第四十話「籠鳥恋雲」(改訂版)
第四十話「籠鳥恋雲」
「油だ!ええい間怠っこしい、樽ごと持って来い!」
「おい!そこは空けておけよ、俺達が脱出れなくなるだろうが……」
尾宇美城敷地内、北側に聳える第三塔の地下に、なにやら怪しい動きを見せる一党がいた。
光の差し込まない地下の闇、幾つもの提灯の灯りを頼りに作業を続ける十人ほどの兵士達。
「八十神隊長、そろそろ地上が騒がしくなってまいりましたが、例の”長州門の両砦”が……」
他の者達に指示を出していた士官らしき男が、時計を確認していた少女に問いかける。
「そうですね、既に”菊河 基子隊”に占拠された頃合いですね」
くせっ毛のショートカットにそばかす顔の快活そうな少女は、そう答えて石造りの天井をチラリと見る。
「しかし……地上は既に長州門兵でいっぱいでしょう?この作戦を全う出来ても我らは無事に脱出できるのでしょうか?」
心配そうな士官の顔に少女はフッと口元を緩める。
「その点は心配在りません。事が成ればこの第三塔はパニックになるでしょう、その混乱に乗じる形で我が隊ぐらいは十分に脱出できる……あの”鈴木 燦太郎”という男は、風体の怪しさは兎も角、その知謀は確かですから……」
部下に安心を与えながら、少女はふと思い出す。
この尾宇美城籠城戦の直前に、あの包帯男と話した内容を……
――
―
「本当に貴様を護らなくて良いのか?……多分、死ぬぞ」
「ははっ……適当にで良いよ、後は自分でなんとかする」
革製の大きめな眼帯で右顔半分を覆った少し奇抜な風体の女武者、一原 一枝さんの言葉に、これまた顔の殆どを包帯で覆った奇妙な男は軽く笑った。
「…………」
そして――
その二人のやり取りを前に、私は独り考え込んでいた。
――この緊張感の無い包帯男、鈴木 燦太郎から受けた作戦内容……
それを聞いたとき、私の頭の中は未知の衝撃に揺さぶられ、その後に色々と常識的な事が崩れていった。
端的に言うと私の感想は……
独創的で既知の範囲外、でも綿密に組み上げられた……”とんでもない策”。
正直、自分には考えもつかない神算鬼謀ともいえるが、荒唐無稽にも思われる。
――だけど……
だけど、これが成功するのなら、現状の兵力差さえもなんとかなるかも知れない……かも?
「無理です、司令官たる貴方に危険が大きすぎるし、一枝さんや六実さんの連携は至難過ぎます……それに既に戦場で戦闘中の岩倉様や十三子さんには意図も伝えられていない訳ですし……」
でも、現実に私の口から出たのはどれも否定的な言葉だった。
「そうか?けど元”十剣”たる岩倉 遠海ならきっと大丈夫だろう」
「それはいったいどんな根拠で?どういう理由ですか!?」
必要以上に食ってかかる私に……
しかし、その包帯男はしれっと言ってのけたのだ。
「俺はな、八十神 八月……其奴に出来ない仕事は振らないんだよ」
「…………」
――驚いた……
――なんですかそれ……どんな根拠……
「おお、そうだ!……それから最初の一手は俺が指示するが、その後の事はお前に任せる」
「…………は?」
私は我が耳を疑った。
――任せる?……なにを?
「だ・か・ら、指示だよ、作戦指示……判断基準としては、そうだな、六王 六実の突撃で敵軍の注意が最も逸れた瞬間で、尚且つ前進する敵本隊が敗走中に擬態した一原 一枝隊の射程に入った瞬間……更に言えばその時、俺が生きていればなお最高!」
そう言って巫山戯た笑みを浮かべた包帯男は、手に持った弓と矢の束を私に手渡してきた。
「…………」
強引に持たされた”それ”を呆然と見る私。
「鏑矢だ、見たこと無いのか?放ったらピューって音が鳴る矢……」
「知ってますっ!それくらいっ!!……て言うか、そんな高度な判断、少しでもタイミングがズレれば全滅……いいえ、そもそもそんな才能は私にはっ!!」
私は必死で抗議していた。
――それはそうだ……
軍師を目指し、”無垢なる深淵”と称えられる姫様にお仕えしていても、私は……わたしには……
「おまえ策士だろうが?希有なる天才軍略家、京極 陽子姫が誇る王族特別親衛隊が一枚の……」
「っ!!」
なんということの無い顔でそう言う包帯男に、私は頭に血が上った!
