第三十五話「堅忍持久」(改訂版)
第三十五話「堅忍持久」
戦場の中心……
そこでは尾宇美城攻め藤桐軍総司令官、中冨 星志朗の本隊が一気に決着を着けるべく隊を前進させていた。
「本隊右後方より敵遊撃隊っ!!」
そして、それを待っていたとばかりに、尾宇美城軍の一隊が何処からか姿を現し、後背から突撃を仕掛ける。
「例の”遊撃隊”か!?……よし、ならば作戦通り対応せよ!」
報告を受けた藤桐軍の現場指揮官は即座にそう命令を出し、本隊から後方へ配備されていた三百ほどの隊が前に出て突撃に備える。
「突撃ぃぃっ!!」
再び敵軍の分断を計ろうと突入する尾宇美城軍……”紫電槍”六王 六実隊だが……
わぁぁぁぁっーー!!
わぁぁぁぁっーー!!
その突撃は敵が後方に用意した分隊の前面に配置された”重装歩兵軍団”に阻まれる。
「くっ!部隊のこんな後背に足の襲い重装歩兵を??」
わぁぁぁぁっーー!!
――ザザッ!!
「くっ!」
一瞬足の止まった六王 六実隊を、今度はその重装歩兵の壁の後ろから放たれた大量の弓矢が襲う!
「ぎゃぁっ!!」
「うわっ!」
騎馬の突撃を予測していたとばかりの二段構えの敵分隊の存在。
「くっ!下がるわ!一度距離をとって……」
ドドドドドドドッ!!
「なっ!?」
そしてこのままでは不味いと、仕切り直そうとした彼女の騎馬隊を、今度は敵の騎馬隊が襲う!
「なっ!くっ!!」
ドドドドドドドッ!!
ドドドドドドドッ!!
六王 六実隊が退く素振りを見せた途端、前衛の重装歩兵が左右に開き、その後陣の弓兵部隊の更に後ろから一気呵成に雪崩れ来る敵騎馬兵!
「た、退却っ!退却!速やかに離脱をっ!!」
機動力を完全に封じられた六王 六実隊……
元々防御力を限界まで犠牲にした遊撃騎馬隊である彼女の隊は、こうなってはもう戦いにならない。
結果、六王 六実隊は戦場から一度大きく後退する羽目になったのだった。
――
―
「こっちの陣形が動いた後の隙を敵も多分ね……向こうも同じ事を狙っているだろうから、備えをしよう」
尾宇美城攻め藤桐軍総司令官、中富 星志朗はこの一連の進軍の前にそう言ったのだった。
その内容とは――
先ず、本隊から三つの部隊を編成し独立させる。
編成内容は前衛に重装歩兵が百、その後方に弓兵が百、最後に騎兵が百だ。
この計三百で一部隊の隊を三隊、本隊の左右と後方へ配置。
三部隊はそれぞれ方形に陣を組み、常に外側へ、敵側に正面を向けて本隊に付き従って行軍することとする。
これは敵の遊撃隊によるだろう奇襲に対応させるためだ。
「な、なるほど……重装歩兵で敵の突破力を弱め、弓兵でその背後から敵を削る、そして最後は最後列の騎兵で蹴散らすわけですな、周到な部隊編成です」
星志朗に付き従う副官、堀部 一徳は、主の指示に素直に感心する。
中富 星志朗の策により、城前に構える敵司令部を強襲することに成功した藤桐軍は、元々の数の有利を前面に押し出して本隊を前進、後詰めして一気に平原での戦を決着させる勢いであった。
圧倒的有利の情勢に誰もが勝ちを意識した中で、だが、当の中富 星志朗はその隙を突いた敵の攻撃を予測していた。
具体的には、一度離脱した”六王 六実隊”の再起用による藤桐軍本隊の分断だ。
取らぬ狸の……なんとやら、目前にぶら下がった勝利に浮かれ、”敵の遊撃隊”の存在が完全に頭の中から抜け落ちていた堀部 一徳は自分を恥じる。
それにしても……突破に優れたあの騎兵部隊の突撃を、同数の守備に特化した重装歩兵で受けて時間を稼ぎ、その間に後ろに控える弓隊で削って最後は頃合いを見て最後列の騎兵で蹴散らす、一度敵の戦法を見ただけで直ぐに現状戦力の兵科で対応する、天才、中富 星志朗のなんと見事な封じ手であろうか。
「先ず最初の楔を封じてしまえば、あの手の部隊は用をなさなくなるからね」
――この状況下で、あんな奇策は二度も使わないだろう
――抑もああいった奇襲はそうそう成功するモノでは無い
そういう先入観、心理的盲点を突いて来た敵司令官の巧妙な策を見破った天才は、いつも通り軽い口調で笑っていた。
戦場中央で戦う両陣営の主力部隊戦。
明らかに兵力で勝る藤桐軍は確かにそこでは一本取られた。
だが星志朗はそれさえも利用して、今度は相手の策を逆手にとって敵本陣を突くことに成功した。
戦では大将を討ち取る事に大いに意味がある。
だから、敵の”包帯男”を討ち取れるだろうこの結果は”一勝一敗”という勝ち星では無い。
勝ち点……つまり”十対一”というほどの得点差で表現すべきだろう。
何れにしても敵が追い込まれた事に変わりは無い。
――なら敵はどうするか?
