第三十一話「最終局面へのステップ」前編(改訂版)
第三十一話「最終局面へのステップ」前編
「おのれぇっ!!鎧も着込まずに一騎打ちを仕掛けたのは逃げる時の軽量化ではなくこの為かっ!!」
尾宇美城東門前に軍隊を並べ堀を覗き込む男は奥歯をギリギリと鳴らしながら唸っていた。
黒い鎧兜姿に、額から鼻まで覆った黒い仮面を装着し、露出した顎には立派な髭を蓄えた男、旺帝八竜と呼ばれる将帥の一人である山道 鹿助だ。
「だが……慌てる必要は無い、苦し紛れだ。浮いてきたところを射れば良い」
とはいえ、黒仮面の軍師も当然、悔しがってばかりでは無かった。
自身が率いる騎馬兵達に水面に向けて弓を構えさせつつ、”それ”を待つ。
「魚でもあるまいし、水底に逃げ込んでもそれは一時の…………」
バシュッ!
「ぬっ!?」
巫山戯た包帯男”鈴木 燦太郎”を追って城門の堀前で水面に向けて一斉に弓を構える旺帝兵士達の頭上から何かが飛来する。
バシュッ!
バシュッ!
バシュッ!
バシュッ!
わぁぁぁぁぁぁっっ!!
おぉぉぉぉぉぉっっ!!
当然だが、旺帝軍のそんな行為を尾宇美城守備隊が指をくわえて見ている訳がない。
しっかり閉じられた城壁の上から矢と怒声が降り注いでいた。
「ぬぅっ!耐えろ!ほんの数分だ、包帯男の呼吸もそんなにもたないはずだっ!!」
ガッ!
ガキィ!
ドスゥッ!
金属で補強された長方形の板に、次々と鏃が当たっては突き刺さり、弾けて落ちてゆく……
山道 鹿助は後続に長方形の盾を用意させ、それを頭上に掲げてさせて即席の連続した屋根を完成させた。
「…………」
弓を構えた騎馬兵と自身は、その下でジッと耐える形で好機を待つ。
「…………」
尾宇美城の堀は幅五メートル程で、八割程度水位があり、深さもかなりありそうだ。
バシュッ!!
バシュッ!!
バシュッ!!
バシュッ!!
ガツッ!
ガキィ!
ドスゥッ!
「ぐわっ!」
「ぎゃっ!」
激しい矢の雨が降り注ぐ中、旺帝騎馬軍団は徐々にその圧力に押しやられて何人かが倒れ出す。
「ふはははぁぁーっ!!貴様らの性根と同じく貧相な傘だな!そんなボロ傘ではこの比堅 廉高の弓矢は受けきれぬぞぉっ!」
刻んだ年輪よりも遙かに多彩に顔の面積のほとんどを占める戦傷を豪快に歪ませて、強靱な肉体の老将は城壁から笑い飛ばしていた。
「ぐっぬぅぅ……言わせておけば、弱小国の老いぼれが!」
継続する弓の雨に山道 鹿助はギリギリと奥歯を鳴らして耐えるが、そこまでして待っても目的の人物は水面に現れない。
「何故だ!何故浮いて来ぬ!?よもや溺れ死んだ訳では……」
ガツッ!
「ぎゃっ!」
ドスゥッ!
「うぎゃっ!」
そうしている間にも掲げた盾の隙間から矢は兵士を襲い……
天から無数に打ち込まれる矢の勢いに、掲げた盾ごと潰れる兵士が続出していく。
「鹿助様っ!もうこれ以上、此所に留まるのは……」
「……」
暗い水面を覗き込んでいた山道 鹿助は部下の言葉に無言で頷いた。
如何に数で勝ろうとこれでは堪らない。
「こ、後退……速やかに距離を取れ」
そして、その後も数秒ほど未練がましく暗い水面を睨んでいた黒い仮面の武将は、口惜しそうに命令を出したのだった。
――
―
「この尾宇美城の堀には”脱出用の水路がある”とは、確かに予め説明致しましたが……無茶をしますね、燦太郎様」
長い髪をアップに纏めた如何にも温和そうな落ち着いた大人の女性が俺に言う。
「いや……ゼーゼー……あんなに……ハーハー……深いとこに入り口が……ゼーゼー……ある……ハーハー……とは思わなかった……」
古風なシルエットのロングスカートワンピースにエプロン姿、頭にはレースのヘッドドレスという、伝統的な給仕に俺は息も絶え絶えに答えた。
「あらあら、燦太郎様、水深五メートルは結構な深さですよ」
それも事前にお伝えしたでしょう?と言わんばかりの笑顔で彼女は、俺に替えのタオルを差し出す。
「ああ……サンキュ……ハーハー……」
俺こと、鈴木 燦太郎(偽名)は、尾宇美城司令室に戻ってきていた。
全身水浸しで……
禄に着替えもせず……
司令室の椅子に腰掛けて、既に水を吸って雑巾のようになったタオルを女性に渡す俺は部屋で働く士官達の注目の的……
「……」
「……」
……では無かった。
てか、誰も目を合わせてくれない!
忙しいのは解るが不自然に俺から目を逸らし、用事がある時も用件だけ伝えて、そそくさと去って行く。
「…………」
――む、無理も無いか……
ただでさえ得体の知れない新参の”顔面包帯男”が、席を外したかと思ったらずぶ濡れで帰還……
嫌だ……こんな上司の下で働くのは嫌すぎる!
