第二十九話「僻地の梟」(改訂版)
第二十九話「僻地の梟」
小津は赤目の領都であり、政治軍事の中枢であり、
其処に聳える小津城は赤目随一の堅城であった。
「おぉぅ!この兵士の数々……勝機が見えてきたとあって流石に赤目諸将も重い腰を上げ始めたと言うことか!」
小津城の天守にある一室からその光景を見下ろして、荒井 又重は満足そうな声を上げる。
小津城本丸から眼下に見渡せる練兵場には、ここ数日で赤目領内各地から集った兵士達で犇めきあっていた。
「これだけあれば今日にでも臨海に占拠された各地を解放する事が出来るのではないか!?」
緩む口元を堪えきれない男は室内に視線を戻すと、部屋中央に設置された軍議用テーブルに向かって嬉々とした声で問いかける。
「確かにな……未だ征服者たる臨海軍の顔色を覗って四十八家当主の方々は表立っては動いておらぬが、現状で見るように密かに麾下の兵をこの小津城に集わせておるのは明白」
荒井 又重の言に、軍議用の席に座した老将、松長 平久が応えるが……
此方の男は綻んだ顔の内にも冷静で含むモノが存在する”不敵な面構え”だった。
「…………」
そして更にもう一人……
先の二人に比べて年若い青年は応じずに、テーブル上の戦略地図に視線をやっていた。
――姓名は、宗三 壱
黒髪を尻尾のように後ろで結わえた、スッキリした顔立ちの青年だ。
「ふんっ」
荒井 又重は一人だけ呼応しない宗三 壱のその態度に、不機嫌に鼻を鳴らして席に着く。
――ここ数日で小津城に集まった赤目の兵はざっと見積もって二千は下らない
数日前、乗っ取った鍬音城をあっさりと放棄した荒井 又重と松長 平久の二将は、その守備兵五百全てを引き連れて守りに有利な小津城に移動して来た。
――小津は赤目領都にして現在、小津城は臨海を寝返った宗三 壱が押さえる城だ
よって、二将の目論見は、防衛するにより有利な堅城、小津に兵を集中させる為であり、また臨海を寝返った男を監視する為でもあろう。
「…………」
今正に、二人の眼前で無言にて戦略地図を睨む人物を……
「やはり松長殿もそう思われるか?ならば早急な戦支度が必要だな……」
荒井 又重は宗三 壱をひと睨みしたが、その後は無い者と無視をして老将、松長 平久とだけ話を進めて行く。
「先ずは一番近い”尾鷹城”か?それとも”小津”を失った今、実質的に敵の本拠地足る”枝瀬城”か……」
ガタンッ!
「っ!?」
多少浮ついた感じで事を進めようとする荒井 又重の眼前のテーブルに、兵士を形取った木製の駒が無遠慮に置かれた。
荒井 又重は……
「…………」
――先ずその駒を眺め
――次いでその駒が置かれた軍議用テーブルの赤目領地図を眺め……
「……」
――そして最後に、その駒をこれ見よがしに自分の前に置いて、自分の高揚する気分に水を差した男を睨む!
「……なにか?宗三 壱……殿」
荒井 又重から見て、戦場の指揮を執るには余りに年若い男……
此方の策とは言え、簡単に主君を裏切る恥知らず……
――こんな程度の若造が、赤目でも名の通る我ら二人と同列で軍の指揮を執るというのか!?