この窮地を脱するには?
逆転するには?
恐らく藤桐軍と同じように相手の本隊を突いて、自らの首が取られる前に総司令官たる”中冨 星志朗”の首を取る以外には無いだろう。
そう考えれば……
確かに、現在一番警戒すべきはあの”遊撃隊”だ。
兵数自体は取るに足らないが、何かを仕掛けてくるのならああいった化け物染みた機動力を誇る隊を……例え捨て駒にしてでも、何らかの足がかりを狙ってくるだろう。
司令官である”鈴木 燦太郎”の首を守るためなら他部隊を斬り捨てるのは戦略上仕方が無いからだ。
中冨 星志朗の策はそこまで相手の策を読んだ上で対応策を講じた妙手だった。
「勿論ね、尾宇美城側は少数だから、本来なら”藤桐軍”には他にも色々とやりようはあるよ、けど……」
そう、それだと……
いつ仕掛けてくるのか解らない相手に多少なりとも注意を割か無ければならず後詰めの本隊進行速度は落ちる事は必定。
ともすれば、それが相手の司令官である”包帯男”を見す見す逃してしまう事にもなりかねない。
なによりこの作戦の最大の利点は、三部隊、計九百の兵数を宛てがうだけで事が済むと言うこと。
この陣容で迎え撃てば、なんの憂いも無く”中冨 星志朗”が指揮する本隊を押し上げて確実にあの”包帯男”を討ち取る事が出来るだろうということ。
「相手は中々の策士っぽいしね、あまり”自由”にさせるのは僅かとは言え危険があるし、なにより面白くないからなぁ」
たとえ危惧する火種が小さくとも、大火になる僅かの可能性さえ事前に潰し対処しようという万全の陣構え。
それは天才、中富 星志朗の本気度が垣間見える決断であった。
「では、早速そのように手配を致します!」
深く頷く家臣を前に、中冨 星志朗はほんの少しだけ自嘲して口元を歪めていた。
――万全の策だ
このまま普通に戦っても勝てる見込みは高い。
けど敵の僅かな可能性をも潰して徹底的に勝利する。
それは中冨 星志朗の普段通りではあったのだが、今回は特に慎重になっている自分に何故だか可笑しくなってしまったのだ。
「僕は自分で思っているよりもあの”包帯男”を認めているのかもね……」
「は?」
小さく呟いた星志朗の声を聞き取れなかった中年家臣は聞き返すが、彼はもう曖昧に笑うだけだった。
――
―
ズザザザァァーーッ!!
俊足を誇る騎馬隊が突撃し、分厚い壁にまたも蹈鞴を踏んで退く……
ドドドドッ!!
そしてまた突撃を試みて……
六王 六実はその後も侵入する場所を変え、間隔をズラし、何度目かの突撃を行ってはいたが結果は同じ、堅い守りに阻まれ空しく打ち返されるだけ。
ズザァァッ!!
ヒヒィィーーン!!
手綱を目一杯に引かれた馬は砂煙を巻き上げて立ち上がる。
「くっ……執拗ね」
スラリとした長身に長い黒髪を簡単に後ろで束ねた、背筋の通った凜とした女。
簡易的な金属製の籠手と臑当という軽微な装備に身を包んだ女騎士は、自身が率いる騎馬兵達に後退の指示を出す。
ドドドドドッ!!
