第三十六話「武者斬姫 壱」後編(改訂版)
第三十六話「武者斬姫 壱」後編
曾て”咲母里”の地を拠点とする大登家は”暁”の南西に浮かぶ島”日向”の北部一帯を支配下に治める雄国で、その権勢は日向随一であった。
それは大登家に仕える名将、次花 秋連の功績による所が大きいと云われている。
――次花 秋連……
武力も一軍の将としての器も、また軍略家としても他の追随を許さない名将中の名将として”日向”はおろか、本州の国々までその武名を轟かせた人物だ。
大いに主君を助け、”咲母里”の国を盛り立てた秋連であったが、彼はある時、敵対する句拿国との戦で進退窮まった主君の窮地を救うために単身、敵軍に残り奮戦した。
無事主君を救出することに成功した秋連であったが、彼はその時の大怪我が元で下半身不随になってしまう。
以降、戦場で武勇を示せなくなった秋連であったが、彼は以後は軍略で貢献した。
部下数人に担がせた御輿に乗り、剣を杖に持ち替えて……
それで輿の欄干を叩いて指示を出す。
カンッカンッカンッ!と音が響けば鬼が来る!
と、秋連の軍は他国の兵士達を震え上がらせる程であった。
こうして戦場では軍師として、より一層の才を咲かせた秋連であったが……
四十六にして跡取りを作れなくなった彼は自家の存続の危機を乗り越えるために当時六歳であった娘に自ら武芸を仕込み鍛え上げ、家督を継がせようと考えた。
――娘の名は次花 千代理……
少女は十四で父、秋連と供に戦場に立ち、初陣にて十の敵将の首を取った。
そしてその後も三十を超える戦に出陣し、そのどれもで驚異的な手柄を上げた千代理は敵兵達に彼女の所持する愛刀”雷斬”に因んで”武者斬姫”と呼ばれ恐れられたのだった。
暫くしてから……
数々の戦で手柄を立てた千代理に主家である大登家から、女ながらに次花の家督相続許可が出たのは当然と言えるだろう。
「結婚……ですか?」
次花 千代理はその年、十八歳になっていた。
「うむ、儂も歳であるし、そろそろ隠居をとな……為末様の血縁の方でな、大登 臆彪殿、今年二十八になる我が家中の重鎮じゃ、お主も識っていよう?」
為末とは大登 為末……
今、目の前に居る父、次花 秋連と自分、次花 千代理の主君の事で、大登 臆彪はその遠縁にあたる武将であった。
「…………」
美しく成長した千代理は整った眉を顰め、座した父を見る。
娘の縁談……それも主君の家系筋で実力もある人物。
なのに父の顔はどこか冴えない。
「為末様にまた……諌言されたのですね?」
だから千代理は気づいた。
この縁談の絡繰りに……
「うむ、まぁ……な」
秋連は”ばつ”が悪そうに頷くと話を続ける。
――この頃、日向の情勢は急変していた
南の国家、”句拿”で新たに跡目を継いだ柘縞 斉旭良が勢いを増し、日向全土を席巻していたのだ。
日向の雄国である残りの二国、大道寺 重守が治める”比嘉”はその領土の大半を失い、残るこの”咲母里”も負け戦が増えていた。
圧倒的になりつつある”句拿”の柘縞 斉旭良の脅威の前に自暴自棄に陥った主君、大登 為末は、最近は酒に溺れ、女に溺れ、国政を蔑ろにすることが多くなったのだ。
そしてその君主を諫める役回りが彼女の父、次花 秋連であった。
大登 為末は先代である父君から、”困ったときは次花 秋連の言うことを聞け”と遺言されていた。
最初こそはそれに従い良く国を治めたが、徐々に過剰な自信をつけて太鼓持ちの様な取り巻きを周りに侍らせ、我を通すようになって……
この”咲母里”の国を現在の状況にまで陥らせた。
父の言う事に耳を貸さず、然りとて今更頭を下げることも”誇り”が許さない。
なら、その娘に自分の息のかかった相手を宛がい、それを理由に隠居を迫る……
――なんて小さい男……
千代理は自身の主君ながら尊敬の欠片も抱けない相手だと心の底から思った。