「うぅ……」
俺はなんとも言えぬ疎外感の中、唯一そんな男に微笑みかけ甲斐甲斐しく世話までしてくれる給仕さんに視線を戻す。
「けど、七子さん、弓矢に襲われながら瀕死の大人の女を一人抱えて潜水するってのは……結構大変なものだなぁ」
ようやく息の整ってきた俺の言葉に、目の前の給仕、七山 七子はニッコリと女神の如き微笑みで応える。
「普通死にます、ふふふ」
「…………」
――いつも通り”なんて良い笑顔”なんだ……
――てか、その言葉でその顔は……
俺が未だ知らぬ七山 七子の潜在能力に、ちょっと引き気味になっていると、彼女はタオルに続いて綺麗にロール状に巻かれた包帯を差し出してくる。
「お顔、不快でしょう?別室で巻き直しましょう」
微笑んだ女神は、ちょっと得体が知れない性格を除けば、実に気が利く良い女性だった。
「ああ……けどその前にやっておくことがある」
俺は勿論、顔にベッタリと張り付いた布がこれ以上無いくらいに気持ち悪くはあったが、それよりも優先度の高い用事があった。
現在、この尾宇美城大包囲網戦において”なにより”も優先する事柄だ。
「正門の戦況はどうだ?」
打って変わって、真剣味を帯びた顔になった俺の質問に七山 七子は、なんとか持ち堪えていると答える。
そして補足するように、右翼部隊、左翼部隊の準備もほぼ整ったと付け足した。
――正面部隊……岩倉 遠海が率い十三院 十三子が補佐する城門前防衛部隊
――右翼、左翼部隊は、六王 六実、三堂 三奈が伏兵の残兵力を結集している
――そして敵本軍……今回の天都原軍、いや、藤桐軍の総指揮官、中冨 星志朗の動きを探る八十神 八月の別働隊
反対側に当たる城東側の旺帝軍は、分隊指揮官である尾谷端 允茂を失ったうえに引き続き城門を守る臨海の王虎、比堅 廉高を攻めあぐね、本隊の合流待ちだろうから暫くは動けないだろう。
残りの七峰軍と長州門軍は、適当に受け流して放置状態だ。
「良し良し……とりあえずは想定通りか」
宮郷 弥代を救出するための一騎打ち以外は大体想定通り……
俺は頷いてから作戦図ともいえる遊戯盤を眺めた。
「長州門の菊河 基子隊が信じられない侵攻速度でこの尾宇美城北から迫っておりますが?」
ともすれば油断しきった顔ともとれる俺の納得顔に、七子がそう注意喚起してくる。
――長州門の”両砦”が一角、菊河 基子。通称”戦の子”か……なるほど大した規格外だ
俺はその言葉をさらりと聞き流し……
「一原 一枝と四栞 四織を予てからの手筈通り配置につかせろ」
「はい、畏まりました」
質問に答えない俺にも、七子は全く気にする素振りも見せず、良い返事を返して頭を下げる。
「……」
――全く良い補佐官だ……いや給仕か?
とにかく、出来た女であることには違いない。
「…………長州門の”両砦”が片割れには俺が直接仕掛ける、多少荒療治だが問題ない」
俺はそういった感じで、多少の罪悪感?居心地の悪さから、軽く補足していた。
「畏まりました。それは心強い事です……ふふ」
そうして七山 七子は唇の端を緩めて微笑んだ後、もう一度深く頭を垂れた。
――ほんと……大した女だ
俺は、必要以上に自己主張をする事無く、争う事無く、自らの意図する結果を引き出すこの女性に、様々な人材を擁する俺の周りにもちょっと居ないタイプだと……本当に感心していた。
「そうだ、そろそろ最終局面だから、彼女の準備も……」
俺がそんな目前の給仕のつむじを眺めながら、新たにそう切り出そうとした時だった。
ザザッ!
ザザッ!
相変わらずの忙しさで雑然としていた司令室内の空気がガラリと変わり、
そこに居た人員全員が背筋を正して一定方向を向き敬礼する。
「……」
目の前で頭を下げていた給仕も、いつの間にかそれに倣っていた。
「皆、ご苦労様……戦況はどう?」
司令室入り口に立った一人の目を引く美少女の姿。
俺も直ぐにそちらを見て、立ち上がり敬礼をした。
「……どうも、我が麗しの姫君。戦況は見事なまでに窮地のままですよ」
そう言って不敵に笑う包帯男の言葉に、黒髪の美少女は一瞬だけ眉を顰めて小さくため息を吐いた。
「ほんと、真面目にできない男ね……ええと?」
瞬時に状況を察した聡明な美少女は、そう言って七子を見る。
「はい、”鈴木 燦太郎”様は相変わらずのお方です」
そして態とらしくフルネームで俺を呼ぶ補佐官。
「ふふ……」
刹那、すっと彼女の暗黒色の瞳が細められる。
――ゾクリッ!
俺を含め、その場にいる男連中……いや、女も含めて全員がその仕草に、危うい程の美しさに息を呑んでいた。
「鈴木 燦太郎、では子細を聞きましょうか」
そうして希なる美姫、暗黒のお姫様、京極 陽子は俺に向けて薄らと微笑んだのだった。
第三十一話「最終局面へのステップ」前編 END