「私には無理ですっ!!現にこの”尾宇美城戦”で新参の”鈴木 燦太郎”さえ気づいた姫様の真意に気づけなかった私がっ!!」
「…………」
「…………」
つい取り乱して叫ぶ私……
気がつくと二人に……
会議室のテーブルを囲んで腰掛けた、鈴木 燦太郎と一原 一枝さんの二人の視線が私を見据えていた。
「……ぅ」
――だって……仕方無い……
私は軍師に憧れてここまで来たけど……
頑張ってきた、一介の村娘から姫様直属の”王族特別親衛隊”に選ばれるまでに……
頑張ってきたけど……
到底……未だそんなレベルには至っていない。
――そんな私が王族特別親衛隊の……
――尊敬する姫様の未来を左右する様な大事の判断なんて烏滸がまし……
「で……だ、一枝は兎に角、相手に悟られぬように敵本隊に近づいてだな……」
「って、聞いてるの!?鈴木 燦太郎!!私には……」
動揺する私を無視して一枝さんに話を進める男にツッコんだ時……
――っ!!
私の話を全く聞こうともしない巫山戯た包帯男は一瞬で……
本当に瞬きする合間にでも移動したかの如き魔法の動作で、猛烈に抗議する私の間近まで近寄っていた。
「……う」
「…………」
――ち、近い!近い!近いぃぃっ!!
てか、なんでこの男、座ったままでそんな機敏に動けるの?
武術素人の私には全く反応できない身のこなし……
そんな動きに私は固まる。
「……ほぅ」
そして同じく座ったままの一枝さんが妙に感心していた。
「俺はな……」
――だ、だから近いって!……これじゃ息も……く、唇さえ触れそうな……
「俺は出来ない奴に仕事は振らないって言っただろ?八十神 八月」
「っ!?」
――緊張で固まっていたはずの私の身体が……心が……
ピクリと反応した。
「…………」
「…………」
奇妙でしか無い風体の包帯男の顔……
グルグル巻きの包帯から露出した彼の瞳が……
「ぁ……」
凄く綺麗に輝いて……
ガタッ!
――っ!?
突然席を立った一枝さんが動かした椅子の音で、我に返った私は弾けるように椅子の背もたれに張り付いていた。
「取り込み中かもしれんが、私は行く……そろそろ準備にかかる必要があるしな」
そう言って部屋のドアに向かう一枝さん。
「そうか?じゃあ作戦決行までの間、戦線を維持しといてくれ」
包帯男は相変わらず緊張感の無い表情と声で、その背に軽く手を上げて見送っていた。
「…………」
――うう……気まずい……
のは……私だけだろうか?
「そうだ……八月、別に必要以上に気負う必要は無い。どのような事態になっても”王族特別親衛隊”がフォローする、それに……”王族特別親衛隊”も八月を信じている」
普段はそういった言葉に無縁な武人……”武者斬姫”一原 一枝さんの突然の言葉。
「か、一枝さん……」
当の本人は自分の言葉が照れくさかったのか、再びそそくさと背を向ける。
「まぁ、最悪その”包帯男”が死ぬくらいだ……ふふふ」
そして今度こそ部屋を出て行く背中越しに聞こえた声は、私も初めて聞くような少し楽しそうな声色だった。
「おいおい……」
私が失敗したら死ぬだけの”包帯男”、鈴木 燦太郎は呆れながらその背を見送ると、再び私に向き直る。
「この戦……八十神 八月、お前に託す」
そして、微塵も疑うことの無く不敵に笑った包帯おと……鈴木 燦太郎の顔は……
「…………了解……致しました」
私には生涯忘れられないものとなった。
――
―
「八十神隊長、もう少しで作業終わります」
その報告に私は現実に引き戻される。
「分かりました、では私たちは時間まで待機します」
自分の指揮する隊に待機命令を出してから、私は再び岩で出来た天井を見上げた。
「……」
――そして、あの男は見事にやってのけたんだ……
東門で迫り来る旺帝軍を押し返し、西門では数倍の敵軍、天都原国きっての天才……あの中冨 星志朗の軍を退け……
そして、ここ北塔では、噂に高い長州門の両砦が一角、菊河 基子に対してこんな”とんでもない”対抗手段を用意して対峙する。
――”それを叩くために俺は数では無く武人らしく”武”を以てアレに対峙するつもりだ”
菊河 基子対策だと、鈴木 燦太郎はそう言った。
――”数”では無く”武”……
――てっきり個人技の”武”だと推測していましたが、まさかその類いの”武”だとは……
よくよく考えれば、”罠の効かない”相手を個人戦闘に持ち込むことは出来ないだろう。
だからこそ、鈴木 燦太郎の言う”武”……
彼の言う策を結局、推測できなかった私に、相変わらず小さい意地が邪魔をして”ご教授下さい”と言えなかった八十神 八月に……
あの包帯男は、呆れ気味に笑いながらも最終的には胸中にある策の全容を話してくれた。
――でもそれって戦術なの?
