第八話 「無垢なる深淵と王位継承権」(改訂版)
第八話 「無垢なる深淵と王位継承権」
天都原王領”斑鳩”から北へ馬で半日の距離に一軍の野営地が在った。
軍の編成は、騎馬隊、槍兵隊、弓兵隊、重歩兵隊、歩兵隊、などなど。
一見しただけでも、一国を落としうる程の大軍勢だ。
そして、その陣地には天都原王家である”藤桐”の家紋を記した大旗が幾つもはためいていた。
「いつまでこのような場所で足踏みしておればよいのだっ!」
煌びやかな全身鎧と華麗な白いマントの男が、目の前の椅子を蹴り飛ばす。
「!」
吹き飛んだ木製の簡易椅子は、無抵抗に転がってあっけなく壊れた。
「で、殿下、しばし、今暫くお待ち下さい……」
血相を変えて平伏する中年の騎士。
小太りで、頭髪にチラホラと白髪の交じる男の顔はやや草臥れた感じであまり健康的には見えない。
「暫く……だと!聞き飽きたわ!何故この俺が王領に入れぬっ!」
「そ、それは……”紫廉宮”の許可が未だ……」
中年の騎士は機嫌のすこぶる悪い主君に平身低頭、状況を説明しようと必死だった。
白髪の交じった頭髪も、実年齢より少しばかり老けて見えるのも……こう言った主に仕える故の気苦労から来ているのかも知れない。
「このっ!」
ドカッ!
「ひっ!」
平伏したままの中年騎士は、そのまま先ほどの簡易椅子同様、蹴り飛ばされる。
「王の嫡男たるこの俺が!大国”天都原”の時期国王たるこの藤桐 光友が王宮に、時を経ずに我が居城たりえるはずの”紫廉宮”に凱旋するのに何故、従妹ごとき”紫梗宮”の許可を得る必要があるのだっ!!」
煌びやかな全身鎧と自家の紋章を施した華麗な白いマントの男は、無様にひっくり返ったままで恐縮しきりの中年騎士を怒鳴りつける。
見ての通り……彼の怒りは相当なものらしい。
野営地の天幕の中、猛り狂う一人の青年皇族。
それは、大国、天都原王の嫡子にして、王位継承権第一位、藤桐 光友だった。
そして彼は、天都原では父王に次ぐ権力者であり、”北伐軍”総司令官でもあった。
「ちっ、陽子の奴め、南阿の蛮族共に攻められていると聞いたから助けに来てやったのに、この俺を王領に入城させないとはどういう了見だ!」
派手に不満をばらまく藤桐 光友だが……
実は彼の本意は他にあった。
藤桐 光友……彼が率いる”北伐軍”は、その名の通り天都原国北部に展開する駐留軍だ。
天都原北部に国境を接する宗教国家”七峰”という隣国がある。
その”七峰”の自国侵攻を防ぐために配置されたのが彼の北伐軍であった。
西の島”支篤”を制した統一国家”南阿”。
その南阿が天都原に攻め入ったという報を受け、彼が北方の防備を置いても駆けつけたのには援軍という表向き以外の……本当の理由がある。
「南阿軍は既に壊滅状態、援軍には及ばず。故に直ちに北方へ貴軍を戻し、本来の任務である北の七峰に備えたし……と、”無垢なる深淵”からの返答らしいですが?」
光友の足下で戦く中年騎士に替わり、傍に控えるもう一人の騎士が主に今後の方針を尋ねる。
「ふんっ!存外、南阿も不甲斐ないな……日乃を制圧するどころか、虎の子の”蟹甲楼”さえ失ったらしいでは無いか?」
面白く無さそうに吐き捨てる光友は、自軍勝利の報にも、何故か当てが外れたという顔だった。
「主よ、その事ですが、どうやら我が方の策を逆手に取られたかもしれません」
長身で細身の落ち着いた騎士は、質問から打って変わって進言する。
「なに?」
「我が南方の領地、日乃を取引材料に南阿軍を自国内に引きこみ、窮地に陥った王領への援軍という名目で、北から出陣した我が北伐軍で王領”斑鳩”の事実上の実権を手に入れるという主の策……恐らく紫梗宮に看破されていたのでしょう」
「……ちっ」
光友は自身の胸の前で、パシリと掌にもう一方の拳を当てて鳴らした。
