーゼー……なか……ハーハー……無かったから……」
「あらあら……」
長い髪をアップに纏めた如何にも温和そうな落ち着いた大人の女性が、”仕方無いですね”との笑顔を浮かべ、俺に替えのタオルを差し出す。
「ああ……サンキュ……ハーハー……けど……」
俺こと鈴木 燦太郎(偽名)は、再び尾宇美城司令室に戻ってきていた。
全身水浸しで……
禄に着替えもせず……
司令室の椅子に腰掛けて、既に水を吸って雑巾のようになったタオルを女性に渡す俺は司令室に居る士官たちの注目の的……
「…………」
「…………」
では……やはり無かった。
相変わらず誰も目を合わせてくれない。
不自然に俺から目を逸らせ、やはり用事があっても用件だけ伝えて、そそくさと去って行く。
「…………」
無理も無い……
ただでさえ得体の知れない顔面包帯男が席を外したかと思ったらずぶ濡れで帰還。
そして、主戦場の作戦指揮に出向いたかと思うとそのまま北第三塔へ……
更に、再び戻ったときはまたもやずぶ濡れ……
やっぱいやだ、こんな上官の下で働くのは嫌すぎるだろう。
”なんで出て行く度にずぶ濡れなんだこのひと?”
”てか、もうこのひと、そういう趣味なのでは?”
あからさまに忙しそうに動いて俺を無視する司令室諸君の心の声が聞こえてきそうだ。
俺はなんとも言えぬ疎外感の中、唯一そんな男に微笑みかけて甲斐甲斐しく世話をしてくれる女性に視線を戻した。
――
古風なシルエットのロングスカートワンピースにエプロン姿、頭にはレースのヘッドドレスという、伝統的な給仕、七山 七子嬢。
「けど、七子さん……”陽子”を一人抱えて日に二度もダイブ&水泳ってのは……結構大変なものだなぁ」
ようやく息の整ってきた俺の言葉に、目前の給仕、七山 七子はニッコリと女神の如き微笑みで応える。
「ふふふ、普通死に……」
「いや!皆までいうなっ!」
俺はなんだか不快な既視感に……
自らが振った話題にも拘わらず”その会話”を強制終了させていた。
「あら?ふふふ」
「…………」
――しかし……やはりというか、いつも通りなんて良い笑顔なんだ……
相も変わらずの七山 七子の潜在能力に感心する俺に対して彼女は、タオルに続いて綺麗なロール状に巻かれた包帯を差し出して来る。
「お顔、不快でしょう?別室で巻き直しましょう」
微笑んだ女神は……
ほんと、ちょっとだけ得体が知れない性格を除けば、実に気が利く良い給仕女性だった。
「ああ……けど、その前にやっておくことがある」
俺は勿論、顔にベッタリと張り付いた布がこれ以上無いくらいに気持ち悪くはあったが、やはり今回もそれより優先度の高い用事があった。
現在、この尾宇美城大包囲網戦において、なによりも優先する事柄だ。
「でだ、えーと、皆揃っていると思うが……」
真剣な顔になった俺は、今までの流れをとんと無視して視線を移動させる。
――
眼前の長大な作戦テーブルの席に腰掛けている”面々”にそう確認する。
司令室中央に設置された大テーブルの上にある遊戯盤。
それを囲む様に座る五人の”王族特別親衛隊”たちに俺は視線を向けたのだ。
「……大体揃っているわ」
俺の正面に座る女、簡易的な金属製の籠手と臑当という、戦場ではやや役不足ではと思われる申し訳ばかりの軽装鎧姿で、スラリとした長身に凜とした佇まいの六王 六実が呆れ顔で応える。
「あははっ、コントはもう終わり?」
その右隣、緊張感の少し欠けた飄々とした雰囲気の三つ編みの剣士、三堂 三奈がすかさず笑って茶化す。
「負傷治療中の宮郷 弥代様、二宮 二重と、現在も西門守備をされている岩倉 遠海様、東門で警戒待機して頂いている臨海の比堅 廉高様、一時撤退した七峰軍の偵察に出ている一原 一枝が未だ戻っておりませんが、それ以外の指揮官は皆揃っております」
そして六実の左隣、十三院 十三子という銀縁眼鏡の落ち着いた女性がそう説明して軽く頭を下げた。
「……クッ……クフフ…………」
更にその横で……
俺と同じく濡れ鼠のまま、“にへらぁぁ”と意味不明に嗤う精神病質少女、四栞 四織。
「…………」
あと、何故か言葉無くじっと俺の顔を凝視する……前回とは百八十度態度の違う、くせっ毛のショートカットにそばかす顔の少女、八十神 八月。
「どうした?何時になく静かだな?」
俺のする事に一番口うるさい八月の不可解な態度に、俺はそう問いかけたのだが……
――ガタッ!
「っ!?なっなんですか?……べ、べつに、なんにもありませんよ!ええ!ありませんともっ!……う、うぅ……」
ビクリと過剰反応した少女は椅子の背に背中をぶつけ、アタフタとしどろもどろで意味不明な言い訳をする。
――なんだ?……サッパリ解らんな、此奴なに慌ててるんだ?
「そ、それよりっ!!指揮官を集めて緊急会議だなんて……わ、私はそれの方の説明を要求しますっ!」
そして取って付けたように、そう俺を問い詰めてくる。
「八月?」
「八月ちゃんどうしたのぉ?」
”王族特別親衛隊”達も八月の態度が変だと感じたのだろう、不思議そうな顔で注目していた。
「う……うぅ」
赤い顔で俯く八十神 八月。
――謎だ……
「えっと、そうだな……今回、皆を緊急招集したのは……」
謎だが……
俺は取りあえずそれは些細などうでも良い事だと置いて、話を進めることにした。
ガチャッ!!
「き、貴様ぁぁっ!!このっ!鈴原 最嘉ぁぁーーっ!!」
途端に、司令室のドアが乱暴に開いたかと思うと、そこから抜き身の剣を振り上げた状態のけたたましい女が鬼の形相で飛び込んで来るっ!!
シュォンッ!
「うっ!うわっ!?」
ガキィィーーン!!
首筋に狙いを向けた一閃!!
俺は咄嗟に腰の刀を抜いてそれを防ぐ!
「な、なんだ!!いきなりっ!?一原 一枝っ!殺す気かよっ!?」
――ギ……ギリギリ……
一枝の不意打ちを受け止めた俺を至近で睨む女の左目がギラギラと殺気を放ち、鍔迫り合いする刃をさらに押し込んでくる……
「ちっ!小賢しい……だが……」
――ギリリ……
「ぐっ!」
――ほ、本気か?……おいおい
必死で刃を押し返しつつ、俺がその血走った眼を見てそう確信した時だった……
ババッ!
「うわっ!」
「なっ!?」
意外すぎる人物の乱入に、俺と一枝は抜き身の刀を手に各々が後方へ飛び退いたのだ。
「あ、危ないだろう、八十神 八月……」
「八月、何故邪魔をするっ!」
お互い距離を取った俺と一枝は、そこな少女に向け同時に叫んでいた。
刃を手に、鍔迫り合いで鎬を削る俺達の間に無謀にも割り込んできた人物は……
現在は距離を取って対峙する俺と一枝、二人の間に勇ましく立つのは……
「…………」
澄んだ叡智を秘めた瞳の少女、八十神 八月であった。
第四十二話「前夜」前編 END