第三十八話「武者斬姫 参」前編(改訂版)
第三十八話「武者斬姫 参」前編
「”親王宣下”が議題だと?」
自家の紋章を施した華麗な白いマント姿の男は、部下の言葉を不機嫌そうに確認する。
「はい、今回の臨時招集はそう言う内容になるかと、確かな筋からの情報です」
目の前で不機嫌そうに椅子の肘掛けに頬杖を着いた男、尊大な態度の主人に答える家臣は、小太りで頭髪にチラホラと白髪の交じった、やや草臥れた感じの冴えない中年男だった。
「……対象は”陽子”か?」
「!」
その尊大な主、藤桐 光友という男はそう続け、それを聞いた中年の家臣は驚いた表情を見せる。
「兼時よ、別に大した推理では無い。如何にも”京極の家”が考えそうなことだ……叔父貴にも困ったモノだな、未だ王位への野望を捨てきれぬとは」
「そ、それは……」
主君の言葉に兼時と呼ばれた中年家臣は返答に窮した。
藤桐 光友が言うところの叔父貴とは、この国、天都原の王弟たる”京極 隆章”を指す言葉で、王太子である光友の叔父にあたる人物である。
「子女である陽子に”内親王”でなく”親王”を画策するあたり、次代の王位を狙っているのは明らかだろう?」
「で、ですが、陽子様は未だ十一になったばかり、それに女子による親王宣下は前例がありません、流石に王弟たる京極 隆章公でもそれが通るとは……」
兼時は元々自身が報告した情報であるが、その内容には未だ半信半疑であった。
「京極家の跡取り、”憲章”と”健章”は現在は領地を良く治めていると聞くが、奴等は学生の頃から戦術学や兵学、教練はごく平凡だったからな、この乱世では次代の王として俺には遙かに及ぶまい」
「そ、それは確かに……殿下は隆章公のご子息とは確かご学友でしたな」
「学友?……ふっ、別に憲章が二つばかり上の学年で健章が一つ下だっただけだ」
光友は中年家臣の言葉を鼻で笑う。
「それよりも陽子だ、アレは確か九歳で予科を修了し現在は本科の……」
「いえ、去年には本科の全課程も修了されたそうです。それも他者を全く寄せ付けないほどの成績を残し、その年の首席で……」
「……ほぅ」
兼時は主人の機嫌を損ねないように恐る恐る答えるが、これには光友は何故か満足そうに口端を上げていた。
因みに”予科”とは通常教科に基本の政治学などを含めた課程で、通常は高校までで習得し、”本科”とは更に高度な政治学や戦術論、軍政学、戦史などの高度な学問を指し、通常は大学、大学院で修学する項目に相当する。
「やはり俺の対抗馬を用意するなら陽子しか無いと踏んだか……確か陽子は憲章、健章とは腹違いの妹になるのだったな?」
「はい、母君は”旺帝”の燐堂家から嫁がれた後添えの陽南子様で……」
京極 陽子の母は政略結婚で嫁いできた東の大国”旺帝”の王、燐堂 真龍の娘であり、京極 隆章にとっては後添えであるが、歴とした正妻であった。
「だったな……なら俺の推測は先ず間違い無いだろう。叔父貴、京極 隆章の狙いは、娘である陽子に俺や憲章達と同じ親王格を与え、王位継承権を得させること……」
そう言い放った光友の双眸は、敵らしい敵の登場に爛爛と輝く。
「あの裏工作に長けた叔父貴の事だ、今回の会議で俺が反対に回っても結果は変わらぬよう算段を整えているだろう」
「むむぅ……で、では殿下!?」
「ふっ……」
主君の説明で事態を完全に把握した中年家臣、兼時の渋い顔に当の光友は笑う。
「殿下、殿下はどのように……」
――コンコンッ!