自身よりも優に一回り以上年若い男の顔を睨みつけて、荒井 又重は横柄な口調で問う。
「……いや、貴公の案に一つ、二つ異議があるだけだ」
しかし当の年若い指揮官は威嚇する猛者の眼光にも全く臆する感じも無い。
「なんだと?」
更にドスの利いた声と顔で、若い男の顔を睨み上げる荒井 又重。
「赤目領内の臨海軍総兵数は二万数千……突発的な反乱で中央に位置するこの”小津城”を失っても尚、領内の他の城々が包囲網を敷いて牽制し警戒状態を維持している。主不在の臨海軍と赤目諸将が様子見の現状では、此方も守りを固めるのが最も有効だ」
宗三 壱は兵を形取った駒を自身の拠点である”小津城”の前に置いたまま、誰に話すでも無い感じで言葉を発した。
因みに宗三 壱が言うところの”赤目諸将”とは、既に臨海に降った赤目の将達の事を指している。
このまま臨海軍に付き従うのか、それとも一念発起して支配権の奪還を目指すのか……
再び揺れる赤目の実力者達の状況判断を見極めてからだと。
「グダグダと理由を並べているが、実際は臆病風に吹かれたか?それとも古巣に弓を向けるのが今更怖くなったか、宗三?」
そんな宗三 壱の態度を、恐れて目も合わせられないと勘違いした荒井 又重は、トコトン挑発的な眼で見下してくる。
――裏切り者風情が何を偉そうに一端の講釈を……
荒井 又重の眼光には、そういう解りやすい侮蔑が浮かんでいた。
「……戦の道理を説いたまでだ。赤目攻略戦での勝利の連鎖で臨海軍の士気は高い、この反乱で現在は多少混乱してはいるが、戦の初戦を落としでもすれば相手は勢いに乗って”小津”を一呑みに平らげようと猛攻撃に転ずるだろう、そして信頼を失った我ら小津勢力の大半が味方の離反と戦死により地上から消え去る事になる」
だが、宗三 壱は凄む相手に平然と淡々と反論する。
「臨海兵二万といってもそれは我が赤目を吸収した上での数だろうがっ!!我らが奮戦すれば必ず此方に帰順するわっ!」
「此方が負ければそれは逆になる」
「ぬっ!か、勝てばよいのだ!!臆病者め、屁理屈を並べるだけの臨海の若造めっ!」
口論で全く歯がたたない荒井 又重は思わず立ち上がって唾を撒き散らすが、それに対して宗三 壱は終始冷静そのものだった。
「…………」
普段と変わらぬ表情で座したまま、普段と変わらぬ表情で自身を見下ろす猛々しい武将を見上げている。
「ぬぅぅっ!!」
一度は敗戦し、支配された臨海からの独立。
その為には目前の男……
つまり、臨海軍の重臣で、君主である鈴原 最嘉の従兄弟にして側近中の側近。
臨海では誰もが知る、鈴原 最嘉の右腕……
――この反乱成功には、あらゆる意味で宗三 壱の寝返りは無くてはならない!
臨海軍の各支配地の地盤を揺るがし、その機に乗じるためには……
荒井 又重もそれを勿論理解しているだろう。
だがそれでも……
「ぐっぬぅぅ!!」
荒井 又重は宗三 壱を心中で裏切り者と侮蔑していた。
息子ほど年が違う若造が!と軽んじていた。
「戦の”いろは”も知らぬ若造が……!」
赤ら顔で睨み付ける赤目の猛将、荒井 又重の顔にはそういう葛藤が在り在りと浮かんでいたのだった。
「そうか、なら、やりたければやればいい。だが、斥候からの情報だと直前に迫っている臨海軍は一千ほどで……”久井瀬 雪白”の部隊らしいが」
「っ!!」
一転して”しれっ”とそう言う壱に、荒井 又重のつり上がった眉毛がピクリと反応していた。
「く、久井瀬……雪白……あの”殲滅将軍”……」
――閃光の如き光の剣で尽くを斬り伏せるという、元南阿の将軍”純白の連なる刃”
――”那原城”を二日で陥落させ、赤目が誇る暗殺部隊を只一人で屠った臨海の”終の天使
「う、うぬぅぅ……」
勇ましく立ち上がったままの男の無骨な顔面を、一筋の汗がゆっくりと流れ落ちた。
――
「そう、角を突き合わす事もあるまい……宗三殿も……我らは、ほんの数日前まで敵味方であったが今は志を同じくする同胞、お互いもう少し言葉を選ばれよ」
暫らくその様子を見守っていた老将が、慌てる様子も無く仲裁に入る。
特徴的な刀傷が眉間に刻まれた痩せぽっちの老将だ。
「……」
「ぬ、平久殿がそう言われるなら……」
宗三 壱はその人物に油断無い視線を向け、荒井 又重は渋々、内心はホッとしているであろう顔で頷いた。
――赤目領内でも梟雄と呼ばれし松長 平久
赤目主家、四十八家のひとつである多羅尾 光俊が配下の将にして、一筋縄でいかない曲者は、どこか歪んだ笑みを浮かべていた。