「まぁな、大登 臆彪殿が才気在る人物なのは儂も認める……全体的には良い縁談だろうて」
「…………はい」
そう言う父に千代理は頷くしかない。
それに、もうそろそろ……
”次花 秋連”を休ませてあげても良いと思ったのも事実だった。
父は先代の主君から大登家に仕えて数十年、年齢はそれほどでも無いが、半身不随という身体で戦場に立ち続けるのは辛いだろう。
近隣諸国から”軍神”と恐れられ、その名に恥じない実績を残してきた”次花 秋連”は、もう十分過ぎるくらいにお家のために働いてくれたのだ。
だから……もうそろそろ良いのではないかと……
それが父を安心させる事ならばと……
これも親孝行と自分に言い聞かせ、決断した彼女の選択がこの後の人生を波乱に満ちたものに変えるとは……
この時、次花 千代理は予想できなかった。
――そう、それから僅か二年後……
大登 為末が治める”咲母里”の国は滅亡の淵にあった。
日向南方を拠点とした柘縞 斉旭良が率いる”句拿”が、中部を拠点とする大道寺 重守が率いる”比嘉”を降し、勢いのままに”咲母里”に大攻勢をかけてきたのだ。
元々人望の乏しい国主、大登 為末の元からは多くの家臣が離反し、戦う前から勝負は決したも同然であった。
”咲母里”劣勢の中、次花 千代理は戦場にて何度も句拿軍を撃退し、現在は婿養子である夫、次花 臆彪の指揮する軍に貢献した。
しかし全体の劣勢は覆し難く、”頑強なる鉄門”と呼ばれる柘縞 斉旭良の軍は正真正銘に強かった。
千代理は何度も夫、臆彪に他国への援軍要請や柘縞 斉旭良への和睦交渉を提案したがその度に……
”俺の守る”次花山城”は勝っている、勝っている者が何故にそのような情けない真似をしなければならないのかっ!”
とあしらわれるばかりだった。
「”七峰”に援軍を求めてはどうでしょうか?主君、大登 為末様は”七神”を信仰しておりますれば、今までも七神信仰の総本山”七峰”には多額の援助と貢献を致して参りました、名のある者が直接懇願に参りますれば必ずやお応え頂けるかと」
――そんな状況の中
千代理に仕える侍女の一人がそう囁き、千代理もその言に耳を傾ける。
確かに、国主が熱心な信者であるこの”咲母里”と”七峰”は友好的な関係だ。
なによりも今は藁をも掴む状況……
「けれど奥方様……これは極秘裏に進めなければなりません。国主である大登 為末様は悲観して部屋に籠もりきりで、女と酒に溺れ聞く耳を持たないでしょうし、旦那様であられる臆彪様は他者を頼るような行為を良しとしないでしょう」
千代理はこの侍女の言葉にも成る程と納得した。
しかし、本州中部の宗教国家”七峰”への道のりは、離島”日向”にある”咲母里”からは遠い。
途中、海を挟んだ地である本州西部の大国”長州門”を抜けねばならない。
”長州門”は”七峰”と敵対関係で、その”七峰”と友好な我が”咲母里”とも関係は険悪だ。
――それでも彼の地へ使者を送らねば……極秘裏に、それも名のある者を……
その時、千代理に思いつくのは唯一人であった。
「奥様、”七峰”では”神代”である六花 蛍様という少女では無く、彼の国での実力者で”壬橋三人衆”と呼ばれる壬橋家の……中でも壬橋 久嗣様を頼られると良いでしょう」
千代理の表情からその決意を察したのか、侍女はそう助言する。
「壬橋 久嗣様は壬橋家の次男ではありますが、こう言った予測外の事にも柔軟に対応される最もお話が通じる御方……是非」
七神信仰では神の依り代たる”神代”が絶対的な存在だ。
しかし、当世の神代、六花 蛍という少女は僅か十歳という……
成る程、そう言う事ならば納得のいく話だと。
千代理は侍女の説明に頷いて決意を固めた。
――この大役は”次花 千代理”を置いて他に無い!