兼時がその真意を問おうと口を開きかけた時だった。
その場に渇いたノック音が響き、続いて一人の剣士が入ってくる。
「……あ、阿薙殿?」
長めの黒髪を雑に纏め、鋭い眼光を宿した男。阿薙 忠隆だった。
「主よ、ご命令通り”次花 千代理”の身柄を確保致しました」
「っ?」
兼時は無愛想な剣士が発した言葉の意味が解らず、思わず主君である光友の顔を見る。
「そうか……で、次花 千代理は抵抗をしたか?」
しかし光友はそれが当然だというように頷くと、続いて質問した。
阿薙 忠隆は主の問いかけに無言で首を横に振る。
「そうか」
「で、殿下、次花 千代理の確保とはいったい?」
短いやり取りをする主君と剣士に、遂に耐えかねた兼時が内容をせっつく。
「ああ、”あの女”には”句拿国”の重臣、次花 臆彪から引き渡し要求が来ていたのだ」
「っ!!」
その答えに兼時の顔色はサッと変わる。
確かにその話は聞いている……が!
”暁”南西の大島”日向”を制した柘縞 斉旭良が率いる句拿国。
その句拿国が征服した咲母里国の家臣で、当時行方不明であった次花 千代理の引き渡し要求が、現在は斉旭良の重臣となった彼女の夫、次花 臆彪から再三に渡って藤桐 光友の元へ届いていた事だ。
「し、しかし……殿下はそれを拒否し続けていたのでは?」
兼時は悪い予感しかしない。
「ああ、だがな、”あの女”は思ったより使えぬ。役に立たぬ駒は持っていても仕方がないだろう」
そういう光友の言の通り、次花 千代理は藤桐 光友に降ってから数ヶ月、さしたる働きを見せることも無かった。
抜け殻のような彼女は既に曾ての”武者斬姫”の面影はイチミリも無かったのだ。
「し、しかし、一度庇護下に置いておいてそれは仁義に……」
納得がいかないという顔の兼時に、主君たる光友は”まぁ待て”とばかりに言葉を発した。
「当面の敵たる”七峰”は大したことが無い、目に付く人材も無く、ただ規模が大きいだけの狂信国家だ……ならば次に障害になるのは”長州門”だろう?」
「殿下?」
「”長州門”は強いぞ!あの”覇王姫”は中々の別格だ。それの対抗手段としては”句拿”との連携が望ましい……なら今のうちに多少のよしみを通じておいて損はあるまい」
目の前の尊大な主君には、本州西の大国”長州門”を、その更に西南の島”日向”の覇者である”句拿国”とで挟撃するという戦略が既に心中に在るというのだ。
だとしたら、それは何という行動力、何という自信。
兼時は改めて自らの主君に驚嘆する。
「なんと、そんな先のことまで……」
「戦略とはそう言うものだ。とはいえ、あの女は武人としては正直、期待外れだったが、女としてはそれなりに情も交わした。俺とて思うところが無いわけで無いが……これも戦国の世の常だ」
言葉の通り、光友は千代理を何度も褥に呼び出し逢瀬を重ねていた。
英雄色を好むと言うが、光友ははたして千代理を女として、そう扱っていた。
「叔父貴には叔父貴のやり方があるだろうが、誰が相手でも俺が天都原の王位に就くのは変わらんし、俺が見るのはその先だ……国の重鎮が雁首揃える今回の席は俺にとっても丁度良い、その場で主導権を握り、この藤桐 光友が将来の奴等の主であるという事実と、今後の天都原の方針を示してやるには持って来いだ!」
――なんと言うことだろう
――この御仁は……国の重鎮が揃う場で、現在最も勢いがあると思われる、日向を制した句拿国との同盟を提案し、そこで自らが手に入れた”駒”を示すことによって、その後の”対七峰”、”対長州門”戦という大戦の主導権を完全に掌握するおつもりか……
用意周到というより臨機応変……
非情というより無情……
藤桐 光友の発想力と行動力はまさしく”歪な英雄”そのものだと。
仕えて久しいが改めて思い知る主君の器の大きさに、中年家臣、樫原 兼時は改めて恐れ入ったのだった。
第三十八話「武者斬姫 参」前編 END