「……南阿の野蛮人共め、日乃をくれてやれば調子に乗って王領にまで手を伸ばすと踏んでのことだが……こうまで無計画とはな、あんな小娘に踊らされて情けない奴らだ!」
「踊らされたという意味では……我らも同様では?」
「…ちっ!」
尽く冷静な分析を返す側近の騎士の言葉に、またも舌打ちをする光友だが、今は先ほどと比べ幾分落ち着いた様子である。
どうやらこの側近の騎士、主である藤桐 光友にも過度な萎縮を見せない鋭い眼光の男と話している内にそうなったのだろう。
そもそも、王位継承権第一位、現王の嫡男であり最も王位に近いのが藤桐 光友だ。
しかし、彼には確かに焦りがあった。
自分より十も年下であるにも拘わらず、長年にわたる近隣小国群との数々の戦を制し、天都原南方をまとめ上げた人物。
天南海峡を挟んだ向こう側、支篤を統一した”南阿”の数度に及ぶ侵攻の尽くを退けてきた人物。
現王の弟の娘、つまり光友には従妹にあたる人物で、王位継承権第六位の紫梗宮 京極 陽子……彼女に対する焦りである。
「……」
怒りのピークが過ぎたためか、それとも何かの感情に抗うためか……その瞳から一時的に現世を遠ざけた感じで黙り込む光友。
そして、その主を暫し観察していた細身で引き締まった体つきの騎士は、ゆっくりと続けた。
「手引きされた南阿の侵攻、それに我が主が加担している事を見越したうえで、密約を以て憂いなく総攻撃に踏み切った南阿の手薄な要塞を迅速に攻め取る……戦に介入し、これを収め、その責を問うて責任者の紫梗宮を断罪するという主の策を逆に利用し、且つ我が北伐軍が王領”斑鳩”に到着する前に決着を付ける手際の良さ……敵ながら賞賛の意を感じざるを得ないかと」
「……ふんっ」
光友は側近の騎士の言葉に面白く無さそうに鼻息で答えた。
「そもそも我が天都原の王位継承は、子女如きには資格が無いはずだった、それを少しばかり小賢しい小知恵が廻るからと……父上の耄碌にも困ったモノだ」
藤桐 光友という尊大な人間は、自身が画策した陰謀の失敗には微塵も触れず、相手どころか王である己が父をも貶す。
「……で、殿下……我が軍はいかが致しましょうか?」
主と同僚の騎士とのやり取りを傍観していた中年騎士が、そろそろ頃合かと判断したのだろう……床に転がった時の、膝を折った状態のままで恐る恐る訪ねてくる。
「ふん……たしか、紫梗宮……陽子はこのまま南阿の本拠地、”支篤”に攻め入る準備を始めているのだったな?」
少し思案した後、光友はそう問う。
「……は?」
しかし、てっきり撤収を予測していた中年騎士は咄嗟に返答できず、膝立ちのままに”あんぐり”と口を開けていた。
「このまま”斑鳩”に入城するぞ!」
「い、いや、し、しかしそれは……紫梗宮の許可が……」
ここまで来て?
いや、状況は十分理解しているはずの主の言に、中年騎士は慌てて取り縋ろうとするが……
バサリッ!
だが、それを藤桐 光友は、王家の家紋が施された白いマントを翻して華麗に制する。
「っ!?」
新たな目標を定めた男の表情からは、先ほどまでの怒りや焦りなどはすっかり影を潜め、代わりに自信に満ちた溢れた力強い輝きが放たれていた。
――そうだ……これこそ我が主と認めた英傑の顔……
細身の騎士の……
長めの黒髪を雑に纏めた洒落っ気の無い男が持つ鋭く殺気を秘めた眼光が光り、終始冷静な口角が僅かに上がる。
「紫梗宮?許可?……なに構わぬっ!俺は天下に憚ることの無い、大国天都原の次期当主だ!従妹如き身の陽子の奴には陣中見舞いに来てやったとでも言ってやれ!」
呆気にとられる中年騎士を置いて、殺気を秘めた騎士を前に……
”歪な英雄”……王太子、藤桐 光友は不適に笑い飛ばしたのだった。
第八話 「無垢なる深淵と王位継承権」 END