後退し、彼女の隊は一定の距離を取りつつ、前進する敵本隊の後を追うが……
「……」
正直これほど対応されては、元々が百騎程度しか無い彼女の隊ではどうすることも出来ない。
「六王様、このまま”突撃”を続けても……」
既に奇襲とは言えない無意味な突撃と度重なる失敗で、すっかり弱気になった部下から進言を受けた彼女はそっと視線を向けた。
「…………」
「六王様……」
「……続けるわ、直ぐに突撃の準備を!」
だが、生真面目な彼女はそれだけ指示し、回数にして九回目の突撃を開始したのだった。
――
―
「ちぃっ!しぶといな鈴木 燦太郎……だが、貴様ご自慢の遊撃隊も役に立っていない様では無いか?ハハッ!だろうな、兄者……あの御仁には小手先の策など通用するわけが無い、ハハハァァーーッ!」
俺は相も変わらず、敵兵に囲まれながら血に染まった小烏丸を手に獣の如き男と向き合っていた。
「……くっ!」
そして俺を嘲笑う男の名は、中冨 伝士朗……藤桐軍、敵総大将の弟だ。
「そろそろ諦めたらどうだ?本来、貴様を守備するはずの兵共も散り散り……というか、司令官であるお前を命懸けで守らず逃げ惑うのみではないか」
ギィィィーーン!
「っ!!」
”珍妙な見た目通り人望が無いな”とでも言いたいのだろう。
伝士朗は周りの状況を見渡しながらも振るう剣は休まない。
シュバッ!
ガキィィィーーン!
「くっ!……はっ!……」
俺は答えを返さない。
返す暇が無いと言った方が適切だろう。
武芸には多少自信のある俺だが、流石にこの数はキツい……
「これまでだ!終わりにするぞ、鈴木 燦太郎っ!!」
返事を”返せない”俺に向け、そろそろトドメとばかりに刀を振り上げる中冨 伝士朗。
「…………」
俺は散々に返り血に染まった姿で、既に青息吐息でフラつく馬上からその銀色の煌めきを睨んで……
――
―
「一枝様、我が隊は既に本隊からかなり離れてしまいましたが……鈴木様は大丈夫でしょうか?」
――敵に攻め入られ分断され、混乱を極める”鈴木 燦太郎”側近部隊
「……」
部下の焦る声にも寡黙を貫く指揮官たる女戦士が独り。
革製の無粋な眼帯で右目を……
いや、恐らくは美人であろう白い顔を半分も覆ってしまう程の眼帯、その大きさから最早、覆面とか仮面の範疇に入るだろう眼帯を装備した少しばかり奇抜な風体の女戦士は、司令官である”鈴木 燦太郎”の守備隊の指揮を任されていたが、決してその職務を全うしているとは言えなかった。
「良いのでしょうか?このままでは鈴木様は討ち取られ我らは……」
「……」
眼帯の女戦士は寡黙なまま手綱を握っている。
部下のもう何度目かという焦る声にも動じない。
ワァァァァッーー!!
ワァァァァッーー!!
彼女の隊は攻め寄せた中冨 伝士朗の部隊に圧されるまま、あらぬ方向へ隊を後退させて行くだけ。
「一枝様!如何にこれが鈴木様の指示とて、これでは……一原 一枝様っ!!」
馬をすぐ横に並べて更にせっつく部下の言葉が荒くなった時だった。
ヒュルルーー
「っ!?」
混戦の戦場に一筋の鏑矢が、甲高い音を響かせながら天に向かって放たれたのだ。
「…………」
女戦士、一原 一枝の無粋な覆いの逆側、露出した左の瞳がそれを捉えて光る。
「出陣るぞ……」
「え?」
彼女は一言それだけ言い放ち、馬の腹を蹴る!
ダダダッ!
「か、一枝さまっ!!……くっ……行くぞ!皆、一原 一枝様に続けぇぇっ!!」
部下の男も慌てて指揮官の命令に続く!
ドドドッ!ドドドドッ!……
そして、敵に散々蹴散らされて、一見纏まり無く散らばっていたかのように見えていた彼女の隊は……
ドドドッ!ドドドドッ!
ドドドッ!ドドドドッ!
散らばったそれぞれがまるで見えない糸に繋がれて引かれているかの如く、
大元で巻き取られて中央に集約していくかのように体を成し、
ドドドドドドドーーーー!!
忽ちキッチリと整った軍隊として編成され、一点に向かう。
それは――
紛れもなく計算された集団の動き!
この機を見越して張られた周到な策の糸……
「一気に喰らうっ!!所望するは敵総司令官、中冨 星志朗の首級のみだっ!!」
キラリと電光を帯びたかのような光る刀身を抜き放ち、先頭を駆ける女は……己が既に一筋の”雷刃”と化す!
ドドドドドドド!!
ドドドドドドド!!
それは、”無垢なる深淵”と称えられる天都原軍総司令部参謀長、京極 陽子麾下で最も恐れられし王族特別親衛隊が一枚……
”一番”の名を冠する一原一枝が遂に尾宇美城大包囲網線という”死地”に放たれた瞬間であった。
第三十五話「堅忍持久」END