――聞いた”策”は寧ろ”科学”か”哲学”の実験?検証?みたいな……
そして、本来なら緊張が張り詰める作戦寸前の状況で、それを思いだした私は今更、頭を悩ませていた。
「…………」
――まぁ……どちらにしろ戦術とか作戦という代物の範疇ではないでしょう……ね
結局、結論の出るはずもない事柄に、私はフッと脱力していた。
「本当に……未知の感覚です」
鈴木 燦太郎……彼の策が優れているのはもう言うまでも無い。
”無垢なる深淵”と称えられる姫様にも、天才と名高い中冨 星志朗にも匹敵する実力を持ちながら、でも……それは生まれ持った才能というイメージがある姫様達とは少し違う。
――あくまで私の感覚で、憶測でしかないけれど……
それは悪く言えば泥臭い。
けれど、より実践的で臨機応変。
――いいえ……彼の構築する策はもっと自由で既存の枠に囚われない
「……」
――そう、
――そうです!
彼の紡ぎ出す戦術を表現するピッタリの言葉は……
――”変幻自在”にして”虚々実々”
勿論、生まれ持った才能もあるのだろうけど、決してそれだけでは無い!
彼を形作る大部分はきっと”これまで生き抜いてきた経験と決意”……
そんな”鈴木 燦太郎”だからこそ、生み出される”策”はまるで命を吹き込まれたような、他に類を見ない芸術……
”虚実皮膜”の域に達するのだろう……
――私にはそう感じられる!そんな気がする!
「…………」
幼少の頃、古くさい風習ばかりの貧村を出たくて一生懸命に学問に務めた。
――”女なんかに”学問”は必要ない!嫁いで一生尽くせば良いのだっ!”
何度も何度も諭され、押さえ込まれ……時には殴られて育った。
――”村から出たってお前なんかが上に行けるかよ!どこのお偉いさんにも召し抱えられるわけがないだろうが!”
――”咲季、あんた、またそんな大それた夢を……”
「…………」
不意に過る思い出という雑音に、私はかぶりを振った。
――”見上げて手に入る視界は小さいわ、そこに立ってこそ周りに世界は広がるの”
それはある書物で感銘を受けた言葉。
だから、その場所を目指した幼い頃の私。
けれど直ぐに世界の広さに圧倒され……到底適わない才能を知って……
「…………」
でも、”鈴木 燦太郎”に出会って解った。
私が見るのは世界じゃ無い……それはきっと”私自身”
必死に修めた学問に囚われず、寧ろ一度全てを忘れて私を確認する。
知識はそうして自分に溶け込んでこそ本当に自分の世界になる。
「枠から……解き放そう!!”鈴木 燦太郎”のように……」
――ドクンッ!
私の胸は確かに高鳴っていた。
ーートクン、トクン……
この先も知れぬ状況下で。
仕える主君が窮地を乗り越えようと戦っている最中、当然、私自身も粉骨砕身奔走する瞬間にも。
――わたしは……
必死の努力の末に、憧れの主君から与えられた”八十神 八月”の名を持つ少女は……
――私はきっと、”鈴木 燦太郎”に認められたいのだっ!!
澄んだ叡智が見て取れる少女の瞳は眩しいほどに煌めいて、自然と胸の前でギュッと握られた拳には、強く強く力が込められていたのだった。
第四十話「籠鳥恋雲」END