第三十三話「麒麟児と神童」後編(改訂版)
第三十三話「麒麟児と神童」後編
――藤桐軍本陣から、前方に展開する味方の惨状を眺める若い将官が感想を発する。
「うわぁ性格悪いなぁ……というか、えげつないね、ねぇ?」
まるで他人事のように笑って隣の中年騎士にそう言う、この軍の最高指揮官。
「いや、笑い事では……」
中年騎士は困り顔でそう返すが、
「そう?あの程度で混乱するようじゃあ、預かった光友殿下の”北伐軍”も噂程じゃな……」
「星志朗様っ!!」
不用意な事を口走ろうとする主に、中年の家臣は珍しく声を荒げていた。
――多国籍軍で包囲した尾宇美城攻略戦
その発起人である天都原国王太子、藤桐 光友の代理を務め、この尾宇美城大包囲網戦の中心的指揮を執る最高司令官の中冨 星志朗に対して諫めるのは彼の副官である中年騎士、堀部 一徳だ。
「なんだよ堀部、いちいち五月蠅いな……」
「自重されよ、若先生!お家の大事に拘わりますぞ!!」
「……ちぇっ」
珍しく引くことのない中年騎士の眼光に星志朗は拗ねたような表情になる。
副官、堀部 一徳は、中冨流剣術道場では亡き父の門下で星志朗には年の離れた兄弟子に当たり、幼少よりの世話役でもあった。
それ故、この飄々とした天才にしても、”若先生”と言う呼び方をする時の堀部 一徳は本気も本気だと身に染みていたからだ。
中冨家は名門だ。
天都原では知らぬ者の無い名の通った武門の家系。
だが、だからといって王太子たる藤桐 光友を揶揄するか如き言は軽率の極み、ましてやこの軍の大部分はその藤桐 光友殿下から預けられた北伐軍の一部だ。
何処に彼の”歪な英雄”の目と耳があるやも知れぬ状況では以ての外といえる。
この中冨 星志朗という人物は、確かに武芸と軍略、つまり軍事的才能に限れば大したものだ。
生粋の軍人家系である歴代中冨家の雄の中でもズバ抜けた存在だろう。
だがその分……こう言った脇の甘い部分があるのも事実で、政治的な話題や駆け引きには寧ろ疎いとさえ感じられる事が多々ある。
堀部 一徳という中年家臣はつくづく思う。
王家の血を引く天才、京極 陽子姫の才は凡百の及ぶところではない。
だが、紡ぎ出される神算鬼謀は文字通り”鬼策”……
状況によっては敵だけで無く味方の事情さえ顧みることが少なく、効率的に血の通わぬ氷の知略を操り勝利を得る。
怒りや恨み、焦りという悪感情に囚われずに善悪無く淡々と機械の如き正確さで策を実行する様は、純粋無垢にして恐怖の闇。
それ故に敵だけで無く味方にまで畏怖された彼の姫の称号が、”無垢なる深淵”なのだ。
――そう考えれば、天才故の欠落……そういうものが在るのかもしれない……と
――いや、現在はそんなことより優先させねばならぬ事がある!
堀部 一徳は頭を軽く振って主を改めて見る。
「そ、それよりも星志朗様、事態の収拾を……」
「解ってるって……僕もね、やられっぱなしは嫌だからね、まぁそれが例え予測済みの結果でもなぁ」
窮状での打開策をせっつく部下に、星志朗は笑った。
「よ、予測済みですとっ!?」
そして堀部の驚きは当然だろう。
この状況を読んでいた?
ならば何故……
普通ならそう驚くだろう。
「”凡そ戦いは正を以て合い、奇を以て勝つ”ってね……なるほど、けど、それはこっちも同じだよ包帯男くん。”兵は詭道なり”ってね」
中冨 星志朗は独り呟いてから、近くに傅いた兵士になにやら耳打ちをする。
「はっ!直ちに合図を!」
そして、その兵士は直ぐに足早に何処かへと向かって行った。
「せ、星志朗様?いったい何を……」
軽く混乱する堀部 一徳に中冨 星志朗は……
「なにね、あの包帯グルグル指揮官?あれを一寸ばかり、からかってやろうと思うんだよねぇ。まぁ、彼が僕の期待以下なら死んじゃうかもしれないけどね、はははっ」
そう言って、血生臭い戦場で悪戯っ子のように笑ったのだった。
――
―
――奇しくも……中冨 星志朗の言った通り、”尾宇美城正門前”は大きく動き始める!
「ぐわぁぁっ!!」
「と、突破っ!突破されましたぁぁっ!」
藤桐軍の別働隊が僅かに出来た間隙を縫って”尾宇美城正門前守備軍本隊”……
つまり、”俺の居る陣営”まで肉薄してきたのだ!
「どこだっ!戦場で女子供の下働きに勤しむ包帯男というのはっ!!」
俺直近の守備隊を造作も無く蹴散らしながら走り寄る一軍の将は……
「我が名は中冨 伝士朗っ!女の尻に隠れてないで出て来いよ、鈴木 燦太郎とやらっ!!」
通った鼻筋と鋭く切れ長の目……
体格良く剣を上段に構えて寄せ来る偉丈夫は、赤銅色の肌と燃えるような赤い鬣の見事な竜馬に跨がって俺を名指しする。
「…………」
――完全にやられたな……
俺は馬上にて、蹴散らされる護衛兵達を眺めながらそう思っていた。
敵の伏兵が通ってきたのは六王 六実の隊が今の今まで布陣していた配置だ。
――そうだ、敵は……敵将、中冨 星志朗は、“この期”をこそ待っていたのだ!
俺が何らかの手を講じ、乱れた陣形の間隙を縫う……
いや、その道を逆に辿れば本陣まで辿り着けると。
「ぐわぁぁっ!!」
「ぎゃぁっ!!」
とはいえ……こうも易く護衛兵士達を蹴散らして迫り来る一団は……
特にあの将たる男の剛勇ぶりは……
「”切り札”を持っていたのはお互い様ってか……」
馬上から迫り来る砂煙を眺めて呟く俺の背中には、久しぶりかもしれない……
この熱い戦場で、否が応でも死の感覚が研ぎ澄まされる、冷たい汗が流れていた。
「ぎゃっ!」
「ぐはぁぁっ!」
「お、お逃げ下さいっ!鈴木様っ!!」
「…………」
俺は馬上にて動かない。
「鈴木 燦太郎様っ!!」
――いや、だからもう遅い……だろ
ダダダ!!…………タッ……
俺の目前には――
「…………」
「…………」
既にその偉丈夫が乗馬する竜馬上で、獲物を見据える爛爛とした眼光を向け立っていたのだ。
「貴様が……鈴木 燦太郎か?」
鍛え抜かれた五体に鬼気迫る武辺の面魂!
四方は……その武辺者が麾下の兵で囲まれている。
――比率にして敵兵、七に対して味方、三……というところか
俺は無言で周りの状況と目前の男を分析していた。
「答えろ、貴様が……」
「ああ、そうだ。俺が鈴木 燦太郎だよ」
そして、一呼吸後に応じた俺は、そのまま腰の”小烏丸”の柄に手を触れていた。
――
―
天都原の中冨 星志朗と臨海の鈴原 最嘉。
曾て”神童”と呼ばれし”天才”と、辺境の小国で”麒麟児”と評判だった”食わせ者”
二人の偉才がぶつかり合う戦場は、まだまだ予断を許さない状況であった。
第三十三話「麒麟児と神童」後編 END