主君である大登 為末には最早失望しか無い。
また夫である次花 臆彪に告げずに去るのは寧ろ都合が良い。
自分はあの男がどうしても許せない……
”あの一件”から夫として見たことも無い。
「…………」
心残りがあるとすれば、隠居した父……次花 秋連に何も告げずに去ることのみだった。
こうして次花 千代理は翌日の深夜……
世界が近代国家世界に切り替わる寸前に”咲母里”の地を離れた。
それは”戦国世界”側でだけでなく”近代国家世界”側でも同時に”咲母里”から姿を消すためだった。
大登 為末や次花 臆彪に横槍を入れさせないために彼女はそう行動した。
そうした経緯で次花 千代理は、遙か本州の宗教国家”七峰”まで辿り着いたのだった。
――
ー
夜の帳が下りる頃。
”七峰”に在る、自らの権力を象徴するかのような立派な屋敷の一室にて――
「…………」
蝋燭の頼りなげな灯りの下で正座した女は、自身の世間知らずを恥じていた。
部屋には布団が一組……
そして自分の身につけているものは白い薄手の夜着が一枚だけ。
そうだ。
あの時、侍女が囁いた……
”壬橋 久嗣様は壬橋家の次男ではありますが、こう言った予測外の事にも柔軟に対応される最もお話が通じる御方”
と言う言葉を。
「柔軟……話が通じる……そう、そういうこと……なの」
千代理は恥じ入る。
二十年も生きてきて、戦場以外を殆ど識らない箱入りな自分を。
「どうした?次花 千代理殿。今更後悔をしているのか……此方はどちらでも良いのだぞ、離島”日向”の田舎国家ひとつの事など」
薄暗がりの部屋で、薄絹一枚きりの着物を羽織っただけの自分の身体に男が下卑た視線を這わせて来る。
「…………」
千代理はそっと指先を、胸元で合わせられた絹地の襟元に添えた。
「中々素直だな、”咲母里”の”武者斬姫”よ……くくく、戦場で恐れられる女武者がどのような声で鳴くか……今宵は楽しみであるな、くくく」
下卑た視線、下卑た言葉……
こんな男が多くの門徒を持つ”七神信仰”の実力者だとは……
「……」
千代理は悔しさよりも、恥ずかしさよりも……情けなさで瞳を閉じた。
「くく、良い顔だ……さぁ、立って俺に見せろ」
暗闇に灯された一本の蝋燭の前で……
瞳を閉じる女の表情を別の意味に取った男は、より興奮した荒い息でせっついた。
――情けない……
――この下衆男が?それとも落ちぶれた我が領国が?
――それとも……次花 千代理……が……
自問しても彼女は答えを得ない。
「……」
千代理は逆らうこと無く立ち上がり、彼女の白い身体は蝋燭の明かりに照らされて、薄い絹の下でハッキリとその体型を浮かび上がらせた。
「良いぞ……良い!……脱げ、全部脱いで俺に”武者斬姫”とやらの値踏みをさせてみよ!」
「……」
千代理の白い指は彼女の心中が葛藤を無視して唯一本だけの帯にかかり……
シュルリ……
いや、”葛藤”なんて上等なモノはこの時の次花 千代理には存在しなかった。
自問しても自答はしない。
それは彼女のこれまでの人生そのもの。
そして、この先も……
ファサ……
「おっ!おおぉぉっ!!」
――
―
次花 千代理……この数年後に、天都原の美姫、”無垢なる深淵”から”一原 一枝”の名を与えられる武者斬姫、その波乱に満ちた人生はこうして始まったのだった。
第三十六話「武者斬姫 壱」後編 END