「とはいえ、攻めて来るとなれば対応は必要だろうて……又重殿、貴殿は三千ばかりの兵を率いて臨海軍、久井瀬 雪白を迎撃されよ」
「う……むっ!いや……某はもう……」
兵数は三千対千……
しかし、荒井 又重は微妙な顔でそれを提案した松長 平久を見る。
「ふはっ!大丈夫だて、兵力は三倍であるし、城から後方支援も行う……そうそう、三千の兵の内、一千は宗三殿の軍を借りるが異論はあるか?」
そして続けて老将は”しれっ”とそう言ってのける。
「…………いや、無い」
チラリと二人に視線を向けられた青年はそう答えた。
この場合、当然、宗三 壱としてはこう答えざるを得ないだろう。
臨海を見限った心に、自身が二心が無いと証明するにはそうするしかない。
「重畳、重畳……では、我らはこれにて戦の準備があるので失礼する……さ、又重殿」
”してやったり”と言わんばかりの顔で、ニヤリと壱を見た老将は同僚を促す。
「お……応っ!」
さっさと仕切る松長 平久に、少し呆然としていた荒井 又重も後に続いて退室した。
――
―
「ど、どういうことだっ!松長殿!!」
「いや、そのままであるが?」
「ぬ、ぬぅぅ!!」
部屋を出たところで直ぐに老将へと食ってかかる荒井 又重だったが、即座にそう返され男は蹈鞴を踏む。
「お主?まさかとは思うが……杉谷 善十坊の元にこの人ありと云われし猛将、荒井 又重ともあろう御仁が臆病風に……」
「な、なにを!?……ははっ、いや、腕が鳴るのぉ!ワハハッ!」
「…………」
明らかに図星を突かれた男は、それを下手な誤魔化し笑いでやり過ごす。
「し、しかし松長殿……何故あの臨海者の兵を我が隊の編成に?これでは動き難いと……」
そして、どう見ても誤魔化し切れていない状況の中、荒井 又重は改めて別の質問をしていた。
「うむ……この”小津”に集結せし兵力は今のところ合わせて五千余……内、この城を抑えていたあの宗三 壱の軍は二千……ここは奴の手元に纏まった兵を置かせず分散させるのが吉じゃろう?」
老将、松長 平久は、まぁ良いとばかりに頷くと、男の疑問にそう答えた。
「なるほど……某が奴の兵を半数連れて行けば城に残る元臨海軍兵士は千……集った赤目の兵の内、残るのも千、迂闊な事は出来ぬ……未然に裏切りを防ぐためか」
荒井 又重は納得してウンウンと何度も頷いた。
「如何にも……とはいえ、態々、故国を裏切り赤目に寝返っておいて、さらに今度は我らから寝返るとはとても思えんがな」
松長 平久は本心でそう考える。
――それでは己に危険ばかりが増すだけで益が全く無い
――己が一国の主足る利を求めるとはいえ、危険が大きすぎる
赤目で梟雄と称される松長 平久の価値観は、一貫して利益と危険の天秤……
”それ”に終始していた。
「どちらにしろ、元は忌忌しき臨海兵共。精々、前戦でこき使い、同士討ちさせてやれば良い」
そして松長 平久は歪んだ笑みを浮かべる。
「ふふ、なるほど……我が赤目の兵を消耗する必要は無いと。それもそうだな」
荒井 又重は完全に納得いったとばかりに大口を開けて笑い、老将に同調していた。
「……」
――なんとも御しやすい、単純な男だ……
――だが武勇はある
老将は内心ほくそ笑む。
それは、自分たちに利用される元臨海軍の宗三 壱を嘲笑ってか、
それとも、”駒”の如く使われていることに気づかない目の前の男に対してか……
「ははははっ!しかし平久殿は相変わらずの切れ者よなぁ!ははははっ!」
「ふはははっ!又重殿こそ、後顧の憂いは無い故、存分に武勇を振るわれよ、ふはははっ!!」
――潰し合えぃ!元臨海兵も!赤目の残党共も!ふははぁ!ふはははぁぁ!!
そして、松長 平久は内心笑いが止まらない。
赤目での独立国主という立場を餌に、宗三 壱なる敵将を謀って……
未だ故国の再興をなどという、愚かな夢を見る赤目諸将を煽動する事に成功して……
「ふはははははぁぁぁぁ」
自分以外、全てを出し抜いて老将は笑いが止まらない。
――この地を征するのは”四十八家”等という過去の遺物では無い
――無論、臨海軍や、その裏切り者なんぞという余所者でも無い
――赤目を新たに手に入れるのはこの儂だっ!!
――松長 平久なのだぁっ!!
赤目きっての梟雄、松長 平久の野望の黒き翼は――
本州中央で”暁”全土を揺るがす大国同士の動乱が勃発する渦中にあって……
独立小国群、赤目領土内という僻地も僻地にて、大きく羽ばたいたのであった。
第二十九話「僻地の梟」END